第2話 サロゲーション・パーソナリティー(1)
遠くからハーミットが叫ぶ声が聞こえたが、綾香は気にせず速度を上げる。
感覚的には自転車に乗った時くらいか。
ラボでサロゲート体のスペックを知って以来、彼女はこの力を使ってみたくてウズウズしていた。ハーミットには悪いことをしたが、こうして普通の人間をあっさりブチ抜くと気持ちもいい。
走り抜けた綾香は、あっさりと目的の扉の前に付いた。
『第二同調室』
そんなプレートが掲げられた扉を、綾香がワクワクしながら開く。
内装はさっき自分が目覚めた部屋と大差ないようだが、何となく置かれた機械類が自分のよりずっと高度な物であるかのような印象を受ける。
綾香が覗き込むと、ちょうと髪をツーサイドにまとめた小柄なアジア系の少女が、小学生サイズの小さなマネキンにシーツを掛けてあげているところだった。
その背に見覚えがあった。
名はシェリオ。タロットの戦車から取られた名前で、ハーミットの友人だ。
綾香がカナンリンクで目覚めるときはシェリオかハーミットのどちらかであることが多いので、すっかり馴染みになっている。
綾香がシェリオの邪魔にならない位置でそっとベッドを覗き込んだ。
「あのマネキンがサロゲートの素体なのかな……?」
寝かされたマネキンは、今はただのノッペラボウだ。
随分と小さいことを除けば特徴はない。
ふとシェリオの手が止まる。まだ綾香には気付いていないらしい。
「あれ……ハーミット、走ってるの?
ハッキリ聞こえないけど、綾香さんが何だって?」
シェリオが耳に付けたリンクコムにそう問いかけるのと、綾香の方を振り返るのがほぼ一緒だった。
そこでやっとシェリオが綾香に気付き――凍った。
その横でマネキンの上に中途半端にかけられていたシーツがズリ落ちてゆくが、シェリオも綾香も気付いてない。
「ああっ……行ったってそうゆうことなの!?
ちょっ、綾香さん、それ不味い!」
シェリオの顔から血の気が引いてゆく。
慌ててベッド側に振り返ろうとしたシェリオだったが、ナニカに気づくと物凄い勢いで身体ごとひっくり返った。
彼女は綾香に向き直る――つまり、マネキンへ背を向ける。
どうやら、ベッド脇の機械類が本格的に動作を始めたらしい。
シェリオの顔には脂汗が浮かび、背筋はまるで棒を飲み込んだかのようにピーンと伸ばされている。
その口が空気を求める金魚のようにパクパクしていた。
綾香に何かを訴えたいようだ。
その顔を見た綾香が手をヒラヒラさせて笑った。
「何を言ってるのよ、何もそんな変な……って、わぁっ、可愛いっ!」
綾香が歓声を上げる。
ベッドの上では、ちょうどマネキンが人化したところだった。
最初に目に飛び込んできたのは――ピンクだった。
それは透き通るようなピンクブロンド。
人種は特定できないが、整った顔つきや華奢な身体は良い意味で中性的だ。
少年と少女の両方の美しさ兼ね備えている。
性別を決定する部分は……残念ながらシーツに覆われて見えない。
もっとも、そのシーツはシェリオが完全に掛け切れてなかったことで今にもずり落ちそうになっていたが。
「う……」
ベッドの上の主が小さく呻き、ゆっくりと目を開いた。
長いまつげがふわりと揺れる。
瞳の色は最初銀色だったが、ゆっくりと色が変わり、最終的に透きとおった藤色に落ち着いた。
儚げで幻想的とも言える眼差しに、綾香の目が釘付けになる。
「はあ……綺麗」
綾香が自分でも気づかないうちに小さなため息を漏らした。
それ以外出てこない。
「あやかさん……あやかさんってば!」
シェリオが背中を向けながら小さく呟くが、綾香の耳には入らない。
ちょうどそのタイミングで、全力ギリギリで突っ走ってきたハーミットが息も絶え絶えで部屋に飛び込んでくる。
「シェリオ、きっ、聞こえて……わっ、わわっ!?」
変な声を上げたハーミットもまた、ピンクに背を向ける。
振り返る一瞬で綾香の肩を掴もうとしたが、走ってフラフラだったのと、綾香が無意識に一歩踏み込んだので空を切る。
仕方がなく開きっぱなしの扉を閉めるに止めた。
シェリオも何かいいたいらしく綾香に顔を向けようとしたが、角度的によろしくないらしく、完全には振り向けない。
ただ何かを必死に訴えかけている。
そのお陰でベッドの主に見とれていた綾香が我に返った。
「二人とも、どしたの。
この娘、石になる呪いでも持って……ええっ!?」
「ふう……
そこにいるのはシェリオ? それともハーミット?
ごめん、身体を凄く変な場所に置いてきちゃったんだけど……」
周囲の騒ぎをよそに、ピンクブロンドの主が起き上がるために両足を開いた。
その拍子に元から中途半端だった下半身のシーツがハラリと床に落ちる。
当然のことながら身体を隠すものは何もなくなり、素っ裸のまま、目の前でこっちを見ている綾香と互いに見つめ合う羽目になった。
――先に動いたのは綾香だった。
「ごごっ、ご免なさい!
えっと、えーと……これっ、これ着て!
わわっ悪気は無かったの、本当にご免なさい!!」
激しく動揺した綾香が両目をしっかりとつぶったまま、凄い勢いで自分のガウンを脱いでピンクブロンドの主に差し出した。
流石に腰は引けているが、綾香が裸のまま硬直する。その顔はまるで塗装したように真っ赤だ。
ガウンを差し出されたピンクブロンドの主は少し混乱していたようだが、シナプスが起動して意識が完全に戻った瞬間にすべてを理解したらしい。物凄い早さで足を閉じ、身体を捻って前を隠す。
肩越しに床のシーツと綾香のガウンを交互に見ると――なるべく綾香を見ないように苦労しながら、渋々ガウンを受け取った。
シーツは綾香の足の下でぐちゃげている。
裸の彼女からガウンを受け取るのもマズい気はしたが、寝起きで素っ裸という情けない状況でベッドを降り、目の前の少女に近づいて足をあげて下さいと頼むのはもっと躊躇われた。
躊躇う理由――自分が痴漢扱いされることを、だ。
ベッドの主は男だった。
身体のメカニズム上、足を綴じるだけでは完全ではないのだ。
当の綾香は手からガウンがなくなっても全力で目をつぶったまま、微動だにしない。
ハーミットもシェリオも後ろを向いて硬直したままだ。
ベッド上のピンクブロンドの主――聖真人は、綾香の裸を見ないように苦労しながら物凄い早さでガウンを着こんだ。
早着替えは、真人の持っている変な特技の一つなのだ。
そのままベッドの上で皆に背を向ける形で、ちょこんと正座する。
ガウンは綾香にはちょうどいいが、今の小柄な真人にはブカブカなサイズだ。
着終わると静かに深呼吸を繰り返す。
綾香のガウンはまだ暖かかった。
――だからこそ、何としてでも忘れる必要がある。
悲しき男のメカニズム的に、だ。
やがて落ち着いたのか、真人が正座のまま肩越しに声をかけた。
「もういいよ……その、君も服を着て」
その一言で女性陣三人の呪縛が解けた。
綾香が顔を真っ赤にしたままその場にしゃがみ込み、ハーミットは床に落ちたシーツで綾香の身体を覆う。シェリオットは物凄い早さでガウンが入っているロッカーに飛びついた。
「もういい?」
「ちょっと待って……はい、大丈夫!」
真人が振り向くと、さっきと同じガウンにきっちり袖を通した上にシーツまで被った綾香が、顔を真っ赤にしながら立っていた。
両足はぴったりと閉じ、左手でポンチョみたいに羽織ったシーツの前を押さえている。
顔はさっきと同じく、耳まで真っ赤だ。
「ご免、その……お、男の子だったんだね!
こ、この区画っててっきり女性専用と思ってて……
それに、君があんまり奇麗だから、その……女の子かと思って……
えーと……まひと君?」
「聖真人です。
こっちこそ、裸を見ちゃってご免なさい」
綾香たちに振り返った真人が正座のままちょこんと頭を下げ、ウィスタリアに輝く大きな瞳で上目遣いに綾香を見上げた。
それを見た綾香の顔が更に赤くなったため、真人が不思議そうな顔をする。
外見にはさほど気を配らないタイプである真人には、いまの自分が他人の感情に激しい衝撃を与える外見であるという自覚はない。ついでに、見た目の年齢が明らかに小学生であることがどういう意味かも。
「いっ、いいってば!
ほら……真人くんに比べたら私なんて全然可愛くないしさ。
こういう時って、得をするのは可愛い方だよ。
真人くんは……うん、凄く可愛い!」
綾香に手放しで褒められた真人は複雑な表情を作った。
そのままベッド脇のミラーサーフェスな台に無理やり自分の顔を写す。
しばらくそうやってピンクブロンドと睨めっこしていたが、やがて小さな溜息を付いて皆に向き直った。
明らかに真人自身は今の顔に納得がいってない。
何かが間違ってる――そんな顔をしている。
していたのだが……皮肉にも沈んだ表情すら様になっていた。
長い睫毛が流れ、伏せ気味の瞳は愁いを帯び、濡れる唇から切なそうな吐息が漏れる。
本人には素の仕草なんだろうが、造形が余りにも美しすぎる。
耽美な雰囲気が実に絵になった。
――そう評価しないのは本人だけだろう。
「えーと……それじゃ、見鳥さんは先に移動しましょうか。
まずは私室に移動していただいて、普通の服に着替えて下さい。
綾香さんは、これまでラボ中心でしたよね?
今回からは外を自由に行動して頂いて結構ですから、皆さんにご紹介致します。
やってみたいことなど、ございますか?」
ハーミットが場を繕うように、両手をぽんと打ち合わせながら提案する。
「ならサーフクラフトを操縦してみたい!
あと真人くんは……」
「サーフクラフトはご手配しておきます。
真人さんは……こちらにお呼びしてまだ日が浅いですし、少々ご説明があります」
「ん……ああ、もしかして思考第Ⅸ相って奴を使った実験?
ソートナインだっけ。
それでスターゲイトへのアクセスを試みるっていう……
へえ、もしかして真人くんが本当の適合者なのかな」
「――まだ、分かりません。
それをこれから確認いたします」
「いいなぁ、私にも適合性自体はあるんだけど……
それじゃ真人くんは頑張ってね!」
笑って手を振りながら、綾香がハーミットとともに部屋を去ろうとした瞬間、ふっと思い付いたように振り返った。
「ちゃんとした自己紹介まだだったよね?
私は見鳥綾香、十七歳。
日本人で、普通の女子高生やってます」
「えーと……聖真人です。
僕も十七歳、日本人の……男です。同じく高校生。
ただ、外見は違いますけど……」
「――えっ?」
綾香の顔が一瞬引きつる。
どうやら同い年と思ってなかったようだ。
「あ……ははは、せっ、性別は本当に御免ね!
元の身体と外見が違うなんて珍しいんだね。
ひじり、まひと……くん。
うん。じゃあ、これからよろしく!」
どうやら持ち直したらしい綾香が屈託なく笑ったので、真人も釣られて笑った。
――笑顔もまた、少年と少女の美点を合わせ持っていた。
やっと元に戻った綾香の顔が再び真っ赤になり、引きつったように固まる。
だが真人には何のことか意味が分からない。
分からないので愛想笑いを続ける。
綾香は最後まで顔を真っ赤にしたまま、ハーミットと共に部屋を去っていった。
二人を見送った真人が、さっきの綾香を思い出したのか少し顔を赤らめる。
ふと――真人の可愛い鼻を、かすかな芳香がくすぐった。
綾香の残り香だろうか。
「可愛い娘だったよね。
良い匂いがするな……」
「わたしは真人の方が可愛いと思うな。
あと匂いは真人のだと思うよ?」
あはは、と笑うシェリオが真人の髪の匂いを嗅いで頷く。
その一言に真人が複雑な顔をする。
「オレはさ?」
「あ、できれば『僕』がいいな。
しゃべり方もさっきまでの方がいいと思うよ。
あと、蘇生確認は今のやり取りでいいや。
テスト完了っと!」
「――僕は!」
律義に真人が言い直す。
ぼく、という二字の響きに少々呪いがこもっている気がする。
ただ確かに『僕』の方が似合う。
それは今の本人の意思ではどうにもならない部分だろう。
「僕はっ、普通のっ、日本人のっ、だ・ん・しっ! 高校生だ!!
身長はもっとずっと高くて、顔は可愛いにはほど遠い。
自慢じゃないけどドコにでもいそうな平凡な奴だ。
今日も念のため友人に確認したら、ちゃんと同意してくれた」
そこまで言っていて急に情けなくなったのか、真人が顔をしかめた。
耳に飛び込んでくる可愛らしい声のせいで二重に情けない。
視線を落とすと柔らかく、華奢で、とても綺麗な肉体が目に入る。
この肉体が男の物だということは散々確かめているし、今でも感覚で分かる。
ついでに、さっき同世代の少女にも確かめられた。
――その現実を見ないように真人が顔をあげる。
シェリオも検査機器のコンソールから向き直って真人を見る。頭のてっぺんからつま先まで、楽しそうに目線を流した。
「身長は百三十五センチ、体重は三十キロ。
髪は正真正銘のピンクブロンドで、人種は特定できない。
あと可愛い。それも凄く。
少年と少女の両方の美点を備えた、天使みたいな肉体だよね。
――追加のチェックは大丈夫だから、もう着替えていいよ。
次からは真人専用の部屋も用意しておくから、どんな季節の、どんな場所にある、どんな建物がいいか考えておいて」
ロッカーからちゃんとした服と下着を出し、真人に手渡しながらシェリオがクスクスと笑う。
真人がそれをひったくるように受け取った。
「――あ、後ろから見ると女の子にしか見えないって知ってた?
お尻ちっちゃくって丸くて可愛いよ」
「そりゃーどーもっ!」
真人が服でお尻を隠しながら、着替え用に区切ったカーテンの裏に逃げ込む。
下着を年頃の少女から手渡されたことについては、一切意識していない。
「何で、オレ……」
「僕」
「何で僕だけ、こんな変な身体になるの!?
このサロゲート体って、クローンみたいに元のままそっくりになる筈なんだよね!」
速攻で着替えた真人がカーテンを乱暴に開いて大股で出てくる。
カット深めのショートパンツの上に、ノースリーブのセーラーシャツという格好だ。
シャツには両サイドに小さなスリットが入っているため、歩く度に綺麗な脇腹がちらりと覗く。スラリと伸びた四肢は、どんな趣味を持つ人間の視線も一撃で固定させそうな凶悪な魅力のオーラを放っていた。
――もっとも、本人はその魅力に気付いてないようだが。
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