第15話 夢十夜(二夜目)
翌日、巫女様に報告すると、巫女様はとっても渋い顔をした。
「まだ傷も癒えてはおらぬのに、わざわざ今行かんでも良いだろうに」
「恐れながら、俺の傷は癒えました。問題なく戦えます」
「どちらかと言うと傷以外のところが大問題なのだが――まあ、貴殿がそこまで言うのなら、良いのではなかろうか。どの道、貴殿以外に竜とやり合える人材はおらぬしな」
「ありがたき」
いやいや、巫女様だいぶ嫌そうな顔をしてるし、これ素直にお礼を言っていい案件なのかな。巫女様の小さなお顔に「聞かん坊は面倒くさい」と大きく書いてあるの、アッシュさん、気づかないのだろうか。
「水と食料と車はやつがれが手配しよう。が、水はともかく、食料はそんなに用意できんぞ」
「承知しております」
「……本当に貴殿は承知しておるのか」
「むろんです」
「怪しい……」
巫女様の金色の目が疑わし気に眇められる。こんなに渋い顔をする巫女様、初めて見るかもしれない。巫女様は私の方をチラ見した。私は首を横に振る。私から言っても、たぶんダメですよ。
「……致し方あるまい。せいぜい達者でな」
巫女様は結局、諦めた。
「なにこれ、キモイ!」
さらに翌日。
巫女様が用意してくださった車は、ボンゴよりひどかった。
いや車が問題なのではない。それを引っ張る動物が問題なのだ。
何だろう、なんと例えればいいんだろう。ヤスデとニワトリを足して、豚ぐらいの大きさにした感じ。うわ! 無数の足が蠢いてキモイ! よく見ると目は三つあって、それぞれ全部複眼になっている。この世にこんなにキモイ生命体がいていいのだろうか。
「ムラー車だ。距離を走るならこれが一番効率いい」
「あ、あの、アッシュさんが運転するんですか?」
「巣に無関係な人間を連れ込むわけにはいかないだろう」
と、アッシュさんは涼しい顔で言いつつ、荷台にもくもくと水を詰んでいく。一応私もお手伝いを。いただいた食料を詰むのだが、ちょっと中身が気になって、見てみた。
「ひー!」
後悔した。
その中には、どでかい芋虫の死体がたくさん詰まっていたのだ。
え、な、なにこれ、食べるの? 虫だよ? うわ、無理無理。絶対無理。こんなん食べるなら餓死した方がましだ。
「あ、あの、アッシュさん、これ!」
「モンの幼虫だな。俺は好かんが、比較的腐りにくい。疲労にもいいから、お前が食え」
「嫌ですよ! ていうか、アッシュさん、食べるんですか?」
「言ったろう。俺は好かん」
好かないなら持っていかないでください。そういうわけで、モンの幼虫とやらは、巫女様のお使いに丁重にお返しした。あー、トラウマだわ。見るんじゃなかった。夢に出そう。
そんな紆余曲折があったものの、私たちの旅は順調にスタートを切った。
ムラー車というらしいこの車の乗り心地は、ボンゴ車のときよりうんと快適だった。遅くはないけど速すぎでもなく、振動も少ないので、自動車で一般道を走っているような気さえする。これで見た目が可愛かったら百点満点なのだが、これがアレなので減点百点。
しかし悪いことに雨が降り出していた。私は買ってもらったポンチョをかぶりつつ、食料がダメにならないようにカバーをかける。撥水加工されているとはいえ、日本の合羽より性能が良くないため、雨が染み出して、結局服は濡れてしまった。うう、風邪を引かないといいなあ。
お昼ごはんに、下膨れのリンゴ(ポックルという名前だった気がする)をかじりつつ、私は聞いた。
「アッシュさん、それで、竜の巣って、どんな場所なんですか?」
「名前の通りだ。竜の根城であり、やつらはそこで増殖する。だから早いところ叩く必要がある」
「そっか。竜って増えるんでしたよね。じゃあ、そこをどうにかすれば、竜が増えることを防ぐことができる、ってことですか?」
「あくまで一時的な措置にすぎないが、そういうことだ」
なるほど。だからアッシュさんは各地を旅して、竜の巣を叩いて回るのか。『竜狩り』って私が思っていたより大変なんだなあ。
その竜の巣まで、市街地から片道まる一日かかる、ということらしい。
そう聞くと、私とアッシュさんが初めて会ったあの場所がいかに遠かったか、今になって恐ろしくなる。あれでアッシュさんに会わなかったら、やはり私は野垂れ死にしていたところだったのだ。
夜になり、木陰を見つけて、私たちはそこで夜を越すことにした。晩ご飯もたっぷり食べて眠たくなって、私はまたも茣蓙と毛布を借りて眠った。
では、おやすみなさい。
こんな夢を見た。
また星空とウユニ塩湖の空間だ。目の前にはあの少女。着ているものは今日も今日とてセーラー服だ。まあ、私もブレザー制服のままなんだけど。
「やっぱりイナバ、百人乗ってもー?」
「だーいじょーぶ!」
唐突なやりとりだったけど、大和魂には勝てず、つい答えてしまった。
前回とは打って変わって、今日の少女は快活だった。うふふ、と楽しそうに笑っている姿は普通の女子高生だ。
「紗衣ちゃん、って言うのね、あなた」
「う、うん。常葉紗衣って、言います」
「いい名前。呼ばれないのがもったいないくらい」
意味深な物言いだ。なぜか心がざわつく。
少女の顔からも笑みは消えていた。まるで小石がそこにあるかのように、少女はつま先で湖面を蹴る。
「私はね、ミズキって言うの」
「ミズキ? 一郎の?」
「ううん。奈々の方。苗字は神山智洋のコウヤマ」
じゃあ水樹と――神山? 神山水樹。変わった漢字だが、漫画の主人公みたいで、可愛らしくていいじゃない。
水樹ちゃんは寂しそうに笑い、水の中から小石を取り出した。
「でも、もう誰も覚えてない。私が奈々のミズキだろうが一郎のミズキだろうが――ううん。田中太郎でも山田花子でも、マルクス・アウレリウス・アントニヌスだろうが、誰も構わない。私の存在は、もう消えちゃったわ。でも」
水樹ちゃんの大きな目が、くるんとこちらを向く。
心なしか、潤んでいるように見える。
「私、このまま消えたくないの。このままじゃ、私という存在が消されてしまう。私が存在したという足跡を残したい。でも、私はもうダメなの」
「そんなことないよ! 水樹ちゃんだって――」
「でも、あなたはまだ生きている。生きて、この世界に名前を残すことだってできるわ。ねえ、紗衣ちゃん」
水樹ちゃんが私の手を握る。氷のように冷えきった手。何故か私は、死体を連想した。
「紗衣ちゃんなら出来るの。ううん。これは紗衣ちゃんにしかできない。お願い、私の遺志を継いでほしいの」
「そんな、水樹ちゃん、遺志だなんて言わないで」
「私は死んだも同然だから、いいの。ねえ、紗衣ちゃん」
水樹ちゃんの口元がキラキラ光る。
ううん、口元だけじゃない。身体の輪郭が淡く溶けだし、存在そのものが薄くなっていく。気づけば手の温度すら感じられなくなっていた。
「八竜を、消すの」
「そんな! 無理だよ。できないよ」
「大丈夫、紗衣ちゃんは独りじゃない。助けてくれる人はたくさんいるわ」
それに、と水樹ちゃんは消えかけた口で言う。
――私もついてるから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます