第14話 ぽろりもあるよ
そういえば、かねてより気になっていたことが、一つあるのだ。
無事に市街地に帰ってきた私たち。部屋を取ったはいいものの、これまでまともに使ってこなかったホテルの一室、私は思い切って聞いてみた。
「異国の人と『名称の呪』を交わすことって、そんなにおかしいことなんですかね。アッシュさん覚えてます? あの変な竜が言ってたこと」
「俺も一つ気になることがある」
「何でしょう」
「それ、今言うことか?」
一枚すりガラスを隔てた向こうでは、アッシュさんがシャワーを浴びている。
私はシャワーの順番を待っているのだ。どのくらい離れたら死ぬのか分からない以上、トイレはもとより、シャワーのときでさえ離れられない。でも一緒に入るのは論外だとして、よって私たちは、相手がシャワーを浴びているときでさえ、ドアにべったりはりつく必要があるのだ。しかし、ううむ。異性がシャワーを浴びているのをバックに聞きながらお話するとは、何か倒錯したものを感じる。なんだかマニアックだよね、このシチュエーション。
そういう事情をアッシュさんも分かってくれているので、それ以上お小言を言うことはなかった。
「竜がそんなこと言っていたのか。俺には覚えがない」
「まあ、アッシュさん、意識もうろうとしていましたね。でも私もあんまり覚えてないんですよ。なんてってたって、私もパニクっていましたからね」
「ぱにく?」
「あ、パニックになってました」
そうか。「パニクる」もこの世界にはないスラングなのか。いけないいけない。何が通じて何が通じないのか、今一度確認する必要があるみたいだ。
きゅ、と蛇口を締めた音がし、水音が止んだ。幸いユニットバスなので、アッシュさんは一枚ドアを隔てた向こうでお着替えをしている。今までユニットバスなんて信じられない、貧乏者の末路かとも思っていたが、そのイメージを改めるときがきたようだ。衣擦れの音を聞きながら、私はつらつら考えた。
「でも巫女様も、異国の人には何か特別なものがあるっておっしゃってましたし、もしかして私、すごい力を秘めてるんですかね。ふふ、私にもとうとうチート能力が」
「頼むから、俺にも分かるように言ってくれ」
「あ、いやいや。独り言です。でも、異国の人って結局何だろうって思うわけですよ。アイデンティティが危うくて」
「別に。お前はお前だろ」
「ひゃー。そんなこと言われると惚れちゃいますね」
「……」あ、無視したな。「まあ、竜にとって特別な存在ではあるんだろうな。――出ていいか?」
「どうぞー」
戸が開けられ、シャツとズボンという、いつもよりうんとラフな格好のアッシュさんが出てくる。普段一つに縛っている髪がほどけていて、ちょっと新鮮だ。ふん、相変わらずいい男だわっ、ふん!
というわけで、シャワー交代だ。代わりに私が入室し、しっかり戸を閉めたのを確認し、さっそく脱衣する。うわ、ジャケットもスカートも、大分傷んでしまっている。これじゃあ万一日本に戻れたとき、生徒指導にひっかかりそう。買いなおすにしても、女子の制服は高いのだ。やだやだ。
む、蛇口のコックが日本と違う形だ。これどう開くんだろう。適当に動かすと、突如頭上からお湯が降ったきた。
「あっづ!」
なんじゃこりゃ! こりゃ熱湯だわ! あまりの熱さに思わず飛びのく。そして足を滑らせた。
「んぎゃ!」
後頭部がすりガラスに叩きつけられる。
衝撃で開かれる禁断の扉!
たぶんこの出来事は、私史上、空前絶後の恥部となるだろう。痛みにもだえていると、ぱち、とアッシュさんと目が合った。
さ、と顔を背けられる。
アッシュさんの眼前には私のフルヌード。
さしものアッシュさんも赤面しているようだが、私の血の気は対照的に引いていく。
「……遊んでないで服を着ろ」
目をそらされたまま怒られた。
どの世界のホテルでも、いちおう着替えは用意されているものだ。
麻のような肌ざわりの寝間着に着替えた私。その着心地の良さに感動することもなく、私はシーツにくるまって小さくなった。
「……おい」
「話しかけないでください……」
仕切られたシーツの向こうで、はあ、とアッシュさんがため息をついたのが分かった。ていうか、嘆きたいのはこっちだ。いや、アッシュさんも気まずいだろうなあとは思うし、その気持ちは十分分かる。けどね、乙女心がね、傷ついたんだよね、私。
「……これは独り言だが」
「なんでしょう?」
「お前が一人でポカする分には、俺は平気なんだな」
「確かに。私は死ぬほど痛かったですけど、アッシュさん、お腹空きませんでしたね。今はどうです?」
「あいにく変わりない」
ううむ。じゃあ、巫女様がおっしゃっていた以外の要因も絡んでいる、ということだろうか。これもまた巫女様に報告してみよう。必要なら司書さんに頼んで、また地下図書館を拝借すればいい。使える情報はすべて使え、というのは庄野先生のありがたいお言葉だ。
それと、とアッシュさんが切り出す。
「俺も、数日ほどこの街を離れようと思う」
「え!」
さすがに驚いてシーツを放り投げる。そして区切ってあるシーツを剥がした。さすがにアッシュさんも驚いている。しかし驚いているのはこっちだ。
「アッシュさん、どうしたんですか? この街飽きたとか?」
「別に飽きてはいない。旅の手筈が整ったんだ」
「えー、そうなんですかあ。じゃあ、次はどこに行くんですか?」
「竜の巣だ」
ひえー。なんだそのモンスターハウスみたいなところ。一匹でもあんなに強いのに、それが束になってかかってきたら、私たち今度こそ死んじゃうんじゃないかな。
「近いところに巣が見つかったという連絡がきたんだ。被害が出る前に叩く」
「な、なんでそんな危ないところ行くんですか! そういうの、鴨が葱を背負ってくるって言うんですよ!」
「また珍妙なことを言うな、お前は。俺にも分かるように言えとあれほど」
「わざわざアッシュさんが行くところじゃないでしょ! 死んじゃうから!」
「俺だから行くんだ」
強い口調で言われ、つい私も何も言えなくなってしまった。
そうだ。アッシュさんは『竜狩り』なのだ。
竜と戦うことが仕事で、アッシュさんの言葉を借りれば、使命なのだそうだ。私が嫌でも女子高生をしなくてはいけないことと同じように、アッシュさんも、わざわざ危ないことをしなくてはいけない。
たとえ、不便な呪いにかかっていようと。
それにしても、その言い方はずるい。子供の私では何も言えなくなってしまうじゃないか。
ぽん、と頭に手が乗っかる。
「分かってくれたか?」
「……やっぱり、ずるいなあ」
「何が?」
「そんなこと言われちゃ、従うしかないじゃないですか! もーう! いいですよ! 地獄の果てまで付き合ってやりますよ!」
「お前まで来ることは――いや、あるな」
そうだ。『名称の呪』がある以上、私は戦地に同行しなくてはいけない。こうなったら一蓮托生、乗り掛かった舟だ。
しかし、私にも譲れないことはたくさんある。
「でも! 約束してくださいね。危なくなったら逃げる! とにかく命を大事にしてください! お姉さんとの約束ですよ」
「ああ。分かってる」
本当かなー。アッシュさんと行動を共にしていて薄々分かったのだが、この人だいぶ無鉄砲だしなあ。ていうか巫女様もそんなことおっしゃっていたなあ。もう大人なのだから、もう少し後先を考えてほしいところだ。
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