第9話
そして、それからはあっという間だった。その間も相変わらず俺の右手を使っていろんな場所で跳流の流れを乱すことは続けた。そして、菅里の方も懲りずにデブリを送り込んできた。それを、いつものように古津鹿が倒す。そうして、これといった進展も障害もなく日々が経過した。俺もそうやって九条たちを手伝うことにも大分慣れた。
相変わらず私生活の方は残念な日々だったが九条たちを手伝うのはそこはかとない達成感があった。自分の力で手伝っているわけでもないし、これといった苦労を伴っているわけでもないが気分は良かった。上司には怒られるし、仕事は上手くいかないし、やっぱりメチャクチャで俺はこの先どうなるのかといった思いはぬぐえないが気晴らしにはなった。
だが、所詮は気晴らしだ。この騒動が終結したなら俺はまたこの日常に戻ってくるのだ。非日常に浸ってばかりもいられない。俺はなんとか苦痛に満ちた日々と向き合い、九条たちを手伝いながらも現実から目を逸らさず、仕事に立ち向かった。
そうして3日は経ち、作戦決行日当日となった。
「さて、あそこが第一目的地なわけですね」
「ええ」
俺たちは事前に打ち合わせた場所まで吉村デブリの社用車でやってきた。街から離れたところにある放棄された鉄工所がそれだった。あたりは遠くに民家がいくつかある以外は田んぼと野原だった。つまり、これといって何もない。潜伏するにはうってつけの場所なのは間違い無かった。ここはそこから500mほど離れた農道の路上だ。
「じゃあ。予定通りに行くわよ」
「ええ、ではお願いします」
車から古津鹿が出る。そして俺たちの車の後ろ、そこに停まっていた2台のパトカーから警官が6人降りてきた。そして、その横の車から駆除屋が2人。古津鹿を先頭に9人で廃工場に向かっていく。俺と九条はここに待機だった。
打ち合わせでは、古津鹿たちと警官が潜伏の疑いがある場所に入ることになっていた。俺は九条と跳流術の結界を張り留守番することになっていた。守りがあるとはいえある程度の危険はある。そんなところに曲がりなりに一般人の俺が来るのはやはり菅里の動きを警戒してのことだった。俺が自宅だの事務所だので一人のほほんと待機しているところにまんまと菅里がやってくる危険がゼロとは言えないからだ。なので、ある程度対抗出来る九条が側に付くというわけだった。ちなみに会社は今日は休みを貰った。礼状のおかげか、それとも俺が役に立っていないからかすぐに貰えた。
古津鹿たちはザクザクと雪で埋もれた道無き道を歩いていく。
この作戦で分かれたチームは合計で6つ。それぞれが一日かけて順番にマークしてある施設を調べていくことになっていた。どこが一番可能性が高いということも無い。そのためそれぞれのチームの実力のバランスは均等になるようにしているらしい。このチームの頭は古津鹿なので古津鹿が一番強いということだった。
「上手くいきますかね」
俺は隣の九条に聞く。九条はいつか俺が古津鹿に貰ったのと同じ銘柄の缶コーヒーを飲んでいた。見れば車のなかにその缶コーヒーが入った箱が置かれていた。買い置きしてあったらしい。
「まぁ、ここが当たりとは限らないですから。今日一日かけてどこかで当たりを出す、くらいのつもりですからね。そう気張らず気長に構えましょう」
「そ、そんなもんですか」
「でも、いきなり当たりという可能性もやはりありますから。完全にだらけてもらっても困りますけどね」
「は、はぁ」
つまり、気張りすぎず力を抜きすぎず適当にとかいう素人には難しいことを言っているらしい。難しいので自分なりに適当な緊張感を持つことにする。
今日、それぞれのチームがそれぞれの担当施設を回ることになる。大体ひとつのチームに付き2から3箇所。そして、少なくとも今日のどこかで菅里に出くわす可能性は高い。今日がまさに好機中の好機であり、これを逃せばこの先は難航が予想される。みな勝負をかけている。古津鹿にも九条にも、他の人間たちにもいつも以上の緊張感が感じられた。今日で終わらせるという意気込みに満ちていた。俺は全て上手くいくことを願った。
そうして、古津鹿たちはいよいよ鉄工所に入っていった。警官のうち4人はそれぞれ見張りで建物の外に散っていく。
俺たちの方からはもう、豆粒のように小さい。はるか向こうだ。
九条がトランシーバーを取り出す。
「梓さん、梓さん。通じてますか?」
ざざ、という音の後に古津鹿が応答する。
『問題ないわ。聞こえてる』
「了解です。では、ここからは通信をオンの状態でお願いします」
『了解』
九条は参謀だ。ここと、作戦を統括するために設置されている本部との連絡役を担っているのだ。なので、古津鹿たちの状況を逐一把握する必要がある。なにかあれば報告しなくてはならない。菅里が見つかったとなればすぐさまだ。
トランシーバーの向こうからは人々の足音、たまに廃材か何かをどかすような音が聞こえる。そして、古津鹿や警官たちがお互いに指示を飛ばし合う声だ。これといったことはなく建物の中を動き回っているらしい。全てなるだけ音は抑えている。もし、菅里が居ても気づかれないようにだ。
『今のところなにも無いわね』
「そうですか。引き続きお願いします」
また、しばらく建物の中を動き回る音が聞こえる。
しばらくそれが続いて、
『事務所らしいところがある。近づいて開けるわ』
古津鹿は押さえた声でそう言った。それから、わずかな足音が響く。慎重に扉に近づいているのだろう。
そして、かち、と音がした。ドアノブに手をかけたのだ。ゆっくりと少しだけ扉を開く音、小さく息が吐き出される音が続いた。
『人は居ないわね。ん?』
「どうしましたか?」
『九条、人が居た形跡がある。それも最近のだわ。弁当だのスナック菓子だののゴミが散らばってる』
「なるほど。我々の予想はどうやら当てにしてもよさそうです」
『入って調べるわ』
「気を付けて」
半分ビンゴだったらしい。最近まで菅里があの鉄工所に居たのだ。いや、下手すれば今もあそこのどこかに隠れているのかもしれない。九条の声にも、トランシーバーから聞こえる人の声にも緊張の高まりが感じられた。
カツカツと部屋の中を歩き回る音が響く。ガサガサとゴミかなにかを触る音も。
『パスタの皿が大分乾いてる。昨日か、もっと前のみたい。ついさっきまで居たって感じではないわね』
「まだ、確定ではありません。警戒は解かないでください」
『了解』
また、部屋を漁る音。ここらへんは警察の本領発揮だ。鑑識の人間も居るはずだからしっかり調べてもらいたいところだ。
『パッキーにアーモンドピースにカライムーチョか。菅里にしては随分俗なお菓子食べるのね。ごま煎餅とかのイメージだったけど』
「それも良く分からないイメージですけど。ですが、やけに若者向けといった感じは確かにありますね」
『ひょっとして共犯が居るの?』
「これだけの規模の事件を起こしてますからね。あり得る話です。実際そういった予想も出てましたからね」
なるほど。いくら菅里が常人離れしたデブリの知識と跳流の技術を持っていたとしてもあまりに事は大きすぎた。誰か協力しているものが居ると考えるのがむしろ普通なのかもしれない。
『古津鹿さん。あれは...』
と、トランシーバーの向こうで別の駆除屋の男の声。なにかを見つけ古津鹿に伝えているようだ。
『なにかな。なんか光ってる』
古津鹿はカツカツとそのなにかに近づいていったようだ。
「どうしました?」
『隣の部屋でなにか光ってる。今調べるわ』
廃工場の事務所にはもうひとつ部屋が隣接していたようだ。カチリ、と古津鹿がドアを開ける音。もしかしたら、菅里が潜んでいるのか。俺も息を飲む。
その、次の瞬間だった。
『退避!! 全員この部屋から出て!!!!』
響いたのは古津鹿の叫び声だった。
「梓さん、どうしました」
『まずい! 光が渦巻いて! デブリが出る!!!』
その時、俺の方から見える鉄工所の屋根が内側から吹き飛んだ。そこから出てきたのはセピア色の光の渦。あれは、俺が初日、九条たちと林の中で見たものと同じだ。あそこから猿のデブリが現れた。あの光の渦はデブリの素、跳流の流れだ。しかしだ。それは以前とは違ったのだ。
「こっちでも確認しました! みなさん早く退避を! 工場から出てください。でないとまずい! あれはでかすぎる!」
そうだった。その光の渦は俺が以前見たものとは比べ物にならないほど大きかったのだ。それはどんどん大きくなりながら鉄工所の屋根を吹き飛ばしていったのだ。やや離れたところにあった鉄塔と比べても遜色無い大きさ。どう見ても数十mはある。巨大だった。あまりにも巨大過ぎた。この十数日で見たどのデブリよりも巨大だった。
『くっ! みんな大丈夫? なんとか出れた!』
古津鹿たちが間一髪鉄工所から脱出したところが見える。それを見下ろすように渦は大きくなり、そしてやがてそれが止まって解けていった。
「なんてことだ」
九条が漏らす。そこから現れたのは黒い黒い雲だった。もやもやとした不定形、水蒸気の塊と思われる雲。黒雲。それは、バチバチと音を立て、青い稲光を走らせていた。
「なんですかあれは」
「あれもデブリです」
「あの雲が!?」
「跳流が形を取るのは生物ばかりとは限りません。電柱になることもあるくらいです。現実にあるものならなんでもあり得る。しかし雷雲、しかもあそこまでの大きさとは弱りましたね。自然物の形を取るものは稀ですが例外無く強大だ。あれを野放しにするわけには行きません」
「でも、雲なんてどうやって倒すんですか」
「どうやってでも倒さなくてはなりませんよ。朝州全ての駆除屋を動員しなくてはあれは倒せない」
九条はそう言うと手早く携帯から本部へ連絡した。巨大デブリが発生したことと全ての人員をこちらに回すように伝えた。本部の方でもこのデブリを観測していたらしい。向こうの声の緊迫具合から見てもこのデブリがとんでもなくやばいやつであるということは間違い無かった。
「なんなんですか。あれも菅里が作ったんですか?」
「そうでしょうが、異常です。人間に作れるデブリはせいぜいが私たちが今まで戦ってきたものが限界です。いや、あれでも十分異常なんですがあれに比べれば可愛いものだ。こんなもの人間に作れるはずがない」
「どういうことなんですか」
「なにか、私たちの想像を越えたものが菅里の手元にあります」
九条は苦々しげに言った。
「そしてこれは、こちらの行動が向こうに完全に漏れていたということです。今回の作戦は決定の後、計画の立案は完全に極秘でやっていました。それが漏れている」
確かに、今まで俺の右手を使った日課では菅里に行動を把握されていたようだった。だから、毎日デブリが来たのだ。しかし、今回の作戦は会議自体の情報統制は割りとザルなものだったが、その後の計画そのものの詰めは極秘になっていたのだ。実際、その概要は今日ついさっき明かされた。回る施設も事前の公表は一切無しだ。今回ばかりは菅里に行動が完全に把握されることは無いはずだったのだ。少なくともこんなにピッタリと罠を張れるような状況では無かったはずだった。
と、そこで突然警報が鳴り響いた。町中に設置されたスピーカーからだ。
『市内の皆さん、巨大デブリが出現しました。ただちに避難所への避難をお願いします。繰り返します....』
市民に対する避難勧告だった。本部は迅速に対応したらしい。
「どこかから情報が漏れてたってことですか?」
「その可能性もあります。しかし、一応信頼できる人員で計画の会議は進めたんです。だから、その可能性は低いはずです」
「じゃあ、一体....」
「分からない。分からないことばかりです。ですが、今はあの怪物をどうにかすることが先決です。残念ですが作戦は失敗だ」
と黒雲がムクムクと動き始めた。そして、その体から稲妻を起こし、周囲に放電を始めたのだ。廃工場はそれで吹き飛び炎上、周囲の地形もまとめて弾け飛んだ。広範囲の攻撃、半径数百mが雷にさらされる。もちろん、古津鹿たちもだ。
「くそっ! 古津鹿たちが!」
古津鹿は降り注ぐ雷の中を他のメンバーと共に駆けていた。今もその周囲が吹き飛んでいる。
その隣の駆除屋が跳流術だろうか。必死になにかの帯を振り、それで雷を弾いていた。
そして、古津鹿も刀を振るいなん、雷を切り裂いた。そしてそのまま跳躍し黒雲に切りかかった。少しだけ、金色のもやが漏れる。しかし、黒雲全体の大きさから見れば微々たるものだ。人間なら指先から少し出血した程度でしかない。あまりに大きすぎる。古津鹿の刀では意味を成さない。
しかし、それでも雷をそうやって避けながら古津鹿たちは黒雲から逃げ延びる。
「良かった。なんとかなりそうです」
「ここからはどうするんですか」
「朝州の駆除屋を総動員してあれを倒します」
「倒せるんですか?」
「全員集まればなんとかなるかもしれません。とにかく私は本部と連絡を取ります」
そう言って九条はまた電話をかけた。専門用語を並べながら向こうと必死に情報を交換している。現場は緊迫している。古津鹿たちはなんとか攻撃の範囲から脱出したようだった。一応ひと安心だ。しかし、
―ドンドンドンドンドン
あのデブリ特有の太鼓のような音が響き渡る。もちろん、黒雲からだ。それは音と共にどんどん巨大になっていた。そして、本当の雲のように頭上に広がっていった。もはや、大きさは100m、いや200m以上はあるだろうか。
―どんっ
そして、そこから雨が降り始めた。冷たい白い雨だった。どう見ても自然のものではない。それと同時に風も吹き始めた。暴風と呼んでいいほどの風。つまり、嵐が起こっていた。
これが自然物のデブリ。まさしく自然現象の化身だった。人智を越えた力だ。こんなもの人間が相手をして良いものとは思えなかった。
俺は見守ることしか出来ない。古津鹿たちが走ってくる。早く来い。この白い雨もどういう能力があるのかまだ分からないのだ。
と、その時だった。車の横、俺たちが停めている農道の向こうの方に、
「真伊!」
俺の従姉妹、笹本真伊が立っていたのだ。真伊は黙って黒雲を見上げていた。この嵐の中、この異常事態の中、あり得ないほどのんびりと。と、真伊がふいに俺の方を見た。やつはニヤリと不敵に笑っていた。
「なにやってんだあいつ!」
俺は急いで車を出て真伊の元に走った。
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