第3話 大会終って
決勝戦の試合は終了した。
勝負は判定となったが、副審主審共に勝田を支持した。
阿修羅蹴りをかわして倒したことと、その後の試合運びから評価されたようだった。
踵落としをかわされた時に、杏子は足に何らかの負傷を負ったらしく、それ以降、受け身になることが多くなっていたことが、判定で減点となった。
その後、表彰式を迎え、それが済むと、杏子はさっさと着替えを終えて、帰途についていた。
負傷したように見えた足も、特別大事には至っておらず、歩く分には影響はなかった。
美姫が一番に心配した所ではあったが、足にも異常は無いことが分かった。
「足に怪我とか無くて良かったね。捻って痛そうだったから心配したよ。」
「うん、、、、もう大丈夫。ありがとう。」美姫の問いかけに、杏子が応えた。
外に出てみると、すぐに夏の空気が肌にまとわりついて、じっとりと汗ばむ。
「やっぱ、外は暑いね。」思わず、実感が口に出る杏子に、美姫がクスッと笑った。
「中は冷房が効いてたからね。私は動いてないから、逆に寒いくらいだったけど。」
武道館を出るとすぐに、東京の象徴である銀杏の木が、眼前にそびえている。青々とした葉をいっぱいに太陽に向けて広げている。右に行くと、靖国通りへと通ずる櫓門があり、その先は鍵状に石垣が設けられていて、道なりに左へ曲がると高麗門がある。その二つの門がセットで、かつては江戸城と呼ばれた城の、田安門である。現存する貴重な文化財だ。
「くっそー、負けたかぁ・・・」
杏子がそんな台詞を吐くのは珍しいと美姫は思った。生来の負けず嫌いであるが、負けは負けと潔く認めるのを、いつもそばで見ていたからだ。
「惜しかったよね。でも、一応男子の大会だし、花を待たせたと言うことでさ。。。」
美姫は、慰めの言葉が他に思いつかなかった。
男子個人戦に出た杏子には、一緒に連れだって歩く同じ部の仲間がいなかった。男子の大会に参加する条件として、同じ部の女子が大挙して競技場に来ることは、遠慮して貰いたいと言われていたからだ。それでも親友の美姫は、一人だけという条件の下、サイドに付くことが許された。美姫だけが応援に来ているのはそのためだった。
「う~ん、でもやっぱり惜しかったよねー。もう少しだったけど、あの勝田って人、杏子の動きが見えてる感じだったね。」と美姫が言ったのは、ちょうど櫓門が真上にある時だった。そよ風くらいでも、夏の肌を冷やしてくれる日陰を作ってくれている。
「・・・あぁ、あの踵落としを受け止められるとは、まさかって感じだったな。両蹴りをかわすとこまでは分かるけど、踵落としを眼前で白刃取りするとはな。可能だとも思ってなかったし。まだまだ自分も修行が足りないってことだな。」自嘲気味に杏子が言う。
「でも杏子には、あの勝田って人の動きが見えてたよね。それなのに、あの人、白刃取りするなんて。」
「勝田って奴も、それなりに何か持ってるかもね、特殊な力。」美姫がそれとなく杏子を探った。
だが、杏子はその点には余り触れず、田安門の高麗門を出てからすぐ左手側に逸れて「うん。そうかもしれない。」と素っ気なく言うと、一番手前の桜の木のそばで立ち止まった。
すぐ後ろを付いて来ている男の気配を感じての対応だった。
「・・・あのさ、さっきから後ろ歩かれて、凄い嫌なんすけど。」
杏子が不意に振り向いて言ったのは、田安門外のお堀に掛けられた橋の上、桜の木が腕を長く伸ばして、春にはきっとキレイな花を付けたに違いないと思われる、枝の下だった。
二人にとって、日光から来た僧円龍との初めての対面である。
杏子の目が、円龍の姿をひとなめして、『は?お坊さん?』と怪訝を露わにする。
隣にいる美姫も同じように目を這わせて、やはり同じように『お坊さん?』と思っていた。
「さすが、気が付いておりましたか。これだけの人混みの中で、よく付いて来ていると分かりましたな。ホントに凄い。」
円龍は、実際に驚いている素振りで、顔に表情を作った。
空手の大会も終わり、早々に帰途についた人が駅に向かってどっと流れてきていた。その波に紛れて、後を追っていたのだった。
「あーいやいや、密かに付けていた訳でもないのだ。どこかでお声を掛けようとは思っていたんじゃがね。タイミングが・・・ね。」
円龍は、短く刈り上げた頭髪に手をやりながら、罰が悪そうに「失敬失敬。」と詫びて、それからまた話を続けた。
「先程の試合は惜しかったですな。実は、優勝した勝田元はわしの甥っ子でね。今日は、まさかそんな試合に出ているとは知らずに来たんじゃが、運が良い、素晴らしい試合を見させて貰いました。」
美姫の目が、訝しげに見る目つきに変わっている。
『喧嘩売ってんのか?この坊さんは。』杏子は内心そう思い、顔が険しくなる。
「あー、いや、本当に怪しい者ではない。それに、そんな話をするために、来た訳でもない。」
相変わらず、訝しげに見ている杏子に、円龍は一歩踏み込んでから、一段低い声で言った。
「そなた、特異な体質のようじゃな。いつから備わった能力じゃ?」
円龍が杏子に詰め寄っている隙を突いて、美姫は密かにその瞳の奥を覗いていた。
「あんた、何か見えるのか?」
杏子が、円龍の言い寄りに、特別身動ぎすることもなく答えた。
「阿修羅も、あれは実際に見えるのじゃな。相手には。と言うよりも、見せておる、そなたがな。」
杏子の背の丈は175cm。女子としては高い。円龍も凡そ同じ位の背であったから、二人の視線は互いに見上げるでも見下ろすでもなく、真っ直ぐにぶつかった。
いっぱいに葉を貯えた桜の木が、まだ光合成に励んでいるお陰で、三人の影は揺れる木陰の中にあった。
「いや、そう睨みつけんでもらいたい。わしの眼力を知って欲しくて言うたまでじゃ。そなたに警戒されては元も子もない。」
円龍は懐から名刺を出して、まずは自己紹介からと言って、話し始めた。
「拙僧は、日光山輪王寺に身を寄せておる、円龍と申す僧侶じゃ。ちと、人を探しておるのだ。」
杏子が名刺を受け取り、美姫にも見えるように、二人の真ん中で掲げた。
円龍は、そこで一呼吸を置くように、うんうんと一人頷いてから、また続けた。
「それがな、なんとも雲をつかむような話でな。だが、勘を頼りに寺を出たのじゃが、なにやらただならぬ気配を発しておる場所を見つけて、来てみればその正体はお嬢さん、あんただったと言う訳じゃ。」
杏子はポカンとしながら「さっぱり、分からん。」と首を振る。
「思いっ切り掻い摘まんで言うとそうなるのじゃ。これから詳細を話すので、少しばかり話に付き合うて下され。」と、円龍は少し頭を下げ加減にして、頼んだ。
武道館から帰途につく人波が、時折三人に視線を送っていく。中には、『芦原さんだ。』と言っていく者もいたのが美姫には気になった。
「あんたも見てたんなら分かるだろ。今日は試合があって、気合い入れまくっていたもんだから、覇気が溢れたんだ。面倒につきあう気は無いし、今日は疲れているので、これで失礼する。」
そう言うと杏子は、美姫に目で「行こう。」と合図を送った。
「あ、いや、待たれよ。」
踵を返して歩き始めた杏子を、円龍は慌てて追った。
人の流れに乗って行くと、もうそこは靖国通り。右に曲がると九段下の駅に降りる階段入り口に続く。
円龍が、何とか人をかき分けて歩き、二人の後ろまで追いついた。
「お主は
『この人ごみの中でそんな話すんじゃねーよ。』杏子がそう思うのと、美姫が杏子と顔を合わせるタイミングが同じだった。
そんなうんざり顔にも困り顔にも構うことなく、そこへ来た顛末を円龍が語り始めたので、二人はタクシーに乗ろうと話して、駅の方には向かわずに大通りの歩道脇で止まった。
「そもそもわしが世話になっとる輪王寺は、徳川家康公の菩提寺であってな、日光東照宮と同じと思って貰って構わない。わしは、その輪王寺にて家康公をいまだ弔っておるのだが、この間、枕元に家康公と思われしご先祖が立たれて、わしにこう申されたのじゃ。遠くの方から響くような声でな、
『西方に大きな悪鬼が育っている。これを修めなければ日の本に災いが起こる。これを修められるのは汚れ無き
・・・その言葉を聞いて、わしははたと目を覚まし、忘れんうちに紙に書き起こした。それからずっと考えておった。と言うても、数日のことじゃが。そして、色々と考えた末、行ってみるしかあるまいと思うて、旅に出ることにしたのじゃ。と言っても、どこに行くかじゃ。キーワードは『西方』と『東』、そして『関ヶ原』じゃ。 関ヶ原は、最終の目的地として、まずは『東』じゃ。わしには東京しか思い付かん。恐らくは江戸城じゃろうと思った。して、勘を頼りに出て来ると、これじゃ。あの武道館から何とも凄いオーラが出ているのを見つけた。これは間違いない。何かが得られるはずじゃと、あんたを訪ねてみた、こういう訳じゃ。」
なかなか空車のタクシーが来なかったので、結局、円龍の顛末話を最後まで聞く形になってしまった。
杏子は改めて振り返り、「なるほどな、大変な謎解きの旅だな。どうかお気を付けて。」とだけ言うと、美姫にため息交じりの笑みを見せて、「あっちに行こう。」と申し合わせて、地下鉄の駅とは逆方向に歩いて行った。
後ろ姿を見ながら「まあ、そうなるかの。根気強く行くしかあるまい。」と言いながら円龍はすぐにまた、二人を追って歩き始め、「しかし、何とも気の短い。」と、ぼそっと独り言をこぼした。
『日の本のため?本気でそんなこと考えている奴いるのか?自分から声をかけてくる奴が、自分の利益にならないことに興味を抱いている訳が無い。人は他人のためになることなどしない生き物だぜ。』
杏子は逡巡していた。
『だけども自分の能力をいとも簡単に見抜いた。それに胡散臭い気もするが、勝田の叔父だとも言っている。日の本のためと言う大義も、僧ならあるのか?』などつらつらと思いを及ばせ、僅かながら興味は持ち始めていた。
だが、杏子には何故かいつも、美姫といる時には用心を深くする癖があった。別段そっち系と言う訳でもなかったが、美姫に対しては自然とそう言う意識が働く。
加えて妙な胸騒ぎも感じていた。
「『まつたけうめ』って、
「ほら、普通は松竹梅の『まつたけうめ』なら『しょうちくばい』でしょう。わざわざ『まつたけうめ』なんて言わなくない?」
「え?あー、さっきの謎の言葉?西方の悪鬼とか?」
「そうそう、西方の悪鬼って何だろう?」
「ウチらに関係ないよ。と思うけど、美姫は興味あるのか?」
「・・・少しだけ、話を聞いてみない?」
美姫は案外お節介焼きで、面倒に首を突っ込むのが好きな傾向がある。
「まあ、美姫がそう言うなら。」
「うん、そうしてあげようよ。」
クリクリッとした眼差しでニコッと微笑む美姫の笑顔には、杏子はいつも逆らえない。
『あのお坊さん、凄くきれいなオーラをしてるし。』と言う台詞を、美姫は、すんでの所で飲み込んでいた。
「わかった。」と答えてから、杏子は足を止め振り向むいた。美姫も同様にゆっくりと振り向く。
円龍はすぐそこまで来ていたが、杏子たちを見るや、慌てて足早になってそばまで来た。
すぐ横を通る車の騒音が、杏子の声のトーンを上げた。
「お坊さん、少しだけ話に付き合ってやるよ。そもそも、西方の悪鬼とは何のことだ。」
円龍は破顔して、「おほ、ありがたい。きっと分かってくれると信じておった。」と、うんうんと頷いて答えた。
「じゃが、西方の悪鬼については、さっぱり分からんのじゃ。」と、すまなそうにして頭に手を置き「ただ、関ヶ原にまつわる亡霊の類じゃろうとは、わしは思うておる。」と続けた。
「亡霊?」
杏子と美姫が声を合わせて復唱する。
杏子が気を取り直して言う。
「もう一つ確認だが、『まつたけうめ』は『しょうちくばい』の松竹梅なのか?」
信号機が車を止めて、少しだけ静寂が戻る。
「おぉ、何かヒントがあるのじゃな。そこじゃ、確かに何故『しょうちくばい』ではなく、『まつたけうめ』だったのか。わしもそれは引っかかっておった。」
そしてまた、うんうんと言う素振りを何度も見せ、目を細めた。
「もしかしたら、『待つ、たけうめ』かとも考えたが、どんな意味じゃ?となると、やはり、『しょうちくばい』の方なのだろうと考えているのだが。」
「ふーん。で、お坊さんは、何がしたい訳?そして、私らに何を求めている訳?」
杏子が元々燻っているモヤモヤの原因を追及する。
「それは勿論、家康公のお告げを、解明すると言うか、解決することじゃな。」
「私らに何か出来ることがある訳?」
「恐らく。」
「根拠は?」
「すまんが、わしの勘じゃ。ここに導いたのも家康公のお力と思うておる。」
「ふーん。」
杏子は美姫に顔を向けて「どうする?美姫は?」と委ねる。
「私ね、なんか良く分からないけど、手伝わないといけないような気がするんだ。」
美姫が円龍を見て言う。
「そなたは、改めて見ると優しい気を発しておるの。阿修羅殿に目を向けていて気が付かなんだ。高貴なオーラ、、、、、もしや、ミキ殿のきの字は姫と書かれるのではござらんか?差し詰め、みの字は”美しい”じゃな。」
「マジかよ。あんた本当に当てずっぽうで言ってんのか?もしかして、下調べして接触してきたんじゃねーだろうな!!」
言うや杏子が身構える。
「杏子、大丈夫だよ。円龍さんは、そんなことしとしてないよ。大丈夫。」
美姫が杏子の腕に手を置いて、声を掛けた。
その間、円龍は黙って美姫を見つめていた。
「わしの勘は間違いがなかったようじゃ。お二人との出会いは、間違いなくお導きじゃ。きっと、これからお二人には、何某かの不可思議なことが起こるじゃろう。その時には、直ぐに拙僧にご連絡を下され。必ずお力になれる。」
「不可思議なことが?あんまり喜ばしくないね。」
「どんなことがあるんだろうね。」
美姫が、杏子に話しかけるようにしながら、円龍に視線を向けた。
「恐らくは、目に見えない世界のこととなるじゃろう。」
円龍がその問いに答えて言う。
「しっかし、徳川家康ねぇ。なんか引っかかるものがあるっつうか、何となくもやもやするっつうか。釈然としない感じがするんだよな。」
杏子がそう思うのは、実は深い理由があったのだが、それは後々分かることになる。
「ところで円龍さん、ちょっと伺っていいですか?」
美姫が改まって問いかけると、円龍は若干戸惑ったように「はい、何でしょう。」と返した。
「さっき、家康公をご先祖さまってお話しされてましたけど、それって、、、」
「あ~、そう言いましたな、確かに。」円龍は破顔して少し照れたような仕草を見せて続けた。「いやいや、武家の家では昔より、一世代に一人、寺に入る人間を出さなければいけないような風習がありましてな。拙僧は、そんな風習もあり、白羽が立ったというか。と申しましてもな、自分から進んで喜んで寺に入ったので、そこは問題ござらん。性分に合っておりましたしな。」
「あー、そう言えばそう言うの聞いたことあるな。で?ご先祖様ってのは?
」杏子が言うのを、美姫もうんうんと頷いてみせた。
「水戸藩の末裔で、一橋慶喜公、分かりやすく申して、徳川15代将軍慶喜様が祖父に当たる方でござる。」
ご先祖の名前を言う時に少し頭を下げ、合掌する姿に、先祖を敬う姿勢が見られ、美姫もそれに倣って、一礼をした。
「へー、じゃあ、世が世ならお殿様か。」 杏子が、やや驚いたような面持ちで言う。
「ハハハ、お殿様にはなってはおりますまい。」
「なるほど、そうでしたか。そんな気が致しました。」
美姫が言うのを、円龍が目に笑みを浮かべて答えた。
「あなた様には、全てが見抜かれているような気が致しますな。きっと、家康公がお導きになって、あなた様と阿修羅さんに引き合わせてくれたのでしょう。」
円龍の眼差しが美姫の瞳の奥を調べるかのように、真っ直ぐに凝視していた。
円龍は、その後、美姫と杏子の二人に、一度大阪城も訪ねてみると言い残して、その場を去った。そして、そのまま東京駅へ向かい、新幹線で大阪に向かった。
新幹線の自由席は、まだ夏休み前と言うこともあり、また日曜日と言うこともあってか、比較的空いていた。進行方向右側の窓際の空席を見つけると、円龍はそこに陣取って、ホームで買ったお茶を啜った。
『美姫殿は、何かを隠しておるな。その能力を自在に操れると言うのも相当の手練れの証拠。オーラを見せたのは、恐らく儂を探るために力を出したためじゃろう。あんなオーラを発せられる人間は滅多におらん。あの二人と巡り会うたのは、正に家康公のお導きに他なるまい。』
円龍はずっとそうした思いを反芻しながら、大阪へ向かう新幹線の中で、呟くように「ありがたや、ありがたや。」と拝んでいた。
東海道新幹線は、道中、関ヶ原を通る。
車窓から関ヶ原の気配を探るのも、円龍にとっての大阪行きの一つの目的であった。座席を選んだのもそのためだ。
しかし、近辺の状況からは特に異変が見られなかった。
「どうも遠すぎるかもしれんの。ここからでは分からんか。」
いつも通りの、全く回りを気にしない大きな独り言を言いながら、円龍は車窓から視線を遠くに飛ばしていた。
それでも、新幹線の中からも分かるほどのレベルとなれば、相当な悪鬼となるから、それが見えないと言うことは、それはそれで円龍としても人心地付けることではあったのだった。
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