第4話 順当に呪われた

 この旅で分かったことを書き出してみる。


・まずスマホを筆頭に、電子機器は軒並み死んでいる。このままじゃログボがもらえない。

・この森にはたくさんの果物と動物で溢れているので、食うに困らない。→アッシュさんはあえてこの森をルートに入れた。賢い。

・この森にはおっかない化け物は少ない。少なくとも私は遭遇していない。

・この世界はとにかく天気が悪い。道中ずっと曇りか雨だった。

・この世界にはほとんど保存食というものがないようだ。→天気がずっと悪いので、燻したり干したりが出来ないから?

・この世界の果物はあまり日持ちしない。収穫してから二日でダメになる。→その分美味しい。儚いものだ。

・この世界には日持ちのするお菓子がない。すべての食品が無添加みたい。オーガニックっていいよね。

・この世界の人々には名前がない。アッシュさんが特別ではないみたい。

・アッシュさんはそんなに小食ではない。たぶん普通の男の人と同じくらい。

・アッシュさんが極度の空腹に襲われるのはあれきり一度もない。何か条件があるのかな?

・手の甲の鎖印は、今のところ何もない。本当に何だろう、これ。

・私にチート能力はない。無念。

・この世界では、私の常識は通用しない。重要!


「ほえー、これが異世界の街」

 思っていた以上に大きい街を目の当たりにして、ついこんな感想が漏れる。

 街並みはヨーロッパ風であるが、ところどころアジアンテイストが混ざっているようにも見える。和洋折衷? でも中華風にも見えるので、どちらかと言えば和洋折中? 私が見てきたどんな街並みとも似ても似つかない、不思議な景色だ。

 人々の服装も不思議だ。まるでゲームの世界に飛び込んだみたい。アッシュさんみたいに剣を提げている人もいれば、こんなに涼しいのにもろ肌を脱いでいる人もいる。かと思えば真冬の北海道よろしく重装備な人もいたりして、季節感が分からない。そして土砂降りの雨なのに、誰も傘も雨合羽も使っていない。アッシュさんも雨具を持っていないようで、雨具は一般に普及していないのだろうか。

 と、よく見るとアッシュさんの服は撥水加工がされているようで、あまり濡れていない。私ばかりびしょぬれで悔しい。くそう、傘をカバンに入れておくんだった。

「俺は巫女様に報告に行くが、お前はどうする?」

「はい! 私も巫女様に会ってみたい!」

 うふふ、巫女様だって。この世界にも巫女さんがいるのだ。思えば私、本物の巫女さんに会ったことがない。巫女服だって、正月の神社でアルバイトのお友達が着ていたくらいしか知らない。ああ、ナマの巫女さん、楽しみだなあ。わくわくしながらアッシュさんについて行く。

「巫女様って、やっぱりアレですか? 神社とかで神主さんのお手伝いとかしてる?」

「ジンジャ? カンヌシ?」

 あ、違うっぽい。

「じゃあ、巫女様ってどんな人なんですか? やっぱり偉いんですか?」

「偉いといえば、そうだな。この街でもっとも権力を持つの者を指す言葉だ」

 へえ、要するに地主さんみたいなものかな。だからアッシュさんも、わざわざ巫女様に逐一報告しなければならないわけか。どんな人だろう。「巫女様」って言うくらいだから女の人だよね。うーん……脳裏にイタコさんがちらつく。トランス状態じゃないといいなあ。

 アッシュさんは地下道に出て、小さな地下街を突っ切った。へえ、地下は商店街みたいになっているのか。まるで駅の地下街のようだ。しかし売っているものは武器だったり変な薬だったり、正直とても怪しい。

 地下街のどん詰まり、一番湿っぽくて暗くてヤバそうな部屋に、私たちは入る。

 途端、部屋じゅうのろうそくに火が灯る。

 何十本というろうそくが一度に点火される様子も不気味だが、その奥に坐する人もまた、不気味だった。

 黒いローブに身を包み(巫女服ではなかった。残念)、フードを目深にかぶっていて、年齢はおろか、性別すら分からない。しかし何より異様なのはその存在感だ。オーラとかマナとか、そういうのは眉唾だと思っている私だが、この人の威圧感は本物だった。こりゃあアッシュさんが「巫女様」と敬う気持ちも分かる。

 アッシュさんが巫女様の前でかしずいたので、私も真似て膝をついた。

「巫女様。帰還いたしました」

「ご苦労であった」

 巫女様の声は意外と若く可愛らしい。もしかして小さな女の子なのだろうか。顔を見てみたい気もするが、私はそこまで空気の読めない女ではない。

「ご報告いたします。飢餓の竜に深手を負わせることには成功したものの、無念ながら、取り逃しました」

「『竜狩り』の貴殿が取り逃すとはな」

「申し訳ありません」

 アッシュさんが一層深くこうべを垂れる。いけない。このままではアッシュさんが悪者にされてしまう。弁明できるのは私しかいない。

「あの、アッシュさんは悪くないんです。私が変なことをしたから、代わりにアッシュさんが、何か、変な術にかかってしまって」

「アッシュ、だと?」

 ここで初めて、巫女様が顔を上げた。

 ぱさ、とフードがわずかにずれる。真っ黒のフードに縁どられたその顔は、美少女そのものだった。

 しかし精巧な人形のように整った顔立ちに表情はなく、本物のビスクドールのようだ。金色に輝く目で射抜かれ、私は言葉が出てこなくなった。

「貴女は、何者だ」

「巫女様、彼女は――」

「K女学園大学付属高校二年B組、出席番号二十番、常葉紗衣と申します」

 ふ、ふ。勢いにまかせて明かしてしまいました、私の詳細プロフィール。ついでにツイッターとインスタのハンドルネームもあるのだが、そこまで言うのはちょっと恥ずかしい。

 巫女様はまじまじと私を見て、金色の目をわずかに伏せた。

「貴女、名称があるのか」

「名称? 名前なら、あります」

「ナマエ、か」

 ふう、と巫女様は気だるげに息をつくと、ゆったりした動作で立ち上がった。うわ、思っていたよりちっちゃい。私の口元くらいまでしかない。巫女様はゆっくりと私に近づき――って、近い近い。すぐ下に蝋人形のような美貌があり、全身が緊張で強張った。

「貴女、『竜狩り』にシュをかけたな」

「しゅ? 種、酒、首?」

 一体どの漢字を当てるべきなのだろうか、と考える間もない。巫女様は私の右手を握ると、例の焼印をそっと撫でた。ひゃあ、手が冷やっこい。

 次に巫女様はアッシュさんの右手も手に取った。

「まさかやつがれ以外に、『名称の呪』を知る者がいたとはな」

「メーショーのシュ、ですか?」

「知らぬか」

 巫女様に問われ、私はぶんぶん首を縦に振った。そんな不穏な単語、模範的な女学生である私が知るわけがない。

 私とアッシュさん、二人のハテナ顔を前に、巫女様は恐れ多くも答えてくださった。

「貴女、この世でもっとも原始的な呪術が何か、分かり申すか」

「恨みつらみのわら人形ですか?」

「……」あら、黙っちゃった。違ったようだ。「世界に初めて誕生した呪術は、『名称の呪』――すなわち、名前だ」

「えっ。名前が、呪いなんですか?」

「『名称の呪』は人類が初めて手にした呪術。名称はその物体を縛り、網羅し、掌握する。分かるか?」

 正直さっぱり分からない。その説明、女子高生には難しすぎない?

 私の馬鹿加減が伝わってくれたのか、巫女様は「例えば」とろうそくを手にした。

「この名称は、分かるか?」

「ろうそく、ですか?」

「そうだ。しかし、その名称がなかったら、この存在をどう説明する?」

「ろうそくが、ろうそくじゃない? うーん、なんだろう? つるつるした白いもの?」

「『竜狩り』よ」

「……」アッシュさんもしばし考える。「火を灯す道具、でしょうか」

「しかし、つるつるした白い物体も、火を灯す道具も、このろうそくの存在絶対条件ではない。代用物ならいくらでもあるだろう」

 まあ、そうだよね。白くてつるつるしていると言えばお豆腐だってそうだし、火を点けるならチャッカマンでもいいわけだし。

「この物体は、『ろうそく』という名称があるがゆえ、唯一性を確立しているともいえよう。しかしそれゆえに、この物体は『ろうそく』である必要性を強制される。それが、物体の拘束、網羅、掌握へつながる」

「すなわち名称があることで、『ろうそく』としてのアイデンティティが確立されてしまう、ということでしょうか」

「そうだ」

 おお、なるほど。さすがはアッシュさん。頭の回転が速い。

 巫女様はろうそくを戻し、再びアッシュさんの手を取った。

「貴女。同じように、この男の説明はできるか」

「アッシュさん?」

「そうだ。しかし、その名がなかったら?」

「うーん。確か、『竜狩り』って呼ばれてるんですよね」

「『竜狩り』は彼に課せられた役割であり、彼のみを指す言葉ではない。歴史を見れば、『竜狩り』と呼ばれた存在は星の数ほど存在する」

「あ、そうなんですか。じゃあ、えっと、男の人で、イケメンで、剣士で、それから」

「それらすべても、唯一性を示すものではなかろう」

 本当だ。ろうそくのときと同じで、どれもアッシュさんの個人を特定する情報じゃないんだ。

「本来であれば『竜狩り』としての存在でしかなかったこの男に、貴女が唯一性を与えたのだ。すなわち――分かるな?」

「はい。なんとなく……」

「貴女がこの男を縛り、網羅し、掌握した。これが『名称の呪』だ」

 うーん、分かるような、分からないような。

「この呪術はその威力と危険性から、古来よりあえて封じられていた。それこそ代々より巫女として仕るやつがれの一族以外には、固く禁じられている」

「だから、この世界の人って名前がないんですね」

「そうだ」

「しかし」アッシュさんが口を挟む。「なにゆえ、そこまで厳重に禁じられていたのですか。その威力とは何なのですか」

「『名称の呪』は、課した者と課せられた者の間に強固な主従関係を結ぶ呪術だ」

 主従関係、ですって。私の脳裏に、わがまま主人と甘々執事の絵が浮かぶ。なんだか漫画とかでよく見るやつだ。うん、漫画の読みすぎだ。

「名づけを行うことで、その二人は契約関係になる。その関係は絶対だ。主たる人物が死ねば、従の人物が死ぬほどに」

「つまり」

 私とアッシュさんが声を重ねて驚いた。しかしアッシュさんより私のがびっくりしている自信がある。

「私が死んだら」

「俺が、死ぬというわけですか?」

「左様。他に、距離を取り過ぎれば互いに死ぬ。主の者は、他に従を作れば死ぬ」

 なんだと。デメリットしかないじゃないか。しかも全部死ぬんじゃん。

 私の渋面極まる顔面を目の当たりにしても、巫女様のクールな表情はぴくりとも動かなかった。

「もちろん『名称の呪』をかけることで、良い面もある。主がいることで従は力を増す。有り体に申せば、強くなれる」

「本当に有り体に言った!」

 まあ、それは確かにメリットだ。アッシュさんがもっと強くなれれば、剣士として願ってもないことだろう。下手したら死ぬけど。ん? そう考えると、やっぱりデメリットが強すぎやしないか?

「でも、アッシュさん、あの変な化け物にも何か変な魔法かけられたじゃないですか。あれも、主従関係になるんですか? それも死ぬんですか? アッシュさん、踏んだり蹴ったりじゃないですか?」

「『飢餓の呪』か」

 アッシュさんの手の甲、今度は稲穂の烙印を撫で、む、と巫女様が苦い顔をした。

「これはまた厄介な呪術だな。いや、不完全なのが不幸中の幸いか」

「それは、どのような呪術なのですか?」

「安心しろ。この状態では死ぬことはあるまい。ある条件を引き金にし、猛烈な飢餓感に襲われるだけだ」

 やっぱり厄介じゃないか! ていうかそれ、死ぬより辛いのでは?

 ちなみに、この呪いが完全なものだったら、一体どうなってしまうのだろうか。何かのきっかけで餓死するとか? うわあ、えげつない。そんな怖い呪術をかけようとしたのだから、あの化け物、極悪すぎる。

 見ればアッシュさんも苦い顔をして、手の甲を恨めし気ににらんでいる。

「その、条件というのは、何なのですか?」

「やつがれも仔細は分からぬが、おそらく――」

 巫女様はちょっと考えた。

「――『戦う』ことではなかろうか」

「剣士として致命的じゃないですかー!」

 しまった。思わず突っ込んでしまった。

 しかし巫女様は取り付く島もなく、なに、と首を横に振った。

「食物を食せばすぐ治まるものだ。まあ、食物があればの話だが」

「そっか。この世界には保存食がない……」

「ちなみに、食さなければ、俺はどうなるのでしょうか」

「別に死にやしない。飢えにのたうち回るだけだ」

「だからそれ死ぬよりひどいから!」

 つくづくアッシュさんには申し訳ない。あれもこれも私の不注意が原因だ。うう、自己嫌悪に陥りそう。

 しかし、と今度は巫女様が首を捻った。

「竜が呪を使うとは、やつがれも聞いたことがないが――そのことは、やつがれの方でも調査をしてみよう。貴殿はしばし休息されよ」

「御意」

「それと」

 と、巫女様がこちらを向いた。

「貴女も、無茶だけはせぬように」

「了解であります」

 安心しなされ。私はお友達の中でも慎重派として名高いのだ。

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