第5話

  時刻は昼前になった。日が昇り、田舎の小都市も若干の賑やかさに包まれている。三好たちは現場事務所まで戻ってきた。プレハブ小屋に入り、九条が電気とストーブを付ける。ストーブはほどなくしてチキチキと音を立てて起動した。

「さて、お疲れさまでした三好さん」

「は、はぁ.....」

 俺はげんなりしていた。

「良く澄まし顔で言えたもんね。今に始まったことじゃないけどあんたの面の皮の厚さには呆れるわ」

 そして、古津鹿はかなり不機嫌だった。

 俺たちのそれぞれの感情はひとつの理由から発生している。つまるところ、俺が今回の件、デブリ異常頻出事件の根幹に関する話を聞いてしまったこと。そして、なし崩し的に協力するはめになってしまったことだ。一応、俺自身が聞いてしまったことだったが九条の魔術的話術に誘導されてのことなので意に反している感覚が強い。そして、古津鹿も九条のそういった悪魔のような特技を知っているので憤っているわけである。

「もう、彼は巻き込まれています。あとは進むしかありません」

「あんたがその詐欺師みたいな特技で無理矢理巻き込んだんでしょうが。それに、まだ引き返せるわよ。この人が聞いたことを他言しないって誓約書を作れば良いだけなんだから」

「なるほど」

 九条はさすがに少しは罪の意識があるのか声を落としていた。

 古津鹿は俺に目を向ける。こいつはどうやら俺の味方だった。実はまともな人間であるらしい。心強いことこの上無い。

「そうと決まれば誓約書を作るわよ。あんた、ハンコは当然持ってないわよね。家に帰って取ってきてもらえない」

「その話なんだけど。俺はこのまま協力しようかと思うんだよ」

「はぁ? あんた、まだこいつの術中にはまってるんじゃないの?」

 古津鹿は驚愕していた。

「正直、始めは明らかにハメられたと思ったし、なんでこんなことになったんだと思ったよ。でも、聞いた内容を良く考えたら協力するのも有りなんじゃないかと思うんだよ」

「でも、無理矢理よ? それで良いのあんた」

「でも、実際この街では問題が起きてて、俺の右手がそれの解決に役立つって言うんなら協力するのは良いか悪いかで言えば良いことだと思うんだ。お礼ももらえるっていうし。だから、このままいこうかと思う」

「な、なんてことなの」

 古津鹿は呆れていた。ほぼ詐欺みたいなやり方で協力するはめになったわけだが犯罪に荷担させられたわけではないのだ。一応こいつらの会社はちゃんとした会社のようだし、後ろには行政も居るから後ろ暗い仕事なわけではない。そして、この右手はデブリの異常頻出を止める手助けになる。状況を見れば協力するのが間違いというわけでは無いと思ったのだ。まぁ、ほぼ詐欺みたいなやり方を使われたのは確かなのだが。でも、詐欺みたいなやり方以外で、まともな方法で聞かされてもやはり協力したようにも思うのだった。

「加えれば、彼の右手は菅里を追い詰める手段としては現状最も有効です」

「あんたは偉そうにしないでよ」

「申し訳ない。どうしても菅里を追い詰めたいもので」

 二人はそして睨み合った。九条も古津鹿もどちらも譲らなかった。お互いになにか確固たるものがあるようだった。まぁ、どちらかといえば古津鹿の方を応援したいが。

「仕方ないわよ。本人が了承しちゃってるんなら。なら、彼に協力してもらうしかないわね」

「ありがとうございます、古津鹿さん」

「その詐欺師みたいな特技はもう使わないでよ。前にも言ったわよねこれ」

「善処しますが約束は出来ません。これも前に言いましたね」

 古津鹿は鋭く目を細め、九条はいつもの柔らかい笑顔だった。それから、古津鹿は九条から視線を切った。睨み合いは終わったらしい。なにはともあれ今後俺が二人に協力することは決まった。なにをすれば良いのかさっぱりではあったが。というか、そもそも聞きたいことがあった。

「菅里って誰なんですか?」

「菅里誠一郎、元異界調査局副局長の《裏側》専門家。15年前に蒸発し以降の消息は不明。しかし、デブリ関連の犯罪においてその痕跡が見え隠れしているデブリ犯罪における最重要人物です」

「そして、九条の友人を殺し、私の両親を殺した疑いのある男よ」

 それが菅里誠一郎の、全ての元凶の概要だった。



 それから、俺は二人から今後の方針について説明を受けた。

 俺は吉村デブリ駆除(株)の協力者として扱われること。そのように行政にも報告するということ。

 そして、それにあたり契約を結ぶこと。

 契約とはこの件に関して核心に関すること、菅里のことやデブリの発生過程に関しては他言しないということだった。

 そして、これからなにをするのかということだったが。

「あなたの右手に宿っているデブリは菅里の計画においてかなり重要な存在です。デブリを産み出す能力、しかしその本質は《跳流》の完全な制御だ。菅里はそのデブリを使ってこの街の《跳流》の流れを操作していたんです。そして、《裏側》への《路》を開こうとしていた。やつの最終目的は《裏側》に行くことです」

「多分あんたの右手以外にもそういったデブリは居るんでしょうけどその邪魔が出来るのよ。邪魔すればあっちの計画に障害が発生する。障害は解消しなくちゃならないでしょ。なら、菅里は必ず動く。動くってことは必ずどこかで尻尾が出る。そこを掴もうってわけね」

 という話らしかった。つまり、俺の右手のデブリを使って街で操作されている《跳流》の流れを乱し、菅里を誘き出すという作戦らしい。俺の協力は俺に余裕のある日で構わないということだった。そして、お礼の話だったが詐欺みたいなやり方で誘導したわりに九条は俺が軽く叫ぶくらいの額を提示した。それも詐欺かとも疑ったが契約書を交わすわけなのでとりあえず信じて良いだろうと判断した。

 そういうわけで、俺はこの二人に協力することになったのだった。

 そして、最後の話、

「それでもって、梓さん。あなたには三好さんの護衛をお願いします」

「ああ、菅里が直接彼を狙ってくる可能性もあるってことね。了解よ」

「ええ、朝から晩までこれから毎日警護していただきます」

「え、朝から晩まで?」

「ええ、どこで菅里が仕掛けてくるか分からない以上は仕方ありませんよ。別に同居しろと言っているわけじゃないですよ。ちょうど彼のアパートは彼の隣の部屋が空いているらしいですからね。そこに住んでもらいます」

「あー、なるほど」

 古津鹿はわしゃわしゃと頭を掻くのだった。古津鹿にとっても予想外だったらしい。なんだか申し訳無かったが仕方ないのだろう。そんな犯罪者に狙われたら一般人の俺ではひとたまりも無い。

「それから、上で話を通してもらいますから仕事場での警護もお願いします」

「そらそうよね。分かったわよ」

「え、仕事場に来るんですか?」

「別に作業している場所まで入るわけじゃないですよ。なにがあっても駆けつけられる場所に待機するだけです」

「え、えぇ....。う、うーん。仕方ないですね....」

 正直嫌であったがその菅里が仕事中は仕掛けないなどという保証は無いに違いなかった。ということは仕事中も警護しなくてはならないのは当然の流れということらしい。非常に厄介なことになった。俺はげんなりした。思っていた以上に大変なことになるらしい。

「では、これで話はまとまりましたね。これからよろしくお願いします」

「私生活に迷惑はかけないようちゃんと努めるわ。よろしくね、三好さん」

「ああ、はい。こちらこそよろしく」

 そういうわけで、俺の今までと違う日常が始まったのだった。






 ガリ、と彼女はクランチチョコをかじった。ボリボリと噛み砕き彼女はチョコを咀嚼した。陽光が差している。窓からだ。枝が冬の風にそよいでざぁざぁと音が立っていた。彼女はソファに座っている。ボロボロのソファ、もう放棄されて何年経つのだろうか。皮は剥がれ、中のウレタンも劣化して崩れていた。

 彼女が居るのは紛うことなき廃屋だった。コンクリート製の2階建て、昔はどこぞの会社の事務所として使われていたのだろう。彼女が居るのは荒れ果てた2階だ。ここは街から離れた国道沿いにある。高架の横に、山に埋もれるようにひっそりとたたずんでいる。付近に人家は少なく、当然人通りなど無いに等しかった。辺鄙な田舎の中でも正真正銘の辺鄙な場所だった。

「一体減った」

「そうかい、そりゃあ弱ったな」

 彼女はもう一口チョコをかじった。彼女の右手、部屋の奥には男が居た。男はパイプ椅子にかけていた。陰鬱な顔をした男だった。眉間に刻まれた皺はもう長いこと取れたことがないのだろうと思われるほど深かった。黒ぶち眼鏡の向こうの目はどこか虚ろだ。年齢は良く分からない。若者のようでもあり、老人のようでもあった。服装は着古したシャツによれたズボンだった。

「で、どうするんだ? 原因は?」

「駆除屋だろう。運悪く見つかったらしい」

「あんたをマークしてるやつらじゃないのか? そこからあんたにたどり着くかもだぜ?」

「心配はない。ヘマはせん。問題は計画に遅れが出るということだ」

「はっ。調整役が減ればそらそうだろうな。跳流が集まらないんじゃ路も開きようがない」

「どうやらそれで済むわけではなさそうだ。討たれた一体は《神宿》になったらしい」

「はっ。重ね重ね面倒なこったな。じゃあ、下手すりゃ力を利用されるってわけか」

「そうなれば計画の遅れは想定以上になるだろうな」

 男は表情を変えずに深くため息を吐いた。無表情なまま吐かれるため息というのは不気味なものだった。彼女はそれを見てうんざりした様子で表情を歪めた。二人は仲が良いのか悪いのか謎だった。彼女はチョコの最後の欠片を口に放りこんでガリガリと噛み砕いた。

「で? なんだ? オレにどうしろっていうんだよ」

 男は答えない。代わりに椅子から立ち上がる。まるで頼りない、力の無い足取りで歩き歩き、部屋の中をうろついた。

「正直なところ迷っている」

「迷う? なにに」

「これからの出方だ。放っておいても遅れが出るだけで計画の遂行自体は行える。むしろ動けば余計な手間が増える可能性もある」

「はん。静観するのもひとつの手ってことかよ」

 彼女も壊れたソファから立ち上がった。そして、目の前のテーブルの上、そこにある袋からビスケットを何枚か取り出した。彼女は全部開けてバリボリと食べ始めた。

「良く食べるな」

「分かんだろうが。ほっといてくれよ」

 彼女は眉をひそめる男を無視してビスケットをさらに開けて食べた。そして、その隣に置いてあるコーラを飲んだ。この上なくジャンキーだった。

「あと寿司とか焼き肉とか食いてぇな。とにかく旨いもの」

「分かった考えておく」

「今回の仕事が失敗したら次いつ食えるか分かったもんじゃないからな」

「杞憂だ。必ず成功する」

「そら、心強いお言葉ですね」

 彼女は茶化すような口ぶりで言った。それから、外の景色に目を向け、自分の手をじっと見たのだった。そして、小さくため息をついた。

「で、どうするんだよ結局。動くとしたらオレはなにをすれば良いんだ?」

「神宿になった男と接触し、デブリを剥がしてもらう」

「ふぅん、簡単じゃないか。今すぐにでも行ってこようか?」

「その場合お前が姿をさらすことになるのでやはり面倒が起きる可能性はある」

「オレの姿が割れたところで問題無いだろ。そこからあんたにたどり着くのは難しいし、そもそもオレは誰にも負けない」

 負けない、と言った少女の声には慢心だとか、不遜なところはひとつも無かった。ただ単に事実を口にしただけといった感じだった。

「それはそうだろうが、計画に不確定要素が入るのは好ましくない」

「じゃあ、ほっといてズラズラと仕事が伸びていくのを見るのか?」

「お前はどうやら動きたいようだな」

 彼女は軽く笑う。

「当たり前だろ。ここで毎日あんたと顔付き合わせて、やることといったらこの街の俯瞰とデブリの監視だけだ。飽きるのも当然だろうが」

「まったく....」

 男は大きくため息をついた。

「一応、これは歴史的な計画なんだがね。若者の暇潰しではないぞ」

「歴史的な犯罪行為の間違いだろう。どっちにしても暇だ、暇暇。なんとかしてくれ」

「はぁ...」

 男は懐からなにかを取り出した。それは写真だった。そこには一人の青年が写っていた。野暮ったい髪型、うすぼんやりした表情、ひと目でうだつの上がらない男だと分かる。

「これが神宿の青年だ。深山町3番地の宇田ハイツというアパートに住んでいる。名前は三好晴也。年齢は24歳」

「へぇえ。毎度思うんだけどさ。なんであんたはこんな探偵みたいな真似が上手いんだ? オレだって普通絶対見つけられなかったのに」

「フィールドワークの調べものは仕事柄良くするからな。人探しはそれと似ているからだろう。どうでも良い特技だ。とにかく、こいつがそうだ」

「ん? これはあれか? 行ってこいってことか?」

「そうだ。これ以上駄々をこねられて妙なことをされても困るからな」

「分かってんじゃねぇか」

 彼女は嬉しそうにその写真を男の手から取った。裏にさっき言われた番地とアパート名をペンで書き込んだ。彼女は本当に嬉しそうだった。

「楽しそうだな。結構なことだ」

「当然。久々にあんた以外の人間と会話出来るんだからな」

「会話する気か? 調べたところなんの変哲も無い会社員だぞ」

「あんたと話すよりは面白いだろ。普通に生きてる一般人だ」

「そうか。好きにしろ」

 男は彼女のもとを離れ、部屋にある机の方へと向かった。部屋の中央にあるいくつかのテーブルをくっつけて作ったものだ。そこには紙が、この街の地図が広げられていた。その上には青い粉が巻かれていて、風があるわけでもないのにゆらゆらと動いていた。渦を描くように地図の上を動いていた。

 男はそれを相変わらずの陰鬱な表情で眺めた。

「淵は出来てるか?」

「まだだ。やはりまだデブリを増やす必要がある」

「そんなことしてカミサマは本当に興味示してくれるのかね」

 彼女の『カミサマ』という言葉にはそこはかとない憎しみが込められているようだった。

「間違いない。奴らは必ずこの街を観る。そうすれば準備は整う。《路》が開く」

「そうすれば願い事が叶うってわけか」

 彼女はテクテクと歩いて窓の側まで行った。

「あんたの裏側に行くって願い事が」

「お前の人間に戻るという願い事が」

 彼女は空を見上げる。木々の間から見えた。青空に溶け込むように真昼の《青い月》が。

 彼女はくはは、と笑った。

「俺が言えたことじゃないけどさ、やっぱりあんたはかなりイカれてると思うぜ。菅里」

「ああ、良く言われる」

 男は、菅里誠一郎はひどく憂鬱そうに眉間の皺を深くした。

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