第13話 巫女様先生による特別授業
「――なるほど」
ぱたん、と本を閉じ、巫女様が立ち上がった。もしかして怒らせてしまったのかもしれない。私は怒られる前に先手を打った。
「すいません。うるさくしてしまって。ほら、司書さんも謝って」
「えへ、ごめんなさい」
「別に構わぬ。賑やかなのは良いことだ。何より、知りたいことはすでに得られた」
マジですか。この短時間で? やっぱり巫女様ってすごいんだ。私たちなんか一冊も読めていないのに。
続いてアッシュさんも本を閉じた。巫女様とアイコンタクトを取ると、同じように立ち上がる。
さて、と巫女様が踵を返した。
「情報を整理しよう。ちこう寄れ」
言われて、円を描くように座る私たち。集まって早々、先手を打ったのは巫女様だった。
「まずは、竜の呪についてだ。
これはおそらく、そちらも大方予想できていただろうと思う。八竜にはそれぞれ属性の呪を有している。病の竜は病死、水の竜は溺死、炎の竜は焼死、飢餓の竜は餓死、氷の竜は凍死、血の竜は出血死、窒息の竜は窒息死、老いの竜は老衰だ。それぞれの呪は本来、発動しただけで対象者を死に至らしめるほど強力なものだった。呪われた対象者は、それぞれの死因で命を落とすことになる。即死ではなさそうであるし、その苦しみは相当なものであろうな。
問題なのは、やつらがいつ呪をかけるか、だ。
それを大っぴらに記す書はあいにく見当たらなかった。よってこれは情報の断片から、やつがれが勝手に憶測したものであると容赦願いたい。
八竜には、どうも噛み殺すことの出来ぬ存在があるらしい。その理由は諸説ある。その存在の体液が八竜にとって猛毒であるゆえとか、八竜にとってその者が絶対的な存在であるゆえとか、その存在が不可侵の神そのものであるゆえ、竜などという下等な生き物など触れることすら許されぬ、とか書き記されていたものの、どれも信憑性に欠けるな。だが問題は、八竜にそのような存在がいた、ということだ。
これはやつがれの想像だが、八竜はその存在を抹消したいがため、呪という方法を会得したのではなかろうか。
そしてその存在こそが、異国の処女ではなかろうか」
「異国の処女についてだが」アッシュさんが口を挟む。「この書にも触れられていた。
はるか昔、世界にまだ『降水の呪』がかけられていなかった時代だ。すでにそのころ、八竜は人々にとって脅威だった。一説では八竜の存在のせいで、国民の七割が殺されたとある。
人々が絶滅の危機に瀕したときに現れたのが、異国の処女だった。
具体的に異国の処女が何をしたのか、そこまでは書いていなかったが、一時は八竜を根絶やしにする手前まで追い詰めたらしい。まあ、異国の処女は最後に、八竜の呪によって命を落としている。伝説にはなりえなかったわけだ。
それより肝心なのは、異国の処女が残したメッセージだ。
この言葉に何の意味があるのか分からんが、お前なら分かるかもしれない」
「私ですか? ええ、私、古典マジで苦手なんですよ」
私の苦言には耳を貸さず、アッシュさんは古書をぱらぱらめくった。そして目的のページが見つかると、改めて私を見た。
「『やっぱりイナバ、百人乗っても』」
「だーいじょーぶ!」
反射的に答えてしまった。
って、いやいや。
「なんでこの言葉なんですか⁉ そりゃあイナバは偉大だけれど!」
アッシュさんが端正な顔のまま言うので、笑うとかより先に、戸惑ってしまった。ていうか笑うに笑えない。せめてちょっとは笑って言ってよ。じわじわ面白いから。
「一説によれば、このメッセージは異国の処女でないと意味をなさないらしい。で、どういう意味なんだ?」
「それはイナバ物置のCM――い、いやいや。それ古典じゃないから! ここ数十年で生まれたキャッチフレーズだから!」
「時代が合わないのは僕が説明できるよ。異国の処女は、当時の人々なら持ちえないすごいテクノロジーを持っていたんだって。もしかしてこの国に来る課程で、時空でも歪んじゃったんじゃない?」
「そんなこと、本当に起こりうるのか?」
「しーらなーい。でも、そうじゃないと説明できないでしょ」
ううむ、とアッシュさんが、いかにもしぶしぶといった感じで納得した。
「話を戻すと」巫女様がぽんぽん手を叩く。「八竜の呪は、そもそも異国の処女をせん滅するために会得されたものだ、と考えるのが自然だろう。
そこで、今回の『飢餓の呪』だ。
『竜狩り』が受けたその呪だが、本来は異国の処女に向かって放たれたものではなかろうか。それが貴殿による妨害で、その目的はなしえなかった。彼女の代わりに、不完全な呪という形で、貴殿が呪われた。
肝心なのは、それがもともと貴女へ向けたものだった、という点だ。
これもやつがれの想像にすぎないが、飢餓の竜は、異国の処女を滅するために呪をかけた。それゆえ、その呪の対象というのは、異国の処女、すなわち、貴女だ。
――ピンと来ぬ顔をしているな。そう焦るでない。
呪が術者と対象者による一種の契約である、とは先ほど話したな。この『飢餓の呪』、術者はむろん飢餓の竜だが、対象者は『竜狩り』であると見えるが、それが根本的に間違っておったのだ。対象者は他でもない、異国の処女だったのだ。
そこでどのような問題が起こるか。トリガーは異国の処女であるのに、呪が発動するのは『竜狩り』であるという、奇妙にねじれた関係になるのだ。
さて、肝心のそのトリガーだな。
あいにく明記している書はなかったが、容易に想像できる。
『飢餓の呪』は戦いとは関係がない。異国の処女を確実にせん滅するために呪があるのなら、それは異国の処女に脅威が降りかかったときに発動するものなのではなかろうか。
以上が、やつがれの推理だ」
喋り疲れたのか、ふう、と巫女様がため息をついた。
しかし、とアッシュさんが話しだしたので、巫女様は再度居住まいを正した。
「僭越ながら、それでは、呪の対象があまりに広くはありませんか。呪の契約は、術者と対象者間のみに執り行われるのでしょう? 第三者である魔物や人間で発動するのはおかしくありませんか?」
「間違ってはないよ、『竜狩り』君」なぜか司書さんが話をかっさらう。「どんな手を使っても異国の処女を殺したい八竜と、百パーセント死ぬ呪いをかけられた異国の処女、と考えると、『名称の呪』と同じだよ。ほら、『名称の呪』だって、術者が第三者と契約を結んではいけないでしょ? 同じように、条件付きなら、呪は第三者の干渉を受ける場合もあるんだ。
うん? お嬢ちゃん、まったく分かってないって顔だね。
じゃあこう考えよう。別にお嬢ちゃんを殺すのは、その、飢餓の竜だけの特権ではないよね。お嬢ちゃんを殺すのは、例えばそれは炎の竜でもいいし、病の竜でもいい。最悪暴漢に襲われて死ぬのだって、竜にとってはありがたい話なんだよ。だって竜は、なんとしてもお嬢ちゃんを殺したいんだし、別に殺す人は特定しなくていい。
ね、『名称の呪』と同じでしょ? 違うのは、他の人と契約を結ぶと死ぬか、他の人に攻撃されると死ぬか、だけだからね。
まあ、なんで限定的に第三者の介入が許されるのかは知らないけど。巫女様、その辺どうなんですか?」
「そもそも呪とは人間への制約だ。その制約を阻止する者は何人たりと排除する、というシステムにでもなっておるのだろう」
……なるほど。分かるような、分からないような。
つまるところ、超簡単に言えば、私になんかの危険が迫ると、アッシュさんが発作を起こす、ってことでいいのかな。うん、細かい理屈はよく分からないが、キモとなる部分はそういうことだろう。
「はい、質問です、先生」
「申せ、異国の処女」
「じゃあ私、どこかで引きこもっていれば万事オッケーってことですか? だって私さえ無事なら、アッシュさんはお腹空かなくていいんでしょ?」
「そういうわけにもいかんだろう。お前は俺から離れたら死ぬんだぞ」
そういえばそうでした。
まあ、と巫女様がかすかに苦笑した。
「空腹だけで済んだのは不幸中の幸いだったろうな。でなければ貴殿の命はとうにないわけだ」
「それに『竜狩り』がいないんじゃあ、誰も竜なんかに敵わないわけだしねえ。いやあ、君が生きていて良かった!」
「そうだな。ぞっとしない」
「だがその症状、やつがれが思っていたより壮絶だったな。毎度あそこまで苦しい思いをするのは、正直問題だぞ。なにより異国の処女は、どうも八竜から好かれているようだ。やつがれが問うのも筋違いだろうが、本当に大丈夫なのか?」
「どうにかなるでしょう。事実、何事もなく一体仕留めましたので」
嘘つけ! 何事もなにも、命の危機だらけだったじゃない。下手をすれば二人仲良く荼毘に付されるところだったんだぞ。
巫女様や司書さんも半信半疑なようで、それぞれ苦そうな顔をしている。
「まあ、貴殿がそこまで申すのなら、やつがれどもも信じるほかないだろうな。つくづく、命だけは大切にせよ」
「御意」
「貴女も、この無鉄砲をしかと見張れ」
「はい」
とうなずいてみたものの、えー、でも、私だけじゃどうにもならないよお、というのが正直なところ。私に出来ることと言えば、お菓子配ることくらい? それじゃあ日本にいたときとちっとも変わらない。
まあ、でも、何もないよりまし? うんうん、そう考えよう。ポジティブ大事。いい女はいつも前向きじゃないとね。
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