第5話 《楽園》の真実

 シェリオは運転席に飛び乗ると、シートに置いてあったゴツいゴーグルを片手でかけてから、もう片方の手でエンジンを始動させた。

 その前にペダルのどれかを踏んづけたり、左手でレバーを操作したりと色々やったようにも見えるが、真人にはよく分からない。

 ただ手慣れた動作だったことは確かだ。

 意外に静かなエンジン音と共に車が生き返り、ヘッドライトがカコっと持ち上がる。

 辺りに光が満ちた。

 ゴーグルも何かの端末になっているらしく、エンジンが立ち上がった瞬間に表面に走査線が走る。

 どうやらハイテク支援がまったくないワケではないらしい。


「助手席に乗っていいよ。

 それとも私の膝の上がいいかな?

 だったら歓迎してあげる」


 シェリオが両足を軽く開いて、膝を軽く叩いた。

 今の身体ではシェリオの方が背が高いから、膝の上は洒落にならない。

 覚悟を決めた真人は恐る恐る助手席に乗り込んだ。

 車高は意外に低い。

 屋根がないから当然だが、いまの真人の身長でも空がよく見える。


「乗ったよ、大丈夫……わっ!?」


 真人がシートに着くと同時に、シェリオが無造作に車を発進させた。真人が慌てて妙に低い位置にあるシートベルトを締める。

 その間も周囲の景色が一気に後ろへ流れていった。

 ふと気になった真人がシェリオの前にある速度計をチラっと見る。針が一気に右に寄っていく。

 真人は軽く天に祈ってから、おそるおそるシートに腰を落ち着けた。

 幸いなことにシェリオの運転はかなり上手い。

 スピードをあげつつ、整備された海岸沿いの道を疾走してゆく。

 真人はオープンカーに乗るのは初めてだったが、風は意外に邪魔にならない。視界を遮る物がないのもいい。開放感が気持ちよかった。


「運転、慣れてるんだね?」


「慣れているように設定して貰ったが正しいかな。

 さっきも言ったけど、他にも船や飛行機も動かせるし、整備だってできるよ。

 地球にあるのも、こっちのも」


「凄いなぁ。

 シェリオはその能力で自活してるの?」


「自活……?

 ああ、お金を稼ぐってことかな。ならしてないよ。

 仮とは言え守護システムがいるから、生活に必要な物はすべて揃うんだ」


 真人がきょとんとする。

 子どもの頃に就職氷河期なんて言葉を散々聞いていた真人は、無職にあまり良いイメージを持っていない。


「え……だったら皆、働いてないの?」


「アイビストライフの活動はしてるよ。

 余暇に適当に働いてる人もいる。地球を忘れないようにするとか、趣味とか、そんな理由。

 フィッシャー司令は料理を始めてて、お弁当配ったりしてる。

 これが結構美味しいんだ」


 助手席で真人の視線が揺らふぐ

 言おうか言うまいか、ためらいがった。


「その――気を悪くしたらご免ね?

 衣食住の心配なく自由に好きなことができて、勉強する必要もなくて、そして仲良く暮らせるなんて、僕にはここが……その、天国に見えるよ」


「うん、天国みたいなところだよ」


 かなり遠慮した真人の質問に、シェリオが何でもないように答えた。

 別に気を悪くしたような感じはない。


「真人、気を悪くしたらご免なさい。

 実験室にいるモルモットってさ、食べ物に不自由しなくて外敵にも襲われなくて、天国みたいなところにいると思わない?」


「えっ……あっ、ごっ、ご免……!」


 受け止め方の違いに気づいた真人があわてて謝る。

 シェリオたちにとって、ここは望んで来たセカイではない。


「いーって、いーって!

 あと今のはゴメンね。

 真人には、この世界についてもっと色々知って欲しいんだ。

 私たちの立場や考え方も含めて」


「……」


 真人がシェリオの意見をどう捕らえていいか分からず、考え込む。

 それを見たシェリオが真人の肩を軽く抱いた。

 軽いわき見と片手運転に真人が微妙に嫌な顔をするが、シェリオは気にしない。


「ねえ真人、地球にもこんな景色があるんだよね」


「うん、僕が住んでいるところよりずっと南にだけど……」


「真人が住んでるのは日本だよね?

 私も真人の街を見てみたいな」


「地球に帰れたら来てよ。皆を案内する」


「あはははは、約束!」


 シェリオの運転する車は、そのまま丘を越えて奥の道へと入った。

 途中、車から何度もキンコンカンコンと謎の警告音が鳴り響いたが、シェリオがまったく気にしてないので真人も反応は控えた。

 それよりも丘を越えて目に入った物に気を取られていた。

 目に入った物――それは倒壊した橋だった。

 本来は隣の島まで続いているはずの巨大な橋が、半ばでへし折れて海中に突き刺さっている。

 折れた橋の周囲には街の瓦礫も広がってる。

 街をよく見ればすべてがボロボロで、砂礫のように脆く崩れていた。

 金属、コンクリート……植物すらもだ。


「あれが停止したセカイの残骸だよ。

 セカイはゼプトライトっていう超微細なロボットシステムで構築されてるんだ。

 全部じゃないけど、機能停止するとバラけちゃうんだよ。

 バラけたら元の機能は失われる。

 食べ物すら砂の固まりみたいになる……」


 真人が口をきゅっと綴じた。

 シェリオがいま見せたのは傷口なのだろう。まだ治りきってない傷。

 迂闊な気持ちで触れてはいけない……と、そう感じる。


「こういうのも見せるか見せないかで意見が割れてたんだ。

 だから、ここを見てないサロゲートさんもいる」


 シェリオの左足がほんの一呼吸分だけ動き、左手首の返しでシフトを切り替えてからハンドルを切る。流れるような動作だった。

 車は被災地――と、呼ぶべきだろう――から少し離れた道を縫うようにして進んでゆく。

 廃墟の中を走らせながらシェリオが静かにつぶやいた。


「でもね、やっぱり見て貰った方がいいと思って。

 これは私たちが見させられていた夢の残骸なんだ。

 もう目覚めたけどね」


 車は、やがて港のような場所へ出た。

 埠頭には途中でへし折れた巨大な船が無残に横たわっている。

 こちらもボロボロで、堆積物が砂浜みたいになっている。


「目的地はこの奥にある施設から入るんだ。

 もう少し我慢しててね」


「うん」


 港を越えて曲がりくねった埠頭を抜ける。

 さらに細い道を抜けて車が入ったのは、コンテナ倉庫が建ち並ぶ地帯だった。

 この近辺は損害が小さかったらしく、形を保った倉庫が列なって建てられている。

 シェリオは、その中の一つに車を乗り入れた。

 何の変哲もない空っぽの二階建て倉庫だ。

 車を倉庫の中央にあった車両用エレベーターの上に乗せると、シェリオが身を乗り出して機脇のコンソールを動かす。

 インジケーター類が生き返り、同時にエレベーターが下へと降り始めた。

 地下があるとは思ってなかった真人が驚く。

 どういう仕組みになっているのか、車はシリンダーみたいなシャフトを延々と降下する。

 降下速度は物凄く早い。

 真人はシートから軽く浮く感じを受けた。


「このセカイが目的地じゃなかったの?」


「目的地は……ここいらへん一帯の舞台裏だよ。

 到着までちょっとかかるけど、真人にはこの先にあるモノを是非見てもらいたいんだ。

 ちょっとの間、我慢しててね」


 待つ間、真人とシェリオと他愛もない雑談して過ごす。

 シェリオだけではないが、アイビストライフの人たちは地球の話題ならなんでも興味を持ってくれるので、話題が尽きることはなかった。

 やがてリフトが徐々に減速してゆき、止まった。

 重々しく前方の壁――巨大な扉が開く。

 闇が退き、代わりに光が満ちる。


「わあ……!」


 真人が何度目かの歓声を上げた。

 出た場所は逆テーパー構造の施設の天辺あたりらしい。惑星の地平が遮る物もなく広がっていた。

 相当高いところにいるらしく、大気は宇宙と分離している。

 もっと上は惑星サイズの天井――カナンリンク本体の裏側にすっぽりと覆われている。

 所々に天井がない場所もあり、地表には光と陰がモザイクを作っている。

 カナンリンクからは何本かの柱のようなものが地表に伸びている。柱は地表まで延びているものと、途中で終わっているものの二種類あった。

 建設途中――というワケではないらしい。

 微妙に傾いて見えるのは地表の丸みのせいだろうか。


「すごい、僕はいま別の星を見てるんだ……」

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