第15話

 路は金色の回廊だった。入った瞬間に目の前が金色一色になってしまった。どこを歩いているのかも良く分からない。地面の上を歩いている気もしたし、空中を進んでいるような気もした。とにかく意味の分からない不思議空間だった。俺と古津鹿と九条はその回廊をしばらく進んだ。しかし、空間と空間を繋いでいるという割に路はすぐに終わった。ものの数分だ。もっと果てしなく歩くのかとも思っていたが終わりはあっさりしたものだった。

「ここが《裏側》ですか」

 そこは見渡す限りの黄金の風景だった。路は空間そのものが金色だったがここはそれとは違う。金色の草原のようなものが見果てぬ先まで続いていた。空も金色だった。雲も、沈みかけの太陽も金色だった。なにからなにまでが黄金の夕暮れの草原、それが《裏側》の景色だった。

「《青い月》が....」

 そして、その空にぽつんと青い月が浮いていた。現世で見るのよりも青みが濃い。あっちの青い月は幻影だという。なら、これが正真正銘本物の青い月なのだ。どこか魅惑的で不気味だった。

「管里はどこに居るのかしらね」

 そんな風に異界の景色にしばし目を奪われていた俺と九条を余所に古津鹿はすでに臨戦態勢だった。さすがだ。俺たちも景色を眺めている場合ではない。管里を倒すためにここに来たのだ。

 俺たちはジロリと辺りを見回す。草原は丘陵になっているがなだらかで、かなり向こうまで見渡すことが出来る。路の出口がここである以上管里もそう遠くへは行っていないような気がするが。

「あれはなんでしょうか」

 九条が言った先を見る。そこには明らかに草原の中には異質なものがあった。明らかに何らかの建造物だった。そして、目を凝らすとそこに人影があった。

「管里だわ」

 古津鹿は言う。

 俺たちは駆ける。管里を目指して。



「ふむ、まさか来るとはな」

 俺たちを見るなり管里は言った。管里は立っていた。椅子の前、テーブルの前に。そこに腰掛けた男の前に。

 それは公園によくある休憩所に似ていた。木製の屋根付きの休憩所。これも木製のそこそこの大きさのテーブルに木製の椅子。遠足の時に座って弁当でも食べるようなそんな場所。それがこの《裏側》に立っているのだ。そして、その椅子に人間の男が腰掛けていた。その男は目を瞑っていた。そして、椅子に深くかけて動かなかった。

 俺たちはその光景の意味が分からなかった。異常だった。予想外だった。俺は呆気にとられていたがしかし古津鹿は冷静さを欠いてはいなかった。臨戦態勢で白い刀を構えている。

「小佐野を倒したか。いや、懐柔したか。想定内ではあるが、可能性は低いと思っていたがな」

 管里はそんな俺たちを気にもかけず独りでしゃべっていた。

 たまらず、九条が口を開いた。

「管里。ここはなんだ。その男は誰だ」

 九条の言葉に管里はゆっくりと深く息を吐き出した。面倒そうに。

「この男は不確定存在だ。そして、ここはこの男の庵だ」

「......なにを言っている」

 九条はさっぱり理解出来ていないようだった。それは俺も古津鹿も同じだった。だって、そこに座っているのは明らかに人間だった。それが《不確定存在》? カミサマと称される超常存在だと言うのか。

 分からなかった。唖然とした。だが、目の前に居るのは管里誠一郎だ。固まっている場合では無い。俺は頭を動かす、体中に意識を向ける。飲まれてはダメだ。冷静さを失ってはダメだ。目の前の男から目を逸らしてはダメだ。

 そして、管里は続けた。

「初めに異界があった。そして、150年前そこに一人の人間が偶然迷い込んだ。その男は跳流に当てられ人で無くなった。そいつが最初の神になった」

 管里は椅子に腰掛ける男に目を移した。冷たく陰険な感情の浮かんでいない目を。

「そいつが現世と裏側をつなぎ止めた。そいつが青い月を現した。そいつが全ての始まりだった。そいつが跳流を現世に流し、デブリを生まれるようにした。そういう話だ。それがこの世界の真相だ」

 管里はあっさりと言った。俺はすぐには飲み込めない。それは、二人も同じのようだった。

「つまり、不確定存在は人間だと言うのか」

「その通りだ。初めの一人は完全な偶然だったが、その後の人間は望んでここに来たものたちだ。つまり、俺の同類だ」

「なら跳流は、デブリは、この異界に関わる全ては人間の手で起こされていたというのか」

「異界そのものは人間によるものでは無いが、そこから生まれるモノのおおよそは人為的なものだ。もっとも、不確定存在になった人間にどれだけ意思があったのかは疑わしいがな。この男もさきほどまでは人の姿では無かった。強大な跳流の塊だった。それを俺が人の形に戻した」

「なんて話だ」

 九条は言い捨てた。つまり150年前から繰り広げられてきた騒動は、起きてきた事件は、傷ついてきた人々は全て超自然現象の被害者では無く人の意思による被害者だというのか。ぶっ飛びすぎていて俺にはにわかには信じがたかった。それは九条も古津鹿も同じなようだった。明らかに表情に疑問と困惑が浮かんでいる。専門家の二人でもこうなら俺には到底分かるはずも無いのだろう。

「信じられんのも無理は無い。一般的な知識と照らし合わせてもまともとはとても言えない真実だからな」

「なら私たちは、私たちの先達たちはなんのために戦ったと言うんだ。人間にはどうにもならない災害と戦っているつもりだったのに。結局、人間の起こした人災を人間が処理していただけだというのか。とんだ茶番じゃないか」

「そこに関しては私が関知するところではない。お前たちが勝手に戦っていただけだ」

「くそ.....」

 九条は苦虫をかみつぶしたような表情だった。実際のところひどい話だ。駆除屋や、それに類する職業の人々がこれまで味わった困難や苦痛、時には死さえの意味合いが変わってきてしまう。異界やデブリは手に負えない天災ではなく、人が生み出した人災だったというならば。

「それで、あんたはこれから神様になるってわけ」

 古津鹿が言った。古津鹿は今の話に驚愕しながらも、しかし冷静さは失ってはいなかった。

「気丈だな。今の話を聞いてその落ち着きようとは」

「ショックよ。でも、だからって今からすることに変わりは無い。あんたがしたことも変わりは無い。私はあんたを倒して刑務所にぶち込む」

「なるほどな」

 管里は関心したように古津鹿を見ていた。いや、そう見えただけだろう。この男はおよそ他人に興味なぞ持ちはしないのだから。

 そして、管里は言う。

「俺は人に戻ったこいつと契約を交わした。次の不確定存在になる契約を。そして、こいつはもうすぐ事切れる。あとは俺が神に成るだけだ」

 彼が元不確定存在、神様らしい。そして、今からその代替わりが行われるということなのだ。

「その人があの小佐野っていう娘と繋がってたカミサマなのね」

「その通りだ」

 つまり、あの男が死ねば小佐野も死ぬということだ。

「そう、なら止めさせてもらうわ」

 古津鹿はその切っ先を管里に向けた。

「準備良いわね九条」

「ええ、いつまでもうなだれてる場合では無いですからね」

 九条も懐から札を取り出した。

 俺も右手に意識を向けた。小佐野の話ならそうすることで宿っているデブリが形を成すはずだ。

 俺たちは完全に戦闘態勢になった。

 管里はそれをつまらなそうに見ていた。

「勝てると思うのか?」

「もちろんそのつもりだけど。だってあんたはまだ神様に成る途中なんでしょう。なら、今しかチャンスは無い」

「なるほど。確かに俺は神に成る権利を受け継いだだけだ。実際にはまだ半分人間だ」

 管里はすっと右手を上げた。

「だが、お前たちを殺すにはそれだけで十分過ぎる」

 その時だった。

 見渡す限りの黄金の草原。そこに、無数のセピア色の光の渦が発生したのだ。本当に無数だった。それらは見渡す限り、丘陵の彼方まで発生していた。

 それがなんなのかは明白だった。

 それらは形を取る。それぞれが別々のものに。動物に、無機物に、自然現象に。全てデブリだった。この黄金の風景は一瞬でデブリに埋め尽くされたのだ。

 これが、不確定存在に成ろうとしているものの力か。能力のケタが違う。

「さぁ、始めるとしよう」

 管里はその右手を俺たちへと向けた。

 同時に、全てのデブリが俺たちに向かって突撃してきた。

 咆吼と振動、それらが怒濤の勢いで俺たちに殺到する。

「羅漢の円」

 九条はすかさず術を発動した。いくつもの光の円が銀河のように辺りを埋め尽くす。九条の術の効力を上げる術。

「じゃあ、行くわよ!」

 そして、古津鹿も言った。怪物たちをにらみ、そして刀を振るった。デブリの首が跳ね飛ぶ、跳ね飛ぶ、次々跳ね飛ぶ。古津鹿は本気だ。

 というか、これはまずい。俺は調子に乗って付いてきたがどう考えても事態は俺の予想を超えている。生き残ることだけは前提にしていたはずだがそれももはや崩れさった。

 つまり戦うしか無いということだ。生き残るために、管里を倒すために、戦うしか無いのだ。

 俺は右手に力を込めた。淡く右手が光った。見れば、また俺の右手には不可解な幾何学模様が浮かび上がっていた。

 そして、目の前にセピア色の渦。それはどんどん膨らんでいった。どんどんどんどんどんどん膨らんでいった。

「お、おお」

 それはビルのように大きくなった。古津鹿も九条も一瞬目を奪われていた。管里もいぶかしげにそれを見上げていた。

 そして、その中から現れたのは大きなまんじゅうだった。いや、まんじゅうのように見えただけだ。それは巨大な鳥だった。羽毛を膨らましてモコモコの丸い体になっている巨大な小鳥だったのだ。

 そして、俺はその巨大な小鳥の頭の上に乗っていた。

「なんじゃこりゃあ」

 俺は思わず言った。これが小佐野が俺に宿らせた強いデブリなのか。ものすごいキュートなデザインだがこれが強いというのか。まぁ、単純に大きいのでそれだけで戦力としては十分に思えるが。

 そして、巨大な小鳥は動いた。俺は落とされないようにその頭の羽毛にしがみつく。小鳥は羽を広げた。それも巨大だ。金色の景色が小鳥の体で遮られる。

 小鳥は一声、クェエ! と鳴いた。

 すると、辺り一帯に異変が起きた。柱だ。青い光の柱が見渡す限りに発生したのである。 超広範囲攻撃だ。デブリたちが吹き飛んでいった。

「これはすごい」

 九条が関心したように声を漏らした。

 確かにすごい。この小鳥、かわいい見た目に反してかなり強い。この大きさにこの攻撃。小佐野が言ったことは伊達では無い。この小鳥の頭の上に乗っていれば俺の危険も少ないだろうし。それは同時に古津鹿たちの足手まといにもならずに済むということだ。とにかく、俺はここから協力するのが最も最適な動きであるようだ。

 鳥はまたクエェエ! と雄々しい雄叫びを上げた。また光の柱が発生しデブリたちが吹き飛ぶ。

「小佐野か」

 管里が言う。ただ一言だった。小鳥の頭の上からでも良く分かった。小佐野が状況判断のために付与した能力なのか。俺はその声に混じった不快感を聞き逃さなかった。この状況は明らかに管里にとっても想定外だったようだ。

「だが、大勢に影響は無い」

 そして、管里は足下からデブリを出現させた。大きなムカデのデブリ。管里はそれの頭に乗り、古津鹿たちから離れた。そして、その後ろからデブリの群れが殺到した。

 小鳥が再び雄叫びを上げる。

 光の柱が発生し、デブリたちを吹き飛ばす。それを合図に古津鹿と九条は管里に向かって走った。

「せいっ!」

 古津鹿は次々とデブリを切り裂いていく。九条がそれを術でフォローする。

 小鳥が鳴き、また光の柱がデブリを吹き飛ばす。

 俺たちはこの状況下に対応していた。見渡す限りのデブリの群れ。それはまるで戦国時代の合戦かなにかのようだ。濁流のようにすさまじい勢いでそれらが古津鹿たちに襲いかかる。俺がそれを援護する。

「やっぱり、調子が良い」

「ええ、これだけ跳流に満ちていれば術は撃ち放題です」

 ここは裏側、現世に流れ込む潮流の大本だ。ここに満ちる跳流は現世の比では無い。管里は圧倒的な力を示しているが、古津鹿たちの跳流術もこの上無く冴え渡っていた。古津鹿の動きはいつもの何倍も早い。瞬く間にすさまじい連撃を放ち、デブリたちを両断する。九条の術も何十もの色の帯となってデブリたちの動きを止め、霧散させていた。

 しかし、それでもだった。今は保っている。だが、倒しても倒してもデブリの量は一向に減らない。当たり前だ。管里は無尽蔵にデブリを生み出し続けているのだから。ここは管里が完全に支配した世界だ。このままでは人間の古津鹿たちはいつか限界が訪れ敗北してしまう。

「くっ」

 俺の意思に応じて小鳥が叫ぶ。そして、九条のところに直接光柱を発生させた。直接攻撃だ。だが、

「くそ!」

 あのムカデは特別製らしい。バリアらしきもので光を跳ね返してしまった。

 代わりに俺は周りのデブリたちを吹き飛ばす。古津鹿たちがその隙間を通って進んでいく。 早く決着を付けたかった。このままでは負けるのでは無いか。そういった思いが俺の頭を過る。

「はっ!!!」

 古津鹿が一度に十数体のデブリの首を跳ね飛ばした。しかし古津鹿動きに、声には欠片の絶望感も有りはしなかった。それどころか古津鹿の動きはどんどん早くなっていく。暴風のように動きデブリたちを吹き飛ばしていく。九条が付いていくのがやっとになっている。古津鹿はまったく諦めていない。

 ただ、前に向かっていく。ただただ、進み続けている。管里に向かってひたすらに。

「気丈なものだ。この状況でまったく動きに鈍りがない」

 管里は言った。賞賛などではない、嘲笑ですらない。ただ、見たモノからなんとなく思った感想を口にしただけ。

「ぜんっぜん負ける気しないもの!!!」

 古津鹿の刃がデブリをなぎ払い道が開く。そこにすぐデブリが新たに流れ込む。それをまた古津鹿は斬る。そこを進んでいく。

「お前たちに勝利は無い。ここは俺の世界になりつつある。ここは俺の領地で無尽蔵にデブリも生まれる。どれだけ頑張ろうともお前たちはやがて力尽きる」

 管里はすっと腕を上げた。すると、地鳴りが響いた。地面が、いや世界が揺れている。

 管里の後ろの地面が割れた。そこから何かが這い出してきた。それは、それは形容しようのないものだった。巨大なタコのようでもあったが、木のようにも見えた。おびただしい量の触手を生やし、大きな8つの目が胴体らしきところに存在していた。そして、とにかく大きかった。俺の小鳥のデブリの何倍もある。ちょっとした街一つと同じくらい大きい。

 そして、それが現れた瞬間に辺りの跳流の量が跳ね上がったのを感じた。右手にまたデブリが宿ったから感じ取れたのか。これが跳流を生み出しているというのか。

 俺は素直に恐ろしかった。見たことの無いものだった。怪物、そう呼ぶしか無かった。

 これもデブリなのか。

「お前オリジナルのデブリか。まさしくお前の狂った精神を体現しているようだ」

 九条が忌々しげに言った。

「もう、諦めろ。お前たちは死ぬしか無い」

 管里はムカデの上から古津鹿たちを見下ろしていた。

 管里の余裕は当たり前だった。なんだあの大きさは。あの触手のひとつでも振るわれれば辺り一帯がなぎ払われる。全てが降り注いだならここの地形がまるごと変わってしまうだろう。なんてことだ。このままでは終わってしまう。

 すると、俺の下。小鳥のデブリの頭が、俺の足下が淡く光り始めた。

「なんだ!?」

 俺は言う。すると、俺の足下がぐにゃりと歪んだのだ。これは、デブリが度々見せたワープの時と同じだ。

「三好さん。恐らくそれはあなたを現世に戻すための能力です。小佐野さんはあなたに命の危機が訪れた時自動的に発動するようにその能力を入れたのでしょう。良かった。確かにあなたの身の安全は確保されていたようだ」

 九条はそう言う。強制脱出装置のようなものだということか。つまり、この小鳥のデブリもこれが絶体絶命だと判断したということだ。このまま、俺は現世に帰れるのか。古津鹿と九条を置き去りにして。それは嫌だ。二人を見殺しにして明日からどんな顔をして生きていけというのか。しかし、このままでは俺が死ぬも間違いないように思われた。

 デブリたちの動きが止まった。管里が止めたのか。これから死にゆく人間に最後の時間を与えようとでも言うのか。

「そのデブリももはや終わりだと理解したようだな。お前たちは本当に良くやった。だが、圧倒的に足りなかったのだ。人間では神には勝てん」

 管里の目にはこの状況下でもなんの感情も浮かんでいないように見えた。

「俺はこれから神になる。これでようやく俺は完成する。ようやく望みの場所にたどり着いた。お前たちが消えれば全て終わる。実に、実に満足だ」

 そこで、今まで何の感情も浮かんでいなかった陰険な管里の顔に初めて笑顔が浮かんだのだった。それはひどく歪で不気味な笑顔だった。

 それは勝利を確信した笑顔であり、これから望みが叶うものの笑顔だった。

 しかし、そこに響いたのは静かな笑い声だった。

 それは、古津鹿の声だった。

 管里はいぶかしげに古津鹿を見た。

「なにがおかしい」

 管里には理解しかねるようだった。俺にも理解しかねた。この状況下でなにがそんなにおかしいのか。

「神っていうのは、あの小佐野って娘とあんたのこと?」

「無論だ」

 古津鹿はまた笑う。

「馬鹿馬鹿しくて付き合ってられないわ」

「なんだと?」

「だって、あの子は神様なんかじゃなくて普通の女の子だもの」

 古津鹿は強い声で言っていた。ここからでは表情は見えないが間違いなく迷いの無い目だったと思う。

 小佐野は普通の少女だった。ただ、訳の分からない境遇に翻弄されただけだ。それで、普通の日常に戻りたいだけだ。それは当たり前の願望だ。それに、暗示をかけられている間に話したあいつを思い出しても俺にはありふれた大学生かなにかのようにしか思えない。

 だから、管里の言葉は間違っている。

 古津鹿は続けた。

「そして、あんたは他人を巻き込みながら現実逃避をするこの世の中で一番しょうもない類いのただの人間だわ」

 その言葉に管里は表情を歪めた。少し不機嫌になったようだ。

「お前には理解出来まい。俺の感情など」

「全部は無理ね。でも発端は分かる。あんたのここに来たいって感情は結局、うるさく言う親の居る家から飛び出したいとか、仕事で上手く行かないことがあって嫌になってどこかに逃げ出したいっていうものの延長線上にある。誰もが抱くちょっとした感情。ちょっとした逃避願望。それ自体はそんなに悪いものじゃない。でも、あんたはそれを全てだと思い、そしてその感情のために山ほどの人間の人生を破壊した。本当に愚かだわ」

 古津鹿は刀を鞘に収める。

「あんたは勝利を確信してるみたいだけど大きな間違いよ。あんたは勝てない。私たちはあんたなんかには負けない」

 そして、腰を落として柄を軽く握った。居合いの構えだった。

「あんたは空っぽだ。空っぽの人間に私の刀は砕けない。全力で来い管里誠一郎。一切合切、一刀両断して見せよう」

 古津鹿は圧倒的不利にしか見えないこの状況下で言い放った。俺はもちろん、管里も面食らったようだ。しばし黙って古津鹿を見つめていた。

「困った人間だ。現実が見えないのか」

 管里は手を上げた。地震が起きた。いや、違う。動いたのだ、後ろの怪物が。景色が、金色の空恐ろしい景色が怪物の触手に埋め尽くされていった。周囲を完全に取り囲んだデブリたちも吠え猛っている。今から正真正銘、全てが古津鹿と九条に襲いかかるのだ。

「望み通り全力で応じてやろう。終わりだ古津鹿梓、九条六之助」

 管里は宣告した。

「九条、バックアップお願い」

「承知しました」

 九条は術を展開した。

「虹巴の円」

 二人の頭上に幾重にも重なった美しい虹の円が発生した。なんの役割を果たしているのかは俺には良く分からない。しかし、多分あれが九条の奥義なのだろうと思った。

 これから決着が付くのだ。

 管里の表情は変わらなかった。多分邪魔な小石をどけるのと同じ感覚で二人を殺そうとしている。ムカデの上から二人を見下ろしていた。

 九条はただ立っていた。多分もうあの術を使った時点で役目を終えたのだろう。しかしどこか誇らしげで、それは多分全てを古津鹿に委ねているからだった

 古津鹿は静かだった。ただただ静かだった。まるで、そこにあるのは古津鹿の形をした石かなにかのようだった。

 そして、管里は上げた手を下ろした。

 全てが始まった。

 怒濤の勢いでデブリたちが二人に押し寄せた。

 デブリの能力が雨あられと降り注いだ。

 後ろの怪物の巨大な岩塊のような触手が隙間無く迫ってきた。

 しかし、それを前にしても二人は変わらなかった。

 そして、古津鹿が言った。

「食い放題だ。存分に貪れ、冬凪」

 その瞬間だった。流れが起きた。まるで、流砂かなにか、汚い言い方をすれば大きな排水溝のようだった。この付近一帯の跳流がすさまじい勢いで古津鹿に流れ込んでいったのだ。

 それは異常だった。

 しかし、それでも攻撃は迫る。このままでは二人は死ぬ。

「最大最長」

 古津鹿の柄を握る手に少しだけ力が込められた。

「日向流一之太刀」

 怪物の巨大な触手が古津鹿の眼前に迫っていた。

「白断」

 ずるり。

 そして、景色がずれた。

 まるで、真ん中でふたつにはさみで切ったかのようだった。

 デブリたちも、デブリの攻撃も、そして怪物の触手と怪物そのものまでもが横にずれて崩れ落ちたのだ。

 全てが真っ二つに両断された。

 そして、その端には刀を振り抜き残心を残した古津鹿が居た。

「2kmは伸びましたかね。最高記録ですね」

「あの化け物が馬鹿みたいに跳流増やしてくれたからね」

 九条が軽い調子で言い、古津鹿が同じような軽さで応じた。

 デブリたちが形を失っていった。ここに居る全てが。小さなものから、後ろの巨大な怪物までもが形を失っていった。

 俺は言葉が無かった。目の前の景色に感想が浮かばなかった。多分これが圧倒されるというやつだった。全てが倒された。勝負がついた。

「が..........」

 そして、消えるデブリたちの真ん中に管里誠一郎が倒れていた。

「馬鹿な.......。負けたというのか......。!、その貴様の刀....デブリ....」

 管里の体は肩から横腹にかけて斬られていた。そこから金色のもやが出ている。半分神様の管里の体はもはや跳流で出来ているのか。

「その通り、この冬凪は無機物のデブリ。跳流を喰い、食った分だけ長く、鋭くなる。あんたのデブリが超活性していたのと同じに、こいつも今までで一番活性していた。勝負アリよ。私たちはあんたには負けない」

 古津鹿は言った。

 勝負はあった。勝ったのは古津鹿と九条だった。

 古津鹿は歩いて管里に近づいていった。

 景色は相変わらずの金色で、地面も地平線も空も全てうっとおしいほどまぶしかった。

 そして、その上に青い月が輝いていた。

 古津鹿は管里の前まで行くと刀の切っ先を突き付けた。

「終わりよ管里。塀の向こうで罪を償いなさい」

 こうして、事件は終わったのだった。

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