第20話 私の血

「貴女、それは、本当か?」

 巫女様がここまでうろたえることも珍しい。私まで戸惑いつつ、それでもしっかりうなずいた。

 隣ではアッシュさんが、同じく硬い顔で私を盗み見ている。私も彼を見ると、アッシュさんは気まずそうに顔をそむけた。

 ――夢で見た断片的な記憶を、私は二人に、洗いざらい話した。

 神山水樹のことを説明するのは難しかったが、それでも二人は根気よく聞いてくれていた。二人が私なんかより、うんと頭がいいことが幸いした。時折挟まれる質問は説明を簡潔に、分かりやすくした。

 すべて話した。

 神山水樹の存在と、異国の人が持つ血のこと。

「やつがれも、初耳だな」

 巫女様がこめかみを叩きながらつぶやく。そしてアッシュさんに目を向けた。アッシュさんも首を横に振る。

「とはいえ、正直、そうではないかと思っておった」今度は私の方を見て、巫女様が話す。「竜が異国の処女を危険視しており、かつそれゆえ呪を使用する所以。無血で異国の処女を屠ることがやつらの使命ならば、異国の処女の血そのものに何か秘密があろうことは、貴女らも察してはおったのではなかろうか」

「それは、巫女様がそうかもしれないって言っていたから」

「貴殿は?」

「俺は……」

 アッシュさんの言葉尻が消える。そのまま、私たちの方から意図的に目をそらし、跪く己の膝を見つめた。

 結局、アッシュさんは答えなかった。

 巫女様も咎めることはなかった。ただ、気だるげに息を吐く。

「順当に考えて、コウヤマミズキなる人物が、その血を用いて竜を屠り、結果、竜どもの脅威となったのは間違いなさそうだな。そしてその人物が、献身な死によって伝説となった」

「だから、竜はあんなに神山水樹を怖がっていた、ってことですか?」

「コウヤマミズキだけではない。貴女が流血することを、竜どもは恐れていた。竜が貴女を狙う理由も判明したな。いつなんどき、やつがれどもが『異国の処女』の血の毒に関して感づくか知れぬからな」

 私が血を流せば、安全に竜を撃退できる。

 その事実は、私に暗い誘惑をもたらした。

 それは、つまり。

「私の血があれば、誰も傷つけずに――」

 言い終わる前に、アッシュさんが咎めるように腕を握ってきた。

 彼はかたくなにこちらを見ない。長めの前髪が顔を覆って、表情すらよく見えない。

「それで、貴女に問いたい」

 呼ばれて、私だけでなく、アッシュさんも目を上げた。

「血は、どれくらい必要なのだ?」

 巫女様の声は、ひんやりしていた。

「竜を殺すのに、どれだけの血が必要なのだ?」

「それは――」

 答える前に、隣でアッシュさんが立ち上がる気配がした。

 アッシュさんは一歩ずつ、噛みしめるように巫女様に近づいた。そして二メートルほどの距離のところで立ち止まり、まっすぐ、巫女様をねめつける。

「……困ったな」巫女様は軽く笑った。「貴殿には聞いておらぬのだが。それとも、貴殿が代わりに応えてくれるのか?」

「お言葉ですが、巫女様。それを聞いてどうするおつもりで?」

 ぞっと冷えた声だった。

 関係のない私の肝まで冷えるというのに、巫女様は平然としていた。聞かん坊をあやすように、噛んで含めて言う。

「そうカリカリするものではない。むしろ貴殿は喜ぶべきだ。順当にいけば、貴殿は戦わずして使命を果たせる」

「順当とは何ですか? もしそれが致死量なら、どうするおつもりですか? 俺は別に、こいつを犠牲にしてまで使命など果たしたくはない!」

 巫女様の目がゆっくり見開かれる。その顔は、怯えているようにも見えた。

 そんな彼女を、アッシュさんはじっとにらんだ。巫女様が一歩後ろに引く。アッシュさんは止めなかった。

 私は。

 どうするべきか、一瞬だけ、悩んだ。脳裏に、顔もよく思い出せない神山水樹の笑顔がよぎる。彼女は伝説となった。

 私は?

「――だいたい、一リットルです」

 二人が、こちらを向く。

「人の出血の致死量が一・五リットルなので、その三分の二です。それだけの血で、竜を一体せん滅できます」

 三分の二、と二人の唇が動く。

 二人の顔が強張っていくのが見えた。

 私は笑った。

 笑ってみせた。

「なに、死ぬことはないですよ! あ、でも、そりゃあ貧血にはなりますから、美味しいお肉をたっぷり食べたいですね」

「お前は」

「これでアッシュさんもお腹を空かせずに済みますし、怪我をすることもない! あと、巫女様もストレスで胃穿孔にならずに済みますから、一石二鳥、いや、三鳥? いやあ、みんなハッピー、万々歳ですよ」

「――本気で、言っているのか?」

 気づけば、アッシュさんが目の前にいた。

 肩を掴まれ、強く揺さぶられる。後ろで巫女様も、小さな歩幅で駆けつけてきた。

 これで、本気なんかじゃない、って言えたら、どれだけ楽なのだろう。

 そんな風に甘えられるほど私は子供じゃないし、本音をぶちまけられるほど大人じゃない。悲しいかな、私は十七歳相当の意地しかないのだ。それに、湿っぽいのは私のキャラじゃない。

「本気ですよぉ。少なくとも、一番手っ取り早い手段じゃないですか」

 アッシュさんの手が離れる。

 意識して離した、というより、力が抜けた感じだった。アッシュさんの視線が空をさまよう。それでいて、唇ばかり力いっぱい噛みしめていた。

 正直、嬉しいような、悲しいような、私は複雑だった。

 これでアッシュさんが非情に徹して、極悪非道人よろしく私を戦場に駆り出し切り刻むようなことをしてくれた方が、私の気は楽だったかもしれない。もしくはアッシュさんが、私の耳元で甘ったるく「君が一番大事だよ」とささやけるようなキザったい遊び人だったら、お互いこんな気持ちにならなくて済んだのだろう。

 要するに、私もアッシュさんも、不器用なのだ。

「もしかしてアッシュさん、心配してくれてます? その気持ち、よーく覚えておいてくださいね。私たちが常日頃アッシュさんに思っている感情がそれですから」

 アッシュさんは答えなかった。

 私は喋った。喋っていないと、この空気に耐えられなかった。

「でも私たち、『名称の呪』にかかってたんでしたっけ。だと私、死ぬわけにはいかないですね。まあ、そこはアッシュさんの力量次第で」

 言葉は続かなかった。

 アッシュさんは黙って私たちに背を向けた。そのまま部屋を出ようとするので、私は慌てた。

「ちょっと、アッシュさん、どこ行くつもりですか?」

「頭を冷やしてくる」

「いや、冷やすべきはむしろ私の頭ですよね、申し訳ないです。って、アッシュさん、待ってくださいよお! 私たち、離れたら死ぬんですよー!」

アッシュさんは私たちに構わず部屋を出た。

なんだか、会ったばかりのときよりすれ違ってしまった気がする。でも追いかけないわけにもいかない。私も部屋を出た。

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