第16話 竜の巣①

 とはいえ、目覚めたらさっぱり忘れてしまった。

 持ってきた水で顔を洗って、ようやく意識が覚醒してきた。よく覚えていないが、気分の滅入る夢だった気はする。

「よく寝てたな」

「……おはようございます」

 さすがは剣士というか、アッシュさんは早起きだ。身なりもきちんとしていて、隙がない。

 かく言う私といえば、髪もぼさぼさだし、顔もむくんでいて、絶不調だ。ていうか、この世界に来てからというもの、髪がだんだんゴワゴワしてきた気がするのだ。何だろう、シャンプーの代わりに石鹸を使ってるからかな。

 ムラー車はとことこと走り、どんどん、鬱蒼とした森の中へ入っていく。小雨が降っているからか、じめっとした感じの、すごく気持ちの悪い空気だ。風もどこか生温かい。ポンチョを被っていると、なんだか汗ばんできた。よくこの中で、アッシュさんは平然としていられるなあ。それとも、もう慣れっこなのかな。

 それでも人間とは便利なもので、しばらく進んでいると、私もうたた寝ができる程度までには慣れた。

 嘘だ。がっつり寝た。

「おい、着いたぞ」

 アッシュさんに肩を叩かれ、再度私は目覚めた。しまった。よだれまで垂れている。

「よくこの状況で居眠りができるな。大した度胸だ」

「あ、あはは。すみません……」

 やばい。超恥ずかしい。授業中に居眠りがバレたときよりうんと恥ずかしい。とりあえず笑ってごまかすと、アッシュさんはもう何も言ってくれなかった。

「ここから先は気を引き締めろ。お前に死なれたらかなわん」

「は、はい。居眠りには気を付けます」

「……本当、お前はいい度胸をしている」

「えっ」

 何それ、絶対褒めてないじゃん。

 さておき。

 竜の巣は、私が想像しているより、大きかった。

 今まで走ってきた森など可愛い方で、中はひしめき合う巨木が道をふさいでおり、根っこが縦横無尽に張り巡らされている。まだ昼間だというのに真っ暗で、正直、めっちゃ怖い。ええ、ここ本当に入るの? と尻込みする私の腕を強引に引っ張り、どんどんアッシュさんは中に進んでいった。

 うう、足元が雨でぬかるんでる。転ばないようにするのが精いっぱいだ。

 アッシュさんはしばらく歩いてはコンパスを確認し、彼なりに慎重に進んでいるのが分かった。こんな空間でコンパスが役に立つのか? とも思ったが、きっと日本のコンパスとは仕様が違うのだろう。見た目も全然コンパスじゃないし。

「アッシュさん、本当にこの道で合ってるんですか?」

「さあな。俺も来るのは初めてだ」

「へ、変な生き物とか出ませんよね? 襲われたりしませんよね?」

「ああ、いるかもしれないな」

 と言われたそばから動物の鳴き声がして、私はもう泣きそうだ。

 鳴き声だけではない。みしみしと、巨大な生き物が地面を踏みしめている音、聞いたことない声で鳴く鳥(?)、地面に這うヘビみたいな生き物、それらが集まるその様相は、本当にモンスターハウスだ。どうか化け物とエンカウントしないことを祈るばかり。ああ、生きて帰れますように。

 へっぴり腰の私に構わず、というか竜以外の生き物にはあまり関心がないのか、アッシュさんはどんどん先へ進んだ。ちょっとちょっと、置いて行かないでよ。追いかけようとした足が根っこに引っ掛かった。あわや転びそうになる。

 危ないところで、アッシュさんが受け止めてくれた。

「気をつけろ。変なところで怪我をされると困る」

「ぜ、善処します」

 しかし、根っこに足を取られてあたふたしている私に、さすがにやきもきしたのか、アッシュさんは私の手を引いた。

 そのまま歩き出すので、純情な私は慌てた。

「い、いやいや! 恐れ多いです! 自分で歩けますから!」

「騒ぐな。お前の言う、変な生き物に感づかれる」

 いや、だって。今、私たち、仲よくおててつないで歩いてるわけでしょ。異性と手をつなぐのなんて遠い昔、それこそ小学生のとき以来だ。しかもアッシュさんは、そんじょそこらのおばかな男子とは格が違う。十人中十人が美形と認定するような人なのだ。うわうわ、誰も見てないけど照れてきた。

 と、慌てふためく初心な私などさておいて、アッシュさんはいつもと特に変わった様子もなくさっさと歩いた。さすがは大人、お尻の青い子供など範疇外というわけですか。涼しい顔のアッシュさんを見ていると、逆に冷静になってきた。慌てていたのが馬鹿みたいじゃない、ふんっ。

 どれくらい進んだのかは分からないが、だいぶ深いところまで来たころ、アッシュさんがコンパスをきつくにらんだ。

「どうしたんですか?」

「近いな」

「竜ですか? そんなこと分かるんですか?」

「ブ・ソーラの調子がおかしい」

 ほら、とアッシュさんがコンパス(ぶ、そーら?)を見せてくれるが、あいにく私には、どこがどう変なのか分からない。でも『竜狩り』のアッシュさんの言うことだから、きっと間違いないのだろう。

 アッシュさんは鋭くあたりを一瞥し、ある一点をにらんだ。

「あそこだ」

「え、ちょ、ちょっとアッシュさん!」

 手をつないだまま走り出すので、下手すれば転ぶところだった。うう、転ばないように手をつないでくれていたのに、これじゃあ本末転倒だよ。

 木々の隙間を縫って走ると、突如、ぽっかりと広いところに出た。

 その空間は広く、学校のトラックほどの大きさだ。幸い雨は上がっているものの、分厚い雲のせいで時間のわりに暗い。でも、さっきの森の方がよっぽど暗かった。

 そこはまさに、中ボスの寝床のようだ。

 アッシュさんが空を仰ぐ。私も上を見ると、ふ、と空が陰った。

『ふ、ふ。阿呆な『竜狩り』よ。ふたたび、相まみえることになろうとは――!』

 ずどん! と巨体が降ってきた。

 その姿は、決して忘れることがないだろう。

 顔三つに足六つ。翼は六枚。クジラほどの巨体で、三つの顔がすべて私たちを見て笑っている。そう、その姿はまさしく。

「飢餓の竜!」

 つい声を上げた私の手を放し、アッシュさんが剣を抜く。私は逃げる準備は万端だ。おらおら、いつでもかかってこい。

『お、お? その声は、かのおぼこ娘ではなかろうか』

 あ、しまった。特にバレても問題はないだろけど、何だか余計なことをしてしまった気がする。

『口惜しや! ああ、わらわの呪を抜けるとは! ああ! 口惜しや!』

 ぼふっ、と竜の口から火の粉が漏れる。来るぞ、と私が身構える間もなく、巨大な火球が吐き出された。

「ひゃー!」

 情けない悲鳴を上げる私を抱え、アッシュさんが横に飛び退く。おお、靴先がかすった。一瞬でも遅れていたら、こんがりローストされているところだ。

『なにゆえ……なにゆえ生きておるのだ! おぼこ娘!』

 それでも竜は追いすがってくる。爪が私の鼻をかする。アッシュさんは私を抱えたまま、剣で爪をはじいた。

 爪の攻撃では敵わないと分かると、今度は腕全体を振りかぶった。私たちをはたくつもりだ。ぶん! と音を立てて薙ぎ払われる腕。アッシュさんは私もろと、前に跳んで避けた。

『おぼこ娘ェ! なぜじゃ! なぜじゃあァ!』

 でたらめに吐き出される火炎放射をかいくぐり、アッシュさんは体勢を整えた。そしてひときわ太い火炎を走って避ける。竜は執拗に火を吐いた。後ろの木々が音を立てて燃えているのが分かる。退路はふさがれたも同然だ。

「待っていろ」

 一旦竜の猛攻が止んだところで、アッシュさんは私を放り、攻撃へ転じた。無茶苦茶に振り落とされる腕をかいくぐり、懐に飛び込み、鱗で覆われた腹部を一閃する。黄色い体液があふれる。

 さすが、これが『竜狩り』の本領発揮だ。アッシュさんはもう一撃喰らわせようと剣を振りかぶる。そして――何かに気づいた。

「逃げろ!」

 私に向かって叫ぶ。え、私? 視線を上げると、竜とばっちり目が合った。

 あ、やばいわ、これ。

『おぼこ娘ェェェ!』

「ひー!」

 アッシュさんには構わず、なぜか、竜が猛然と私に向かってくる。必死に逃げるが、五十メートル走九秒フラットの足ではどうにも逃げ切れない。竜の地団太の衝撃で身体がふっ飛んだ。本当、二メートルくらい飛んだ。無様に転がる私。運動不足がたたったのか、足まで痛めてしまった。くっそー、こうなるって分かってたら、もっと体育を真面目に取り組んだのになあ。いてて、立ち上がれない。

『わらわの雪辱を晴らすときぞ……! 死ね、おぼこ娘!』

 あわわ、このままじゃ本当に死んじゃう。お尻をずりずりさせて逃走を試みるが、そんなに竜は悠長ではない。

 しかし同じように、この人も悠長ではないのだ。

 ざく、と竜の頬にナイフが刺さる。

「手出しはさせん」

 アッシュさんが投げナイフを構える。竜が彼に目をやるのと、アッシュさんが走り出すのと、ほとんど同時だった。

 竜が少しでもこちらに意識を向けると、すかさずアッシュさんがナイフを投げる。竜は鬱陶しげに尾を振るい反撃するが、アッシュさんは身軽に跳んで避けた。そして、まったく動けない私を再び抱える。

『なにゆえ……なにゆえ、生きておるのだ、おぼこ娘。わらわが楔を打ってやったというのに!』

 がむしゃらに竜が突進する。アッシュさんは円を描くように走り抜けるが、竜はもだえ苦しむように身体をうごめかし、でたらめに襲ってきた。

「様子がおかしい」

 走りつつ、アッシュさんがつぶやく。

「こんなもの、まるで子供の癇癪だ」

「確かに、今まで会った竜より変ですよね。何て言うか、馬鹿――ひゃー!」

 私の頬を竜の足がかすめる。アッシュさんは片手で器用に剣を抜くと、振り向きざまに竜の足を斬り飛ばした。

 ――が、竜の動きに変化はない。

 変わらず、怒涛のごとく足や爪、炎をくり出してくる。そして仕舞いには上体を起こし、そのまま身体を地面に叩きつけてきた。さすがにその衝撃は殺しきれず、ごろごろと地面を転がる。アッシュさんが立ち上がったときには、竜も体勢を整えていた。

 竜が天を仰ぎ、地の底から湧き上がるような咆哮を上げる。

 その声で木々はざわめき、衝撃に砂が舞った。

 ぽつ、と頬にしずくが垂れる。

 そのしずくはみるみるうちにたくさん振ってきて、すぐに本格的な雨になった。

 はじめ、雨で視界がけぶったのかとも思った。

 しかし、様子が違う。竜の輪郭がたちまち溶け出し、ぶよぶよの肉塊へ姿を変えた。

「――まずいな」アッシュさんの声も強張っている。「増殖するぞ」

「増殖って、あいつ、増えるんですか⁉」

 アッシュさんは答えなかった。ただ油断なく、竜の様相を観察している。

 竜の増殖は、細胞分裂に似ている。

 肉塊が二つに分裂し、それぞれ、竜としての輪郭を取り戻していく。みるみるうちに、一匹だった竜のコピーが出来上がった。

 二体が再び咆哮する。

『口惜しや! おぼこ娘を殺すのじゃ!』

『口惜しや! おぼこ娘を殺すのじゃ!』

 それぞれが、他でもない私を捉える。

『わらわが安寧のため!』

『わららが繁栄のため!』

 そして一体は火を、もう一体は氷を吐き出した。

 挟み撃ちになった。アッシュさんは後ろ、火災のほんの手前まで飛び退き、火球と氷を相殺させる。しかし私たちも無傷ではない。熱風が頬を焼き、氷が身体をかすめて飛んでいく。

 息をつかせる間もなく二体が突進してくる。アッシュさんはあえて懐に飛び込み、足の間をくぐって抜けた。そしてすれ違いざまに、一体の足をもう一本斬り飛ばす。その一体が痛みに悲鳴を上げた。

『小賢しや、小童!』

 さらにもう一体の後ろ蹴りに、アッシュさんは対応しきれなかった。横からもろに食らい、背中から落ちた。

「っ!」

 とっさに私を庇おうとしたのか、力いっぱい私を抱き寄せてくる。しかし衝撃までは殺しきれなかった。んぎゅ。危うく舌を噛むところだった。

 いや。私のことはどうでもいい。

「アッシュさん、大丈夫ですか⁉」

「っ、ああ。何とか」

 アッシュさんが立ち上がろうとして、膝が折れた。

 剣を杖代わりにして転倒は防がれたが、その顔色はすぐれない。額には、明らかに雨ではない汗が浮かんでいる。

「ちょ、ちょっと、アッシュさん! しっかり!」

「ッ――」

 アッシュさんが苦々しく舌打ちをする。再度立ち上がろうとするものの、力が上手く入らないのか、大きく身体をよろめかせた。慌てて支えると、その身体は冷え切っている。竜からのダメージが大きかったのか、『飢餓の呪』が邪魔しに来たのか、日ごろの無理がたたって風邪を引いたのか、とにかくアッシュさんはしんどそうにしていた。

『これは好機ぞ、同胞』

『これは上々、よきかな』

 やばい。こんなことをしている間に竜が襲ってきてしまう。一体でも厄介なのに、なんと二体に増えやがったのだ。しかもアッシュさんはこんなんだし、私も足が痛い。

 この一秒の間、私は本当に死ぬ気で考えた。たぶん普段の生活だったら一年分くらい、脳みそを使った自信がある。

 結果、導き出された結論は。

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