第9話 異国の処女

「へぷちッ! えくしょーい!」

「助けが遅れてあい済まなんだ。ほら、チリ紙だ」

 巫女様おん自ら手渡してくれたチリ紙で、遠慮なく鼻をかむ私。うう、ティッシュよりごわごわしていて、これじゃあ鼻を痛めそうだ。

 そう、ここは市街地に構える、とある診療所。

 そこに巫女様が訪れるのがそんなに異例なことなのか、医師や看護師一同が、扉の方で様子をうかがっている。

 まあ、他でもない私が呼んだんだけど。

 アッシュさんの意識がない以上、私は診療所を動けない。だけどどうしても巫女様に会いたい。そうお使いの女の子に打診してみると、なんと意外にも聞き入れてくれた。しかし警備は行き過ぎなくらい強固だ。今診療所のまわりには、黒いローブをまとった屈強な男たちが守りを固めている。まるで賓客だ。いや、賓客なのか。

 それと余談だが、私は見事に風邪を引いた。

 私でさえこの体たらくなのだから、よっぽどアッシュさんも深刻な状況になっているのではなかろうか。という心配は、幸い杞憂に終わった。うらやましいほど、アッシュさんは身体が頑丈のようだ。ただ失血と微熱のせいで、今はただ眠っているだけのこと。目を覚ましたら必ず食事をさせるように、と他でもない巫女様からきつく言われた。まあ、寝ながらもお腹は鳴っているので、忘れたくても忘れないと思う。

「それで」私に緑色の液体を手渡しつつ、巫女様は可愛らしく小首を傾げた。「やつがれに何か用があったのだろう。申してみよ」

「その前に、このまがまがしい液体、何ですか?」

「風邪薬だ。よく効くぞ」

「変な臭いします」

「良薬は口に苦し、だ」

 そんなことわざ、日本じゃほぼ死語同然なのに、この世界ではまだまだ現役らしい。うう、見た目は緑色なのになぜか生臭い。何これ。何が入ってるの? 顔を近づけるだけで鼻がひん曲がるほど臭い。これ飲んだら、かえって体調を崩しそうなんだけど。えーい、女は根性だ! 決死の覚悟で飲んでやった。う! 口内で生臭さが暴れまわる! 鼻から抜けるえぐみがひどい! たぶん私の味蕾は死んだ。根性だけで飲み干すと、巫女様は満足そうに頷いた。

「これで明日には治っていることだろう。それで、用とは何だ?」

「ああ。あの。実は――」

 逆に止まらなくなった鼻水をすすりつつ、私は化け物との会話の仔細を説明した。

 始めはふんふんと聞いていた巫女様だったが、異国のおぼこ娘、というくだりで、ん? と首を捻った。

「まさか、貴女、異国の者なのか?」

「今さらですか⁉ そうですよ! 私、違う世界から来たんですよ!」

「な、なんだと⁉」

 巫女様が急に立ち上がる。椅子さえ蹴倒す勢いに、逆に私がたじろいでしまった。そのまま私を、至近距離で、頭のてっぺんからつま先までじろじろ凝視した。

「これが古来の伝説に登場する『異国の処女』か。見たところ、やつがれどもと変わらぬ姿をしているが」

「巫女様、その、異国の……っていうの、知ってるんですか?」

「確かに、妙に発育が良いとは思っていたが、そういうことだったのか」

「どこ見て言ってるんですか。あと、胸をつつかないでください」

 これが女の子でなかったら即通報の案件だ。あとみなさん私の胸に言及したがりますが、日本では標準的なサイズですのでご容赦。

 巫女様は妙に私に興味津々で、今度は私の背後に回ったり、下から覗き込んだり、とにかくさまざまな角度から観察してくる。

「尾もなければ毛深くもない。手足の長さの比率もやつがれどもと変わらんな」

「そりゃそうでしょうよ」

「伝説では胸元に刻印があるはずだ。どれ、脱いでみよ」

「嫌です! アッシュさんが目覚めたらどうするんですか」

 実際、先ほどからアッシュさんは軽く呻いたり、寝返りをうったりしているので、目覚めるのも時間の問題だろう。そんな中でフルヌードなんかになったら、それはただの痴女だ。女の沽券にかけてここは拒否させてもらう。

「そんなことより、古来の伝説とやらを教えてください。異国の人が伝説に出てくるんですか?」

「そうだな。むしろ逆だ。異国の処女そのものが伝説だ」

「どういうことですか?」

「知らぬ」

「なるほど、知らないんだ。――え、知らないんですか⁉」

 まさか巫女様ですら知らないとは思わなかった。これじゃあ計算外、私の計画は早速、座礁に乗り上げた。

 巫女様は「済まぬ」と断りを入れ、説明してくれた。

「実のところ、ずいぶん昔のことになるが、この国で大規模な焚書活動があったのだ。被害は政治ルポルタージュから告発本だけにとどまらず、異国の処女の記載のある書物にまで及んだ。この国にとって異国の処女は、古来より、触れてはならぬ暗部なのだよ」

「でも、私の他に異国の人はいるんですよね」

「おったら、そこから新たな伝説が作られるだろうよ」

「その言い方、私が伝説みたいな感じですけど?」

「その可能性はある。事実、貴女には八竜を引き寄せる力がある」

 なるほど。チート能力がない代わりに、そんな厄介な力が備わっていたのか。また最悪な状況が一つ加わった。このままでは私が伝説になる前に、アッシュさんもろと、八竜のおやつになりそうだ。

「その点では、『竜狩り』と『名称の呪』を結んだのは正解だったな。でなければ貴女、早々に八竜の餌食になっているところだぞ」

「すでに餌食になりそうでしたけど。それに、アッシュさんには『飢餓の呪』がかかってるの、忘れてません?」

「忘れるものか。こんなにやかましい腹をしておるのに」

 まったくもってその通りだが、なんとも明け透けな言葉だ。

「冗談はさておき、八竜の動向には今後も探った方が良さそうだな」

「あ、冗談だったんだ」

「やつがれも引き続き探ってみるとしよう。八竜と、八竜の持つ呪の力について」

 そうだ、その問題もあったのだ。

 今回あの化け物たちが呪いを使ってこなかったのは、単に運が良かっただけなのだ。もし使ってきていたら、アッシュさんも私も、ひとたまりもなかったに違いない。それどころか、街への侵入を許してしまい、被害が大きくなってしまうことだって考えられる。

 ――なにより。

「焚書になっても、生き字引みたいな人は、どこかにいるんですよね」

「さて。おるだろうし、おらんかもしれん。やつがれにも分からん」

「私も探してみます。異国の人に、どんな役割があるのか」

 ぱさ、と毛布がずれる音がする。

 見るとアッシュさんが身を起こすところだった。軽くかぶりを振り、血色の悪い顔をこちらに向ける。

「そのこと、俺も同行することになるんだろう?」

「え、いいんですか?」

「いいも何も、離れたら死ぬんだ。それに、乗り掛かった舟だしな」

「へへ、ありがとうございます。心強いです」

 もちろん一人より二人の方が心強いし、それ以上に、もしあの化け物がまた襲ってきたらと考えるとぞっとしないし、巫女様の言う通り、『竜狩り』の存在は非常にありがたい。何より気心も知れているしね。伊達に共に野宿を共にはしていないのだ。

 こほん、と巫女様が小さく咳をした。

「ともかく、今はやるべきことがあるだろう」

「あ、そっか。アッシュさん聞いてください! 私異国の人なんですよ!」

「そんなのとうの昔に気付いている。それより」

ぎゅるぎゅるぎゅる、とアッシュさんのお腹が大きく鳴る。ちょうど胃のあたりを押さえて、アッシュさんは苦笑した。

「何か食わせてくれ。腹が減って死にそうだ」

 そうだった。


 アッシュさんに食事をさせつつ、私は異国の人のことを再度説明した。二度目の説明となり、一度目より要領よく話せた自信がある。アッシュさんはチーズ粥(っぽいけど、匂いがチーズというよりヨーグルトっぽい)を食べつつ、黙って話を聞いてくれた。

「で、アッシュさんはどう思います?」

「お前が異国の処女だということか? 別にどうも思わない」

「じゃなくて、異国の人の伝説について、何か聞いたことがあったりしますか?」

「それも聞いたことがない。そもそも、この国に伝説なんていう洒落たものがあったのも初耳だ」

 まあ、巫女様が知らないのなら、普通の青年であるアッシュさんが知るわけがないか。

 だが、とアッシュさんは続け、粥をかき混ぜた。

「俺も妙に思ったことがある。あの竜どもは、間違いなくお前を狙っていた。それも、捕食とは別の目的があるように見えた」

「それは私も思いました。でも、よりか弱い方を狙うのって、別に普通じゃないですか?」

「もしそれだけなら、まずは俺という邪魔者を攻撃するはずだろう」

「うーん。そういうものなのかなー」

「ともあれ、異国の処女には、八竜を惹き付けてやまない何かがあるのだろうな。そうなると、異国の処女と八竜は密接な関係がある、と考えるのが道理かもしれぬ」

 巫女様の言葉にアッシュさんもうなずく。それも、私はうすうす思っていたことだ。

「その魅力が何であるか、探るのはやつがれの役目だ。貴殿らは、まず身体を休めることを優先してくれ。今後何があるか、本当に分からぬからな」

 言われてみれば、なんだか眠たい気がする。思えば今日は徹夜だったし、その前は野宿だたからあんまり寝られなかったし、それに重ねてあんな激闘の後だったから、疲れていて当然だ。ふわー。大きなあくびが出てしょうがない。一旦眠気を自覚してしまうとどうしても眠たくなってきた。女子高生は睡魔には勝てないのだ。

 そんな私を見て、ふ、とアッシュさんは小さく噴き出した。

「そんなに眠たいのなら、ベッドで寝ればいい」

「うう。でも、アッシュさんも病み上がりだし」

「少なくともお前より頑丈だし、構わない。何より俺はたっぷり寝たんだ」

「やつがれもおいとましよう。二人とも、養生するのだぞ」

 二人は揃って立ち上がり、目で私を促した。もう、そんな風に気を遣われたら、従うしかないじゃないか。アッシュさんのどいた空のベッドに、私は大人しく入った。布団には人肌のぬくもりが残っていて、余計に心地よい。うう、四日ぶりのベッドはなんと快適なこと。私はすこんと気持ちよく眠りに落ちた。

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