家康からの伝言

堀部俊巳

第1話 プロローグ

 

「やれやれ、ようやく着いたか。」

地下鉄、九段下駅―

「寺を出てから、3時間。さすがに長かったわい。年寄りには堪える旅路じゃが、それでも今は便利になったものじゃ。電車一本で日光からここまで来られるとはのぉ。わしが寺に入った頃には考えられん。」

独り言にしてはやや大きめの声だったが、都会では、今は余りそうしたことを気にする人もいないから、そばを通る他の乗客たちは、聞こえてもチラリとも振り向かない。

白の襦袢が透ける黒い長袖の絣を羽織る、いかにも僧侶と言う出で立ちのこの男は、名を円龍と言った。

「最近は何でも便利になって、助かるわい。」

九段下駅から靖国通りへ続く上りのエスカレーターに乗って、ここでも、回りを気にしない独り言を吐いて、エスカレーターのステップに身を任せていた。

靖国通りへ出ると、太陽の光が燦々と照りつける。

7月。

既に梅雨も明けて、空は夏全開になっている。

「東京は暑っついのぉ。」

エスカレーターを上がった所から、北の丸公園へと続く靖国通り沿いの歩道は、だらだらとした緩やかな坂で、夏の日差しを浴びながら昇るのは、年寄りではなくても少し堪える。

フーフー言いながら円龍は、その緩やかな坂を上り、もうすぐ北の丸公園入り口、と言う所ではたとして立ち止まり、一点を見つめた。

見つめた先は、緑色の水面を真下に従えてそびえる、武道館の頭だ。

「さてさて、ありがたい話じゃ。早速に、何とも異様なオーラに出くわしたわい。これもお導きに違いないな。」

そう言って、円龍は手を合わせ拝んだ。

「あれがの有名な大きなタマネギか。しかし、そこから突き上るオーラが、タマネギを串刺しにしておる。奇妙な光景じゃ。あれは妖気にも近い感じじゃな。こんなに当たり前にあのような大きな気柱きばしらを立てるとは、余程の能力者か、ただの間抜けかのどちらかじゃな。急ぎ、この主を確認せねばなるまい。」

円龍は気の急くままに足早となって、武道館へ向かって再び歩を進めた。



この日、武道館では、空手の全国大学日本一を決める大会が行われていた。

「しかし、驚いたよな。アシュラがマジ男子の大会に出るなんてな。」

「しかも、勝ち上がってくるなんてさ。凄くね?」

「マジで強いんじゃんな。俺らが、なめて下手にちょっかいでも出してたら、殺されてたな。」

そんな“アシュラ”ネタを話題に盛り上がってる観衆は、そこかしこで見受けられた。

噂元の“アシュラ”とは、紅一点、男子個人戦に出場している女子選手のことだ。彼女の名前は芦原あしはら杏子きょうこと言う。本人からの申し出で、出場が特別に認められたと言うことだが、連盟としてもかなり思い切った決断をしたものだと、巷でも専ら話題に上がっていた。

彼女の決め技『阿修羅蹴り』と、名字の芦原あしはらを文字って、“アシュラ”と呼ばれていると思われているが、元々の由来は、そうではない。

『阿修羅蹴り』を実際に食らった者達が口々に”阿修羅がいた”と言ったところから、技の名が付き、自然と本人自体もアシュラと呼ばれるようになったのだ。


阿修羅が見える理由は、実は杏子にも分かっていないのだが、彼女には、何故か阿修羅の化身となる能力が備わっており、その能力を最大限に使う際に、瞬間的に阿修羅神の力と一体化して、対峙した者にはそれが見えるようになるらしい。戦いの中で、杏子が相手選手の波長とシンクロさせているのか、自分の世界に相手を引き込んでいるためと思われるが、その辺は定かでは無い。

因みに、阿修羅蹴りは、連続の蹴り攻撃が繰り出された後、最後に踵落としを見舞う技である。相手選手からは、顔の両側から同時に幾重に蹴りが飛んでくるように見えて、それをかわして身を竦めると、脳天へ稲妻の如く踵が落ちて来ると言う技だ。

電光石火の如く一連の技が繰り出されるその刹那、杏子と同化した阿修羅が姿を見せるのだ。


杏子が初めてそれを披露したのは、彼女が大学1年の時だった。もちろん女子の大会だったが、全国から強者が揃う個人戦において、悉く阿修羅蹴りで文字通り蹴散らし、優勝した。

彼女の名は全国に轟いた。

その後の団体戦でも彼女の前に敵は無く、2年生と3年生の時の個人戦は、阿修羅蹴りを封印してさえ、優勝を浚った。

封印した理由は、女子を相手に使うには、余りに危険すぎる技と自覚したためだった。

学生の大会であるから、もちろん寸止めで戦っていたのだが、時として止まらずに、脳天に杭打ちを食らわしてしまうことも、一度や二度では無かったのだ。誤って杭打ちを食らわしてしまった相手は、大抵失神するか脳しんとうを起こして、暫く身動きが出来ない状態になった。そのため、杏子との対戦が分かると、不戦敗を申し出る選手もいたほどだったから、自主的に『阿修羅蹴りを封印する』と公言したのだ。

そして4年となった今年は、女子の大会ではなく、男子の大会に出たいと志願したのが、特別に許可されて出場出来ていると言うのが、ことの経緯である。


「今の相手にも『阿修羅蹴り』を使わなかったね。」

そう言いながら、片倉かたくら美姫みきは、汗拭き用のスポーツタオルを杏子に渡した。

タオルを受け取りながら、「ありがと。」と小さく言ってから、少し躊躇いがちに「まあね。たまたま使わずに勝てたから。」と杏子が答える。

「大丈夫?封印解くのが怖いんじゃないよね。決め技使っていれば、もっと早く勝っていたと思うけど。」

「さすがに美姫の目は誤魔化せないね。確かに使おうかって思ったんだけど、躊躇したのは確かだよ。でも大丈夫。次もあるから。」

しっかり美姫の目を見て杏子が言う。

「うん、でも、普通に勝てるなら、それが杏子の実力だよ。」

微笑みながら話す美姫は、杏子と同じ、睦和むつわ大学の4年生で、昨年まで薙刀部の部長を勤めた身である。今日は、親友である杏子のセコンドとして、応援に駆け付けているという次第だ。

男勝りで勝気、背もすらっと高く、ショートカットの髪が良く似合っている杏子とは対照的に、美姫は、さらりと伸ばした漆黒の髪が瓜実型の美顔に良く合い、透けるような肌を更に引き立てて、お嬢様と呼ぶに相応しい眉目みめである。この日着用している細身のワンピースも、ピタリとフィットして、ファッションモデルと称しても、恐らく誰も疑わない。

「次は、ベストエイトをかけた戦いね。頑張って!」

「決勝に備えて、『阿修羅蹴り』のウオーミングアップをしておくとするよ。」

まるで恋人同士のようなに話をしながら、二人は一時、次戦に備えて会場外の通路に消えた。


会場の端では、先ほどの杏子の相手だった男子学生が、敗戦の弁を語っていた。

「いや、しかし、あれよ、阿修羅蹴り?あれがいつ来るかと変に警戒してよ、無闇に近寄れなくてよぉ。」

「そりゃ、全くもって言い訳だな?」

久能恭二くのきょうじが、切り捨てるように言う。

「久能は、厳しいな。確かにアシュラの間合いに入るのは、ちょっと厳しいよな?」

そう言うのは、今年の優勝候補の一人として名前を挙げられている、勝田元かつたはじめだ。

「久能、お前は、阿修羅蹴りの間合いが読み切れてるか?実際に対戦したこと無いと、難しいと思うぞ。」若干、先の選手を庇い気味に言いながら、続けて「でも俺は、あの『阿修羅蹴り』は間近で見てみたいな。」と付け加えて言った。

「じゃあ俺が、その間合いを見せて、参考にさせてやるよ。でも、俺が先に倒してしまうけどな。」

久能もまた、優勝候補として挙げられている一人であり、トーナメントの順序的には、杏子と先に対戦する。

「じゃあ、決勝はお前との対戦となる訳だ。」

「初めから、そうとしか思ってなかったけどな。お前は違うのか?」

久能がにやりとして勝田に目線を流した。

「それなら安心だ、俺は後学のために、間近で阿修羅見学をさせて貰うよ。万が一、お前が阿修羅に魅了されてしまった時のためにもな。」

「二人とも、さすがにたいした自信だな。言っとくけど、アシュラはマジで強いんだぜ。俺が只弱くてやられたと思ってんじゃねーだろな。阿修羅蹴りは出なかったけどよ、チラチラ阿修羅の姿は見えたんだぜ。マジ怯えるぞ。」

勝田と久能を制して、敗戦の弁の彼が、口を挟んで熱弁を振るった。

「ふっ、安心しろ。そんな風には思ってはいない。お前も十分強いのはよく知っている。だが、『阿修羅蹴り』は、俺には通用しない。」勝田が意味深な笑みを浮かべて言う。

「ほー、大した自信だな。秘策でもあるのか?」久能が勝田の目をのぞき込みながら「お互い、女子に優勝をさらわれるなんて、恥さらしなことにはならないようにしないとな。」そう続けて言うと、勝田は「ああ。」とだけ言って、拳を久能の心臓の位置に当て、「負けんじゃねーぞ。」と鼓舞して見せた。

二人は同じ天竺桂たぶのき大学の空手部所属の3年生で、勝田はその主将を務めていた。

天竺桂大学は、文武両道の大学として数年前に開設された学校だったが、スポーツにおいては既に関東の雄として名を馳せていた。

勝田と久能が入ってからは、空手部の成績も優秀で、難読として有名だった学校名は、更に多くの人にその読み方を覚えて貰えると言う相乗効果を得て、学校側への貢献度も高く評価されていた。



「日傘でも持って来るんじゃったな。暑くてかなわん。」

日光から来た男、円龍が武道館に到着していた。

入り口がどこか少し迷ったが、係りの人らしき人に聞いて、案内をして貰っていた。

早速、観客席へ上がり、会場を見渡しながら、妖気の主を探し歩いた。

「おやっ?見慣れた感じのオーラじゃなぁ・・・。ん?あれは元じゃの。そう言えばあいつも空手をやっていると言っておったな。そうかぁ、もう大学生じゃったか。うむ、なかなか良いオーラを発している。」

そう言いながら目を細めていると、次の試合の準備として会場に入って来た杏子を見て、カッと目を見開いた。

「あれじゃ!正にあれじゃ。、、、にしても、まさか、おなごとはの。」

観客席の一番前の手摺りから身を乗り出すようにして、杏子を凝視した。

「なんと、二人おったのか。どおりで異様なオーラを発していると思った訳じゃ。だが、前のおなご、何とも怪しいオーラを出しておる。妖気に近いが、悪い気は感じ取れんな。ただ単に思う所も無く、オープンにしておるだけか?じゃが、それはそれで間抜けというモノじゃ。あのおなごと話をせねばならぬな。」

やや小声の独り言をブツブツと言っている姿を、競技場脇で次戦に備えていた久能に捉えられた。

「あれ?あの坊さん、お前の叔父貴じゃねーか?ほら、あそこで身を乗り出してるお坊さん。」久能は、そう言って勝田に振ったが、彼も既に気づいていたようで、

「らしいな、、、。何やってんだろ。って言うか、今日来るなんて聞いてなかったな。言ってくれれば迎えに行ったのに。」

「なんか、アシュラ見てんのか、お友達の可愛子ちゃん見てんだか、妙に乗り出してんな。」

「ん?あぁ、そうみたいだな。、、まあ、いずれにしても、今は試合に集中しよう。」

勝田は、久能の肩を軽くポンと叩いて、視線を逸らすよう促した。


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