第1話 カナンリンク

 目前には、雲海を切り裂くように聳える大山岳地帯が広がっていた。

 凍てつく希薄な大気には一切の色がない。

 ここは人の侵入を拒む神々の座、その頂点――という、であった。


 確かに山頂から下界を見下ろせば山の頂に見える。

 だが天へ目をやれば、そこに飛び込むのは人工の物体だった。

 ヘックスグリッドに分かれた空はすべてがスクリーンで、現実離れしたような鮮烈な青は映像だ。

 それが地平線の果てまで続いている。


 そんな巨大な人工空間内を、一台の飛行機械が飛んでいた。

 平べったいクサビ型のボディには翼どころか噴射口すらないが、明らかに動力を持って飛行している。

 機体横には素っ気なく『AVISTRIPH』の文字が画かれているのみで、他には所属を示すようなマーキングはない。


 飛行機械――サーフクラフトが無造作に高度を下げる。

 前方の薄雲が幕を切ったように晴れると、山の中腹をくりぬいて作ったらしい巨大施設の入り口が現れた。

 機体はその中へ、巨大なハンガーベイへと滑り込む。


 巨大施設には多くの機体が格納され、多種多様な人間たちが作業していた。

 多種多様――そこにいる人たちは、人種、年齢、性別、服装、そのすべてがバラバラだった。

 だが統率は取れている。

 機体も人にも、すべてにアイビストライフの文字があった。

 まるでそれが統一の象徴であるかのように――



 侵入してきたサーフクラフトが空いている空間に機体を押し込むと、床が自動で動いて格納区画に運ばれる。

 機体が固定されるとサーフクラフトの後部ハッチが開いた。

 降りてきたのは、鋼のように引き締まった体躯をブリティッシュスタイルのスーツに包んだ風格ある偉丈夫だった。


 偉丈夫を、奥の通路に待機していた数名のスタッフらしき者たちが出迎える。

 こちらも人種、年齢、性別、服装、そのすべてがバラバラだ。

 中の一人、軍用らしいコートを着た細身の老紳士が一歩進み出る。


「フィッシャー司令、お帰りなさい。

 さきほど聖さんの反応を感知しました。

 今回はご無理を聞いて頂いたためか、少々手こずられたご様子です」


「彼らには迷惑を掛け通しだ。

 いずれ報いられる日が来ると信じているが……

 それで、スターゲイトは既に?」


 フィッシャーと呼ばれた男が、歩きながら報告を受ける。

 その歩みは力強い。


「スタンバイ状態を維持しています。

 詳細はデュミナスにご確認ください、彼女も司令の到着を待っています」


「ハガード副司令、報告はリフトの中でも構わない。

 急ごう、聖君たちを待たせてはいけない」


 フィッシャーたちが高速リフトの一つへ入ると、即座に降下を開始する。

 真っ暗なシャフトの中で体重が一割くらい減ったような感覚が一分近く続き――到着と同時に視界が開けた。

 目前にSF映画のセットみたいなグランドロビーが広がる。

 地下の筈だが、充分な空間があるため息苦しさは感じない。

 施設にはロゴもなにもないため、どこにある、何という国の施設なのかは分からない。


 フィッシャーたちは大勢が行き交うロビーを横切り、そのまま巨大なミッションコントロールセンターに入った。

 ここもまた大勢の人間が忙しそうに働いている。

 スタッフの人種や性別、年齢などはバラバラで、学校の制服らしき服を着ている少年や少女までいる。


 フィッシャーはセンターの一番奥にある椅子に腰を下ろすと、一気に体重を預けた。

 椅子――司令席はフロア全体を見渡せる位置にある。正面には空中に浮かぶ巨大スクリーンが広がっていた。

 司令席の側にいたチーフオペレーターらしき女性が、周囲を代表するようにフィッシャーたちを出迎える。


「フィッシャー司令、お帰りなさい。

 全システム異状なし。

 状況は正常に進行中です」


 彼女の簡単な操作で、正面の巨大なスクリーンに図式化された青い星が投影された。

 青い星――地球と呼ばれる星だ。

 そこには六つの光点が表示されている。

 光点はほぼ同一経度にあり、アメリカ南西部に一つ、中国南東部に一つ、そして日本に四点あった。東京湾の北側と西側の二点のみ色が違っている。

 スクリーンを見上げていたフィッシャーがふと気付いて、傍らに目をやった。

 いつの間にか横に小柄な女性が一人立っている。


「――デュミナス、状況を」


 デュミナスと呼ばれた女性の周囲に、半透明のスクリーンが幾つも浮かぶ。

 それは彼女のもつ多彩な機能の一つだ。


「ご苦労様です、フィッシャー。

 ゲイトへの割り込みは上手くいっています。

 ミッション中は《カナンリンク》との接合を完全に遮断します、信頼して下さい」


 女性――女性『型』と言った方が正しいか。

 全体のフォルムこそ女性を思わせる柔らかな曲線を描いているが、身体の所々には機械のパーツが露出している。特に太ももあたりから下は完全な機械だ。

 顔は大きなバイザーに半ばまで覆われている。

 唯一覗いた口元はフィッシャーたちと同じ造りになっており、優しげな笑みを浮かべる唇があった。

 それが彼女の印象を随分と柔らかく、そして子供っぽく見せていた。


「ああ、頼りにしている。

 このセカイでは我々はいわば反乱者、レジスタンスだ。

 ――ヒト扱いされていれば、だが。

 地球への帰還という目的を知られるわけにはいかない」


 フィッシャーの言葉にデュミナスが静かに頷くと、その周囲の空間に投影されていた内容が切り替わる。

 内容は――地球人には解読不能だ。


「準備完了を確認しています、最終判断はお任せします」


「よろしい、ではゲイト起動!

 本日二回目のサロゲート同調を開始する。

 今回のターゲットは二名。

 第一、第二同調室はただちにサロゲートの起動にかかってくれ」


 そこで一度言葉を切る。

 周囲は沈黙でフィッシャーの言葉を待つ。


「――言うまでもないことだが、細心の注意を払ってくれ。

 彼らは危険を顧みず、光すら霞む深遠を渡ってこちらへ来てくれることに同意してくれた、勇気ある人たちだ。

 彼らの信頼を裏切ることがあってはならない!」


 号令とともに、センター内にいた大勢のスタッフが一斉に作業を開始する。

 それを確認したデュミナスが、ゆっくりとバイザーを跳ね上げる。

 そこにあるのは機械の瞳だった。

 だが、決して非人間的な印象は受けない。

 楽しげに目を細め、スクリーン上にディスプレイされた地球を見上げるその表情は、さっきよりずっと人間くさく思えた。


「では目覚めなさい……地球人」



 『第一同調室』とプレートされた部屋は徹底して清潔で、何も知らない人には手術室と思われそうな部屋だった。

 染み一つない白で統一された広い室内の中央には、継ぎ目のない不思議な機械に所狭しと囲まれた手術台のようなものが設置されている。室内の空調も完全にコントロールされ、音もほとんど反響しない。匂いもない。


 そこにいる人間は一人、ベッド脇のコンソール前に立つ金髪碧眼の少女だけだ。

 あとはベッドの上に顔なしの等身大マネキンが寝かされているくらいか。

 ベッド脇でホログラムのようなコンソールを操作していた少女が、ヘッドセット型の情報端末に報告を入れる。


「こちらハーミット。

 第一同調室にて、同調許可を受領いたしました。

 これよりサロゲートシステムを起動します」


 彼女の操作に合わせ、莫大なエネルギーの存在を感じさせる低い機械音が響き始める。

 ベッド周辺に力場が形成された。

 力場は円筒状にベッドを包み込み、マネキンをゆっくりと宙に浮かせてゆく。


「同調開始」


 その瞬間――虚空を介して星と星がつながった。

 天井に設置されたパネル状のプロジェクターから何条もの光のラインが照射されると、マネキンの全身に複雑なグリッドが画かれる。


 一呼吸の後、マネキンの指先が微かに動いた。

 動きはマネキンの末端から徐々に全体に広がり、やがて表面全体が波打ち始める。

 次の瞬間、頭部の表面には目鼻が生まれた。

 続いて髪が一気に伸びる。

 身体の表面には柔らかな質感が生まれ、無機質な白色から、抜けるように明るいペールオレンジに変わっていく。

 マネキンの表面には次々とヒトしての特徴が生まれていき――やがて、ベッドの上に一糸まとわぬ一人の『少女』が生まれた。


 ベッドが優しく彼女を受け止める。

 少女の人種はアジア系と思われた。丸く白い肩口に、長いストレートの黒髪がサラサラと流れ落ちる。

 金髪の少女が少し緊張してコンソールのステータスを読み取り、小さく安堵する。


「サロゲートシステムの全起動を確認。

 蘇生処理を開始します――」


 ハーミットと名乗った金髪碧眼の少女が、まるで神託のように厳かに告げる。

 ライトグリッドが額を中心に描かれ、元マネキンが首を上げた。そのまま、ゆっくりと目が開かれる。


 ――少女が目覚めた。小さな唇が開くと小さく呼吸を始める。

 瞳は大きいが若干ネコ目だ。

 引き締まった脇に肋骨のくぼみがいくつも浮かび、人種的、年齢的な平均よりは若干豊かそうな胸が上下する。

 最後に、全パーツが同期して表情が生まれた。

 少女がベッドの上で大きく伸びをする。


「ふう……久しぶりのカナンリンク!

 ハーミットも久しぶりだね、元気だった?」


 さっきまでマネキンだった黒髪の少女が自律して動き出し、傍らにいる金髪長身の少女に声を掛けた。

 悪戯っぽそうな瞳がクルクルと回る。

 笑いかけられたハーミット――タロットの『隠者』も、にっこり笑い返してベッドの少女に深々と礼をする。それから簡素な服を渡した。


「お久しぶりです。

 蘇生処理の完了確認を行いますので、もう少しだけご辛抱ください。

 まず、ご自分の名前、およびプロフィールをお願いいたします」


「見鳥綾香、十七歳。

 日本、神奈川、横浜生まれ。

 生年月日は……」


 受け取ったパンツとガウンをベッドに座ったまま器用に着込むと、綾香が自分の身体を軽く撫でる。

 身体に何も異常がないことを確認するとベッドから勢いよく飛び降りた。

 ガウンの裾が撥ね、折角隠した太ももが大きく露出する。

 綾香をモニターするコンソールの表示をチェックし終えたハーミットが、小さく頷いた。

 どうやら満足できる結果だったらしい。

 少し急いでいるように見えるのは、綾香が頼りない格好をしているからだろうか。


「はい、問題はありません。

 正式な服はこの前ご準備いたしました私室の方にご用意してあります。

 ご案内いたしますので少々お待ちを」


「急がなくていいよ、ハーミット。

 どーせ女性しかいないし、この身体だってパートタイム転生用の人形でしょ?

 チートなスペックもあるし、少々適当に扱われても大丈夫!

 ――あ、もし敵に見つかって皆が危険な目にあうって言うならいいけど」


「発見の危険はゼロではありませんが、今回はもう大丈夫でしょう。

 そのお身体は、正式にはサロゲート体という名前です。

 何度もご説明していますが、綾香さんの本体はご自宅の自室におります。

 そのお身体は、完全再現した機械体に人格や記憶を複製したオフライン・パーソナリティーとなります。

 貴方はデータだけになることで、疑似的に三百光年という距離を超光速で渡ったことになります」


 そこでハーミットが深々と頭を下げた。


「このような非人道的な手法を取らざるを得ないこと、お許し下さい。

 見鳥さんのご協力に感謝致します。

 今のご気分はいかがでしょうか?」


 綾香が軽くストレッチを始める。

 いつもの如く、サロゲート体は生身の身体と寸分の違いもない。

 それどころかずっと調子が良い。


「さっきまでは酷い風邪で最悪だったけど、いまは気分いいよ!

 便利だよね、このコピー人形への転生って。

 いっつも思うんだけど、まるでゲームの中に来たみたいだよ」


「ここも……現実ですよ」


 ハーミットが楽しそうに笑う綾香の言葉を聞いて、少し寂しそうに笑い返す。

 だがストレッチ中の綾香は陰に気付かなかった。

 ハーミットは綾香の邪魔をしないようにそっと背を向けると、機材の終了処理を淡々とこなす。その間に沈んだ表情を元に戻した。


「――ん? ハーミット元気ないね」


 顔を上げた綾香が、ハーミットの背中の雰囲気がちょっと固いことに気付く。

 振り返ったハーミットの表情はさっきと代わらない。


「今日はサロゲートさんたちが全員来られる予定となっておりますから、仕事が多くてちょっと疲れたのかも知れません。

 他の方は後でご紹介いたしますね?

 ――ああ、ちょうど最後の一人これから起きるみたいです」


 ハーミットの長い金髪に隠れていたインカムから、涼しげな電子音が響く。

 それを見た綾香が悪戯っぽそうに笑うと、髪をかき上げて耳を済ませた。

 細められたネコっぽい目に機械的な走査光が走る。


『真人も同調開始するよ』


 綾香の耳に明るそうな少女の声が拡大されて響いた。

 いまの彼女の感覚器はサロゲート体の物であり、人間よりずっと鋭い。


「まひと、さん……か。

 部屋はあっちか。

 ねね、サロゲートが生まれるところを見学させて貰っていいかな」


「――駄目ですよ。

 そもそも、今日これから予定のある人は……って、綾香さん!」


 背を向けていたハーミットが彼女を振り返るのと、綾香が扉を開くのは同時だった。

 SF映画の原寸大セットみたいな通路には誰もいない。

 ずっと先まで人の気配もしない。


「大丈夫だよ、不味そうなら戻ってくるから!」


 開いた扉から飛び出た綾香が素足のまま、通路を一気に駆け出した。

 スピードとダッシュ力は凄まじく、メダル級のアスリートすら凌駕しそうだ。

 サロゲート体は本体とは別個のボディであり、用途に合わせて外見を変えたり、能力をブーストしたり、様々な超機能を搭載することも可能だ。

 綾香のサロゲート体は外見こそ元とまったく同じだが、様々な能力をブーストされているらしい。

 ちょっとしたスーパーマンだ。

 ハーミットが通路へ出た時には、綾香の姿はとっくに廊下の影に消えていた。


「あっ、ちょ……綾香さん、違います!

 私が駄目と言ったのは機密とかそういうのじゃなくて……あああああ、シェリオ!

 綾香さんがそっちいったーっ!」

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