第2話 アシュラ


女子が初参加する大会として話題となった空手大会は、最後まで観衆の目を引き止め、今は正に決勝戦を迎えていた。

その衆目の的、アシュラこと芦原杏子は、決勝戦まで勝ち上がっていた。

対峙する相手は、勝田元だった。

杏子の、準決勝戦の相手であった久能は、左肩を押えながら、競技場の勝田に視線を向けている。

『修羅蹴りがお前には通用しないと言った根拠を、見せてくれよな。』

アシュラ戦では、脳天踵落としを間一髪かわしたものの、避けきれずそのまま左肩に踵落としを喰らってしまい、その時の負傷が元で、防戦一方となり、そこに見舞わされた再度の阿修羅蹴りをまともに食らって、負傷の上敗退という結果になっていた。


だが実は、杏子もさすがに実力者の久能相手には必死だった。強敵であることは対峙した時に分かり、寸止めをするほどの余裕などないと判断し、『初めからフルコンタクトで行くしか無い。』そう思って臨んだ。本来はもちろん反則であり、久能もそれとすぐに気づいていた。それでも久能は、女子相手のハンディキャップとしてそれを許し、特に意義を唱えることはせず、そのまま試合を進めた結果でもあった。


『元のやつ、気の発し方が不安定じゃのぉ。久能とやらの同僚が打ち破られたからと言うのは分かるが、あれを使う気か。無闇に使ってはならぬと釘を刺しておいたのだが、忘れてはおらんじゃろうな。いかんぞ、こんな大衆の面前で使う物では無い。』

円龍が観客席の最前列を占拠して、眼光鋭い視線を武闘場に向けながら、そわそわとした様子を見せる。

『確かに使わねば勝てぬかも知れぬが。儂もまぁ、ちと見てみたい気持ちもあるが、こんな公然と使うのは危険じゃ。どこか閉ざされた道場でなら、大いに結構なのだが、、、見て分かる輩がいたなら。。。危険じゃ。』


そんな円龍の心配を他所に、審判員の「始めっ!!」と言う合図が会場に響く。

観衆は息を潜めて二人の動きを追い、会場は、誰もいないかの如くにシンとした静寂に落ちた。

その静寂を切り裂いて、杏子が奇声を上げる。

「てやーっ!しゃぁー、はーっ!!」

踏み込みよく、突きや蹴りを繰り出し、果敢に勝田に攻撃を仕掛ける。

勝田は、防戦の構えで、「てい、はい、うりゃっ!」と、こぎみ良い掛け声と共に、全ての攻撃をかわす。

『やはり、この妖気、ただ者では無い。いいだろう。俺も同様のルールでお前を倒す。』

勝田の眼光が更に鋭くなるのを、杏子は悟った。


杏子の攻撃に対する勝田の凌ぎは暫く続いた。

勝田からは、一切攻撃が繰り出されることなくい、試合が進んだ。

杏子の技は、阿修羅蹴りばかりでは、もちろん無い。手刀や突きも阿修羅の力が宿った『乱れ手刀』『三段突き手』等豊富にあった。阿修羅蹴りは封じていても、そうした技を駆使してこれまでも戦い、十分に通用していた。それらを勝田に見舞っていたのだ。

だが、どれも、勝田には届いていなかった。

試合は一見、杏子が攻勢のように見えて、勝田は及び腰になっているかに映った。そして、ポイントが全くどちらにも入ら無いままに、1分ほどが過ぎた頃、主審から勝田へ指導が発せられた。

もっと攻撃をするようにとの指導だった。

要するに、審判員も怪訝に感じるほどに、勝田は攻撃を仕掛けていない証明であった。

それでも勝田はスタイルを変えず身構え、杏子の攻撃に対して、防戦をすることに終始した。

このまま試合が終われば、杏子の優勢勝ちになるのは明白であった。

「どうしたんだ?勝田おかしくないか?」

「アシュラの気迫が押し込んでるんじゃ無いか?」

「女子相手に、手加減してるとか?」

「出来レースか?」

会場では、口々に囁きが漏れていた。

『なんだ、おかしいな。これが阿修羅蹴りの対策なのか?勝田。』

久能がもやもやとした思いで勝田を睨んでいる。

そんな中、一番イラついていたのは、当の杏子の方だった。

攻撃を仕掛けるも、何の反攻もなく、全ての技を凌がれ続けてた結果の、焦りにも似た苛つきであった。

『こいつ、阿修羅蹴りを待ってやがる。そうなんだろ?勝田さんよ。』

『そろそろ来るはずだ。さぁ見せてみろ、阿修羅の姿を。』

二人の心の会話が、目で交わされた。

『そうかい、てめぇがその気なら、いいさ、見舞ってやるぜ!』

杏子はジリジリと間合いを詰め、そして、乱れ手刀で隙を伺う。

勝田も手刀で薙ぎ払いながら、後退して間合いを保つ。

『勝田はやっぱ押されてるぞ。』

『アシュラすげーな。』

観衆の心の囁きが、漏れてきそうな光景が繰り広げられた中、勝田がライン際まで下がりつつ、目の端に一瞬ラインを捉えたその瞬間、杏子の蹴りが飛んだ。

「うりゃーぁぁぁ!!」

勝田の目には、杏子の身体が黒い霧に包まれて、その後ろに鈍く黒い輝きを持ってそびえる神仏、阿修羅が映った。

そして、勝田が何かを思う猶予も無いままに、荒れ狂う戦いの神の如く、杏子の蹴り技が幾重に繰り出された。

だが、勝田は、まるで全ての動きが見えているかのように、全ての蹴りを悉く払った。

杏子には、その手が、何本もあるかのように見え、どこにどちらからの蹴りを繰り出そうと、払われていくのが見えた。

「うりゃーぁぁぁ!!」

『来るっ!!』

勝田が予感した瞬間、修羅蹴り最後の決め手、渾身の踵落としが勝田の頭上目掛けて降り下ろされた。

それは、まるで上段の構えから斬りかかる刀の様にさえ見えて、鋭く白い軌道を携えながら勝田を襲った。

時が止まったかのような光景だった。

阿修羅神が、渾身の上段を振り下ろすのを、勝田の後ろから幾重にも手が伸びて、その刃先を次々と受け止めて押えている。その様が見えたのは、三人だけだった。当事者の二人と、もう一人は円龍だ。

『やりおったか。見事じゃ。誰にも見えてないようで安心したわ。恐らくは、もう一人を除いて。』

円龍がそう心で囁くと、ちらりと美姫に目をやった。


固唾を飲んで見守る観衆には、一瞬の出来事が分からず、沈黙するしか無かった。

勝田は、その振り下ろされた踵落としを、サッと膝立ちになりながら両手で挟み、正に白羽取りの如くに受け止め、更に次の瞬間、掴んだ足首を捻って杏子を畳みに転がした。

「おーっ!!」会場から初めての歓声が上がった。


『っ!!・・・あの人、何者なの?』

控え席に座って観戦していた美姫が、思わず立ち上り、「杏子!」と叫びながら競技場際まで歩を進めていた。

「杏子!逃げて!!」

美姫の声を聞いて、杏子は転がりながら、競技場のライン際まで逃げた。

『こいつ、、、っ!千手観音を従えてやがるのかっ!!』

杏子は、内心に覚えた違和感に、嫌悪した。それは『恐怖心』にも似た感情と、美姫の言葉を受けて思わず逃げたことだった。

「杏子、気を付けて!」

美姫は立ち竦んだまま、勝田を見ていた。

美姫を一瞥する勝田と、視線が合った。

『あなたは何者なの?勝田元。』目が合った一瞬で、美姫と勝田の気が交錯していた。

勝田は、直ぐに視線を戻して、杏子を見た。

そして、改めて正対する二人により、試合が再開された。


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