第7話

「日向流一之太刀、白断」

 巨大な蛇のデブリはその首のひとつを落とした。ひとつというのはこの蛇は首が二つに分かれているのである。なので、激痛に悶え暴れ狂っていたがまだ死んではいなかった。戦闘開始から早10分、昨日までの古津鹿からしたらずいぶん時間をかけようやく有効打を与えたところだった。

「ちっ! やっぱり死なないか!」

 蛇はその巨大でバカみたいに長い体をひとしきりのたうたせるとまたチロチロと舌を出しながら起き上がった。忌々しそうに古津鹿を睨んだ。古津鹿の周りは巨大な蛇のとぐろの真ん中にあった。俺と九条はその外側からまた例の姿を隠す跳流術を使って見守っているところだった。

「おまけにここまで再生するのか。面倒極まりないわね」

 見れば今切り落とした蛇の首、それがメリメリと音を立てて盛り上がっていた。再生だ。この蛇は頭を再生させているのだ。これが、このデブリ固有の能力であるらしかった。俺たちを襲撃したこの蛇の力。最初こそ「長細いから切りやすい」などとのたまっていた古津鹿だったが戦ってみればこの蛇は切ったところを片っ端から再生していったのだ。切っても切っても傷を負わないこのデブリに古津鹿は苦戦していた。

 俺たちはこの町外れの川縁に来ていた。一級河川下室川、その川縁。夏には花火大会なども行われる地元民に馴染みのある場所だ。河原は大きな石がごろごろしており足場が悪い。街灯は無く今の時間は真っ暗なので注意しないと普通に転びそうになる。ここらは全然整備はされていない。だが、そのおかげで余計な人工物は無くだだっ広い。ここなら何が起きても対処しやすいということで行動を起こすことにしたのだ。すなわち、俺の右手を使った跳流の流れの操作である。九条はこの前と同じように杭を地面に立てた。しかし、今回はより並べた範囲が大きかった。

 そうして準備が整い、また右手のデブリに干渉しようとしたときだった。

 メキメキと木々を倒しながら対岸からこの蛇のデブリが現れたのだ。

 そしてそのまま古津鹿が刀を抜き、戦闘が始まったのである。

「古津鹿さん。ひとつがダメならふたつ同時ですよ」

「分かってるわよ! なんとなくそんな気がしてた」

「私もこれといった確信は無くなんとなくそんな気がしたんです」

 再生したふたつの首でデブリは古津鹿に襲いかかる。

「日向流二之太刀」

 古津鹿が後ろに飛びすさりながら刀を中断に構える。

「重ね吹雪」

 そして、今度は蛇の首がふたつとも跳ね飛んだ。今度はデブリは苦痛に悶えることはなかった。その体はふたつの首が跳ね飛んだと同時に力を失い、ドタンと大きな音と振動を立てながら倒れた。勝負有りだ。蛇の体は切られた首の断面から金色のもやになって消滅していった。

「まったく、手こずったわ」

 古津鹿は慣れた動きで刀を鞘に戻した。

 安全を確信すると九条は円形に並んだ杭の内から出る。

「これって完全に菅里が差し向けたのよね」

「間違い無いでしょうね。向こうはもうこっちの行動を把握しているみたいですね」

「本人は出てこないわね」

「当然でしょう。やつ自身は普通の人間です。梓さんを相手にしたらひとたまりもありませんからね。だから、地道に邪魔して尻尾を掴むしかない」

 今のデブリは菅里が俺たちの行動を止めようと送り込んだ刺客のようなものだったらしい。つまり、菅里はこっちにデブリを奪われたことも、俺たちがやつの計画を邪魔しようとしていることも承知しているのだ。しかし、自分自身が出ていって邪魔するわけにはいかないのでデブリを送り込んでいるわけである。だが、それもあっけなく古津鹿に倒されてしまった。

 状況だけ見ればこっちが優勢に見えなくもないが。

 そして、九条は俺の周りの杭から紐をたぐる。前と同じだ。これに薬品を垂らして俺の右手のデブリの能力を動かすのだ。

「じゃあ、気を取り直して始めましょうか。良いですか三好さん」

「ええ、どうぞ」

「妙な感じしたらすぐに言うのよ」

「分かったよ」

 仕事場での俺の現状を見てからそこはかとなく俺に気を使うようになった古津鹿だった。

 とにかく、九条は朱色の紐に薬品を垂らした。すると、ミシ、と右手が小さく軋んだ。そして、淡く袖口からセピア色の光が漏れる。まくりあげれば右手の模様が光っているはずだ。デブリの力はしっかり起動したらしい。

「今回はこの前よりも弱めに作ってあります。跳流がまとまってもデブリになることはありません」

 そして、目に見える変化が夜の河原に起きる。宙にセピア色の帯が現れそれがぐるぐると辺りを渦巻きだしたのだ。それも結構な広範囲で。サッカーグラウンド一面分くらいはあるだろうか。

「この前は高密度に凝縮されていましたが今回は渦を分散させているわけですね。これならデブリを生まずに跳流の流れを乱せる」

「ほんとに上手く作用するんでしょうね」

「抜かりはありませんよ。梓さんが三好さんを見張ってる間丸一日かけて計算したんですから」

 セピア色の帯は大気を渦巻き渦巻き、やがて溶けるように消えていった。素人にはこれが成功なのか失敗なのか分からなかった。

「ふむ、こんなところですかね」

「これでここらは数日間は乱れたままか」

 どうやら成功らしい。俺はひと安心だった。

 仕事に協力するといってもこんなものらしい。若干拍子抜けだった。はっきり言って本当にただ立っていただけなのだから。こんなことであれだけのお礼を貰っても良いものなのか若干不安になる。

「あ、こんなことでお礼もらって良いのかって思ったでしょ」

「んん? い、いやまぁ...」

「私たちが護るとはいえ命の危険は伴っていますからね。一般人のあなたにそれだけのリスクを負ってもらうということはあれだけは払わなくてはなりませんよ」

「そういうこと。だからなんにも気にしなくて良いのよ。貰えるもんは貰っとけば良いわ」

 そう言うなら気にしないことにするのだった。

 とにかく、今日の協力は終わった。移動時間と段取り合わせを合計しても1時間半もかかっていないだろうか。仕事終わりに指示された通りに立っているだけで良い簡単なアルバイト、それも報酬は多い。なんかやっぱり少しばかり後ろめたさは生まれる。

 しかし、これは街のためになるのだ。色々WINWINなのだろう。どっかに皺寄せは行っているのかもしれないが。それでも、全部上手くいくと良いと思う。というか、

「あとどれくらいこういうことすれば良いんですかね」

「まぁ、菅里が尻尾を出すまでかしらね」

「それを待つのもいいですが、向こうがああやってデブリを送り込むなら話は少し変わります。行政の方で跳流をマッピングしているはずですからそのデータから発生パターンを割り出せればある程度菅里の行動を追うことが出来ますよ」

「なるほど。ってことはあっちがちょっかいかければかけるほど追い詰められるってことか」

「理屈ではそうなりますね」

 なるほど。ということはとりあえずこういったことを続けていけば良いのか。そうするだけでどんどん菅里に近づけるというわけだ。それはつまり、状況はこっちに優勢ということではないか。こっちはこれとって努力をせず、こうしているだけであっちが勝手にボロを出すのだ。ひょっとして、この右手のデブリは俺が思っていた以上に有効な切り札だったのか。

「あっちが乱れを無理矢理直すっていう方向は?」

「直すのは乱すのより手間がかかりますからね。どっちみち乱れた場所に出向かなくてはなりませんからそれもまたリスキーです」

「なるほど、なら本当に私たちが優勢なわけ?」

「ふむ」

 しかし、九条は素直にうん、とは言わなかった。

「梓さんはどう思いますか」

「菅里誠一郎がそんな簡単に追い詰められるとは思えないわ」

 それを聞いて九条もため息を吐いた。

「でしょうね。私が簡単に理解出来る現状を向こうが把握していないわけがない。だから、この状況を放置するはずは無い」

「もしくはこの状況でも問題無いほどタイムリミットが近いって可能性もあるわね」

「どの道、これで大丈夫なんて思って良いはずはありませんよ」

 二人は全然喜んではいなかった。どうやら、これですべて上手くいくというわけでは無いらしい。二人の表情は相変わらず厳しいものだ。

 菅里誠一郎、その男が恐ろしい人間であるということがその顔から察せられた。



 とにかくその日はそれで終わりだった。仕事が終わると事務所で九条が晩飯を作ってくれた。おごってくれるとはこういうことだったらしい。先日知り合ったばかりの男がかいがいしく俺に晩飯を振る舞ってくれるというのはなんだか妙な、いや少し気色悪いようなそんな感じだった。しかし、食べてみればかなり美味しかった。九条は胡散臭い見た目の割りには料理は上手いらしい。

 聞けば週に何回かこんな感じで事務所で晩飯を食べているそうだ。俺がそこに加わる形である。

 一般的な会社から考えれば中々無いことだ。この二人はこう見えて仲は良いのだと思う。俺が仕事場の人間と一緒にわいわい晩飯を食べるところなど想像も出来ない。年に何回かの飲み会でも弱々しく笑いながら隅の方で静かにしていることしか出来ないのだから。

「ここで晩飯作らない時はどこかに連れてってくれるんでしょう。九条が」

「い、いやぁ。そんなに頻繁には。まぁ、事が済むまではなるべくごちそうすることにしますよ」

「三好さんはそういうの大丈夫? 嫌なら外で食べたり買い物したりしたのを経費で落とすことも出来るけど」

 という話だった。正直、友人でも家族でもない他人と晩飯を食べるのは中々無いし若干抵抗はあった。しかし、わざわざ家に帰って買い物するのも面倒だし、九条の飯は旨かったのでここでしばらくごちそうになることにした。

 そういうわけで帰宅したのだった。

 そして、明日は日曜だった。

 というわけで俺は酒を飲むのだった。

「ああ、まだビールはあったな」

 俺は冷蔵庫を開けて中を確認する。虎の子のプレモロが3本残っていた。つまみもジャーキーに貝柱がある。なんだかんだ俺は酒が好きである。週末には必ず飲むし、つまみも基本的に切らしたことが無い。数少ない楽しみのひとつだ。これが無くては耐えきれない。

 シャワーを浴び、スウェットに着替え、それから上にじんべえを羽織る。俺はビールを3本持ってベランダに出た。非常に寒い。部屋の中から電気ストーブを引っ張ってベランダに据える。それからキャンプ用品の椅子と、小さい机をセットする。これで俺の週末の一時が始めるわけだ。年中こんな感じである。さすがに冬は1本飲むと部屋に入るが基本的に俺はベランダで酒を飲むのが好きなのだ。ここから見えるのは民家の屋根と、その向こうの田んぼだけだ。夜ともなれば田んぼなんて明かりの無いただの闇である。しかし、なんとなくこの景色を見ながら飲むのが好きだった。本当になんとなくだ。

 俺は一本ビールを開け、ジャーキーの袋も開ける。一口飲んで、ジャーキーをくわえた。しょっぱくどい味わいが口の中に広がり、ビールの残り香と混じってうまかった。気分が良かった。

 ほろ酔いになりながら俺はこの一週間を振り替える。はっきり言ってめちゃくちゃだった。そして、これからもそれは続く。妙なことになったなぁ、などと思いながら景色をなんとなく眺める。週末だった。

 と、ベランダにある隣の部屋との仕切り、その向こうで窓の開く音がした。隣人が出てきたらしい。隣の部屋はこないだまで空き部屋で、そんでもって今は....ああそうだった。そういえばそうだった。

「寒い...」

 ついさっきまで車の中で聞いた声がした。古津鹿だった。護衛のために隣の部屋に住むことになったというのは本当だったらしい。

 カシュ、と音がする。古津鹿もなにか飲んでいるらしい。

「酒か?」

 俺はなんの気無しに聞いた。同時に向こうで口に含んだものを吹き出す音がした。

「げほっ。驚いた。あんた居たの」

「ああ、酒飲んでる」

「この寒いのに物好きねぇ。まぁ、私も飲んでるんだけど」

「護衛中にそんなの飲んで良いのか?」

「一本くらいいいわよ。でも、一応九条には黙っといてね」

 古津鹿は苦笑していた。言ってしまえば古津鹿は一日中仕事みたいなものである。付きっきりで護衛とはそういうことだ。何も起きなければ楽なのかもしれないがそれでも自分の時間をほぼ仕事に当てるというのは中々の苦痛だと思う。

「大変だなあんたも」

「まぁ、そういう仕事だから。こんなのは特殊だけど」

 確かにデブリ狩りが主の駆除屋が人間の護衛なんてするはずは無いだろう。

「いろんなことしなくちゃなんだなぁ」

「そうね。必要に応じていろんな仕事が発生する仕事ねぇ。続く人は続くけど辞める人はすぐに辞めてくわねぇ」

「そうかぁ。そういう仕事かぁ」

 酔いも段々回ってきた。そうすると体も少し暖かくなってくる。俺は気分良くもう一本ビールを開けた。古津鹿と話ながら飲むのも悪くはない。古津鹿の方もどうやら人と話すのが好きらしく俺との会話に乗ってくれた。ここで飲んで人と話すのは初めてだった。楽しく話ながら酒を飲むのも久々だった。古津鹿は非常に話しやすい。不思議なやつである。

 俺たちはちょっとした世間話をしばらくした。俺の趣味だの、休日の過ごし方だの、古津鹿の仕事だの生活だの、この辺の旨い飯屋だの、安いスーパーだの、本当に他愛の無い話だった。静かに車の走る音が響いていた。遠くで電車が走っていった。

 一通り話すとなんとなく少し打ち解けた気がして、俺はまた仕事の話を少し聞こうと思った。というか、一番気になっていることがあった。

「なぁ、菅里誠一郎ってどんなやつなんだ」

「ああ、その話を聞きたかったのねぇ」

 古津鹿はさっきまでと少し声の調子を変えた。固くほんのわずかに冷えた声。

「一言で言えばマッドサイエンティスト。昔は異界調査局ってとこで副局長をしてて、国のお膝元で《裏側》の研究をしてたのよ。でも、ある日研究成果と一緒に姿を眩ましたの。30年くらい前らしいわ。それから、デブリを作ったり、不確定存在と交信を試みるために山ひとつ跳流の中に沈めたり、人工的に神宿を作ろうとしたり、とにかく狂ったことをたくさんやったのよ。そのせいで山ほどの人の人生が狂わされて、死んだ人も居た。九条の友達もその一人、それから私の両親もそうかもしれないって話」

「あ...」

 俺はどういう反応をすれば良いか分からなかった。

「気にしなくて良いわよ。九条は全然隠す気も無いし、私のはまだ赤ん坊のころの話だし」

「そ、そうか」

「あいつはそうやって、不幸を撒き散らしながらこの日本をさ迷ってきたの。《裏側》に行くとかいう目的のために」

「行けるものなのか? ていうかどうやって行くんだ?」

「行けるかどうかは分からないらしいは。行き方は《路》っていう裏側に通じる通路を無理矢理作るらしいんだけどこれも実現できるかは分からないって。だから、あいつがやってることがどういう影響と結果をもたらすかはまだ良く分からないって感じなの。でも、どうせろくでもない。だから、止めるのよ」

 古津鹿の口調に淀みは無かった。暗い感情のようなものもあまり無かった。

「敵討ちとかそういうことなのか」

「九条はそうでしょうね。だから、あんたを詐欺まがいのやり方で巻き込んででも菅里に迫ろうとした。でも、私は親の顔さえ良く覚えてないからそこで憎しみみたいなものはあんまり無いわね。引き取ってくれたばあちゃんとじいちゃんは良くしてくれたし」

 古津鹿が一口酒を含んだ音がした。遠くで救急車のサイレンが響いていた。

「だから、私がやつを追うのはある意味の落とし前を付けるためね。顔を見たことが無いけど親を殺したんだもの。娘としてその男を捕まえるっていう落とし前。あとは、今まで会ってきた人たちの中にも菅里に人生を壊された人は居たから。敵討ちっていうならそういう人たちのためになるかな」

 古津鹿は若干声を落としながら、しかし淡々と言った。

 なんというか壮絶な話だった。現代日本では中々聞かない話だった。悪党に親や友人を殺されるなんて。その悪党を追うなんて。遠いどこか別の場所でしか起きない話だと思っていた。だが、今しきりの向こうに居る女はそういう世界に身を置いているのだ。

「す、すまん。なんて言えばいいのか...」

「良いの良いの。そんなに重くならないで。こっちが勝手に話しただけなんだから。そもそも巻き込まれただけのあんたがそんなに思い詰める必要無いわよ」

「お、おう」

 かける言葉の無い自分が情けない。俺というやつは機転が効かない。でも、なんだか「そんなだから仕事も上手くいかないんだ」とは思いたくはなかった。そんな風に繋げるのは失礼なように思われた。なので、古津鹿の言う通りにあまり気にしないことにした。だから、その代わりに言うのだった。

「なんか、頑張るよ」

「そんな気張らないで良いわよ。頑張るのは私たちで、あんたはただ協力してくれるだけで良いんだから」

「うーん、いや。菅里を必ず追い詰めよう」

「わ、分かったわよ。頑張りましょう」

 そんな感じで二人で、いや主に俺一人で気持ちを新たにしたのだった。

 その後もどうでも良い話をしばらくした。楽しかった。酒が旨かった。なんだかんだ、色々あったがこいつらと関わるようになったのは良いことかもしれないと思った。この年になってこんな面白いことが起きるとは思ってもみなかったのだ。

 そして、小一時間ほど話して、お互いがそれぞれの部屋に入った。さすがに体が冷えた。

 こたつに入って少し暖まろうと思ったが、俺はそのまま眠りに落ちていったのだった。

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