第12話 本を読むのが苦手な人挙手

 司書さんが根城にしている空間は六畳ほどで、決して広くもないし、明るくもない。しかし贅沢は言っていられない。

「確か作り置きのパンがあったはずだから、それでいいかな? ていうか、本当にパンでいいの? 粥とかのがいい?」

「何でもいい……」

 ぐーぐーと鳴るお腹を押さえつつ、アッシュさんが力なく答える。

 そんな彼を目の当たりにして、巫女様が耳打ちしてきた。

「不完全とはいえ、『飢餓の呪』は凄まじいな。ここまで弱り切った『竜狩り』を見るのは初めてだ」

「これ、本当に死なないんですか?」

「死なないと思うよー」パンをようやく見つけた司書さんが答える。「死ぬほどの空腹は、口の中がめっちゃ痛くなって、幻覚を見るようになるんだって。見たところそこまでではなさそうだし、命の危機はないかな。まあ、しんどいのは変わりないけどね。はい、僕が愛情込めて作ったパンだよ。酵母選びから始まって、水を使わずミルクで仕上げたから、もっちりした食感で――って、聞いてよ」

 司書さんには構わず、アッシュさんは丸パンにかぶりついた。うう、相変わらず美味しそうに食べやがって。司書さんお手製のパン、いいなあ。私も食べてみたいなあ。巫女様も興味津々にパンを見ている。

「……巫女様」

「なんだ?」

「食べづらいです」

 まあ、そこまでガン見されたら誰でもそうなるわな。

 私たちにはお茶を出しつつ、にしても、と司書さんは首を傾げた。

「『飢餓の呪』は飢餓の竜からかけられたんだよね。この状況、ちょっと変じゃない?」

「うむ。やつがれもそう思う」

「え、何が変なんですか?」

「竜に呪をかけられたんだから、トリガーは竜に関係することじゃなきゃ変だよ。だって呪って、術者と被害者だけに影響するものだから」

 はて、どういうことだ? 私の疑問符が顔に書いてあったのか、司書さんは丁寧に説明してくれた。

「例えば『名称の呪』は、名付け親とその相手だけに影響するでしょ? このように、呪の力ってすごく限定的なんだよね。『名称の呪』で第三者が死ぬことはまずない。分かる?」

「なんとなく……」

「それで、今回の『飢餓の呪』が問題になる。術者が竜で、『竜狩り』が被害者なら、たとえば、竜に襲われたときだけ発動する、みたいな感じにならないとおかしいんだよ」

「今回は、竜とはまったく関係のない生物に襲われただけで『飢餓の呪』が発動した。通常ならありえぬ事象だ」

「しかし」パンを平らげたアッシュさんも会話に加わる。「僭越ながら、『戦うことで発動する』とおっしゃったのは巫女様ではありませんか。今回の件も、十分発動条件は満たしていたかと」

「貴殿とまともにやり合えるのは竜くらいのものだろう。貴殿は今回のような戯れも戦闘と数えるのか? 律儀なやつだ」

「失礼いたしました。出過ぎた真似でした」

「確かに、誤解を招く言い方をした自覚はある。まさか貴殿が竜以外を退治するとは思わなんだ」

「じゃあ、あの化け物に襲われただけでお腹が空くのは、変ってことですか?」

「うーん。そうなんだよねえ」

 司書さんは顔をしかめて天井を仰いだ。眉間をもみながら考えること数秒、彼なりに答えを出したようだ。

「まさか、あの生き物が竜の眷属だったり」

「竜が眷属を作るとは聞いたことないぞ」

「そもそも竜が呪を使うことがイレギュラーなんだから、もう何でも疑ってかからないとね。うーん、でも、眷属にするには力不足だよね。『竜狩り』にあっさりやられちゃったし」

「じゃあ、あのDQNも眷属だったのかな?」

 もしそうなら、竜たちはとってもおばかさんだ。私ならあんな、世間的にも貧弱で頭が可哀想な人たちではなく、もっとましな人間を選ぶね。

 私の言葉に、ん? と三人が反応を示した。

「かねてから気になっていたが、そのドキュとは何だ?」

「ほう。やつがれの知らぬ生き物がこの国に生息しているとは」

「ねーねー。どんな生き物だった?」

「生き物っていうか……」

 普段何気なく使っているスラングだが、いざ説明しようとするのは難しい。イキってる人、と説明できればそれに越したことはないが、たぶん三人とも「イキる」が何なのか分からないに違いない。じゃあ「害悪」とか? ダメだ。それもスラングだ。困った。こんなときスマホがあればすぐ調べられるのに、スマホはお亡くなりになったのだ。南無三。

「何だろう。他人に迷惑かけて回る、頭のおかしい人間のことです。私がその人に絡まれたとき、アッシュさんが助けてくれたんです。でも、すぐ発作を起こしてしまいましたけど。でも、あんなクソザコな人を普通眷属にしますかね?」

「ああ、あの男たちか。確かに眷属にしては手ごたえがなかったな」

「じゃあ、その――ドキュ? 相手でも、『飢餓の呪』が発動したってことかな、お嬢ちゃん?」

 うなずく私。巫女様と司書さんは深く考え込んだ。

「よもや人間相手でも発動するとはな。本当に、何がきっかけなのか検討もつかんな」

「巫女様に分からないんじゃ僕らも分かりませんよぉ」

「それも含めて、蔵書で調査する必要がありそうだ。それ、貴殿、案内せよ」

「そうっすねえ。『竜狩り』も復活しましたし」

 よっこらせ、と司書さんが立ち上がり。私たちも腰を上げた。

「案内しますよ。へへ、びっくりしないでくださいね」

 意味深に司書さんが笑う。何だろう、すごく嫌な予感がする。


「お、おお! なんと!」

 と我を忘れたのは巫女様だ。

 しかし私も十分びっくりした。ここ、本当に地下なのだろうか。

 その広さたるや、市立図書館の何倍はあるだろう。下に伸びる吹き抜けの中心には螺旋階段。そして壁のすべてが本棚で、どれも古そうな本が、ぎっしりみっちり詰まっている。ていうか下が見えない。ここ、どうやって作ったんだろう。

 へえ、とアッシュさんも感嘆のため息をついた。

「大したものだな」

「へっへーん。何せ、現存する図書館の中でもダントツで古いからね。蔵書も結構なものだよ」

「しかし、ここから該当の本を探すのは骨が折れるぞ。もちろん分類はされているんだろうな」

「してるわけないじゃない! うちの図書館、見栄え重視だからね」

「利用者もいないのに見栄えを気にするのか」

「なに。分類などどうでも良いわ。片っ端から読めばよい」

「巫女様本気ですか⁉ 何年かかるんだろう」

「まあ、四人もいるし、余裕っしょ」

 そう司書さんは言うが、あいにく私は戦力になれなさそうだ。何せ私はかいけつゾロリを読破できなかった身だ。活字から離れて早幾年、今となっては、教科書以外だとツイッターとインスタぐらいしか字を読まない。

「なあ、司書よ。もう読み始めて良いか? 早く始めようぞ。早う」

 ……とはいえ、巫女様がいれば、どうにかなる気がする。

 巫女様のその言葉を皮切りに、私たちの戦いは始まった。

「そら、お前の分だ」

 そうアッシュさんに手渡されたのは、薄い資料四冊だ。ざっと目を通すと、幸い字も大きくて読みやすそう。それに傷みも少ない。アッシュさんの気遣いに涙が出そうだ。ありがたく頂戴した。

 さて、肝心の中身だが。


 ――万国の母の地に降りしは、天上より遣われし陽光の使者なりて、地上のあらゆる事象を温ませ、深海の父に生命の歓喜が沸き上がりけり。

 一寸の生命体は今生の母であり、父であり、また妹子でもあった。生命体の産声は天空へ嘶き、大地を呼び起こし、恵となりけり。その者曰く、天上天下の森羅万象覚醒せり、我が眷属の誕生いと喜ばし、ぬくもりは新たな命となり、やがては地上に染みわたり、我は万象の頂とならん――


「読めるか!」

 思わずキレた。

 思えば私、現文も苦手だが、古文はもっと苦手なのだ。しかし一番苦手なのは近代の文学だ。夏目漱石とか森鴎外とか、友達に勧められて読んだことはあったが、ほんの三行で挫折した。まず何を言っているのか分からない。この文も全然読めない。

 ダメ元で、司書さんにお願いしてみる。

「あの、私、お茶汲み係じゃダメですか?」

「図書館は飲食禁止だよ。大丈夫、お嬢ちゃん賢そうだから」

「賢くないから言ってるのに! 鬼! 鬼代官! 皮かぶり!」

「皮かぶりはリアルで傷つくから止めよう?」

 ふん、司書さんは肝心なときに役に立たない。そうだ、みんなが読み終わった本を片付ける係になろう。すでにみんな結構読み進めてるし。特に巫女様とか。――うん? 目の前に我が目を疑う光景が。

「うわ」

 すごすぎて引いた。

 驚くなかれ、巫女様は三冊同時に読んでいた。地べたに座り、自分の周りに本を放射線状に広げている。しかも読むスピードも尋常じゃない。一冊ずつ、三秒くらいでページをめくっている。やば。こんな光景アニメでしか見たことがない。

 アッシュさんの方を見ると、彼も順調に読み進めているみたいだ。卓上にはもう三冊の読了本が積んである。うう、巫女様ほどではないけれど、アッシュさんも読むのが早いなあ。秀麗眉目に加えて文武両道まで備わっているとは、ずるいなあ。神様は不公平だなあ。くそう。

 司書さんも読書に戻ってしまったので、もう誰も構ってくれる人がいない。くっそー、私も読まなきゃいけないのか。こんなことならもっと国語を真面目に勉強するんだった。でも、辞書もないし、これ本当に読めるのかな。これなら宿から電子辞書を持ってくるんだった。あ、だめだ。電子辞書も死んでるんだった。

 ……。

 だめだ、眠たくなってきた。

 当然ながら、静かなのだ。ページをたぐる音と、本を出す音、あとは寝息くらいしか聞こえない。無駄口は禁止というわけだ。ここで私が寝るわけにはいかない。

 ん?

 ちょっと待て。

 誰か寝てない? ずるい。私も必死の思いで頑張ってるのに。戦犯は誰だ?

 幸いすぐ見つかった。

「司書さん! 何寝てるんですか!」

「ふぇ?」

 机に突っ伏し気持ちよさそうに寝ている司書さんを叩き起こす。そして「よく寝たー」と大きく伸びをして、てへ、と笑う。大人のテヘペロなんか初めて見た。

「ごめんごめん。僕、本読むの苦手なんだよねー」

「私にはサボるの禁止って言ってたのに……!」

「お嬢ちゃんは賢そうだからね。ほら、僕に構わず読んだ読んだ」

 ぐぬぬ。これがダメ大人の典型か。やっぱり大人ってずるい。

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