第10話 少年と少女を併せ持つ意味

 森里は、そのまま真人の全身に視線を移した。

 その視線に真人が少し戸惑う。

 意外に他人が見ている先は分かるもので、真人には森里が自分の顔やら胸やら、テーブルなどに視線を注ぐのが分かった。

 テーブルも含んでいるのは、おそらく下半身を見たいんだろう。

 もう一度立ち上がったら股間や太ももにも視線が行きそうだ。

 顔のついでに首や胸元にやたらと視線を飛ばしているようだが、胸があるのか確かめたいのだろうか……?

 真人がそんなことをボーッと考えていると、不意に肩を掴む綾香の手から不機嫌な気配が伝わってきた。


「森里さん、ジロジロ見ないの!」


「あっ……ごめん!」


 綾香が不機嫌そうに注意すると、あわてて森里が顔を真っ赤にして俯く。

 だがやはり気になるのか、遠慮がちに真人へチラチラと視線を飛ばしてくる。


「あの、普通に見るくらいなら……」


 見かねた真人がおずおずと声をかける。誤解を解いた方がいいと思ったのだ。

 だが言葉を続けようとした真人を綾香が遮った。


「ダメだよ、森里さんデリカシーないんだから!

 真人も嫌なら嫌だってちゃんと言わないと」


 正直どうでもよかった真人だったが、綾香に強く言われるとダメなような気もしてくる。

 そういうものなんだろうか?

 もやついていると、ふらっと立ち上がって真人の後ろに立った九輪が頭の上から声をかけた。


「言われると仕草や表情は男の子っぽいけど、正直どちらとも取れるねぇ……

 両方の美点を合わせ持ってる。

 なあ、男って言うなら同性のよしみで軽く触ってもいいかい?」


 その顔には悪戯っ気のある笑顔が浮かんでいた。

 クールな雰囲気を持つ九輪には似つかわしくなく、だからこそミスマッチ感が映える、いい笑顔だった。

 もちろん女性でもなく、そっちの気もない真人にはタダの笑顔でしかなかったが。

 そもそも九輪みたいなタイプは平均的な下町の高校生だった真人の周囲にはおらず、何を考える人種かという文化的知識もない。


「いいですよ」


 屈託無く笑った真人が提案を了承する。

 何を考えているのかは分からないが、少なくとも悪意みたいなものは感じない。


「うーん、美形は美景……っと、じゃあ遠慮なく」


 九輪の両手が真人の両肩を強く掴んだ。

 手が物凄く大きい――のは、単に真人が小さくなったからだろう。そのまま九輪が肩を揉むように動いたため、綾香が手を引っ込める。

 一瞬驚いた真人だったが、触られても嫌な感じではなかったため、ふっと気を抜いた――その瞬間、九輪が手の位置を下げた。


 もにゅ


「え。いや、ちょっと待っ……ええっ!?」


 九輪が狼狽の声をあげる。

 これは冗談では済まない、不味い……と、九輪の理性はちゃんと警告を上げているらしい。

 だが遅かった。

 九輪の理性の隙をスルリと抜いて、その指が妙な形に歪む。

 それは、まるで何かを摘まむような……


 きゅっ


 ――瞬間、真人が消えた。

 久輪の両手がとんでもない速度で上に弾かれる。勢い余って身体もそのまま吹き飛ばされた。

 同時に少し離れた砂浜の上に何かがふわっと表れた。

 ピンク色の残像――それは真人だった。


「どわぁぁぁ!」


 九輪の悲鳴が遅れて響く。


「え……な、なに?」


 空中に弾き飛ばされた久輪の絶叫を聞きながら、綾香が前後上下左右に首を振る。

 真人が消えてから再び表れるまでの時間は限りなくゼロに近い。

 ほぼ誤差の範囲内だ。

 しかも真人の出現時、土埃一つあがってない。ふわっと柔らかく現れている。

 その割には消える際に久輪が衝撃を受けているのが不思議だった。


「微弱なソートナイン反応を感知しました。

 聖君が《アクセラレーター》と《ディスアクセラレーター》を起動したようですね」


 いつの間にか綾香の後ろに立っていたハガードが懐中時計型の情報端末を見ながら解説してくれる。仏頂面なのはそのままだが口元が少し歪んでいるところを見ると、どうやら苦笑いしているらしい。


「あくせられーたー? でぃ……でぃす?」


「一歩で音速を越えるまで加速し、次の一歩でそれをゼロにできるシステム……と言えばいいですか。

 つまり加速装置です、見鳥さん。

 聖君のソートナインドライバーに搭載された超越システムオーギュメントサーブの一種です。

 眠らせている人もおりますが、聖君は機能制限が精一杯でした。

 ――ああ、聖君も久輪君も大丈夫ですか?

 シェリオ、二人を介抱してやってくれ」


「はい、副司令」


「へえ、すごいや……」


 加速装置!

 真人の超能力を知った綾香が、ぽかーんと口を開ける。

 それが徐々に感嘆の叫び声に変わっていく。


「すごいなあ……うん、真人くん凄いよ!」


「ふにゃぁぁぁぁっ!」


 称賛を受けるべき当の本人はそれどころではないようだった。

 出現した真人は白い砂浜の上でジタバタとのたうちまわりはじめた。両腕で胸をしっかりと押さえており、目には軽く涙まで浮かべている。


 その後ろで、空中で姿勢を入れ替えて何事も無かったように着地していた久輪がパンと勢いよく両手を合わせた。


「すまん、今のは俺が悪い!

 男って聞いてたからちょっとイタズラしようとか思ったんだが、胸の感触があまりにも、その……何て言うか!?」


 真人を拝みながら九輪が深々と頭を下げた。ダラダラと脂汗なんかも流している。

 その騒動で集中が途切れたらしい黒人の大男が大きく伸びをした。

 背中に筋肉が盛り上がる。


「どうした……って、ああ、原因は九輪くんかぁ?

 何があったか説明してもらおうか」


 スクリーンに埋もれていた大男がペン型デヴァイスをぽいと投げ捨て、のっそりと立ち上がった。

 バリバリにマッシヴなタフガイだった。

 軽くストレッチしただけでシャツの胸や二の腕がはちきれそうになるが、意外なことに顔付きは中々に知性的だ。

 隣にいた中国系っぽい女性も席を立って真人の横にしゃがみこむ。

 スリット深めのサマードレス姿が眩しかったが、真人には鑑賞の余裕もない。


「マーキス、この娘に怪我はないみたい。

 でも胸を抑えてて……あ、もしかして九輪に揉まれたの?」


 女性陣が剣呑な目で九輪を振り返る。

 黒人の大男もその言葉を聞いて口元を歪めた。どうやら笑ったようだ。


「ユーシン、その娘の介抱を頼む。

 さて九輪くん……申し開きすることはあるかね?」


 マーキスと呼ばれた男性は、長身の九輪より更に高い。

 横幅も広いので壁みたいだ。

 九輪の口元も引きつった。ダラダラと冷や汗も流れていく。


「誤解……いや、事故だ!

 説明するとややこしいんだが……あー、見鳥サン、聖く……ちゃんって、本当に男の子だよな!?」


「うん、男の子だったよっ!」


 同じく真人の傍らに膝を突いた綾香が、久輪の問いに力強く頷いた。

 鼻息が自然と荒くなる。

 一糸まとわぬ真人が足を大きく広げて起き上がったシーンを忘れるワケがない。

 誰が見間違えるものか……という言葉は飲み込んだが。


「いや……でも、胸の先端中心から広がるエリアが凄く柔らかくてだなぁ。

 なんてのか……ああ、将来ここが張っておっぱいになるんだなぁってのがハッキリ分かる面があったぞ!

 ありゃ断じて少年のムネじゃねぇ。

 いや小さい女の子のムネなんて触ったことはないが!

 ただ間違いなく先端の弾力は男のモノじゃなかったっつーか、つい……っ!!」


「ちょ……や、やめ……」


 動揺のせいか、九輪の声が段々大きくなっていく。

 地面で歯を食いしばる真人は、男のプライドをスパイクブーツで踏みにじりにかかってきた九輪の口を塞ごうと、賢明に声を出そうとする。

 しかし、その度に背筋に電撃が走って腰から力が抜ける。


「ふにゃぁぁ……!」


 嗚咽も漏れそうになり、歯を食いしばって耐える羽目になった。

 オマケに、そうすると余計鋭敏になってしまう。堂々巡りだ。


「どうかしました?」


 そこへ海岸で遊んでいたハーミットが、女の子の手を引いて戻ってきた。

 二人とも水着のままだ。

 騒ぎを聞き付けて様子を見にきたらしい。


「あ、ラボにいたピンク髪の人だ!

 気分悪いの?」


 ボブの黒髪を後ろにまとめた小学生くらいの娘が、真人の横にペタンと座った。

 身長は今の真人と同じか、少し低いくらいか。

 この娘もサロゲートだった。


「トゥイー、九輪さんが痴漢だってさ」


「えー、やらしーんだ!」


 トゥイーと呼ばれた娘は、タオルを持ってきてくれたシェリオと一緒に笑う。

 随分とシェリオに懐いてるらしい。

 そのとき、周りの喧噪を他所に真人の反応をじーっと見ていたユーシンがズバリと指摘する。


「ああ……この娘、ブラしてないんだ。

 それで過敏になった先端が服で擦れちゃってるんだわ」


 図星をつかれた真人の白い肌が、みるみると朱に染まっていった。


「ちがっ……オレは……」


 そこまで言って、トゥイーをぶら下げたシェリオと目が合った。

 彼女は笑いながらゆっくりと首を振る。


「ぼ、ぼくは……あひゃん!」


 律儀に言い直した真人が再び男だと続けようとして、変な声が上がった。

 叫ぶために胸を反らせたせいでシャツの裏地で派手に擦ったらしい。涙を浮かべているのは、多分屈辱のせいだろう。

 うんうんと頷いたユーシンが立ち上がった。


「男どもは向こうを向く!」


 ぴしっ!


 ユーシンの声とともに男性陣――成り行きを見守っていたフィッシャーやハガードすら――が一斉に後ろを向いた。

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