第10話
「おい! こんなところでなにしてんだ真伊!」
俺はかなりの駆け足で突っ立っている真伊の元まで来た。真伊はなにがおかしいのか笑っている。だが、その視線は明らかに黒雲に向いていた。状況だけから判断するなら、真伊はあの巨大デブリを見て笑っているようだった。そんなバカな。そんな悪趣味なことあるはずがない。
「なんだ、そっちから来たのか」
真伊は俺を見るなり言った。
「ここは危険だ。突っ立ってる場合じゃない。とっとと逃げるぞ」
俺は真伊の手を取る。とにかく、九条の車のところまで行かなくてはならない。あそこにはもうすぐ古津鹿たちも戻ってくる。こんなところに居るよりは安全なはずだ。
しかし、真伊は動かなかった。俺が引っ張っても動かない。動かない。異様だった。妙に動かなさすぎる。真伊はまるで根を張った大木かなにかのように微動だにしなかった。俺は少し恐ろしくなった。
「なんだ、助けに来たのかよ。お人好しだなあんた」
「従姉妹が死ぬような危険地帯に立ってたらそら助けに来るわ。良いから行くぞ」
「はは、本当にまともな人だなあんたは」
真伊は俺がおかしいらしく笑っていた。いや、確かに必死過ぎるかもしれないが笑うことないだろ。俺は何を隠そうこいつ自身を助けに来ているというのに。
「聞いたぜ、あんた仕事場じゃ落ちこぼれなんだってな」
「ああん!? 従姉妹だからって言っても良いことと悪いことはあるぞ。親しき仲にも礼儀有りだ」
「上司に怒られてるとこ見たぜ」
「くぅう...。なんでそんなもん見るんだよ....」
いつの間に俺の仕事場を把握していやがったのだこいつは。従姉妹といえどストーカーで訴えるぞこんちくしょう。おまけに特に身内には見られたくない姿目撃していやがったのだ。
「あんた、辛くないのかよ。そんな毎日嫌な思いして、逃げ出したくはないのかよ」
「そら、逃げ出したいさ。でも、そういうわけにはいかないんだよ。人間生きてくには食わなきゃならん。そのためには働いて金かせがなきゃならないんだよ」
「ふぅん。一般論ってやつか」
「ていうか、こんなとこで話してる場合じゃないんだよ。さっさと行くぞ!」
俺が言っても真伊は聞く耳持たずだ。
「上司を殴りたくならないのか?」
「なるね、時々。でも、ほぼ俺が本当に仕事できないのが原因で怒るから言い返そうにも言い返せない」
「辛くなったらどうしてるんだ」
「休日に好きなアニメ一気見とかするよ。あとはどっかぶらぶらしたり」
「周りの人間はあんたのこと全然認めてないんだろ。それが嫌じゃないのか?」
「嫌で嫌でたまらないね。時々絶叫したくなる。そんな時は居酒屋行って酒飲んで旨いものたらふく食うよ」
「この先、上手くいくあてあるのか?」
「無いね、全然。だから、毎日崖っぷちで足が震えてたまらんさ。だから、歯を食い縛ってやってるんだ。ていうか、マジでこんなしょうもないこと話してる場合じゃないだろ! いい加減行くぞ!」
俺は言うが真伊は腹を抱えて笑っていた。状況が分かってるのかこいつは。
「良いね。毎日を一生懸命か。輝かしいぜ」
「俺の生活を輝かしいってかなり独特のセンスだぞお前」
「いや、羨ましいさ。なんだかんだとしっかり生きてるんだろう」
なぜか少し遠い目をする真伊。
雷鳴が轟く。
俺をしっかり生きてるなんて言ったのはこいつが初めてだ。大丈夫かこいつは。
「普通に生きてるっていうのは良い。みんなの中で生きていられるってのは良い」
「なに言ってんだお前は」
「外側から見る内側の暖かさってあんた分かるかな。日陰から見る日向の眩しさってあんたに分かるかな」
「ああ」
俺はその言葉はどこかで聞いた気がした。
「少しだけ分かる」
その俺の返答に真伊はしばし口をつぐんだ。じっと俺を見ていた。なにかを吟味するような、それでいてどこか寂しそうな目だった。
「なんで分かる」
「それは話せんな。あんまり話したいことじゃない」
「ふぅん」
その言葉に真伊は微笑した。どういう感情だったのか。しかし、どこか満足そうでもあった。
ゴロゴロと雷鳴がまた響く。白い雨も降り続き、暴風も吹き荒れている。デブリのやつは実に元気らしい。まさに、自分の存在を世に知らしめようとしているかのようにその勢力を増し続けている。
「あんたにまた興味が湧いたんだけどさ。でも、ここまでにしとこう。あんまり勝手を続けるとさすがにあいつも怒るだろうからな」
「なに言って....」
その時だった。とうとう、俺たちの頭上で雷鳴が鳴った。そして、稲光。来るのだ、雷が。
「ダメだ! 真伊!」
俺は真伊の手を引きなんとか逃れようとする。しかし、無情にも雷は俺たちに降り注いだ。建物の屋根を吹き飛ばすほどの爆雷が俺たちに迫った。
しかし、真伊はそれを右手で弾いた。
「え....?」
俺はなにが起きたか分からずに唖然とした。いや、起こったことは分かっている。しかし、それがなにを意味しているのか良く分からないのだ。
「だから、そろそろその右手のデブリは回収させてもらうぜ」
「な....」
俺は愕然とした。今の言葉が意味することは明らかだった。
しかし、分からない。全然分からない。目の前の少女は俺の従姉妹で....。
「もう良いだろうな」
ぱちん、真伊が指を鳴らす。
―ジジジジジジ....
妙な耳鳴りが聞こえた。
そして、俺の頭は霧が晴れていくように鮮明になった。なにを忘れていたかをなにを思いこんでいたかを理解できた。
「俺に従姉妹なんて居ない.....」
俺は後ずさった。恐怖したからだ、目の前の少女を。この誰だかさっぱり分からない少女を。さっきまで従姉妹だと思い込んでいた少女を。
「お前はなんなんだ」
俺は恐怖で顔をひきつらせ、冷や汗を垂らしながらも聞いた。睨みすえながら聞いた。いや、分かっていた。誰かはともかく、なにものなのかは。
「菅里の仲間さ。小佐野って言う」
「菅里の仲間.....!」
予想通りだった。こいつは菅里の手先で、デブリを右手に宿した俺に近づいてきたのだ。もちろん、この右手のデブリを奪還するためだろう。そして、状況が理解出来た。今のことと、今までのことが。
「なんで、今まで泳がせたんだ。あの最初のコンビニでやろうと思えばなにか出来ただろう」
「ああ、出来た。でも、あんたに興味が湧いたから止めた。いや、ほんとの事言うと話せる一般人が居るのが嬉しかったってのもある」
小佐野はポリポリと頭を掻いた。余裕の様子だ。薄ら笑いを浮かべている。明らかに俺を舐めきっている。
「でも、もう時間切れだからな。その右手のデブリは返してもらう」
「奪ってどうしようっていうんだ」
俺は時間を稼ごうととにかく会話を続ける。
「跳流の流れを正す。オレと菅里の計画はもう最終段階だ。総仕上げってやつさ。そのためにその右手のデブリが要る」
「総仕上げ?」
「ああ、もう条件はほぼ揃った。あの巨大デブリのおかげで跳流の流れの規模はとてつもなく跳ね上がった。駆除屋たちも躍起になって戦うからさらに跳流に変化も生まれる。カミサマどもがここに目を向ける。そして、ジェネレーターたちでその流れを集めれば路を開く準備が整う」
こいつの言っていることは俺には良く分からない。とにかく、マジで菅里の計画は完成しつつあるらしいということは分かった。
「くそ....」
俺はうめく。迂闊過ぎた。さっきまでの思い込み。跳流術か何かだろうか。催眠術のようなものをかけられていたのだと思う。そのためにこいつを従姉妹と思い込み、そして助けに走ってきてしまった。そのせいでこの状況だ。絶体絶命とはこのことだ。この右手のデブリを奪われるということがすなわち俺たちの敗北を意味すると言うことらしい。なんてことか。そして、この小佐野は得たいが知れなさすぎる。右手で雷を弾いたのだ。あれも跳流術なのだろうか。ということは古津鹿たちのような駆除屋並みには強いということだ。つまり、一般人の俺では太刀打ち出来ないということだ。まずい、不味すぎた。
後ろをちらりと見る。九条はどうしているだろうかと。しかし、見れば九条は車の中に居なかった。代わりに、
「淡碧の円」
その言葉と共に小佐野の周りに青い色の光の輪が発生した。
それは九条の術だった。気づけば九条は俺の横に立っていた。しっかり俺の異変に気づいていたのだ。そして、駆けつけてくれたようだ。胡散臭いくせにこういう場面でしっかり出てくるのかこの男は。少し見直す。
九条の表情はいつも通りの柔らかい笑みだった。
「ふぅん。器用な術だ。跳流術を封じる術か。発動した瞬間に術の形式を逆探知して阻害するってところだな」
「大層な見識眼をお持ちのようですね。その通りです。あの雷を弾き返すということは相応の術者とお見受けします。なのでこうして対策を取らせていただきました」
「はっ」
「話は少しだけ聞かせていただきましたよ。お目にかかれて光栄です。菅里誠一郎の協力者さん」
九条の笑顔はいつも通りだった。しかし、そう見えただけだった。良く良く見ればどこか明らかに堅い。目の前の少女を警戒、いや畏怖しているのだ。
この小佐野が菅里の協力者だからだ。それはつまり、九条が言った想像を越えた要素がこの小佐野の可能性があるということだった。それはつまり、あのデブリを生んだ要因がこの少女の可能性があるということだった。
「胡散臭い見た目の割に真正面からくそ真面目な術で挑むんだな」
「絡め手を使っている場合でも無いですからね。あなたが菅里の協力者だということはこの事件の真相を知っているということだ。拘束させていただきますよ」
九条は懐からなん本も木製の札のを取り出した。これが九条の武器なのだろう。この十数日間行動を共にして、九条はそこそこ実力があるように感じていた。実際、古津鹿の話では中堅どころぐらいではあるらしい。術者として一流ではあるらしいのだ。だから、この少女は得たいがかなり良い戦いが出来るはずだ。
しかし、少女は笑っていた。
「はははははは! なぁ、駆除屋さん。あんた薄々感づいてるんじゃないの? こんなもんじゃオレを止められないってこと」
「.....」
九条は答えない。それは、答えるに値しない下らない言葉だったからでは無かった。
先ほどからの九条の顔、柔らかい笑顔の裏に滲ませた緊迫感。
九条はこの少女の言葉を否定しなかったのだ。
「分かってんだろ? 今あんたが対峙してるオレが相当ヤバイってことが」
少女は、小佐野はすっ、と右手を上げた。九条の体が少し震えた。
「分かってんだろ。オレがあの空のデブリなんかよりよっぽど手に負えないってことが」
小佐野はそして、右手を振った。
―ドンドンドンドン、ドンッ
あのデブリが能力を使うときに発する太鼓のような音が響き渡った。そんなバカな。目の前に居るのはデブリじゃない。ただの人間のはずだ。なのに、何故この音がする。
しかし、状況はまた変化する。小佐野の周りにセピア色の光が浮かび始める。それは、まさしく跳流の渦。
「分かってるんだろ? オレがなんなのか」
小佐野はにんまりと、歯を見せて笑っていた。
「逃げてください! 三好さん!」
「無駄さ」
小佐野がパチンと指を鳴らす。すると、辺りの景色がいっぺんにセピア色に色づいた。これは、初めて会ったデブリが使ったのと同じだ。この異空間に入ると逃げられない。
「くそっ!」
「そいつの右手はどうしても必要なんだ。さて....」
小佐野が次の行動を取る、しかしその前に、
「羅漢の円!」
九条が叫んだのと同時に俺たち3人を取り囲むように何重にも光の円が現れた。まさしく無数だった。幾多の円が縦横無尽に並んでいる様子はテレビかなにかで見た宇宙の光景を思わせた。
「へぇ、結構な規模の術だな。なるほど、自分の術の補助が主な用途だな。この術式の範囲内ならあんたの術は結構な強さになるってわけだ」
九条は答えない。その顔からもう柔らかい笑顔は消えていた。鋭い眼で小佐野を睨み据えていた。
「これを展開したらもはや手加減は出来ません。投降するなら今のうちですよ」
「どう答えるかなんて分かってんだろ?」
「やむを得ませんか」
九条の後ろでさらに円が増えた。紫色の円だ。
「宴紫の円」
九条が言うと同時、その円が一気に広がった。小佐野に向かってだ。どういう効果があるのか分からないがこのまま行けば当たる。
しかし、
「はっ!」
小佐野は笑った。そして、手でその紫の円を掴んだのだ。ずぅん、と妙な異音が響いた。
九条は驚愕していた。あり得ないものを見る目で小佐野を見ていた。
「当たったやつの跳流を体内で暴発させる術か。なるほど、強ければ強いやつほどダメージを食らうってわけだ」
そして、小佐野はその円をあろうことか口に運んだ。
食べたのである、その円を。ずるる、と。まるでそばでもすするように紫の円を吸い込んだ。
「うげ、まずい」
小佐野は言う。
九条はもはや唖然としていた。言葉が出ないようだった。
跳流術のことは良く分からない。しかし、そんな俺でもこれが異常な現象であるということだけは分かった。この小佐野が何か常軌を逸したものであることだけは分かった。
なんだ、なんなんだこいつは。
俺たち二人は立ちすくむことしか出来なかった。
「どうした駆除屋。この程度で棒立ちになってたらオレの相手なんて出来ないぜ?」
「くっ!」
九条は手に持っていた木の札を一斉に放った。
「朴火の円! 墨斗の円! 卯睡の円!」
九条は一度に3つ術を放った。赤、黒、緑、3色の円が一斉に小佐野に迫った。
「へぇ」
だが、小佐野はそれを右手で払った。それだけで九条の術は消滅した。
「器用だな。こんなにいろんな術が使えるやつは珍しいだろ」
「....っ!!!!」
九条は苦悶の表情でさらに懐から木の札を取り出す。
しかし、
「でも、悪いな。もう時間がないんだよ」
その九条の横に、気づけば小佐野が立っていた。
そして、小佐野は九条のこめかみを人差し指でトン、と押した。すると、九条は白目を向きなんの抵抗も出来ずに倒れた。
「かなり出来る術者だったみたいだな。良くやるぜ」
小佐野は言った。
圧倒的だった。素人目では細かいことは何をやっているのかさっぱり分からない。しかし、九条がまったくこの少女に敵わなかったということだけは分かった。九条は実力は確かだ。それがこの有り様だった。まったく歯が立たなかった。
小佐野は外目にはただの少女だった。どこにでも居る普通の少女と同じ見た目。
だが、明らかにこの少女は人智を越えた存在だった。
「さて」
そして、小佐野は俺を見た。小さく悲鳴を上げてしまう。どうすれば良い。考えろ。なんとかしてこいつから逃げ延びなくては。
しかし、次の瞬間俺の視界は空にあった。高くから地面を見下ろしていたのだ。
「え?」
俺は宙に浮かんでいた。下には小佐野が居た。
そして、小佐野はパン、と両手を合わせて叩いた。
―ドンドン
あの太鼓のような音が響く。俺の周りにセピア色の流れ、光の帯が発生する。それは俺をグルグルと取り囲んだ。
「じゃあ、剥がさせてもらうぜ」
そして、光の帯は俺の右手を包み込んだ。
「う! ぐぁあああ!」
そして、右手に強烈な違和感が発生した。痛みでは無かった。ただただ違和感だった。だが、絶叫するほどの違和感だった。俺は叫んで叫んで、それしか出来なかった。
「これで、任務完了か」
それが、しばらく続くと光の帯は離れていった。俺は地面に落下した。ひゅうひゅう言いながら右手を見る。あの模様が綺麗に無くなっていた。それはすなわち、デブリが居なくなったということだった。
顔を上げて上を見る。小佐野が居る。そしてその右手の手のひらにセピア色の光の球が浮いていた。
たぶんあれが俺の右手に居たデブリだった。
俺はデブリを奪われてしまった。
このままではまずかった。
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