第4話 シヴィライズド・エクスペリメント
降下する高速リフトの大きな窓が一気に赤や黄色に染まった。
深い渓谷に広がる紅葉のセカイだった。
奥に見えるカルデラ湖まで山岳鉄道やロープウェーが通り、風景に溶け込んだホテルやペンションがあちこちに立ち並んでいる。
窓に張り付いて景色を眺めていた真人が、可愛らしい歓声を上げた。
「わあ……
自分の目で見るとやっぱり凄いよね!」
閉鎖空間内に自在に環境を構築し、閉じたまま数百年でも維持する――元々は亜光速で宇宙を渡る世代型恒星船で使っていた技術だが、宇宙人たちは超光速エンジンを開発した現在でも、この人工世界の技術を発展させ続けているようだ。
「真人は、このセカイを見るのは初めてだっけ?
気に入ってくれたかな」
シェリオがずっと窓にかぶりついてる真人の背中に声をかけるが、当の真人は外の景色に目を奪われたままだ。
必死に背伸びして外を覗き込む姿にシェリオが苦笑いする。
「うん、すごい景色だよ。
これが人工の空間だなんて信じられないな。
ここはどこを再現したものなの?」
「他のサロゲートさんたちいわく、色んなところがゴチャゴチャだってさ。
真人、ほら……あそこ見て。
二つ目のロープウェー駅から少し離れたところにある、赤い屋根のペンション」
「え、どこ?」
真人がシェリオの指した先に目をやる。
同時に真人の片目が半ばオートで――今の真人にとっては無意識でと言うべきか――機械の光を灯した。
センサーシステムがシェリオの視線までも解析して指示された場所を特定し、さらにズームまでかけてくれた。
驚いた真人だったが、ラボで身体の扱い方は一通り教わっている。
シェリオが指しているのは赤い屋根と白い壁の綺麗なペンションだった。
オープンテラスではオーナーらしき赤いエプロンの女性が、数人のお客さんへ美味しそうなケーキを運んでいる。
客はアイビストライフの常で年齢、性別、人種が全部バラバラだが、全員が顔見知りらしくオーナーが何か言うと一斉に笑いが起きた。
「あの綺麗なペンションだよね。
赤いエプロンの女性がケーキを運んでるけど、名物とか?」
「そこ、私の家なんだよ。
エプロンの女性は多分アルト姉さんで、お客は姉さんのカンパニーメンバーだと思う。
この前まで惑星表面の探査活動してた時の集まり。
ケーキは朝に私が作った奴だと思う。
有名かどうかは知らないけど、食べてくれるなら今度持ってくるよ」
「うん、是非!
でもシェリオって、お姉さんに全然似てないね」
屈託なく笑う真人の、何げない一言。
――だが、真人はそれが失言だったことに気づいた。
似てるわけがない。
ここは地球から強制的に連れてこられた人たちが住む、仮想のセカイだ。
記憶や人格はすべてカナンリンクがシヴィライズド実験のためのに作った、仮想のモノでしかない。
アイビストライフのメンバーは人格のコントロールこそ解かれているが、記憶が戻った人間は誰もいないと聞かされている。
「ご、ごめん……」
真人が謝罪を口にすると、リフトがセカイの裏側へと入った。
一瞬、リフト内が暗闇に包まれる。
わずかなタイムラグの後に室内に明かりが灯ると、そこには変わらないままのシェリオがいた。
――もちろん、暗闇の中でシェリオの顔が一瞬だけ曇ったことを、真人の機械の目は見逃していない。
「気を使ってくれて有り難う、真人。
血はつながってないけど、地球に帰るまでは家族として一緒に暮らそうって決めたんだ。
だから間違いなくあの人は、私の姉さんだよ」
「そっか。その……驚いちゃってごめん。
ならシェリオは、このセカイでも家族と一緒なんだね」
「いるのは姉さんだけね?
お母さんとお姉さんの三人家族で、死んじゃった父さんに代わって、皆で頑張って家を守って……」
シェリオがため息で言葉を濁す。
疲れたような顔は、彼女には似合わない物だった。
「そういう設定だったよ。
父さんを思い返すと虚しいのなんの。
母さんだった人は、騒ぎで本当に亡くなっちゃったんだけどね……
でも最後まで私たち姉妹の母さんだったよ」
「……」
真人は何と声をかけていいか分からず口ごもる。
だが間の悪さが沈黙に発展する前に、シェリオが気楽に笑ってくれた。
「気を回さなくても大丈夫だって!
私たちはもう目覚めたよ。
現実は夢と違って厳しいけど、受け入れて先へ進むだけだ」
「シェリオはどういう風に目覚めたの……?」
「カナンリンクの事故で、地球の再現が停止しちゃったんだ。
否応もなかったよ」
シェリオの表情からまた笑いが消えた。
ひと呼吸分の逡巡ののち、シェリオがぽつぽつと語り始める。
「あの時は学校へ行く途中だったんだ。
地震が……空が落ちてきたかと思うくらい大きな地震が起きた。
収まったと思ったら空が灰色のドームに戻って……
それからもうメチャクチャ!」
「な、何が起こったの」
「詳しいことは私たちにも分からないんだけど……
決して壊れない筈のカナンリンクだけど、どうも一部に機能してないセカイがあるらしいんだよ。
後で見せるけど、そこに付随する施設の一部が崩落しかかってるんだ。
たまに本当に落ちたりする。
それで大きな塊が砕けて落下した際に、こっちのセカイも影響受けたみたい」
当時を思い出したらしいシェリオの顔が心なしか青ざめて見える。
相当酷いことになっていたようだ。
触れてはいけない話題だと感じた真人が、慌てて話題を変えようとする。
「あの……変なこと聞いちゃってごめん。
えと、そういえば、さっきのケーキの話だけど……」
「ううん、ちょうどいいや。
真人さえよければ続きを聞いて欲しいな。
これは、これから真人に見てもらいたいことと無関係じゃないから」
「……」
少し考えてから、真人は頷いてシェリオに続きを促した。
シェリオが頷いて先を続ける。
「セカイが止まった直後から……ここは、地獄みたいな環境に変貌した。
大勢の人が成すすべもなく死んでいったよ。
母さんだと認識していた人、ご近所さん、逗留客……大勢だよ」
「じ、地獄って……?」
「ここは宇宙船の中みたいな物だよ。
そこで生命維持システムが止まったんだ、食べる物どころか空気や温度すら……
おまけに自分が誰かも分からない状況だったしね。
生き残りで協力しながら頑張ってたんだけど、長くは続かないことは分かってた。
だからフィッシャー司令……当時はうちの逗留客だったんだけど、彼が中心になってセカイの外へ脱出を試みたんだ。
そこでデュミナスと出会った。
あのとき司令がデュミナスと出会えなければ、みんな死んでたと思う」
シェリオがおどけて手で首を閉める動作をする。
冗談めかして言っているが、状況がどれほど厳しかったかは想像に難くない。
なにより、ここは地球ではないのだ。
助けはどこからも来ない。
「デュミナスは、シェリオたちを助けるために来てくれたの?」
シェリオが小さく、しかしはっきりと首を振った。
「残念ながら違う。
彼女はセカイを元通りにして実験を再開させるために自動的に生成されただけだよ。
文明そのものを再現するシヴィライズド実験のため……
ただ、事故の影響はデュミナスにも及んでいた。
それが私たちには、ある意味で幸運に働いた」
立ちっぱなしで喋り疲れてきたのか、シェリオが姿勢を崩してリフトの壁に体重をかけた。
対する真人は姿勢を変えない。
華奢に見えるが、サロゲート体の身体能力は元の身体よりずっと高い。
「幸運?」
「不幸中の幸い、かなあ。
デュミナスはこれまでの実験データと、私たち生き残りの行動との間に大きな差異を見いだした――らしい。
彼女はセカイの修復と平行して、新しい研究テーマを作った」
「それがアイビストライフなんだ」
「その原型ね。
私たちは彼女に協力することを条件に、限定的な自由を得た……おっと、着いたよ」
扉が開くと同時に、潮の香りがどっと飛び込んできた。
外がずっと暗かったため真人は次のセカイに入っていたことに気付いていなかったが、どうやら海辺のセカイに来ていたらしい。
リフトから恐る恐る顔を出した真人の頬を潮風が撫でた。潮騒も聞こえてくる。足下は砂だ。
どうやら南国のリゾート地あたりを再現したセカイのようだ。
「話の続きは目的地に着いてからね。
そっちに車があるから、それに乗って行こう」
シェリオが指した先には何軒かのコテージがあり、その庭先に何台かの車が無造作に停められていた。
その中から、シェリオはオープンタイプの白いスポーツカーを選んだ。
シート二つの小さな車だった。
本体に収納する方式のヘッドライトを持ったライトスポーツは、車に詳しくない真人でも何となく見覚えがあった。
確か古い日本車だ。
「シェリオ、本当に運転できるんだよね……?」
真人が恐る恐る運転席を覗き込む。
運転席はコンピューターの類いが一切使われていないように見える。
足下を見るとペダルが二つではなく三つあった。チェンジレバーも前後のほかに左右にも倒れそうだ。
これでは真人の父親でも運転できるか怪しい。
「そりゃもちろん!
私はメカニック系で固めたし、動かす方も大丈夫。
宇宙飛行士の真似事だってできるよ」
「固めた?」
自信たっぷりのシェリオの言葉に安心する前に、真人は聞き馴れない単語に引っ掛かった。
聞き返されたシェリオは、ちょっとばつが悪そうに顔をしかめる。
「ああ、うん……
皆でアイビストライフを立ち上げた時、デュミナスの提案でスキルや知識を……埋め込んだんだよ。
その……頭の中に。
シヴィライズド実験で使われている技術の応用……みたいなもの」
実験という単語に真人が驚いたのを見て、シェリオが慌てて付け足した。
それが少々言い訳がましくなったのは仕方がない。
「最初は嫌がった人も多かったんだよ?
でもやっぱり必要になるし、デュミナスに下心がないって理解された今では全員が受け入れている。
だから、ここでは誰もがある程度のスキルや専門知識を持ってるんだ」
「うん……」
真人には、それが良いことか悪いことか判別できなかった。
シェリオの口調からも手放しで肯定している感じは受けなかったので、真人はそれ以上の感想を控えた。
「――ご免ね、長々と話しちゃって。
じゃあ車に乗ってくれる?
出発するよ!」
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