第4話

「では、『検証』を始めますね」

 九条は言った。九条が地面に刺した棒の並びは不規則で、素人目にはなにがなにやら分かりはしない。そして、九条はそのうちの一本に紐を繋いでその先を持っていた。女は、古津鹿は黙ってその外側に立っていた。

「なにがなにやら分からないですけどどうぞ」

「良い返事です。では始めましょう」

 九条は小さな瓶を取りだした。中にはうっすら青い液体。そして九条は握った紐にその中身を垂らした。そしてなにかを小声で呟いた。

 こんなのどう見たってなにかの儀式かなにかでオカルチックにしか見えないが科学的なものらしい。俺には分からない。

 そして、九条が呪文らしきものを呟くとひゅう、と空気が動いた感じがした。そよ風のようなものが吹いた気がしたのだ。

「ちゃんと廻ってるみたいね」

「やはり、今のこの街はどこもかしこも跳流に満ちています。術の発動も簡単だ」

 良く分からないが《跳流》をどうにかしているらしい。

 しかし、実際のところそれが俺の右手とどう関係があるというのか。なんにも分からないまんま俺はただ立っていることしか出来ない。

 と、そんなところで九条は場所を移した。さきほどの位置からさらに俺の近くへ。そこにある棒にも紐が繋がっており、九条はそれを握って今度は別の瓶を取り出す。中には薄いピンクの液体。九条はそれも紐に垂らす。

「じゃあ、行きますよ梓さん。準備は大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。けど、その人の安全の確保と逃げ出さない仕込みはしてあるんでしょうね」

「大丈夫ですよ。彼は連中からは見えませんし、呼び出すのは小さい個体になるでしょうからこの《庭》で十分でしょう」

「なら良いけど」

「でも、もしもの時はお願いしますよ」

「いちいち不穏なのよね、まったく」

 そんなやりとりの後に男は紐を握ったまままた呪文を唱えた。さっきのとは少し違うように聞こえた。

 その途端だった。急に林に変化が起きた。

 俺の右手5mほどのところ、そこの大気が急に渦を巻き始めたのだ。大気が渦を巻くなんてあんまり普段想像も出来ない現象だったがそう形容するしかなかった。雪が舞い、枯葉や枝が飛び交っていた。それは竜巻とも違い、全方位に不規則に渦巻いていたのだ。そして、光っていた。それは昨日デブリが作った妙な景色と同じセピア色だった。明らかに何か異様なことが起きていた。

「な、何事ですか」

「ふむ、どうやらビンゴですねぇ」

 九条は俺の質問に答えもせずその渦を若干不愉快そうに見ていた。後ろを見れば古津鹿も忌々しそうに見ていた。しかし、俺の質問には答えない。もう少し説明して欲しいんだがな。

 と、そこで気がついた。右手だ、右手の異変にだ。光っているのだ。羽織った上着の裾から光が漏れている。まくりあげれば腕に入った入れ墨が光っている。それは目の前の渦と同じセピア色だった。

 ひょっとして、この右手が目の前の現象を起こしているのか?

「さて」

 そうこうしているうちに目の前の渦の変化も佳境を迎えた。どんどん形が変わっていく。

「どんなのが出るかしらね」

 そして、それはみるみる膨れ上がっていった。見上げるほどに大きくなる。明らかにでかすぎた。一般家屋ぐらい、まるで昨日のデブリぐらいの大きさになっていく。

「ちょっと九条。全然小さくないじゃないの!」

「いやぁ、面目ない。ここまで作用するとは思ってなかったですね」

 九条は柔らかく笑っていた。

「笑い事じゃないわよ! まったく、面倒なことになった!」

 女は半ギレになっていた。

 そして、とうとう渦は広がるところまで広がり、そして霧散した。

 その中には残っていた。

「な」

 膨れ上がった渦と同サイズのものが。大きなものが。俺は唖然とした。そして恐怖した。それは、

「デブリじゃないかよ!」

 昨日のものと同じほどのデブリだった。ただし、今度は犬ではなく猿型だった。日本猿のようなシルエットだがいかつい顔をしており、体毛は目の覚めるような白銀だった。

 デブリは現れるやいなや、俺たちを認めるやいなや大きく吠えた。

「ぎゃああ!」

 俺は叫ぶ。そんな俺の側に九条が来た。助けてくれるのかと俺はすがりつく。しかし、こいつは動かなかった。ピクリとも動かなかった。その向こうでは相変わらずデブリが吠えている。正気でも失ったのかこいつは。なんでこんな化け物が吠えたけってるのにピッタリ俺の横まで来て固まっているんだ。

「逃げるんじゃないんですか!」

「いえいえ、ここが安全地帯なんですよ。ここなら向こうから見えません。そういう術が張ってあるんです。だから、あなたも動かないように。あとは梓さんに任せましょう」

「なに必要以上の面倒引き起こしといてさっさと人任せに回ってんのよ!!」

 古津鹿は切れていたが九条はどこ吹く風だった。

 対するデブリはなるほど、九条の言う通りらしい。やつにから見て手前に居る俺たち二人はガン無視で古津鹿の方だけを見て威嚇していた。敵意むき出しだ。次の瞬間にも飛びかかりそうだった。ここで戦うしかなかった。

 古津鹿は鞘から刀を抜いた。そして、正眼に構えた。

「予想外に面倒になったわね」

 古津鹿はそう言いながらもしかし、もう表情に余分なものは無かった。ただ目の前の戦うべきデブリだけを見据え、すぐさま応戦出来るよう相手を睨んでいる。集中は研ぎ澄まされていた。

 そんな古津鹿に対して、猿のデブリはひと吠えし、そして襲いかかった。巨大な砲弾のように古津鹿に飛びかかる。

「流れろ」

 それに対して古津鹿が一言発し、そしてデブリの動きをかわしざまに一太刀浴びせた。言葉にしたは良いが動きは完全に人間のそれではない。猿が砲弾なら古津鹿は暴風だ。すさまじい体さばきだった。そして、デブリは叫び声を上げながら転がった。肩に大きな傷が出来ている。そこから金色のもやが漏れだしていた。これがデブリの血のようなものなのか。

「完全に人間の動きじゃないじゃないか」

「《跳流術》を使っていますからね、肉体強化の。もっとも梓さんはあれしか使えないんですけどね」

 そう言っているうちにもデブリと古津鹿はすさまじい勢いでやりあっていく。デブリが動き、腕を振るうたびに地面が砕け、木がへし折れた。しかし、古津鹿はその合間を見事に、恐ろしいほど綺麗にぬってデブリに体に次々と刀を浴びせていった。

「余裕そうですね梓さん」

「あんたがそんな呑気なこと言う?」

 古津鹿は猿の攻撃をかわしざまに言った。明らかに人間が反応出来るはずのない速度で振るわれる腕を楽々と避けている。

「まぁまぁ。ですが見た目よりは弱いようだ」

「まだ、力を使ってない。油断は出来ないわよ!」

 そう言って古津鹿が振るった刀が猿の指を何本か切り飛ばした。デブリはまた叫び声だ。どうやら、古津鹿の方が圧倒的に強いらしい。昨日も見ていたが明らかに古津鹿は強い。ものすごく強い。普通の駆除屋がどういう人たちか知らないが、この古津鹿の強さは尋常では無いように見えた。これが怪物を相手にすることを生業としているものたちの能力なのか。驚愕だった。素直に意味不明だ。そうこう言っているうちに古津鹿は猿の足に深手を追わせる。

「いや、でも待ってくださいよ」

 そうだった。戦いに見とれてばかりいる場合ではない。この状況はなんなのか。俺の右手がセピア色に光るとセピア色の渦が出来た。そこからデブリが現れた。なにが起きているんだ。いや、なにが起きているんだというか状況だけ見ればこの右手がデブリを生んだようではないか。

「三好さん、あなたの考えている通りですよ。あなたの右手がこのデブリを呼んだんです」

 そんな風に考えている俺に九条はズバリ言ってきた。だが、俺にはどういう理屈かさっぱりだ。

「正確にはあなたの右手に入ったデブリの能力ですけどね。さっきあなたの近くで使った薬はデブリの能力を暴走させる作用のあるものです」

「デブリの力?」

「ええ、デブリにはそれぞれ固有の特殊能力があります。あの薬はそれを暴走させる。そして、あのデブリの力こそがデブリの召喚だったんですよ」

「ええ?」

 にわかには信じがたかった。デブリがデブリを召喚するなんて聞いたことがない。俺の知識が薄いということもあるが、デブリはおおむねにおいて自然の条件が揃った時に発生するはずだ。そもそも、意思のないデブリがデブリを呼ぶ必要なんてあるとは思えない。

 古津鹿が嵐のように体をさばき、刀を振り、猿の右手の肘から先を切り飛ばした。金色のもやが溢れ出る。

「そのデブリはかなりの特殊個体です。なにせ、本来不必要な能力ですからね。デブリは半分自然現象です。数を増やす意味も、仲間を作る必要もありません。そもそも、そんな能力は今までの歴史上確認されていない」

「つまりどういうことなんですか」

 アホなので分からない。

「残念ですがそれを語ることは出来ません。これ以上話せばあなたはこの件に深く関わることになる。あなたはそれで良いんですか?」

 九条は試すように聞いてきた。さっき言っていたことか。深いところまで聞くとこの話から抜けられなくなるとかいうあの。つまり、これ以上聞くと俺はもうこいつらに協力するしかなくなるということだ。たぶん治療もしてもらえなくなる。

 古津鹿の刀が猿の肩から胸までに太刀傷を作る。猿は腕を振り回して応戦するが古津鹿は刀身でそれをいなした。

「三好さん。良いんですか?」

 九条は嫌らしいほどに重ね重ね聞いてきた。

 俺は考えるが答えはNOだった。一般ピープルの俺はこれ以上関わりたくはない。そもそも、この右手をなんとかしたい一心でこいつのところを訪ねたのだ。こんな形でその目的が阻まれるのは避けたい。俺は元の腕に戻して、元の生活に戻りたいのだ。こんな、ほっといたらわんさかデブリを産み出す右手なんか大層ごめんである。

 なので答える。

「そうですか。なら仕方ない。これ以上は聞きませんよ。僕は早く普通の生活に戻りたいんです」

「なるほど」

 九条は柔らかく微笑んだ。

 そして、また恐ろしい体験をすることになった。細かくなにがあったかは覚えていない。なにを言われたのか、どんなやりとりをしたのか、全然覚えていない。否定もした、肯定はしなかった。怒声も上げた、決してYESとは言わなかった。しかし何故だろうか。気づけば俺は、

「わ、分かりましたよ。話だけは聞きます」

「ありがとうございます、このお礼は必ず」

 この有り様だった。意味不明だった。俺はまったくその気がなかったのにこの男の駆け引きの妙によって上手く丸め込まれたのだ。恐ろしいのは丸め込まれたと分かりながら最後には抵抗を止めたことである。詐欺師どころではなかった。この男は魔術師だった。

 とにかくそういうわけになってしまったのだった。

「改めて話を戻しましょう。恐らくあなたの右手に宿っているのは人為的に産み出されたデブリです」

「人為的にって、そんなこと出来るんですか」

「普通は困難です。とてつもない設備と、それを設置するための広大な土地と、それを稼働させるための莫大なエネルギーが必要になります。個人はおろか組織でも出来るのは一握りです」

「じゃあ、これはなんなんですか」

「普通は不可能です。ですが普通じゃない人間を私たちは一人だけ知っています。そして、そいつがそのデブリを作り、そいつがこの騒動を起こしている」

 古津鹿が猿の足を切り裂いた。

「そんな、テレビじゃ自然現象だって」

「それは表向きの情報で、現場ではおおむねこの意見で統一されています」

「そんな。こんだけデブリを産み出してそいつはなにがしたいんですか」

「《裏側》に行きたいんですよ。あの男は」

 九条はさっきと変わらない微笑みを浮かべながら、しかし冷たい目で言った。

 と、古津鹿が何度目かの太刀傷を猿の胴に浴びせた。猿は全身から金色のもやを出している。生物なら瀕死の傷だ。もうすぐ決着が付く。

「全然力を使いませんね」

「ふん。死にかけまで使わないやつの力は決まってるわ。死にかけの時に発動する系統よ」

―ドン

 昨日のデブリがあの空間を作ったとき。それと同じ太鼓のような音が響いた。すると猿の体から吹き出す金色のもやが一層濃く吹き出し、猿の体を覆っていった。そして、猿の体の輪郭がぼやけていきまるで金色のもやそのもののようになる。猿の形をした不定形の怪物がそこに現れたのだった。

 そして、怪物は吠えた。

「形を無くして最後の攻撃ってわけですか。無敵状態みたいなものですかね。なるほど、普通の駆除屋なら対処に困る能力だ」

 九条は言う。古津鹿は、もう応戦の体勢だった。構えは上段だった。

 怪物が吠える。もやの塊と化した怪物。刀で切ろうが、砲弾を浴びせようが実体の無いものには通用しないだろうと思われた。しかし、古津鹿は言った。

「喰らえ、『冬凪』。日向流四之太刀」

 怪物はそして、古津鹿に向かって突撃してきた。すさまじい速度、目にも止まらない。瞬きする間もなく古津鹿をその腕が襲うだろう。

「呑雪!」

 その時、古津鹿が一瞬消えた。次の瞬間には猿を通りすぎた数m向こうに刀を振り下ろして立っていた。そして、対する猿の方は。

「終わりましたか」

 綺麗さっぱりと消滅していた。俺には何が起きたかさっぱりだった。唖然とする。昨日と同じに。そんな俺の横で九条がテクテクと歩き出した。

「もう大丈夫ですよ三好さん。デブリは梓さんが倒しました」

「倒した? 消えたんじゃないくて?」

「梓さんの刀は跳流を食ってしまうんですよ。だから、ほぼ跳流そのものになった今のデブリには鬼門だったんですね。まぁ、瞬きする間に三十ほど斬らないとならないみたいですけど」

 さらり、と訳の分からないことをこの男は言った。俺はなお唖然とするしかなかった。

「さて、検証は終了です。私たちの読みは合っていました。間違いなくあの男が絡んでいます」

「そうなるわね。本当に厄介なことになった」

「ですが、やはりチャンスです。これだけ大規模に動いたということはボロが出る可能性も高いということだ。捕まえられれば面倒を一掃出来ますよ」

「そんな簡単な話じゃないでしょこれは」

 古津鹿はひどく不機嫌そうだった。九条の言う話の内容がえらく気に入らないようだ。あの男とか、なんとか。

「とにかく、もはや賽は投げられました。あとは進むしかない。彼の右腕を利用して」

 九条は俺に向き直ってまた柔らかい笑みを浮かべた。

「三好さん。どうか、菅里誠一郎の捕縛に協力してください」

 九条は、この事件の主犯の名を口にした。

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