第7話 渡る世間は竜ばかり

 まあ、夕食にはちょっとばかり早いが、お腹が減っては戦もできぬ。というわけで、私たちは早めの晩ご飯としけこむことにした。異世界のまともな食事を摂るのは私も初めてだったので、ちょっとウキウキしている。今にも死にそうなアッシュさんには悪いんだけどね。

 ちなみにメニューは私が選んだ。魚を煮込んで餡をかけた鍋料理と、穀物のポタージュ、そして極め付きはこの焼きたてパンだ。ふふ、栄養面と美味しさを追求した、我ながら完璧なチョイスだ。というわけで、いただきます。

「にしても、喧嘩も戦いの範疇なんですね。ていうか、そもそも喧嘩にもなっていませんでしたけど」

「暴力を振ったかどうかが問題なんだろうな」

 言ってアッシュさんは、美味そうに魚を頬張った。相変わらずこの人は美味しそうに食べるなあ。そんなにお腹が空いていた、と言えばそれまでなんだけど、それを抜きにしても、本当にいい顔をしている。ま、元がいい顔だからね。

 私もパンをスープに浸しながら、これからのことを真面目に考えた。このままでは竜を退治する、どころか、街を出ることさえ困難なのではなかろうか。暴力が判定のポイントだとすると、このままでは、うっかり誰かの足を踏んづけたり、肩がぶつかったりしただけでも範疇になりそうだ。

 と聞いてみると、アッシュさんも顔を曇らせた。

「そのことを含めて、再度巫女様のお話を伺う必要がありそうだな」

「そういえば、『名称の呪』については詳しく教えてくださったけど、『飢餓の呪』については、あまり教えてくださりませんでしたね」

「そのことだが」

 スープの残りを匙で一口すすると、アッシュさんはようやく一息ついた。彼の鍋もパン皿も空だ。ううむ、食べるの早いなあ。

「巫女様のお話を伺って、俺なりに仮説を立ててみた」

「と、言いますと?」

「八竜の話は覚えているか?」

「あの、病の竜、老いの竜、っていう話ですよね」

「そうだ。その八竜が、それぞれ八つの死因を表しているのも分かるな?」

「えっと、病死、老衰、餓死、あとは……」

「焼死、溺死、凍死、窒息死、失血死だ。俺はそのうち、飢餓の竜に呪をかけられた」

 と、アッシュさんは己の右手の甲を撫でた。そこには鎖と、稲穂の烙印が押されている。

「俺が思うに、その八竜はそれぞれ、己の司る死因の呪を持っている」

「え。でも、それは『竜狩り』なら誰でも知っているんじゃないですか? だって、例の竜はたくさんいるんでしょ?」

「竜は人に呪をかけたりはしない、と考えられている。恐怖政治をする独裁者が国民を無差別に、それも自ら剣で斬り殺すと思うか?」

「うーん。それは分かりません」

「……竜が与えるのは混乱と恐怖だけだ。わざわざ呪をかけずとも、存在しているだけで人々を威圧できるからな。それに竜にとって人間は食料だ。目的は支配ではなく捕食だ」

「なんですかそれ、怖っ!」

「竜の使命は己の与しやすい人間を育て、捕食すること。無為にいたぶることはあっても、妙な方法で殺しはしない。幸い、竜はほとんど食事をしなくても生きていられる」

「じゃあ、何で人間を食べるんですか?」

「やつらにとって、俺たちは嗜好品だ」

 俺たちが菓子を食うように、とアッシュさんは付け加えた。

 そう言われると納得するしかないが、なんだか腑に落ちない。それじゃあ竜は、いたずらに人を怖がらせて、怯える人間を見て楽しんで、気まぐれで美味しくいただいているようじゃないか。

「ん? じゃあ、わざわざ呪わなくても、普通に殺せるから、呪いは使わない。だから、今まで竜は呪いを使うとは考えられなかった。――って、ことですか?」

「ああ。少なくとも俺はそんな話を聞いたことがない。そう巫女様もおっしゃっていただろう」

 そう言われると、確かにそんな記憶がある。だからやつがれも調べてみるよ、みたいなこと言ってたっけ。

「俺が分からないのは、なぜ今回に限って呪を使ってきたか、だ。気まぐれに使ったと言われればそれまでだが、そうせざるを得なかった理由があるとしたら」

「今後も何かの拍子に呪いを使ってくるかもしれない?」

「今回は幸い死ぬような呪ではなかったが、今後どうなるか分からないからな」

 とアッシュさんは自嘲気味に笑うが、今のこの状況も決して笑えるようなものではない。何度でも言うが、戦うたびにコンディションを大きく崩すのは、アッシュさんにとって命とりなのだ。

 さてどうしたものか、と思考が袋小路に入りかけた、そのとき。

「失礼。『竜狩り』殿」

 突然声をかけられ、私たちは弾かれたようにそちらを向いた。

 ――また変な人だ。

 巫女様みたいに大きなローブをすっぽりかぶった、たぶん、女の子だ。しかも巫女様より小さい。まだ十歳かそこらの子供だろう。その少女が、威厳たっぷりにこう言った。

「巫女様がお呼びです。至急参上するように」

 アッシュさんの頬がかすかに強張る。

 私も緊張した。巫女様が何かを掴んだのだ。

 それが解決の糸口になればいいが。


 巫女様のお部屋に駆け込むと、先ほどとは一転して、巫女様も慌てたように駆け寄ってきた。

「良かった。二人とも、達者にしているな」

「何があったのです、巫女様」

「とりあえず坐せ。話はそれからだ」

 言われるままその場に膝をつくと、先ほどとは違い、巫女様も小さなお尻を床についた。

 巫女様は汗の浮いた額をひと撫でし、申し訳なさそうに目を伏せた。

「貴殿には酷な話かもしれないが、落ち着いて聞くといい」

「は。何なりと」

「竜がこの街に接近している」

「竜が――」

 アッシュさんの目が見開かれる。つい私も拳を握った。

「どの、竜でしょうか」

「炎と氷だ。二体とも南西から急接近している」

「二体、ですか」

「連戦が予想される。……貴殿にとって、辛い戦いにはなるだろう」

 と言って、巫女様はちらりと私を見た。

 そうか。問題なのは、アッシュさんのコンディションだけではない。今のアッシュさんには、私というお荷物もいる。

 本当なら私は遠くの方で戦いを見守るだけでいいものを、『名称の呪』のせいでそういうわけにもいかない。何せ、お互い離れたら死ぬのだ。それに私が死んだら、やはり『名称の呪』のせいでアッシュさんも死ぬ。

 ということは、アッシュさんは私を庇いながら、二体の竜を相手しなければならなくなるわけだ。

 巫女様は従者の子に地図を持ってこさせると、私たちの前に広げた。使い古された地図の左下のあたりに、赤いインクでマル印がついている。巫女様は小さな指でそこを示した。

「可能ならばこのあたりで戦闘に持っていっていただきたい。市街地に近いと、いたずらに市民を惑わすことになる。ボンゴ車はやつがれが手配する」

「承知いたしました」

「わ、私も分かりました」

「苦しい戦いになる。心してかかれ」

「御意」

「貴女も」

 不意に巫女様が、今度は真正面から私の目を見た。

「『竜狩り』を支えられるのは貴女しかいない。こやつを死なせるな。そして、達者な顔をまた見せておくれ」

「ぎょ、ぎょい」

 私の返事は拙いものだったが、それでも巫女様は安心してくださった。ふ、と小さく笑うと、きびきびした動作で立ち上がった。私たちも腰を上げる。巫女様の目は、すでに扉の方を向いていた。

「生きて会おう」

 巫女様の言葉に、私たちはうなずいた。

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