第8話
それから8日が経過したのだった。俺は仕事を終わらせると古津鹿に連れられて事務所に行く。そして、九条を伴って指定された場所に行く。儀式(こう言うと九条はそんなオカルトなものではないと抗議した)の準備をしてそれから俺の右手のデブリの力を使って跳流の流れに干渉する。その過程のどこかで必ず菅里の送るデブリが邪魔をしにやってきてそれを古津鹿が倒す。それがこの8日でパターンになっていた。
正直、8日経ってもこの作業にはまだ慣れないし、デブリが襲撃してくる度に心臓が飛び出そうになる。相変わらず九条の胡散臭さには閉口であるし、古津鹿の強さに惚れ惚れするのだった。
だが、そんなこんなで8日は経った。するとどうなるかというとデータが集まるのだ。なんのデータかといえばデブリの出現データである。菅里はまるでなりふり構わず、こっちが行動を起こす度にデブリを送り込んできた。すると、当然そこにある程度のパターンが発生してしまう。そもそも街の観測機が朝州市一帯の跳流の濃度を観測しているのだ。どれだけ場所をずらそうが、どれだけ時間をずらそうが濃度からデブリが出現した箇所は特定出来る。一度、その観測が早かったせいで他の駆除屋がデブリの討伐に向かって、戦いながらこっちに来たこともあったほどだ。
なので、少なくとも菅里がデブリを産み出そうとした行動だけはしっかりと記録されてしまっている。まぁ、それも向こうは承知の上で動きが特定出来ないように立ち回るわけだが完全に消し去ることは出来ないのだ。なので、ある程度ではあるものの、菅里の動向に関しては予想が定まりつつあった。
「じゃあ、やっぱり6号線回りのどこかに居るのか?」
「パターンAに基づくならですけどね。パターンBを取るなら海沿いのどこかになります」
「Cの場合なら美山町辺り、Dなら州賀町、Eなら中心街になります」
「いやいや、後藤さん。さすがに中心街ってことは無いでしょう」
俺の目の前では大人たちが議論を繰り広げていた。彼らの半分以上は駆除屋、残りの半分は役所の職員や警察、消防なんかの行政。それからほんの少しどこぞの大学の教授や研究員なんかだった。
日曜の午後にたくさんの大人たちが集まっているのは公民館の多目的室だった。椅子が並べられ、一番前でプロジェクターに表や地図が写されている。ここは駆除屋の現場事務所がある空き地から一番近い会議の出来る施設である。一同がここに会しているのはまさしく、このデブリ異常頻出事件の経過および今後の指針を話し合うためだ。そして、まさしく状況はこの10日で目まぐるしく動いたのだ。主に俺の右手によって。表向きにはなっていないがここに居る人々の共通の目的は菅里の捕縛である。本来は警察が行うことだがデブリが絡むと警察ではどうしようも無いので駆除屋が出ている。そして、街規模で事が起こっているので行政機関も当然絡み、専門知識が要るので大学教授も出てくるというわけだ。大体そういうことらしい。とにかく、そういった人たちが一丸となって菅里を追っていた。しかし、ひと月以上なんの成果も出はしなかった。それがここに来て行動が大分絞れたのだ。現場はてんやわんやの大騒ぎである。
「じゃあ、結局今のデータじゃどの場所か絞ることは出来ないってことなんだろ」
「じゃあ、もう人海戦術で全部当たるしか無いだろ」
会議は進んでいく。俺はただそれを見守るしかない。ちなみに一番後ろの席だ。部外者はここに居るのが落ち着くのだ。
「お疲れさん。スピーチ緊張した?」
「ああ、疲れた」
俺の隣に座ったのは古津鹿だった。今まで外に居たらしい。サボりである。
古津鹿が言うスピーチというのは俺が味わった特殊デブリの襲撃に関して九条が俺の右手を見せびらかしながらした説明のことだ。部屋の前で大勢の視線を浴びながら話したのである。ものの数分だったがこんな経験は学生時代でも無かったので非常に緊張したのだった。
「これはどうなるんだ? 上手くいきそうなのか?」
「うーん。舞い上がってる人も居るけど楽観出来ないっていうのが多数派かな。罠の可能性だってあるわけだし」
「ふーん。一筋縄では行かないのか」
場所は特定出来たがこれからどう動くのか。そもそも、割り出した予想をどこまで信用して良いのかというのが議論の焦点だった。正直俺には良く分からない。もはや専門家の人たちに任せる以外に俺に出来ることは無い。
「暇そうね。外に出る?」
「良いのかな」
「良いでしょ、もうあんたの役目は終わったわけだし。居ても良く分かんないでしょ」
「ああ、まったく分からん」
「なら出ましょう」
古津鹿は席を立つ。ここに居ても謎の言葉が飛び交う議論を前に呆然としていることしか出来ない。俺も続いた。
多目的室を出ると俺たちと同じような人間が結構な数時間を潰していた。会議しているのはそれぞれの事業所の代表や現場のトップばかりだ。付き添いなんかで来た下の人間はこんな風に暇をもて余しているらしい。
「あ、古津鹿のねーちゃん。あんたもさぼりか」
そして、出てきた俺たちに声をかけるものがあった。がたいの良いおっさんだった。頬に傷跡も有り強面だ。
「久保さんも親方の付き添い?」
「ああ。話は偉い人たちにまとめてもらえば良いからな。こうして、ゆっくり出来るってわけだ。これで残業手当出るんだから儲けもんだ」
久保というおっさんは屈託なく笑っていた。大丈夫かこのおっさんは。まぁ、他所の他所ぐらいの会社の話だから俺が知ったことではないが。
「あんちゃんは神宿になったあんちゃんだったな」
「あ、はい」
突然振られて少しびびる。
「まぁ、菅里を捕まえられれば全部元通りだ。捕まえられなくてもこの件が終われば解放だしな。もう少しの辛抱だ」
「縁起の悪いこと言わないでよ。絶対捕まえる気で行かなくてどうすんの」
「ははは」
なにがおかしいのかこのおっさんは。本当に真面目にこの事件に関わっているのか。いや、そんな感じでない。どうやらこのおっさんは相当適当なようだ。大丈夫か。
「で、どうなの結局のところ。菅里は追い詰められそうなのか?」
「さぁ。これくらいで捕まえられるならとっくに捕まえてる気もするけどね」
「まぁ、それはそうだろうな。でも、正真正銘の不可抗力なんだろこのあんちゃんは。チャンスあるんじゃないの?」
「どうなんだろう。それこそ偉い人たちに聞いてよ」
「ははは」
また笑いよってからに。
「いいよぉ、あんちゃん。君のおかげだからなぁ」
そうして、久保とか言うおっさんは俺の肩を叩く。馴れ馴れしいことこの上ない。まだ会って数分だがすでに俺はこのおっさんが嫌いになりつつあった。次の瞬間にでも舌打ちをかましそうだ。
「菅里もどうする気なんだか。本当にここで《路》が開くと思う?」
路、普通の跳流の流れの道ではなく現世と裏側を直接空間的に繋ぐ穴のことだと九条が言っていた。
「さぁて。普通開かないと思うけどなぁ。嘘かほんとかの伝説とかでももっと特殊な場所ばっかりだし。でも、日本じゃここが有力な場所のひとつではあるよなぁ。《裏側》に一番近いから」
「じゃあ、可能性はゼロじゃないってことか。もうすぐ《青い月》も満ちるし、やつが行動を起こすとしたらそこだと思うんだけど」
「《青い月》が満ちてもね。やっぱり楔みたなもんが無いと一瞬開いても固定出来ないとかって言われてるらしいね。開いても向こうに行くなんて無理だろう。まぁ、それも机上の空論だって言われてるけど」
「楔ですか」
「あっちの《カミサマ》と繋がりがあったりしたら良いとか聞くけどね。そんなの簡単な話じゃないからね」
そりゃあそうだろう。カミサマとは不確定存在とやらのことだろう。裏側の意思の無い大きな力を持つ存在。それと関わりがあるものがあればこっちとあっちの道しるべのようなものになるということだろうか。だが、存在自体が仮定なほど不確かなものなのだ。干渉とか交信とかそうそう出来るもんでは無いのだろう。そういえば古津鹿は菅里が不確定存在と交信を試みたとか言っていた。やはり、路を開くための準備だったのかもしれない。
「そもそも向こうに行くなんてこと実現出来るとは思えないしね」
「ま、詳しい話は大学の先生たちにお願いするしか無いだろうね。どうやって菅里がアプローチする気なのか。そこらへん予想してもらえばこっちも動きやすいってもんだし」
「まぁ、現場の人間だけじゃ分からないことはあるしねぇ」
二人はうんうん、とうなずきあっていた業界人の会話といった感じだった。俺に立ち入るスキは無い。
「じゃ。俺はタバコ吸ってくるかな」
「まだ止めてなかったの」
「それは言わないお約束」
そう言って久保は去っていった。最後までなんだか好きになれなかった、いや、どうにも嫌いだった。腹の立つオヤジだ。
「ああ見えて腕利きの駆除屋なのよあのおっさん」
そんな俺に古津鹿が言った。俺は目を丸くする。
「え、マジか」
「この辺じゃトップクラスね。適当でむかつくだけのオヤジじゃないってことよ。まぁ、適当でむかつくんだけど」
「へ、へぇえ」
人は見かけによらないらしい。なんだか、申し訳ないような気がした。だが、やはり好きにはなれそうにない。
「大学の先生か...」
その言葉に俺が思い出していたのは従姉妹の真伊のことだった。あいつも大学の研究室の関係だと言っていた。関係者の中にあいつの知り合いの一人も居るのかもしれない。あの会議室で見た心強い専門家たちの中にいつか従姉妹も行くのかと思うと不思議な感じだった。
「カミサマか」
と、俺の隣で古津鹿もポツリと呟いた。
「なんだ? なにか引っ掛かるのか?」
「ううん。カミサマと繋がった人間ってのが居るらしいのよね」
「なんじゃそりゃ」
「聞いたこと無かった? 十年くらい前に忽然と姿を消した小佐野っていう....」
良く分からない。続きを詳しく聞こうとした時だった。
会議室の扉が開かれた。中からぞろぞろと人が出てくる。どうやら会議が終わったらしい。その流れから分かれた九条がこっちにやって来た。九条は俺の右手関係の当事者として部屋の前でずっと話していたので若干疲れた様子だった。
「終わったの」
「ええ、それで今後の方針が決まりました」
「どうするって?」
「3日後です。朝州中の駆除屋や警察を総動員して菅里の潜伏先とおぼしい場所を人海戦術で叩きます」
「なるほど。大仕事ね」
古津鹿は珍しく引き締まった表情だに変わった。街の全てを巻き込んだ大きな作戦が始まる。
「どうするんだよ。順調に追い詰められてるように感じるけどな」
少女は言った。むしゃむしゃと食べているのはスパゲッティだった。たらこスパだった。
「お前があの青年から変換器を剥がさなかったためだな」
「仕方ねぇだろ。あの兄ちゃん気に入っちまったんだから。で、どうすんだ?」
男は大きくため息を吐いた。
「問題ない。計画は進んでいる」
男は、菅里は答えた。場所はこの前とは違った。この前は廃ビルだったが、今回はどこぞの放棄された鉄工所の事務所だった。ここも郊外にある。もう夜で、窓からずっと向こうの街明かりが見えた。冬の室内、暖房なし。菅里は厚着だったが少女はまったくそうではなかった。暖房の効いた部屋の中に居るかのようにラフな格好だ。その格好で錆びたパイプ椅子に腰掛け、錆びた事務机でスパゲティを食べていた。以前の場所から移動したらしい。
「でも、こんだけ尻尾ちらつかせたら向こうもいい加減にこっちの場所をいくつかに絞るんじゃねぇのか?」
「だろうな。これから人数をかけてしらみ潰しの作戦を始めるようだ」
「なんだい。それじゃあいよいよ潜伏生活も終わりだな。あの人数で朝州中探されたんじゃいくらなんでも見つかるぜ」
少女はフォークをグルグルと宙で揺らしながら言う。
「だろうな。さすがに」
「なんだ、余裕があるな。いよいよオレが派手に暴れれば良いのか」
「ふむ、そうだな。どうするか」
「要領を得ないやつだな。核心を言ってもらえませんかね」
若干イラつく少女に菅里は相変わらずの陰気な視線だった。これといった感情の波は見られない。
「もうすぐ《青い月》が満ちる。そうすれば《路》が開ける」
「ああ? カミサマはどうするんだ。あっちとの繋がりがまだ足りないんだろう」
「ああ、だからだ。これで問題ない」
「いい加減に怒鳴るぞてめぇ。要点を言えってんだよ」
少女はフォークを乱暴に振り回す。それと同時に、少女の周りの空気が光始めた。淡いセピア色だ。そして、どこからかどんどん..、と和太鼓のような音が連続で響いてきた。空気が軋みを上げる。ざわざわと風が吹く。
「計画は予定通りだ。お前の長い苦しみもようやく終わる」
「ああ、そらそうだろう。そうじゃないと困る。お前に協力したカイってもんがねぇ」
少女は今までの自分を思い出した。生まれてから10歳になるまでを、そしてそこからの10年を。
まるでまともでなかった10年を。
生きた心地のなかった10年を。
この世の外側に居た10年を。
ただ、普通の人々を羨ましいと思いながら眺めることしか出来なかった10年を。
それが、もうすぐ終わる。この男の手で。ようやく、他の人々と変わらない生活が手に入る。
そのために、目の前に現れ自分を認識したこの男に少女は協力したのだ。
目的を果たすためならなんだってするし、どんな苦労にも困難にも打ち勝ってみせるつもりだった。そして、少女にはその力が有ったのだ。
「だから、これで良いのだ。連中が一斉に動くのは好都合だ」
菅里は少女を見据えて言った。
そして、菅里は少女にこれから取る行動の概要を言った。いつもどおり、生徒に講義する教師のように理路整然と非常に分かりやすくその内容を少女に伝えたのだ。
全て聞き終えると少女の表情は怒りから納得に変わっていた。
「なんだ、そういうことだったのか。なら、今までされるがままになってたのも全部計画のうちだったってのか」
「ああ、これでピースは完全に揃う」
「万事快調か。なら安心だ」
少女はそう言ってたらこスパの最後の塊を口に入れた。
そして、もぐもぐ食べながら言う。
「そういうことはちゃんと最初に言っといてもらいたいもんだな」
「お前が言う通りにしなかった時点で変更した流れだ。お前の性格上、あの青年にペラペラ話す危険もあった」
「信用が無いね」
「もう少し自重しろと言っている」
「へいへい。まぁなら、オレたちはゆっくり経過を見守ればいいんだな。少しつまらねぇ」
「いや、やはりお前にも少し動いてもらうとしよう。計画は最終段階だ」
「お! 良い良ねいね。そういうのを待ってた」
「ああ。頼んだぞ小佐野」
菅里の言葉に少女は、小佐野はワクワクと目を輝かせるのだった。
双方がぶつかる決戦は3日後に定まったのだった。
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