午前2時の私室
あなたはいつものようにぼんやりと考えている。ぼんやりと考えているけれど、何を考えているのかはわからない。ただ肥大化した創作意欲だけが、暖炉に燃え残った薪にすがりつく微かな炎のように暗く燻っている。
「こんな話はどうだろう」
あなたはメモをとる。
「夜毎、植物を夢見る少女。朝になると髪に花が咲いている。薔薇、百合、睡蓮など、夢見た花々がさまざまに咲き狂う。毎朝、彼女はその花を髪から剪って屋敷の周りに植え、やがて広大な植物園がそこに出来上がる――」
すると、机上のペンケースからカタコトと音を立てて、鮮やかな花々を頭に咲かせた少女が現れて言う。
「こんばんは。悪いけど私、そのアイディアはどうかと思う……」
「何だこれは」
「何だこれはと言われてもね。夜更かしなんてしてるから、ありもしない幻を見るんじゃないかな」
「まさか……」
「またね」
指先で触れようとすると、少女はひょいとペンケースに頭を引っ込めて、もう現れなかった。
今夜はどうも冴えないなとあなたは思う。机の抽斗を開けてみる。小説の構想を殴り書きしたメモが詰まっている。何かいいアイディアはないかな? 右手を突っ込んでメモを漁る。ろくなものはない。左手でも探してみる。たいしたことはない。本腰を入れてメモを整理してみようかとあなたは考える。手だけでなく肩も抽斗のなかに入れる。そのまま奥深く、調子をつけて、足先まですっかり入ってしまう。紙束が堆く積み上がる中をかき分けて歩いていくと、青く光るガス灯が奥に見えた。自分の机の中にカフェがあったなんて初耳だ。あなたはそのカフェの扉を押す。
喫茶
青薔薇
青い笠を持つランプのきらめく店内は珈琲の香りに満ちていた。店の奥にはピアノがあって、アンティークドールを麻紐で頭に縛りつけた少年がそれを奏でていた。かすかな歌声が流れているが、歌っているのは少年ではなく、頭の人形である。
「変わったピアニストだな」
あなたは片隅のカウンター席に腰かけて、その演奏に耳を傾ける。ひどい不協和音。しばらくすると、マスターがこんばんはと言って現れてあなたにブレンドコーヒーを淹れてくれる。
「こんばんは。君の連れてきたピアニストはずっとあの調子だよ。どうも君のメモから零れ落ちてくる人物は妙なのが多いね」
「そうかもしれません」
あなたはポケットからメモ帳を出して、それをさかさまに降って見せる。いろんなものが落ちてくる。
図書館司書、県知事、不動産鑑定士、物理学者、黒魔術師、バイオリニスト、家具職人、天使、雪だるま、螺旋階段、終末論、ナルコレプシー、二等辺三角形、静謐、「棟内ではお静かに願います」、租税回避、死……
「おいおい」
マスターが言う。
「博物展でも催すつもりか。ここは私の店なんだよ」
「これは失礼。でも、元はといえばこの店だって、私のメモ帳から零れ落ちたアイディアのひとつでしょう。だからこの店の本来のオーナーは私なのでは?」
「それは君の思い上がりだな。たしかに我々は君に想像された登場人物に過ぎない。しかし君は、我々が在るべき世界を原稿の上に創造することを怠り、メモに磔にしたまま抽斗に置き去りだ。そこで我々は我々で連絡を取り合って当座の整合性を保っているというわけさ。この店はね、君の黴臭い抽斗の中に私が構築した仮住まい。一時的な避難場所。作者の介入する余地なんてないんだよ。ほら、そこのボックス席で眠っているのは今夜の犠牲者、植物を夢見てその髪に花を咲かせる女の子だ。さて聞こう。あの子が活躍する小説を書けそうかい?」
「いえ、それはまだ……」
「そら見たまえ」
あなたは口を噤む。そして珈琲を飲む。いい香りだ。目を閉じて耳を澄ます。何か音が聞こえる。扉を叩く音。この店の扉ではない。あなたの私室だ。だれかがノックをしている。青薔薇を出てメモに埋もれた道を歩き、抽斗から這い出る。
「どなたですか?」
私室の鍵を回して扉を開くと、そこに女の子が立っている。頭に白薔薇を咲かせた少女。先ほど軽率に創造してしまった登場人物の一人。
少女は髪から白薔薇を一輪、引き抜いてあなたに手渡し、かすかな声で言った。……
「」
○ ● ○
……そこまで書いて、手を止めた。
このまま書き飛ばしてもいいのだが、すっかり夜が更けている。あなたはもう眠らなくてはならない。さあ、服を着替えて、歯を磨いて。目覚まし時計をセットして、ベッドに入りなさい。
深夜の高揚感に包まれて書き散らしたこの原稿は、明日になったら、朝日に照らされて化けの皮が剥がれていることだろう。傑作のような気がしたこの物語は、書きかけのまま放置されるか、削除されることだろう。抽斗の中の登場人物たちはあなたを憫笑する。やはりあなたは小説が書けない。ご苦労様。今夜はせめていい夢が見られますように。
おやすみなさい。
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