第8話 だからキモイんだってば

「これが、ボンゴ?」

 なんだ、この生命体。キモッ。

 馬みたいな豚みたいにも見えるが、豚みたいな馬にも見える。それともトドにムキムキの足が生えたみたいな感じかな。とにかく見た目がキモイ。ええ、これと一緒に行くの? と思っていると、ぼふー! と威嚇された。うえ、鳴き声までキモイ。

「早く乗れ」

 アッシュさんに急かされ、私はいやいや荷台に乗った。私の目の前にはむっちりしたボンゴのお尻。うわ、お尻だけ毛深いんだ。嫌だなあ、この生き物。竜といい、なんでこの世界の生き物って総じてキモイんだろう。

 私が乗ると、馬主(馬じゃないから、ボンゴ主?)がボンゴを急発進させた。Gで負けそうになる私を、アッシュさんが首根っこを押さえて支えてくれた。

「ボンゴ車はどの車より速いからな。振り落とされないようにしろ」

「うう、分かりました」

 速いのは身に染みて分かったから、このフォルムをどうにかしてほしい。

 ぐんぐん加速するボンゴ車の中、飛ばされないよう荷台にしがみつきながら、私は風に負けないよう大声で聞いた。

「アッシュさん! 目的地までどのくらいかかりそうですか⁉」

「一刻ほどだ!」

 アッシュさんの声も大きくなる。しかし一刻って何分なんだ? 結局聞いても分からなかった。何時間もボンゴのお尻を眺めているのは嫌だなあ。

  確かにボンゴは速かった。ぐんぐん市街地から離れ、あっという間に街が見えなくなる。辺りはさっぱりした草原になり、ボンゴは草木を蹴散らしながら進んだ。私といえば、大事なトートバックの中身を飛ばさないようにするのに精いっぱいだ。何せ今回はお菓子だけでなく、巫女様からいただいたお肉や果物も入っているのだ。ただでさえキャパいっぱいまで入っているので、中身をこぼさないようにするのも一苦労だ。

出発して正味三十分ほどかかったところで、とうとう私は荷台から振り落とされた。

「ぎゃー!」

 いや、違う。ボンゴ車が爆発したのだ。宙を舞う私をアッシュさんが抱えて着地した。巫女様には申し訳ないが、この衝撃でお肉と果物が飛び散った。やばいやばい。あとで回収しないと。

『どこぞえ、どこぞえ。おぼこ娘はどこぞえ?』

『ほ、ほ、ほ。これが異国のおぼこ娘か』

 うわ。どこからかトラウマボイスが聞こえてくる。誰がおぼこ娘じゃ! と怒る間もなく、あたりは突風に包まれた。

 とうとう姿を現す、二体の巨大な竜。

 その姿は――

「キモ!」

 飢餓のあいつを凌駕するほど、キモかった。

 単に私のイメージだが、白い方が氷の竜で、赤い方が炎の竜だろう。白い方はナメクジに足を七本(そう、奇数だ!)生やした見た目。そして顔は犬だ。よく見ると口にはクジラの口内のように、ぶっとい毛がびっちり生えている。キモイ。そして赤い方は、見た目は完全にシャコ。シャコの身体に、人間の骸骨みたいな頭をしている。足は見たとこ十六本。キモイ。見た目だけで私の戦意が危ない。

 素早くアッシュさんが剣を構える。隙あれば今にも斬りかかる意志がみなぎっているのが、背中からも分かった。頼もしい。惚れそう。

『主は『竜狩り』かえ?』

『ほ、ほ、ほ。たかが人間一人、片腹痛いわ。食い殺してくれる!』

 先に動いたのは白い方だ。地面に降り立ち、ずんぐりした身体を突進させる。わわ、逃げなきゃ。しかし肝心なところで躓く私。こう見えて体育は苦手なのだ。

「くっ――」

 アッシュさんは真っ向から立ち向かった。白い巨体を全身で受け止め、突進を食い止めた。おお、すげえ。それ止められるんだ。しかし、じりじり、じりじり、とアッシュさんの踵が滑る。このままでは力負けしそうだ。その隙に、今度こそ私は逃げ出した。

 それがまずかった。

『おぼこ娘は我が物ぞ!』

 私に向かって赤い方が火の玉を放った。やばいやばい。死んじゃう。一生懸命走ると、奇跡的にも狙いが外れてくれた。

 アッシュさんも、自らその場から跳び退き、私のそばに着地する。続けて放たれる火球を、剣で二つに断ち切った。

「狙いはお前か」

「ひえー、何でですか?」

「知るか」

 なんて悠長に会話している暇もなく。

 赤い方の尾が、ぶん! と襲い来る。アッシュさんは私を抱えてまろび出た。立て続けに白い方が私たちを丸のみしようと口を開けて向かってきた。それも避けつつ、アッシュさんは白い方の頬を切り裂いた。傷口から溢れる緑色の血。白い方の化け物が痛みに悲鳴を上げる。おお、いいぞいいぞ。

 白い方が怯んでいる中、赤い方は果敢に襲ってきた。十六本の足を器用に動かして爪で八つ裂きにしようとしてくる。アッシュさんは剣で防いだ。しかし防ぎきれない。もしかして致命傷だけを防いでいるのかもしれない。腕、太もも、頬がたちまち血まみれになる。

『もらったわ!』

 赤い方は勝利を確信したようだ。一番立派な腕を振り下ろす。アッシュさんは剣で受け止めた。圧に負けて足が地面にめり込んだ。

 アッシュさんの腕がかすかに痙攣する。力負けしそうなのだ。

『愚かのよう!』

 その間は、白い方を復帰させるのに十分な時間だった。白い方が、口から氷の塊を吐き出す。アッシュさんはいち早く気づいたが、どうすることもできない。氷をまともに食らって吹き飛ばされた。

「アッシュさん!」

 慌てて駆け寄る。幸い大きな怪我はないようで、アッシュさんはすぐ立ち上がった。

『ほ、ほ、ほ。赤子じゃ。赤子のようじゃ』

『今代の『竜狩り』はこの程度かえ』

 二体の化け物が巨体を震わせて笑う。アッシュさんは舌打ちし、手負いの白い方へ攻撃に転じた。白い方は七本の太い脚で対抗する。その猛攻を受け流し、いなしつつ、とうとう一本の腕を斬り飛ばした。

 もちろん赤い方も、指をくわえて見ているばかりではない。連続で放たれる火球がアッシュさんのジャケットを焦がし、耳をかすめる。ひときわ大きい火球は叩き切った。

「――ッ、この!」

 アッシュさんの剣が赤い方の胴体を捉え、真一文字に傷をつけた。怯む化け物の腹を、もう一回切り裂く。青い血が噴き出た。

『こざかしいわ、小童!』

 白い方が放つ氷の塊を、アッシュさんは辛くも叩き切る。そして一旦私のもとへ後退した。

 そして唐突に、膝をつく。

「ちょ、ちょっとアッシュさん!」

「く、そ。こんなときに」

 返事をするのも辛そうだ。やっぱり十全の体調ではないから?

『く、ふ、ふ。ふふふ!』

 あれだけ傷つけられたというのに、化け物たちは哄笑した。

『飢餓の同胞が粋な計らいをしたものだ。小憎いやつだが、気分が良いわ』

『せいぜい苦しめばよいわ、小童』

「飢餓? あ! まさか!」

 あれだ。急にお腹空くやつ。え、このタイミングで? ふらりとアッシュさんの身体が傾く。どうにか受け止めて倒れるのは防げたが、顔色は真っ青だ。

 どうしよう。トートバックはどこやったっけ。あれ、ない? 私、どこやった? あ、ああ! あんなところに! 赤い方のしっぽを避けるときに落っことしたのかな。遠くはないけど、決して近い距離でもない。

 どうしよう、私やってしまった。情けなく右往左往する私を押しのけ、よろよろとアッシュさんは立ち上がった。

「取ってこい」

「あ、でも」

「早く!」

 怒られた。

 こっそり取りに行こうとその場を離れるが、二体の化け物の目はしっかり私を追っている。大丈夫なの、これ、本当に? 二歩目を踏み出したとき、再び化け物が笑い出した。

『ほ、ほ。おぼこ娘よ、戯れは終わりぞ』

「ひえー!」

 慌てて走り出すも、万事休す。

 赤い方が立派な腕を振り上げた。あ、死んだわ、これ。そして振り下ろされる爪――

 ――が、不意に、止まった。

 化け物たちが、アッシュさんの方へ目をやる。赤い方のその左目には、ざっくりナイフが刺さっていた。

「俺が相手だ。化け物」

 そうか、アッシュさんの武器は剣だけではないのか。アッシュさんはジャケットの裏地から数本の投げナイフを出した。

 竜たちの目つきが変わった。目が妖しい色に光る。

『こ、こ、この小童めが!』

『殺してくれよう! 食い殺してくれようぞ!』

 今だ。あいつらの気はアッシュさんにそれた。この隙にどうにかトートバックを確保する。良かった。中身は無事だ。

 そのときのアッシュさんはすごかった。本当にすごいのだ。

 あんなにふらふらしていたのに、身軽に攻撃をかわし、ナイフを次々投げていく。そのナイフは化け物の身体に刺さり、かすめ、確実にダメージを与えていく。振り下ろされる赤い爪を、今度は剣ではじいた。

「あった、あったよ、アッシュさん!」

 アッシュさんが横目で私を確認し、確かにうなずいた。

「頑張れ! 今行くから、もう少し頑張って!」

 走りながら、私は何度もアッシュさんの名前を呼んだ。

「アッシュさん、頑張れ! ファイト! あとちょっと! アッシュさーん!」

 その応援が功を奏したのか。

 目の錯覚だろうか。アッシュさんの目が、一瞬、金色に輝くように見えた。

 眼前の赤い化け物の首が、くるくる宙を舞う。

 遅れて、噴き出す青色のシャワー。

『お、お、お! 同胞よ!』

 白い方が巨体を震わせる。

 赤い化け物は断末魔を上げることもなく、全身を大きく痙攣させ、その体を地面に投げ出した。断面からは未だに血が噴き出している。そして、完全に動きを止めた。

 それを見届けることもなく、アッシュさんもその場に崩れる。

「アッシュさん!」

 ようやくたどり着いた私に、アッシュさんは片手を挙げて応えてくれた。良かった、生きてる。少なくとも意識はあるようだ。

『小童め、やりおったな、小童!』

 白い方の咆哮に、ようやく事態を把握した。そうだ。喜んでいる場合ではない。竜はまだ一体残っているのだ。

『貴様ら、さては、『名称の呪』を結んだな……!』

「そ、そうだぞー!」

 こうなったら私がしっかりしなければ。アッシュさんから剣を奪い取り、見よう見まねで構える。たぶんこんな感じだ。剣道なんかやったことないけど。

「私とアッシュさんは、『名称の呪』で結ばれたんだぞー! えっと、怖いんだぞー! 私たちにかかれば、あ、あ、あんたなんか、赤ちゃんみたいなもんだぞー!」

『よりにもよって、異国のおぼこ娘と『名称の呪』を交わすとは……。ふ、ふ、やりおったな!』

「そうだぞ! わ、私は、異国の、お、おぼ……」ダメだ。恥ずかしくて言えない。「……異国の女子高生だぞ! す、すごいぞ!」

『おぼこ娘、名を上げよ!』

「K女学園大学付属高等学校二年B組出席番号二十番、常葉紗衣だ! おとといきやがれ! ばーかばーか!」

『サイ……アッシュ、覚えたぞ、覚えたぞ。その名、しかと覚えたぞ……!』

 ふわ、と化け物の身体が宙に浮く。なんだ、本当にやるのか? とにかくしゅっしゅと剣を振って威嚇する。おらおら、かかってこい。しかし化け物は襲ってこなかった。目にもとまらぬ速さで空を飛び、遠く彼方へ消えた。

「に、逃げたなー!」

 とイキがったはいいが、いや、この場合逃げた方が助かるのか。もうこれで一安心。そう分かると、情けなくも腰が抜けた。だめ、立てない。足がふにゃふにゃになってしまった。

「やったんだ……アッシュさん、私たちやったよ! ううん、アッシュさんが九割九分九厘やってくれた! すごい!」

「分かった。分かったから、叫ぶな」

 そこで、アッシュさんがお腹を押さえて苦しそうにしていることに気付く。そうじゃん、例の発作を起こして、お腹ぺこぺこだったんだっけ。不覚ながらすっかり忘れてた。

「待っててください、今出しますから。ああ、お肉さえ落としてなければ、そっちのが腹もちいいですよね。うう、お菓子しか入ってない」

「……すまない」

 まずい。アッシュさん、本当にしんどそうだ。心なしか、いつもよりうんと苦しそうに見える。

 ぱっと手に取ったのは、おかきだった。こちらも個包装なので、まず大袋を開け、適当に何粒か出して、いちいち小袋を開けなければいけないので、非常に面倒くさい。普段だったら、個包装は配布しやすいから助かるのに。慌てているので手元が狂ってしかたない。

 ようやく用意ができたおかきを、手渡すのももどかしいので、アッシュさんの口にねじ込んだ。アッシュさんは大切そうに、おかきをゆっくり噛みしめる。

「あの、今回はおかきです。美味しいですか?」

「……ああ」

「今二個目出しますから、待っててくださいね。ああ、もう、開かない」

「――助かった」

「え?」

 あまりに小さな声だったので、KY発言とは分かりつつ、問い返した。助かった、とアッシュさんは、先ほどよりしっかりした発音で言った。

「何言ってるんですか。あれもこれも、アッシュさんがやったんでしょ。私は逃げ回ってただけです。はい、二個目」

「お前がいなければ、お互い死んでいた」

「はいはい。ありがとうございます。だから食べてください」

 二個目を手渡そうとして、返事がないことに気付いた。

 気づけばアッシュさんは、私によりかかって目を伏せていた。いや、目を閉じているのか。肩を揺さぶるが反応がない。まさか本当に死んじゃった? と一瞬どきりとしたが、よく見ると肩がかすかに上下している。寝ているのか、意識を手放したのかは分からないけど、少なくとも命はあるようだ。

 とはいえ私ではどうすることもできないので、ただ、巫女様が手配してくださっただろう助けを待った。

 待つ間、ちょっと考える。

 化け物たちは揃いも揃って、私を「異国のおぼこ娘」と呼ぶ。最初は手厚いセクハラを受けたのではと思っていたのだが、もしかして、結構重要な発言だったのかもしれない。

 何より、私がこの世界に来たことには、何か意味があるはずだ。

 それは、ただ「五十万円の飴を食べて死んだから」なんていう情けない理由であるはずがない。

 鍵はもしかして、その飴にあるのかもしれない。

「私の方でも、調べてみなきゃな」

 生来私は調べものが苦手だ。下手すると勉強より下手くそだ。自由研究なんか反吐が出るほど嫌いだ。

 でも、分からないことを分からないままにするのは、とても気持ちが悪い。

 手持ち無沙汰におかきをつまみながら、私は腹を決めた。

 ――巫女様を頼ろう。思いっきり頼ろう。


 肝心の助けが来るまで、それから三十分かかった。

 正直、めっちゃ寒かった。

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