第17話 竜の巣②
「見くびるでないぞ、若造ども!」
……時間稼ぎだった。
あのアッシュさんがぎょっとしているのが分かるが、今は彼の方を見るわけにはいかない。大丈夫、私、幼稚園のお遊戯会でスイミーを演じたことがあるのだ。こう見えて演技派なんだぞ、ふんっ。
「貴様も、貴様もだ! 我が手にかかれば赤子も同然であることを失念したか! はっは! 笑止千万! 天下の八竜とやらも地に堕ちたものよ!」
「な、何してるんだ、お前は」
「小童はひっこめ!」
さあ、今ですよアッシュさん。体勢を整え直すなら今しかないですよ。しかし本気で戸惑っているのか、正気に戻れと言わんばかりに腕を揺さぶってくる。そりゃあ確かに、女子高生が急に「小童!」なんて言い出したら、頭がイカれちゃったのかなって思うよね。
「若造! 耳をかっぽじってよく聞くといい! 余に呪など小賢しい真似など効かぬ! 綿毛で撫でられるような心持ちだったぞ! くふふ、可愛い真似をしよったな!」
『なんと、わらわの呪が――』
『――効かぬと申すか』
お、なんかいい感じに私の話術に嵌ってくれているみたい。いいぞいいぞ。だんだん楽しくなってきた。
「貴様らは何か勘違いをしていたようだな。余がただのおぼこ娘? 片腹痛いわ! 余は――」
そのとき、私の舌は非常になめらかに動いた。
「――異国の者、コウヤマミズキの化身であるぞ!」
言って、いや誰? と自身で突っ込む。
いや、まったく知らない名前ではない。なぜか心のどこかで引っ掛かっていて、口にした途端、脳みその奥深くに眠っていた記憶が呼び起こされる、気がする。でも、喉元まで出てきているのに、あと一歩が思い出せない。うー、こういうの、気持ち悪いなあ。しょうがない。あとでゆっくり思い出そう。
「お前、そんな名称じゃなかっただろ!」
あ、私の名前、いちおう憶えていてくれたんだ。
さて、いい感じに時間稼ぎもできたし、反撃に出るなら今ですよ! と目で促すと、伝わってくれたのか、アッシュさんはよろりと剣を構えた。うーん、でもまだしんどそう。
『――コウヤマ――』
『――ミズキ――』
あっちはあっちで、何かいい感じに納得してくれている。よしよし、こいつは上々、と私一人ほくそ笑んでいると、ごうっ! と突風が吹いた。
『コウヤマミズキの名を出すな!』
竜たちの悲鳴だ。
「く!」
突如横から凪いできた二体の尾を辛くかわし、投げナイフを飛ばす。ナイフは一体の目をかすめ、まぶたを深く切り裂いた。竜が悲鳴を上げ、のたうち回る。
――いや、様子が変だ。
さっきから「様子が変」のオンパレードだったが、今回はもっと変だ。今までが、アッシュさんの言葉を借りて「子供の癇癪」と言うなら、これは、そうだな、「往生際」とも言えるかもしれない。B級ホラーで見かける、シリアルキラーに追いかけられている主人公たちに似ている。死にたくないとがむしゃらに暴れて、手あたり次第の物をぶち壊していく感じ。
やがて二体の竜は、同士討ちを始めた。
互いの尾が複雑に絡まり、お互い身動きが取れなくなる。それにも関わらず、二体は無理やり腕を振り上げ、互いの身体に噛みつき、頭突きを始める。何が敵なのか味方なのか、全然わかっていない感じだ。
舞い上がる塵芥から私をかばいつつ、アッシュさんは細く目を眇めた。
「どういうことなんだ、これは」
「さあ……」
とうとう、一体の首が噛み千切られた。
どう、と倒れる巨体。己の分身の死体を見てもなお、その竜は暴れるのをやめなかった。あの竜にとって今は、動くものすべてが敵なのだ。要するに、標的は私たちだ。
『コウヤマミズキィィィ!』
ただ無鉄砲に突撃してくる竜の巨体をよけ、アッシュさんが竜の顔、口から目もとまで深く切り裂く。痛みにもだえる竜の、無防備に晒された首に、剣を深く、深く突き立てた。
――絶命する竜。
二体の竜は、私たちに謎だけ残して、全滅した。
「お……おお! やったー! 倒したぞー!」
喜んでいいのかよく分からないけど、とりあえず勝利の雄たけびを上げてみる。ついでにバンザイ、サムズアップ、ガッツポーズもとってみる。ふふ、よく分からないけど、もしかして私、すごく活躍したんじゃない?
アッシュさんもしんどそうにしているが、いつもより怪我が少ない。これは快勝だ。いえーい! とハイタッチしようとして、ぐっと腕を引かれた。
がし! と頬を挟まれる。なんだ、キスでもするの?
「喜んでいる場合か!」
「うぇ。アッシュしゃん、くるちい」
「お前は誰だ? 少なくともお前はあの名称じゃない。そうだろう!」
「ふ、うぐ。わたすぃのなむぁえは、とこは、さい、づぇす」
「正気に戻ったか⁉」
「む、むぉどりまひた、だから、はなちて」
――ようするに私は、竜はもとより、アッシュさんにも多大なる誤解を与えてしまったらしい。
どうにかこうにか誤解を解くと、アッシュさんは安心したように、その場に尻を付けた。ずいぶん苦しかったのか、珍しく地面に手もついている。
「まったく。心配を、かけさせるな」
「あ、それアッシュさんが言っちゃいます? ていうか、立てます?」
「そうだな……」
ふとアッシュさんは考え、己の腹部に手をやった。
ははあ、そういうことね。
せっかくのおかきがしけってしまわないよう、私はブレザーを上手く傘にしつつ、アッシュさんにおかきの布教活動を遂行する。
「改めて食うと、不思議な食い物だな」
「おもちを揚げた食べ物なんですよ。お口に合いませんか?」
「そんなことはない。が、これ、本当に日持ちするのか?」
やっぱりそう思うよね。でも大丈夫。それ、添加物入ってるから。
腹ごしらえが終わると、今度は私の足の治療だ。しかし本格的な医療キットがないので、その場限りの応急処置だ。雨の中靴と靴下を脱ぐのは気持ち悪いが、背に腹は代えられないので、我慢。
私の左足首はぱんぱんに腫れ、正直少し動かすだけで痛い。この程度の痛みでこれなのだから、普段あんなにボロボロになっているアッシュさんがどれだけ我慢強いかがよく分かる。
「折れてはないな。だが固定はした方がいい。待ってろ」
「折れてないんですか? ええー、こんなに痛いのに」
「無駄口を叩けるなら上々だ」
アッシュさんはおもむろにジャケットを脱ぐと、乱暴に私に押し付けた。何が始まるんだ? まさかストリップショー? と戸惑う私をよそに、アッシュさんはインナーの裾を細く破いた。
裂け目から露わになった彼の肌色。お腹と腰骨だ。わー、うわー、見てはいけないものを見てしまった気分!
「包帯がないからこれで勘弁してくれ」
「うう、はい……」
手当はさっくりと終わった。うん、痛いけど、さっきよりずいぶんましだ。おかげで立ち上がれるようにはなった。
悪いことに雨は激しくなってきている。うーん、この国の雨って冷たいんだよね。おかげで一回治った風邪がぶり返しそうだ。もうあの薬は嫌だ。
「早いとこ戻りましょう。お互い風邪引いたら嫌ですし」
ジャケットを返そうとすると、やんわり押し戻された。
「お前が持ってろ。風邪を引いたら嫌なんだろう」
「そんなの、アッシュさんだって同じですから」
「あいにく、俺はお前より頑丈だ」
「それ前にも聞きましたよー……」
しかし私が文句を言う前に、すでにアッシュさんは背を向けてしまっている。いいんですね? 本当にいいんですね? 彼ジャケしちゃいますよ? しかし撥水性の高い上着は、正直とても助かった。ん? アッシュさんが風邪を引かないのって、この保温性抜群なジャケットがあったからではないのか?
アッシュさんのもとへケンケンで向かうと、彼は何かに気づいたように私の足に目を落とし、
「ん」
手を差し伸べてきた。
「……何が望みですか?」
「何を疑っているんだ」
「おかきですか? ドーナツですか? 大穴で飴ちゃんですか?」
「俺は乞食か」
いやいや、あなたそんじょそこらの乞食よりうんとお腹減らしてたじゃない。と言いたいところだったが、その前にアッシュさんがアクションを起こした。
私の腕を引き、己の肩に回したのだ。
「ちょ、ちょっと! 何するんですか! 恥ずかしい!」
「手負いのお前を置いて行く方が恥ずかしいだろ」
「うう、アッシュさんにそんな心遣いができるとは思わなかった……」
「俺はどんな甲斐性なしだ」
と言いつつ、きちんと歩調もゆっくりにしてくれているので、とてもありがたい。ていうか、私、ほとんど引きずられている状態だ。
「それが余計に申し訳ない……」
「なんだ。負ぶった方がいいか?」
「嫌です。私の体重がバレるんで」
「……」
アッシュさんはしばし考え、さらに強く私の腕を引っ張った。あわや転倒、というところで、すっと身体が持ち上がった。
伝説の「おんぶ」である。
「お、おお、降ろしてください! この絵面はやばい!」
「誰も見ていないだろ」
「うう、私の体重がバレてしまった……」
「別に普通だろ」
そこは嘘でも「軽い」と言ってほしかった。
何より、とアッシュさんは小さく付け加えた。
「今回、お前には無理をさせたからな」
「えー? 今さらですかー?」
「お前は本当に口が減らないな」
くく、とアッシュさんの喉が鳴る。む、私、もしかして馬鹿にされてる? ちくしょー、なんだか、いい感じに言いくるめられたみたいで悔しい。不本意だ。
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