第5話 堀田又兵衛頼幸

時は、慶長 十九年 (西暦1614年) 冬。

世に言う、大坂冬の陣の最中の話に遡るーーー


「信繁様、東軍の勢いも、この真田丸にてことごとく打ち据えましたな。」

真田信繁の家臣、堀田ほった又兵衛またべえ頼幸よりゆきが信繁に向かい顔をほころばせながら言う。

後に大阪冬の陣と呼称される戦の折、大坂城の出城として、築城された真田丸は、大坂城の南方が防御上手薄となっているのを補うために設けた砦のようなものであり、冬の陣で、最大の功績を上げた。急所であるが故、敵方も当然にそこを攻め来る事を読んでの対策だった。信繁は次々と難敵の猛攻を退け、大坂城への進攻を一切許さ無かったが、淀君の先走りで家康と和平交渉に応じてしまい、大坂方は不利な条件を飲んだ。

出された条件が、外濠の埋め立てと、真田丸の取り壊しであったのだ。

実際には、策謀により内濠まで埋め立てたと言う話は有名なところだが、それが夏の陣の終結を早めることになったのは、言うまでもないことである。(※実際は二の丸と内堀も取り壊し埋め立てると言うのが、和平交渉の条件であったと言う説もあります。)

そして夏の陣が仕掛けられた。


しかし、信繁の戦上手は真田丸無しでも際立っていた。討死覚悟で猛勇に、敵方に次々と突っ込んでいく姿は、勝利を確信して浮き足立っている東軍にとって、正に鬼神と化して見えていたに違いなかった。

それでも、大坂方は次第に戦況が悪化し、信繁は、密かに女子供を大坂城から逃がす算段を立てていた。


そんな折、そろそろ空も暮れ掛かる頃、休息に陣を構える真田軍に忍び寄る一陣があった。その大将は片倉小十郎重綱(伊達政宗の重臣で、後に重長と改名した。)。道明寺の戦い(大阪夏の陣の中の戦の一つ)において功績を上げた戦上手な武将であり、その名は信繁も十分に知っていた人物であった。


「信繁様、あの片倉軍が攻め参って来たとの報告がありましたぞ。」

堀田又兵衛頼幸が慌てふためいて報告に来た。

「なに?騒がしいと思えば、厄介な敵が現れたものだ。だが、いずれ家康陣までたどり着かねばならないのだ、誰であれ打ち倒すのみだ。」

そう言いながら、鎧を装着したまま休息をしていた信繁は、兜を手にするとガシャガシャと音をさせながら陣の外に向かった。

既に先兵が小競り合いをしていたが、信繁は歩を進めた先に、敵方に囲まれて窮している味方があるのに目を留めた。これを見付けるや信繁は猛然と駆け出したのだった。その中には鉢巻き姿に薙刀を振るう愛娘阿梅おうめの姿があった。

実は、戦況を見ながら、闇に紛れて脱出の経路を探るため、陣に控えさせていたのだが、得意の薙刀を手に、窮する家臣を助けに出ていたのだった。


武将の娘として幼い時から薙刀を習い、よわい12才にしてその腕は付け焼刃の農民兵の軍勢など一蹴する腕前であったが、刀の扱いに慣れた侍兵に囲まれては、さすがに分が悪かった。

「信繁様!拙者にお任せを!」

背後から叫びながら駈け来るのは 堀田又兵衛頼幸だった。

「信繁様は全軍の指揮をして下されませ!」

そう言うや、信繁を抜いて敵方に取り囲まれた阿梅の元へと向かって走った。

その場所までまだ何十メートルあろうか。焦る頼幸を尻目に、敵方は阿梅に切りかかるのが見える。

阿梅は薙刀の切っ先で敵の刀を振り払って応戦するが、命を懸けた実践経験がない阿梅は、震えから足がもつれて尻餅をついてしまった。まさに危うしと言うその場面で、正義の使者よろしく、疾風のごとく駆け付けた者がいた。

誰あろう敵方大将片倉小十郎重綱その人だった。

「待てーい!」

頼幸の到着よりもずっと早く駈けつけて、自軍の中を分け入り、阿梅に対峙すると、持っていた刀を鞘に納めて言った。

「その薙刀捌きに戦場に出る度胸、武家の娘子とお見受けするが、名を何と申す。」

「敵方に名乗る名などない。」

阿梅が顔を伏せながら、吐き捨てるように言う。

「ははははは、何とも勇猛な乙女であろうか。敵ながら天晴れ!!かっさらって嫁にしたいわ。」

「黙れ!誰が敵の嫁になどなろうかっ!!そんな恥辱を受けるなら、自害した方がましじゃ!!」

女子衆おなごしは、戦場で死んではならん。名を申せ。」

阿梅は、ギロリとした目を向けて、キッと口を結んだ。

「察するに、天下にその名を轟かせる真田信繁殿の娘子に違いあるまい。さては、噂に聞いた阿梅殿、であるかな?」

阿梅はドキリとして一瞬その表情が顔に出てしまった。

「な、何を根拠にその様なたわいごとを!」

正体を知れれば人質に取られ、父である真田軍の大将信繁に辛い選択をさせる結果を招く。決してそんなことになってはならない。阿梅はそう心に思っていた。そして、懐に忍ばせた小刀に手を移した。

「早まるでないっ!かような場所で散らす命ではないぞ!」

小十郎が真顔で叱る。

そして、続けて諭すような口調で言った。

「そたら若い命を無駄に散らしてはならぬ。」

「そう思って下さるか。」

小十郎が、声の主に顔を向けると、そこにいたのは信繁だった。

敵方である兵を「ちょっと通して下され。」と、物見の衆をかき分けて進むように、平然と小十郎の側まで寄っていた。その顔には柔和な笑みすら浮かび、殺気は全く無かったからか、小十郎もその気配には気付いていなかった。いや、家臣が側に来た位の気配で、よもや敵方の大将の気配とは思えぬモノだったから、さすがに驚いたのだった。

「こ、これは真田殿。」

一番驚いたのは阿梅だった。ハッとした顔で、父である信繁の顔を見上げていた。

「それはわが娘、阿梅である。片倉小十郎重綱殿。」

「ち、父上!何故にここに・・・。」

「武勇貴き真田左衛門介さえもんのすけ殿。お目に掛かれ光栄でござる。無粋な真似をご容赦いただきたい。」

重綱はその場に片膝をついて頭を下げた。

「戦に無粋も何もあるまい、命を取るか取られるかの戦場である。おかしなことを申される。だが、戦に来たのではないとすると某(それがし)に何かご用の向きでも?」


「これまでの武勲、我らが御大将家康様もいたくお気に召されておられます。討死されるには惜しい御方。今からでも遅くはありませぬ、徳川方に寝返らなくても構いませぬ、これ以上戦に加担されず、傍観していて下さいませぬか。そのお願いにつかまつった次第でござる。」

信繁は近くまで歩み寄ると、重綱の前にガシャリと音を立てて腰を落とし、胡坐あぐらをかいた。

「家康殿からも再三のお誘いをいただいたが、武士として次々と主を変えるのは、節操の無いこと。某には心得の無いことにござる。そんな器用な事が出来るのは・・・、いや、止めておきましょう。」小早川の名を口に出して、皮肉の一つも言おうかと思ったが、詮無せんないことと思い直して止めた。

「仰りたいことは理解し申す。武士としてそれはかたくない。なれど、一城の主として、家臣を守ると言う意味ではいかがでありましょうや。」

小十郎は、説得に努めた。

御心みこころ有り難きなれど、今日のところはお引き下され。この戦、皆、心を一つにした者のみが参戦しておりまする。心残りがある者は全て家元に帰しました。だから、次に会う時は、その時こそは敵味方、それでお許し願いたい。」

信繁の顔には、決意と共に清々しい潔さが窺えて、小十郎はいっそ羨まくも思っていた。

「残念でなりませぬ。信繁殿、大坂方は既に虫の息ですぞ。いかに信繁殿が戦上手と言えど、これを引っくり返すなど出来ませぬ。」

それがしの命、豊臣家にお預けしております。既にここにはございません。」そこまで言うと、フッと笑みをこぼして続けた。

「しかし、そうまで言っていただける重綱殿を男と見込んで一つ頼みがあります。笑ってお聞き下されると、ありがたいのだが。」

重綱は『はて』と言う表情で信繁を見返すと、信繁は二コリをとして、やや頭を垂れつつ言った。

「そこにいる阿梅をこの戦場から連れ出して、平穏な暮らしを与えてやってくれまいか。齢12歳の女子である。戦場で死なせたくはないのだ。小十郎殿を見込んでの頼みであるが、いかがであろうか。」

小十郎は表情を曇らせることなく快諾した。

「そんなことでしたらこの小十郎、一人でも二人でもお引き受けいたす。その代り、信繁殿も命を粗末にされず、先程の某の願い聞いて下さらぬか、今一度お頼み申します。」

「なんと有り難きことか。小十郎殿、某のことは諦めて下され。忘れ形見、どうかこの通り。」

信繁は深く頭を垂れた。

阿梅は、遅れて駆け付けた頼幸に護衛される形で、その場を少し離れたところで待機して、状況を見守っていた。そして、父信繁が談笑している姿に、少なからず違和感を覚えながら、若干の胸騒ぎを感じていた。

小さな“和平交渉”の後、信繁は阿梅に、二男の大八だいはちを無事にここから連れ出し、お家を守るよう命じた。阿梅にはお付きの者として、穴山子助の娘おりんを付け、堀田又兵衛頼幸に護衛を任じた。

かくして、重綱に護衛されながら、真田分家の一行が戦場から出ることになったのだが、そこにアクシデントが発生した。

これが今生の別れと悟った頼幸は、まだ阿梅達が出発していないと思い、信繁に挨拶をした後に、自分の親兄弟とも最後の顔合わせを行っていたが、脱出を急いだ重綱が、阿梅達一行を匿うようにして、軍を先導して駆け去っていたのだった。

阿梅は大八の手を引いて走り、その二人を守るようにしておりんが付いて走った。

大将である重綱に守られながら、真っ直ぐに陣に向かっていた。

既に先行したことを知った頼幸は、慌てて片倉軍の後を追って行ったが、片倉軍の別小隊は既に、戦線が再開となっていると見て構えていた。

鎧兜の頼幸は、当然東軍からは敵軍として目立つ。頼幸にすれば味方の一行とは言え、少し距離を置いて追いかけて来ている姿は、敵の目からすればどうであろう。そこまでは考えが及ばなかった。

追いつこうと、ひた走りに向かっていたその時である。

“シューッ!”と言う音と共に、数本の矢が頼幸に向かって放たれた。

重綱は自軍の反乱かと、従者に旗を大きく振らせた。

「止めい!」

走る馬上から声を発する重綱だったが、その声は届かなかった。

大将が敵方に追われている状態。それが客観的な姿である。

頼幸が膝から落ちて、前のめりに倒れる姿が見えた。

1本の矢が頼幸の肩に命中していた。

「こ、こんな所で倒れてはいられぬ。阿梅様をお守りせねば。無事にお届をせねば信繁様に顔向けが出来ぬ。」

立ち上がろうとする頼幸に、更なる矢が投じられ、数本の矢が次々と命中して行った。

虫の息となりながらも、「阿梅様、今参りますぞ、必ずや、おそ、、ばに、、、、」

その思いは言葉に発せられずも、頼幸の心の中にいつまでもこだまし続けていた。

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