第6話
「なんでこんなことも出来ないんだ!」
「すいません」
「もうすぐ2年だろ! 坂本なんか1年でもうあんなに出来てるんだぞ!」
「すいません」
俺は謝っていた。怒られていた。これは日常茶飯事であり、いつもの光景であり、そしてどれだけ経験しても慣れるということの無い行為だった。
「いい加減にしろよお前! 早く一人前になってもらわないと困るんだよ!」
「はい、すいません」
そうして、俺の上司は持ち場に戻っていった。俺も果てしなく憂鬱な気持ちで自分の持ち場に戻る。
今日も今日とてこの調子だ。昨日もこんな感じで、一昨日もこんな感じで、なんならこの何ヵ月とずっとこの調子だった。恐らく明日もこの調子であり、明後日も、そしてその先もこの調子であるように思われた。俺の毎日はこんな感じだった。悲しいものであり、哀れなものであり、みじめなものであった。
周りの人々の視線が痛い。怒られる度に周りの視線を気にしてしまう。自分がどういう風に見られているか、果たして居場所を失ってはいないか、チラチラと周りを伺ってしまう。こういうキョドキョドした感じがさらに周りからのイメージを悪くしているのだろうが正直どうしようもない。俺はこういう人間で、こんな感じで二十数年やってきたのだ。今さら変えようとしてもなかなか変わるものではない。成功する人などはこういうところを意図的に直せるのだろうか。そうやって短所を直し、困難を乗り越え成功を手にするのだろうか。それがサクセスロードなのだろうか。そういう人間でないので分からない。
とにかく、俺の仕事場での様子は絵に描いたような『出来ない人間』だった。
そんな風に目の前で積み上がっていく段ボールを見ながら思っていた。
そして、昼休憩の時間になっていた。俺は弁当を持って歩いている。向かうは外の休憩所だった。工場の中にも休憩所はあったが、外にも簡易なものがある。天気の良い日は外で食べたいとかいう社員の意見を反映したとかなんとか。だが、あんまり使う人は居ない。そもそも今は冬なのでなおのことだ。テーブルひとつに椅子が四脚、俺はそこのひとつに座った。
「お疲れさま」
「あんたもな」
「私はずっとこの辺に居ただけだから、せいぜい暇疲れね」
銀髪の女、古津鹿だった。目の前にはコンビニ弁当が置かれていた。ルーソンの安い幕の内弁当だった。俺も弁当を広げる。
「すごい、自分で作ってんの?」
「全部冷凍食品だよ」
ハンバーグにオムレツにサラダに、色々あるが全て冷食だった。男の独り暮らしなんてこんなものだ。
「作ってるだけ偉いと思うけどね」
「2分レンジでチンするだけだから偉いもなにも無いよ」
俺は冷食ハンバーグを口に入れながら言った。旨いといえば旨いと言ったような味だった。いつもの味だ。それから水筒からコップにお茶を注いで飲んだ。いつもの味だ。なんというか無味無臭の昼飯だと思う。そんなこと言ったら冷食の会社の人が怒るのだろうか。
古津鹿もパクパクと幕の内弁当を食べていた。傍らには麦茶が置かれていた。ホットだ。たかが、コンビニ飯なのに古津鹿は上機嫌で食うのだった。景気の良い女だと思った。
「なんか変化はあったのか?」
「ん? そうね、今んとこ別に無しね。至って平和だわ」
「それは良かった。出来れば職場を戦場にしたくないからな」
昨日や一昨日の光景を思い出す。あんなことになったら職場はひとたまりも無い。壁は吹き飛び、屋根は剥がれ落ち、中の工作機械は無惨にスクラップと化すだろう。工場の経営は確実に傾く。そうなるべきでは無い。どれだけ怒られて来るだけで憂鬱になる職場でもそんなことになって欲しくは無い。
「工場の人には上手く話通しといてくれたんだな」
「ええ。まぁ、行政の方から正式な礼状があるからすぐに承諾してくれたみたいね」
古津鹿が居るということで職場には若干の緊張感があった。駆除屋なんて普通の人は滅多に関わらないためだろう。今この街にはすごい数の駆除屋が居るがそれでもやはり一般人は直接関わることはあまり無いのだ。事件の中心に自分達が突然放り込まれたようで驚いているのかもしれない。
「職場の人はなんか言ってた? 邪魔とか。車はあそこで良いって言ってたんだけど、注文があれば聞くわよ」
「さぁ、どうだろうな。そんな雰囲気は無かったけど。特に何も言われなかったし」
「なら、良いけど。ていうか、結構大層なことになってるのになにも言われないのか。ドライな職場ねぇ」
「まぁ、日頃からこれといって会話しないからな俺は」
「ふぅん。職場では寡黙なの」
「いや、仕事できないからあんまり周りが関わってこない」
残念な事実だったがその通りだから仕方が無かった。いわゆる腫れ物扱いだ。
「そ、そうなの。そういえばなんか上司っぽい人に怒られてたわねさっき。ドアが開いてたから見えたわ」
「まぁ、あんなのは残念ながらいつものことだ」
俺は冷食の肉団子を口に入れた。やはり旨いといえば旨いといったような味だった。
「ふぅん。大変なのね」
「まぁな。毎日大変だ」
部外者の古津鹿が言えるのはそれだけで俺が言えるのもそれだけだった。
大変で大変で大変で大変で、一体いつまでこんななのだろうと思う。それでもやっていくしかない。いつか出来るようになると思いながらやっていくしかなかった。
仕事を変えようかとも思ったりしたが職歴真っ白の俺が入れる仕事ではここが一番上等でだ。俺は頭も良くない。得意なことも別に無い。そもそも段ボールを積むだけの簡単なお仕事だ。これくらい出来なくてはならないだろう。ここが俺にとっての最前線だろうと思う。職を変えたり、場所を変えたり色々自分に合った場所を探して軽やかに生きていく人たちが居るのも知っている。彼らからすれば俺はバカな生き方をしているのかもしれない。でも、そんな器用な生き方はそれはそれで上手く出来る気がしない。
結局、ここ以外に行くところがあるとは思えなかった。俺みたいなうすぼんやりした人間にはこういう生活がお似合いでしかないのだろう。多分ここで戦うしかなくて、ここで戦うのが正しいのだと俺は思っている。だから、どれだけ怒られても、どれだけ邪険に扱われても、頑張れる内はここで頑張りたいのだった。まぁ、頑張れなくなりそうだったらとっとと尻尾を巻いて逃げるつもりだが。もしそうなら、俺にはまともな生活を送る度量すら無かったということだ。大人しく死ぬまでフリーターをするしかない。
それに、理由は実のところ他にもあるのだし。
「これ、食べる?」
と、自分の身の振りについて考えていた俺に古津鹿が幕の内弁当のしいたけを差し出してきた。
「なんでだ。嫌いなのか」
「そういうわけじゃないけど、なんとなく」
「なんじゃそりゃ」
くれるというならとりあえずありがたく貰っておく。俺はしいたけを弁当に乗せてもらい、口に放った。不思議とやけに旨かった。昼に冷凍食品以外を食ったのも久々だった。まったく、どこまでくすんだ日常なのか。昼飯を旨いと感じたのも久々だったのだ。
「あとこれ」
そして、さらに古津鹿は缶コーヒーを差し出した。横の椅子に置かれていたらしい。
「食後のコーヒーは良いわよ」
「そ、そうか。どうも」
俺はこれもありがたく受けとる。ジョージワだった。ありふれた缶コーヒーだったがこれも飲むとやけに旨かった。
「なんか旨いな」
「それは良かったわ」
古津鹿は笑っていた。謎な女だ。だが、いわゆるこれは真心的なものなのではなかろうか。あんまり薄ぼんやりしている俺に古津鹿は不器用に優しさを向けてくれたのかもしれない。
そう思って、人とまともに関わったのも誰かに優しくされたのも随分久々なことに気づいたのだった。
「さて、じゃあ昼飯の続きといきますか」
そう言って、古津鹿は脇からしょうが焼き弁当を取り出しテーブルに置いた。
「ん?」
「やっぱ弁当ふたつは食っとかないとねー」
意味不明だった。そして古津鹿はご機嫌でしょうが焼き弁当を平らげ、さらにチキンとプリンを食べたのだった。
そうして、その日は終わりを迎えた。これといった異常は無かった。午後もいつも通り怒られて世はなべて事も無しだった。いや、俺は事有りなのだがとにかく世の中は平和だった。無事一日目は終わりといったところだった。
俺は更衣室で着替えを済ませる。周りで他の社員は楽しげに会話しているが俺はそそくさと更衣室を後にする。仲の良いと言える人は居ないに等しいし、長居していたら俺に怒気を向ける誰かが来るかもしれない。さっさと出るに越したことは無いのだ。これが日陰者社員の処世術である。
そういう寂しい情報はどうでも良いとして俺は外に出る。冬の5時半、日はとっくに落ちている。駐車場では古津鹿が待っていた。また缶コーヒーを持っている。
「お疲れさま。大変だったわね」
そう言ってまた俺に差し出してくるのだった。ものをこんなに渡してくるのはどこか実家のばあちゃんを連想させた。とにかくありがたい。俺は受け取ってカシュ、と栓を開けた。またジョージワだ。昼のと同じ銘柄で、古津鹿のもそうだった。そんなにこの銘柄が好きなのか。
「で、今日は協力してくれるんだったわね」
「ああ。暇だからな。まぁ、平日の夕方からは基本的に暇なんだけどな。今日は特にすることがない」
洗濯も昨日済ませたし、買い物も行く必要は無い。協力する日の晩飯はなんとこいつらがおごってくれるという話なのだ。なので家事が必要最低限で済むのである。
「じゃあ、よろしく頼むわね」
「おう」
古津鹿にうながされるままに俺はミニバンに乗り込んだ。護衛してもらっているのでなんと送り迎えを古津鹿にしてもらっているわけである。後ろの席にはいつも古津鹿が使っている刀と、スコップだの工具だの何に使うか分からない機械だのが置かれていた。現場仕事の人間が使う車といった感じだった。
「じゃあ、とりあえず事務所に向かうから」
「了解」
ミニバンはガリゴリと音を立てながら発進した。もう零度近いのか路面が若干凍結しているようだった。
平日の街は皆帰宅を始めているところだった。道は帰宅する車で溢れ返り、半分渋滞のような状態にもなっている。しかし、古津鹿もこの辺の交通事情には通じているようで混む道を裏道でかわしながら郊外の現場事務所に向かっていった。
そして、街中を抜け国道を走りもうすぐ現場事務所というところで古津鹿はコンビニに入った。ハミマだった。
「ちょっとおやつ買ってくわ」
「あ、ああ」
俺の脳裏に昼飯の時の映像が過った。どうやら古津鹿は恐るべき大食いなのであるらしい。一体どれだけの量のおやつを買ってくるのだろうか。
不安になっている俺を他所に古津鹿はコンビニに入っていってしまう。俺も続いて、そんで午前の紅茶を買ってすぐに出た。ちらりと見れば古津鹿はたんまりとお菓子の袋をかごに入れながらまだ目を輝かせて棚を物色している。どうなっているのか。とにかく、まだ少しかかりそうなので俺は午前の紅茶を飲みながら外で待つことにするのだった。
外は寒かった。午前の紅茶で体を暖めながらなんとなく空を見上げた。雲がかかっていて空は見えない。月も青い月も。この雰囲気だと雪が降るのだろうか、などと思いながらまた一口紅茶を飲む。
と、
―ザクザクザク
足音だ。目の前を少女が通っていった。大学生くらいだろうか。若者らしい服装だ。青春を謳歌しているのだろうか。きっとまともな会社に入ってまともに生きるのだろうな、俺とは違って、などと自虐に陥りながらまた空に目を移すと、
―ザク。
不意に足音が止まった。俺はなんとなくまた少女に目を移した。すると、ガッチリと目が合った。目の前に、真正面に、体を俺に向けて少女が立っていたのだ。
なんだ。俺は何かしたのか。なにか変なことでもしていたか。どうしてこの少女はガッツリ俺を見ているんだ。
「よう、久しぶり」
と少女が言った。久しぶり? 俺はいぶかしむ。
―ジジジジジジジ....
妙な耳鳴りが聞こえた。なんだろうか、と思いながら俺は少女に応える。
「なんだ、どうしてここに居るんだ。真伊」
「暇だったからこっちにドライブだ」
真伊はニカ、と笑う。こいつは笹本真伊。俺の従姉妹だった。会うのは数年ぶりだ。こいつは大学に進んでいて、正月帰ってくる時期がずれているのであまり会わないのだ。あんまり普通に大学生みたいになっていたから気づかなかった。若干ショックだった。妹みたいなやつだったのにこんなに変わってしまうものか。俺の知らないうちに周りの人間はどんどん変わっていくということなのか。
「どうしたんだ。なんか静かだな」
「あ、ああ。なんか普通に大学生になっててビビっただけだ」
「なんだそりゃあ」
真伊はゴス、と軽く肘を入れてきた。こういう動作も懐かしい。こんなやり取りも数年ぶりだった。
いや、まったく。こっちで知り合いに会うのも久々だ。なにかそこはかとなく安心した。
しかし、心配なところもひとつある。
「ていうかお前。今この街は大変なんだぞ。危ないぜ。なんでわざわざこの時期にここなんだよ」
「ははは。言ってなかったか。俺が進んだのはデブリ研究の研究室なんだぜ? だから、単純に学業のためさ」
「な、そんなところに進んでたのかよ」
正直大学に進んだという情報だけでどんな方向に進んだとかは全然知らなかった。親戚の進路情報なぞそんなものだろう。というか、そもそも高卒の俺は大学のシステムを良く知らないのだ。言われてもちんぷんかんぷんだ。センター試験がなんなのかすら知らない。何が真ん中なのか分からないのだ。
「そうかぁ、デブリ研究か。なら、俺が今関わってる人たちは先輩になるのかね」
「関わってる人たち?」
「いや、駆除屋の世話になっててな。まぁ、詳しくは話せないことになってんだけどさ」
契約がある。話ながらひょっとして世話になってること自体話さない方が良かったのだろうかとも思った。やってしまっただろうか。いや、契約書にはそこまで書かれてはいなかったはずだ。などと、若干冷や汗を流したがら考えていると、
「ふぅん。それってその右手のデブリの絡み?」
「え」
衝撃を受けた。
「なんで分かる」
「あーあ、引っ掛かったな。白ばっくれれば良かったのに」
「あ、なるほど。じゃなくてそこまで詳しくわかってるってことは確信持ってるんだろ、なんで分かるんだよ」
「デブリ研究してるんだぜ? それくらい分かって当然だろ」
「マジかよ」
そうなのか。デブリ研究家とはそういうものなのか。ひと目見ただけで俺の右手にデブリが居ると分かってしまうものなのか。デブリ研究家がハイスペックな連中だったとは知らなかった。
「ふぅん」
そう言って真伊は俺の右手を取る。そして、袖を上げた。そこには刻まれたデブリの紋様がある。デブリが右手に居る証だ。
「お、おい。一応秘匿することになってるからだな。あんまりそうじっくりとは」
「ははぁ。結構しっかり入ってるな。剥がすのはちょっと骨か」
「なに言ってんだ。良いからよしなさい」
「右手ごと行くのもなぁ」
「お、おい! いい加減にしろ!」
俺は真伊から右手を振りほどく。
「真伊。お前が自分勝手なのは昔からだけどな、もうちょっと相手の言うことを聞かないとだめだぞ」
「なんだ説教かよ」
そう言った真伊の目が、人間とは思えないほど冷たいものに見えた。それは俺の記憶の真伊からはかけ離れた目で、俺は思わず。
「どうしたんだお前は!」
思わず叫んでしまった。
「都会でなにかあったのか。相談なら乗るぞ俺は」
とりあえず、言うべきと思ったことを言っておいた。
それを聞いた真伊は一気に目から冷たさが失せた。
代わりに吹き出した。
「なんだよそりゃあ。良いお兄ちゃんかあんたは」
「な、なんだよ。そんなに変なこと言ったか?」
「でも、説教臭いのはダメだな。そんなんじゃ若者には好かれないぜ」
「余計なお世話だ」
ケタケタと真伊は笑っていた。不思議なことにこんな風に笑った真伊を見たのは初めてなような気がした。記憶の中では良く笑っていたのに何故だろうか。
「良いねあんた。良い感じだ。なんか普通の人って感じだ。面白い」
真伊はなぜか俺が面白くて仕方ないらしい。昔こんな笑われただろうか。
と、その時だった。横手の自動ドアが空く。見れば古津鹿が出てきたところだった。お菓子を満載したレジ袋をふたつも持っている。どうなっているんだこいつは。
「ごめんごめん待った?」
そう言って古津鹿はこっちに歩いてくる。
「いや、こいつと話してたからそんな待ったって感じは....」
と、言いながらまた視線を戻すといつの間にか真伊が消えていた。
「ん? 誰か居たの?」
「あ、ああ。今まで従姉妹がここに居たんだけどな。なんだ、逃げ足が速いなあいつは」
俺が笑われて若干腹を立てているのを感じたのだろうか。もしくは他人の古津鹿と顔を合わせるのを避けたのか。あいつは人見知りなところがあったのだった。
「ちゃんと宿あるのかね。まったく」
俺は漏らす。
そして、小さくため息。突然で驚いたが久々に会えて良かった。元気そうで良かった。そう思った。
「ふぅん。ちょっと跳流が乱れてるわね、変な感じ」
「ん?」
「なんかこの変にでっかいデブリでも通ったのかしら。実体が無いタイプも居るのよねぇ。そういうのは実害も少ないなんだけど」
「えええ。ここにデブリが居たのか!?」
なんて恐ろしいことを言ってくれるんだ。従姉妹と楽しく談笑してたのにそんな自然災害みたなものが通りすぎていたのか。まったくこの街はなんて恐ろしいことになっているのか。
恐怖をひしひしと感じ、俺はまたこの事件を解決することへの思いを新たにしたのだった。
それから、またミニバンに乗り込み俺たちは事務所に向かった。車の中で古津鹿はじょがりこをもりもり食べたのだった。
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