第7話 《楽園》の裏側で
真人とシェリオは並んで橋の先にあるシャフトの中へ入った。
内部は透明な壁で覆われた無数の小部屋が列なる巨大空間が広がっていた。
まるで蜂の巣を内側からみたようだ。
小部屋の前は通路になっており、真ん中は上下移動用のリフトになっている。
リフトには支えなどはなく、透明なボードだけが幾つも空中に浮いているだけだ。
シェリオがリフトを使ってかなり上まで真人を案内した。
「ここだよ」
シェリオが一歩避けた。
小部屋が連なる回廊がずっと続いている。それ以外は何もない。無数にある小部屋の一つを覗き込んでみるが、味気ない部屋があるきりだ。
真人が最初に思いついたのは特大サイズの刑務所だった。
次に思い浮かんだのは病院で、その後でふと動物園という単語が浮かんだ。確かに一面が全部壁だから中を観察しやすい構造になっている。
「真人は、ここが何に見える?」
「病院……かな?」
「当たってなくもないかな。
そこの中では投薬を始め、様々な……処理も、すべて行える。
穴とか無いように見えるけど、廃棄も……できる」
真人は廃棄という言葉で思い当たった。
「そうか、ここが記憶を抜いたりする……」
「うん、ここは檻なんだ。
地球人用の……ね」
シェリオが真人に背を向け、そのまま歩き始める。
「ここが、私がいたところ」
立ち止まったシェリオが、真人に背を向けたまま透明な壁に手をついた。
「私は、ここから今のセカイに出された。
このあたり一帯で生きて出されたのは私だけ……だった、みたい」
ゆっくりと振り返ったシェリオが人差し指を空中でクルッと回す。
その表情は複雑で、彼女の内面を想像することは難しかった。
「生きて……って、殺された……の?」
「この中では精神を安定させる処置も行われる。
安定しない人は……
実験用途に使えなくなるってことで……」
シェリオが一瞬間を置いた。
もう一度真人に背を向け、透明な壁に両手をついて、そのまま額を壁に付ける。
祈っているのか、すがっているのか、嘆いているのか。
「医学自体は地球よりずっと発達してる。
でも実験に使えなくなるようなことはしてくれない。
使えなくなったら……処分。
私たちが実験動物をそうするようにね」
真人がとっさに人は家畜ではないと言おうとして口ごもる。
その言葉は、地球人より明らかに優れた存在を前にしても言えるのだろうか?
逆に自分たちが実験動物に言われたらどう答えるのか――
結局なにも言えないまま、口を綴じた。
「真人、ここにいた頃の私の記録を見てくれる?」
シェリオがゆっくりと振り向く。
目がちょっと赤いが、普段どおりの彼女だった。
手にはポケットから取り出した薄いカード型の端末を持っている。
ちょっと考えた末に、真人はそれを受け取った。
「地球にいた頃の情報がないかなと思って、自分なりに探したんだ。
結局このくらいしか見つからなかったけど……」
画面にシェリオが写っていた。
身体は薄汚れ、垢じみた拘束着のまま小部屋に転がっている。
紙はボサボサで、目に意志の光はなく、半ば解かれた拘束着の下は裸だった。
カードにはそんなシェリオが何枚も収められている。
「ごめん」
何かいたたまれない気分になって、真人が小さく謝った。
悲惨な過去を見てしまったことを謝ったのか、ずっと知らなかったことを謝ったのか、あるいは……言葉にできない何かについてか。
真人もうまく表情が作れなかった。
きっと幾つもの感情がない交ぜになっているだろう。
「見てくれて有り難う、真人。
私はこれと向き合えるまで随分かかった。
でも今は大丈夫!
先へ進むためなら、何度でも見返せるよ」
真人が無言で小さく頷く。
だが頷いてよかったかは分からない。
シェリオが上を見上げた。
「このずっと上にスータゲイトの端末がある。
そこに私たちがレストアした転送装置モドキを繋げるのが今回の計画。
真人たちサロゲートさんだけが使える、ソートナインドライバーを使ってね」
「ここへ……このセカイへ、僕も来ることになるんだよね。
皆が地球へ帰るために……」
「遠い目標は、そう。
でもカナンリンクが健在であれば、地球へ戻っても意味はないんだ。
最悪また連れ戻されるだけだよ。
今回の最大の目的は、自分たちの手でカナンリンクのシステムを動かすことと、その際に得られるデータを収集すること。
あとはカナンリンクにハッキングを仕掛けて、制御鍵の奪取を試みること!
つまり、実験の最大の目的は……私たちが、当面ここへ残るためのものなんだ」
シェリオは、ここで言葉を切った。
彼女なりに精一杯の誠意と、飾らない勇気とを込めて息を吸い込む。
「そのために……真人の力を貸して欲しい。
報酬は用意できない……
危険は……ないと言えば、嘘になる。
でも可能な限りの対策は練った!
その……受けてくれるか、最後にもう一度考えてくれる?」
シェリオが真人にすがった。
手を伸ばしても届かない距離から、真人の重荷にならないように。
「考えるって……ここで、だよね……?」
真人が言いよどむ。
こういった背景についても軽く説明は受けていたが、聞くと見るとでは大違いだ。
現実は……想像よりずっと酷い。
不安と恐怖が強くなる。
その反面、カナンリンクの暗部から目を背けてもいいのかという思いも感じる。
真人はその感情を上手く言葉にできなかった。
ただ……事実を知ったことで、真人にもシェリオたちの苦しみを同じように感じられるような気はする。
押し黙ってしまった真人にシェリオが説明を続けた。
「変な話しちゃってご免ね?
でも……私たちは、あなたにも真実を知って欲しいと思った。
アイビストライフの皆は同じ境遇だから、他の人に聞いてもいいよ。
真人からの質問なら喜んで答えてくれる」
「例えば、ハーミットも……?」
「あの娘はこことは違うセカイで、処分寸前のところを助け出した。
個人的な範囲でなら私より状況はひどかったよ。
こういう小部屋の中で自由を奪われて……その、研究のためだと思うけど、解体が始まってたんだ。
あの娘の足の付け根とか、うっすらとだけどバラバラにされかけた時の傷痕がある。
助け出すのがもう少し遅かったら、そのまま……
だから、まだちょっと安定してないんで薬で抑えてる」
「……」
真人がどう答えていいか分からずに、うつむいてしまう。
シェリオが真人から、さらに一歩離れた。
それは真人の心には絶対踏み込まないという無意識の表れだったかも知れない。
下を向いていた真人がゆっくりと顔を上げ、シェリオの顔を真正面から見つめる。
シェリオもそれに答え、真っすぐ真人を見て話し始めた。
「真人……脅してるようでご免ね。
ただ、私たちが何を考え、どう思ってるか……それを知って欲しかった」
「僕は平凡な……普通の人間でしかないよ。
何をするにしても、すべて皆に任せるしかない」
「大丈夫、真人だからできることだよ!」
シェリオが息を継ぐと両手を大きく広げた。
そこにある全ての人を、モノを、セカイを代表するように。
「改めて最後のお願い。これは私個人から。
聖真人さん、今回の実験で……貴方の身体を、地球からカナンリンクに呼び出したい!」
シェリオが手を戻すと、背をピンと立てたまま恭しく頭を垂れた。
最敬礼だ。
「使用するのは、落ちたスカイフックから回収した旧世代のスターゲイト用端末。
それを私たちがレストアしたもの。
これでスターゲイトを起動させ、実際に質量を持った肉体自体を直接ここへ転移する。
この転送実験で問題だったのは三つ!
エネルギー源の問題と、地球までの航路データ、そしてゲイトの制御。
制御はサブシステムの構築で、エネルギーは回収物にあった
航路データについても、地球からサロゲートの召喚を繰り返すことでなんとか一回分のデータを盗み出せた。
けど、これ以上は危険すぎる。
だから今回の転送実験で、真人本体の転送と同時にカナンリンクへハッキングを仕掛けるつもり。
実際はハッキングというほど大層なものではないけど、成功すればカナンリンクの機能をほんの少しだけ使えるようになる。
これは地球帰還へ向けた最初のハードル。
そのプロセスは、私たちで呼び出した貴方の身体を、私たち自身で地球へ送り返すことで完了する。
貴方は地球人の手でカナンリンクから帰還する最初の一人となる!
そうしてみせる!!」
「この……実験を中止したら、どうなるの……?」
真人がおずおずと尋ねる。
それを聞いて、シェリオは明るく笑った。
「大丈夫。
次のチャンスを待つことになる、それだけだよ」
「分かった、ありがとう。
それで……その、僕はどうすればいいのかな」
「それはイエスと受け取っていいの……?」
「元々そのつもりで来てたし、いいよ。
僕は見てることしかできないけど、どうせ見てるなだけならハッピーエンドの方がいい」
「感謝します、真人!
じゃあ、真人をカナンリンクのシステムに登録するね、五分もかからないよ」
「あ、ちょっと待って……」
真人が、ふと足を止めた。
そのまま後ろを振り返ると、目をつぶって深々と頭を垂れた。
黙祷と気づいたシェリオが優しい目で真人を見る。
「ごめん、いいよ」
「有り難う、真人。
地球から来てもらった人にここを見せること、反対する人も多かったけど……やっぱり見てもらってよかったよ」
「僕たちが地球で助けを呼べればいいんだけど……」
「しょうがないよ。でも一歩ずつ進む、進んで見せる!」
作業を追えた二人が建物から出ると、最初に出迎えてくれた人たちが待っていた。
既に真人の出した結論を知っているのか、最初よりもっとずっと恭しく敬礼してくれる。
あのときは皆が不安だったのだと真人が気付いた。
「シェリオ、車は回してある。
――聖さん、我々をご信頼いただき有り難うございます」
「一足先に地球に戻ってます。
皆を待ってますね?」
「はい」
本郷と名乗った男性と、その仲間たちに見送られる中で、シェリオが車を出した。
彼らは真人たちが見えなくなるまで手を振ってくれていた。
「照れくさいなぁ……」
照れ隠しに真人が改めて惑星を見下ろす。
地表は相変わらずチャトラの模様を晒していた。
ふと――真人は地球以外の惑星を直に見ているのだと思い至った。知識ではなく実感でだ。
それは本来、とても素晴らしいことなのだ。
今は無理かも知れないけど、将来このことを素直に喜べるためにも、自分が実験に参加する意味はあった……と、心の中で安堵する。
「あははは、私もずーっと悩んでたんだ。
正直ほっとしたよ!
真人、有り難う」
シェリオは最初より少々テンションが高く、人から警戒を解くような明るさがあった。
多分これが彼女の素なのだろう。
「それで、これからどうするの?」
「まず司令やデュミナスたちに合流するよ。
さっき通り過ぎた海のセカイにいるから、飛ばすね!」
「そういえば……シェリオ、他のセカイへ行くこともあるって言ってたよね。
そこで掴まったりしないの?」
「セカイごとに決められてるルールに従って普通に暮らせば大丈夫だよ。
むしろ出入りの方が危険かな。
今は大丈夫だけど、最初の内はそれで犠牲が出たこともある。
地表に行く方がまだ安全かな。
あそこも厳しい場所だけど、スクラップ漁りで犠牲者が出たことはまだない。
探索用の拠点も一応作ったし」
「へえ、他の惑星に基地って格好いいね!
他には何かあるの?」
「さっき見せた飛行機というか船――宇宙船だね。
ホワイトストーク。
あの船が完成すれば、スカイフック経由で今よりもっと大勢の人や物を運べる。
ホワイトストークへの長期滞在も考えてる」
「そうすれば、カナンリンクにいる人を全て助け出せる?」
「ううん……
さっきも言ったけど、カナンリンクの中で適切に管理されてる人には手を出さないよ。
少なくとも、今は。
私たちが受け入れることができる人数にも限界はあるし、適切な管理下にあるセカイにいる人は……平和に暮らしてるんだ。
例えそれが正しい状態で無かったとしても、迂闊に手は出せない。
皆が一斉に放り出されるようなことがあれば別だけど……」
シェリオが口調を濁す。
そのまま、ちょっと考えてからゴーグルを額に上げる。
運転中なので前は向いたままだ。
「真人、私たちは何に見える?」
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