第14話

 小佐野と管里はしばらく視線を合わせていた。しかし、やがて管里は視線を外し歩き始めた。路の向こうへと歩いて行った。小佐野はそれを見ているしか無いようだった。

 小佐野は聞いた。カミサマを殺したら自分は死ぬのだろう、と。そして管里はそれを肯定した。間違い無く肯定した。

 それはつまり、小佐野は管里に裏切られたということだった。小佐野は管里に人間に戻してもらうために協力していたのだ。だが結果は、待っていたのはそんなものでは無かった。死だったのだ。

 正直俺も言葉を失っていた。あまりに酷だった。敵ながらあまりに哀れだったのだ。信じていた希望が、望んでいた日常があっさりと小佐野の前から消え去ったのだから。

 小佐野は一言も発さなかった。黙って管里を見送っていた。

 少しの間だけ辺りは静まった。しかし、すぐにそれも終わる。

「そこは通してもらうわよ」

 古津鹿が言った。

「この路の術の核は管里なんでしょう。追いかけてあいつを止めなくちゃならない」

 術の核が管里ということは管里を倒せばこの路も閉じる可能性が高いということだろう。追わなくてはならなかった。小佐野を押しのけて路の向こうまで行かなくてはならないのだ。小佐野はまだ路の向こうを見つめていた。古津鹿はそのまま路に進む。しかし、

「くっ!!」

 古津鹿は苦悶の声を上げながら刀身で攻撃を受けた。衝撃で古津鹿は押し戻される。

 その攻撃は紛れもなく小佐野が放った拳だった。小佐野は進もうとする古津鹿を止めたのだ。俺には分からない。一体なんのために。

「何故止めるの。もうあいつをかばう理由は無いはずよ」

 小佐野はしかし、そのまま攻撃を続けた。腕を足を振り回し、跳流を伴った衝撃波を飛ばして駆除屋たちを吹き飛ばす。先ほどまでよりもずっと攻撃のキレが鋭い。先ほどまでよりも本気だ。小佐野は本気で古津鹿たちを通すまいとしている。

「あいつが進んであいつの思うとおりになったらあなたは死ぬのよ。あいつはあなたを裏切ったのよ。お願い通して。あいつを止めなくちゃならない!」

 古津鹿は叫ぶが小佐野は聞く耳を持たなかった。激しい攻撃が続く。コマ送りみたいな速度で小佐野が吹っ飛んできて駆除屋たちを次々と倒していく。一人また一人と数が減っていく。

 小佐野はどうしたというのか。自棄になっているようにも見えた。

 小佐野は裏切られたという事実を認められず自棄になり、駆除屋たちに八つ当たりしているように見えた。しかし、実際は違うような気がした。

「どういうつもりなの! 私たちが行かなきゃあなたは死ぬのよ!」

 古津鹿は必死に叫んだ。小佐野の動きが止まる。そして、ようやく口を開いた。

「ああ、それで良いんだ」

「なんですって」

「裏切られた、確かにな。あいつは俺をだました。俺の本当の願いはもう叶わない」

 小佐野は静かに空を見上げた。

「でも、その次の願いは叶う。全部終わりにするっていう願いが」

「あなた.....」

「人間に戻れたら一番良かった。でも、本当のところそれは叶わないんじゃないかってどこかで思ってたんだ。そんな全部解決みたいなご都合主義なんてあり得ないって。だから、これも予想してたんだよ。でも良いんだ。オレは結局この苦しみが終わるならなんでも良いんだよ。それが生きる終わりでも死での終わりでもどっちでも良いんだ。だから、裏切ったとしてもオレに終わりをくれる管里には感謝してるんだよ。そういう訳だから、お前は通さない」

 小佐野は古津鹿に襲いかかる。古津鹿は刀で受けるが衝撃がでかすぎる。そのまま吹っ飛んで地面に叩きつけられた。

「ぐ....。そんな、それで良いのあなたは」

「ああ、良いんだ」

 古津鹿は全身全霊で攻撃を加える。嵐のような体さばきで動き、飛び、刃を振るう。常人なら手も足も出せない。並のデブリも瞬時に細切れにする。そんな動きをやはり小佐野は当然のようにかわす。

 小佐野はその金色の体を揺らめかせながら駆除屋たちを吹き飛ばしていく。駆除屋たちは最後の攻勢だ。小佐野は結局駆除屋たちを通そうとはしていない。つまり、ここで小佐野を倒さなくては管里は路の向こうに行って捕まえることが出来ないということだった。管里は向こうでなにをするつもりか分からない。どうせろくなことではない。止めなくてはならない。そうしなくては路も閉じない。

 光が飛び交い、白刃が幾度も振るわれた。金色の暴風がその合間を跳ね、雷が起き、業火が辺りを包む。そして、それらを青い青い月が黙って見下ろしていた。

「ぐ....く.....」

「さぁ、これで終わりだ。これで全部うまく行く」

 小佐野は倒れ伏した古津鹿の前に立ち足を振り上げた。叩きつければ古津鹿は間違いなく戦闘不能になる。もう、駆除屋は残っていない。古津鹿が最後。

「嘘だ」

 だが、言った。どうしても言いたかった。それは他ならない俺の声だった。小佐野は俺の方を向いた。その時点で殺されるかもしれないと思ったが大丈夫だった。小佐野は俺を睨んだだけだった。

「なにが嘘なんだよ」

 そして、言った。

「死ぬのに上手く行くなんてそんな馬鹿なことあるわけない」

 小佐野の視線は鋭くなった。それだけで俺を殺せそうだった。

「お前に何が分かる」

 俺には答えられない。

「死んだ方がましだと思ったこと無いんだろ」

 そうだった。俺には小佐野の心がなにひとつ分からなかった。死ぬ方がましだと思うほど苦しいことなんて一度も無かったのだから。

「お前は普通の俺のしょうもない日常の話を楽しそうに聞いてた。お前は普通の日常に憧れてたはずだ。なのにいきなり死ぬので良いなんておかしな話じゃないか」

 だが、俺は個人的な主観を述べていた。当たっているかどうかは自信が無かった。

「お前に何が分かる」

 小佐野は繰り返した。怒気が満ちていた。一般人の俺でも分かるほど小佐野の周りに跳流が湧き出していた。そして、次の瞬間小佐野は俺の目の前に居た。その金色の姿がゆらゆらと揺らめき、その表情は恐ろしく阿修羅像かなにかのようだった。まさしく、神様と形容しても良いのかもしれない。だが、そう思いたくはなかった。

 小佐野が指一本でも動かせば俺の体は消し飛ぶだろう。しかし、もはや引くに引けない。

「日陰から見る日向のまぶしさを俺は少しだけ知っている」

「なんだと」

 それは、さっき九条と戦う前に小佐野が言った言葉だった。

 そして、俺は少しだけ自分のことを話すことにした。そうするしか無いと思ったし、そうすべきだと思ったからだ。

「俺は昔学校に行っていなかったんだ。高校2年の秋から高校3年の夏休みまで丸1年近く。俺は不登校で俺は普通の日常の外側に居た」

「だから、オレの気持ちが分かるとでも言うのか」

「そんなつもりは無い。お前の境遇は俺なんかと比べものにならない。どう考えたってお前の方が過酷だ。だから、そういうつもりは無い。でも、言いたいことを言わせてもらう」

 俺は恐ろしい顔の小佐野を前に続けた。

「俺はあの時普通の日常が恋しかった。まともに生きてる人たちがうらやましかった。そう出来ない自分が疎ましかった。学校に無理矢理行っても途中で帰ってきてしまう自分が惨めだった。そうやって帰った家で食べるお袋の作った弁当の味の空しさは今も忘れない」

「.........」

「あの時俺はいろんな人にたくさん心配をかけた。大人になってからもしばらく生き方が分からなくてぷらぷらしていた。それから今の会社に入った。それからずっと叱られている」

「........」

「でも、俺はあそこで頑張れる限りは頑張りたいと思っている。俺は心配をかけたいろんな人になんとかなにかを返したいと思っている。だから、どんだけ怒られても仕事が出来なくても俺はあそこで働くんだ。あそこで働いて、もしダメならまた別の場所で働いて、いつか上手く生きれるようになるんだ。それでいつか心配をかけた人たちに『もう俺は大丈夫だよ、心配するな』って言うのが俺の夢だ」

 小佐野は黙って俺の言葉を聞いていた。

「だから、あそこが俺の最前線であそこは間違いなく俺が行きたかった場所なんだよ」

 俺の人生とはすなわちそれだった。最近は辛過ぎてなんだかどうしてこうなっているのか分からなかったが、根本はそういうものだった。思いのままに口にしてようやくはっきり思い出した。そういえばそうだったのだから。

 自分でもなにを言っているか良く分からなかった。なんで小佐野にこんな身の上話をしているのか良く分からなかった。でも、何故か言った方が良いように思われたのだ。

「俺は日向に行こうとしてるんだ。まともな日常ってやつが欲しいんだ。そこだけはお前と同じだ」

「......」

「お前はこんなこと言ったらぶち切れるのかもしれない。俺を殺すのかもしれない。そんでそんなことを言う俺は相当のクソ野郎なのかもしれない。でも、言わせてくれ。まだ、諦めるには早いんじゃないか」

 小佐野の表情が険しくなるのが分かった。

「死ぬより、生きた方が良いんじゃないのか」

 死んだ方が楽とはどういうことか分からなかった。少しだけ想像を巡らす。俺は続ける。

「旅行したり、漫画読んだり、友達と遊ぶのは楽しいぞ。良く知らんが恋とかも。あと、酒とかも良い。健康には気をつけなくちゃだが」

 結局言いたいのはそんなところだった。その程度のどうでも良いことで、その程度のどうでも良いことが少なくとも俺の支えだった。俺がようやく手に入れつつある『まとも』なものだった。

「.......」

 それを聞いて小佐野はすさまじく険しい表情で俺を睨んでいた。正直、漏らしそうなほど怖かった。

 そして、小佐野は腕を伸ばした。そのまま俺の頭を掴んだ。少し力を入れれば俺の頭は弾け飛ぶ。

「お前の頭を潰す」

 小佐野は言った。俺は泣きそうになった。次の瞬間命が終わる。その瀬戸際だ。

「そうか、すまなかった」

 残念ながら、俺の言葉は小佐野を怒らせるだけに終わったということだ。俺の言葉は見当外れで小佐野の逆鱗を逆なでするだけで、そうしてぶち切れた小佐野は俺を殺すというわけだ。まぁ、なんというか。上手くいかなかったのか。

「すまなかったってなんだよ」

 しかし、小佐野は言った。

「オレがあんたの言葉にぶち切れて頭を潰そうとしてるって思ってるわけか」

 小佐野はなんだろうか、少し笑っているように見えた。

「あんたは訳が分かんねぇな」

「そ、そうか?」

「いや、本当は分かるんだ。分かるんだよ。分かってるんだ。三好晴也」

 そうして、小佐野は俺の頭から手を離した。俺は意外な展開で目を丸くした。もう、殺されるかと思ったが。いや、嘘だった。本当はこいつは俺を殺すはずが無いとどこかで確信していた。こいつは俺のしょうもない身の上話を最後まで黙って聞いてくれたのだから。

 小佐野はそうして、古津鹿の方を向いた。

「なぁ、駆除屋。管里を倒したら俺は元に戻れるのか?」

「分からないわ。色々試す方法はあるけど、戻れるかもしれないし戻れないかもしれない。」

「そこは嘘でも『戻れる』って言うとこじゃないのかよ」

「こんなところで嘘は吐きたくない性分なのよね」

「締まらねぇオネーサンだな」

 小佐野はクツクツと笑った。そして、手を振った。それはいわゆるボディランゲージだ。行け、という意味の。

「通してくれるの?」

「ああ、行って管里を倒してくれ」

 そうして、小佐野はガクンと体勢を崩した。両手を地面についた。そして、その目からは涙が流れ落ちていた。

「オレを普通の日常に戻してくれ」

 そして、小佐野は言ったのだった。

「任せときなさい。『吉村デブリ駆除株式会社』はこの業界でも安心と信頼の実績で高い評価を得てるんだから。あらゆる手を尽くしてくるわよ」

 そして、古津鹿は答えたのだった。

 俺は小佐野の肩に手を置いた。小佐野の肩は嗚咽で揺れていた。俺はその傍らになんとなく座っていた。

 そこに古津鹿が寄ってきた。懐をもそもそとまさぐり、何かを取り出した。それはガムだった。古津鹿は一粒取り出すと小佐野の前に差し出した。小佐野は意味不明らしくぽかんとした。

「なんだよ」

「あげる」

「な、なんでだよ」

「良いから」

「なんなんだよ.....」

 小佐野はさっぱり意味が分からなかったらしいがとりあえず受け取ってそれを口に入れた。そして、もぐもぐと噛んだ。

「なんか、やけに旨く感じて気持ち悪ぃ」

 小佐野は笑っていた。

 これはあれだった。古津鹿の不器用な優しさというやつだ。

 なんとなくほっこりする俺だ。古津鹿は小佐野にも優しくしたくなったらしい。

 と、そのガムが俺の前にも差し出された。

「なんだ」

「偉いから」

「なんだそれは」

 古津鹿は大真面目な様子だった。偉いとは結果だけ見れば俺が小佐野を説き伏せた形になったからか。そういうつもりで小佐野と話したわけでは無かったのだが。とにかく、俺もガムを受け取った。もぐもぐ食べると小佐野と同じでやけに旨く感じた。不思議なものだった。

「さて、じゃあ行くわ」

 古津鹿は立ち上がる。路に向かう。管里を追うのだ。

「では、私も」

 そこで、今まで静観していた九条がワゴンの中から出てきた。頭から血が出ていて、どこか痛めているのか動きもぎこちない。大丈夫なのか。

「あんた、良いの体は」

「十分休みましたよ。戦力は一人でも多い方が良いでしょう。それに、あいつはなにがなんでも塀の向こうにぶち込みます」

「強がるわねぇ」

 九条は俺を見た。

「あなたも行きますか? 三好さん」

「行けるなら」

 それが俺の正直な感想だ。邪魔なのは分かっていたが最後まで見届けたいという思いに駆られてしまったのである。誠に勝手な話だが。でも、実際あんなところに行って俺がただで済むとは思えない。やはり死ぬわけには行かないのだ。それに古津鹿が反対するだろう。

「はぁ!? 馬鹿言うんじゃないわよ! あんなところに連れてけるわけ無いでしょうが!」

 予想通りだ。

「なるほど」

 九条は言った。そして、俺はまた恐ろしいものを見ることとなった。

 古津鹿は常に否定していた。否定の嵐だった。九条に切れ、俺に切れていた。なにがなんでも俺を連れて行くまいと正論を全面に押し出していた。

 しかし、

「分かったわよ! 安全が確保出来るならね!」

「ありがとうございます」

 最後にはこの有様だった。またも九条の悪魔的交渉術が発動したのだった。

 だが、しかし安全なんか確保出来るのか。路の向こうということは《裏側》ということだ。そんなところに一般人の俺が行って大丈夫なはずが無い。跳流術のひとつも使えないんだぞ俺は。

「なら、オレが適当なデブリを見繕ってやる」

 と、そこで口を開いたのは小佐野だった。

「どういうことです?」

「どのみち、あんたら二人だけじゃ管里には勝てないだろう」

「あんたが他の人みんなふっ飛ばしてくれたからね」

「それに関しては謝るしかねぇな。まぁとにかく、オレが良い能力を持ったデブリを見繕ってこの兄ちゃんの右手に宿らせる」

「そんなことが出来るんですか?」

「《神懸かり》舐めんなよ。それに兄ちゃんの右腕にはもう一回宿ってるからクセがついてる。また宿らせんのは朝飯前だ」

 そう言って小佐野は指を立てる。そこにセピア色の渦が生まれ、小さな球になって形を取った。この球がデブリだと言うのか。

「あいつは多分カミサマになにかの形で干渉して成り代わるはずだ」

「あいつは不確定存在になろうとしてるの?」

「裏側の住人になろうとする、っていうのはそういうことだ」

「なんてことだ」

 九条ですら唖然としていた。

「人間の上からカミサマっていう概念を上書きすることになる。だから、概念に直接干渉出来るデブリにした。あとはこいつは単純に強い」

 そう言って、小佐野はその光の球を俺の右腕に当てる。すっ、と溶けるようにそれは右手に入っていった。

 いや、あっさりしすぎでは無いか。俺の右腕は大丈夫なのか。これからもいとも容易くデブリが入り込むのでは無いか。一抹の不安を抱く俺を余所に小佐野はご満悦だ。上手くいったらしい。

「これで、あんたが右腕に意識を集中させれば出てくる。そいつはあんたの思いのままだ。これで、ネーチャンとおっさんを援護してやれ」

「マジかよすげぇ。分かった」

 なんかものすごいことになったようだ。

「おっさんって言いましたかね」

 九条はなにか言っていたがそんなことを気にしている場合ではない。

「あとな、多分路を閉じれば街の人間は元どおりになるはずだ」

「本当に!?」

「ああ、跳流のせいで起きてる現象だ。跳流が薄まればそれも終わる」

「素晴らしい情報です」

 それはなによりの話だった。つまるところ、菅里さえ倒せばとりあえず上手くいくのだ。

 準備は整った。

 俺たちは立ち上がって歩き出す。路の前で、そしてそれを見た。金色の世界の裂け目。現世と裏側を繋ぐ連絡路。

「頼んだぜ」

 小佐野が言った。

「任せときなさい」

 古津鹿が再びその言葉を口にした。

 そして、俺たちは路へと踏み込む。

 青い月が俺たちを見下ろしていた。

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