第3話

 ザクザクと歩いていた。時刻は9時を回ったが、まだ路面は若干凍っているのだ。足音は三つ分。俺と九条と女のものだった。場所は市内から少し外れた運動公園横だ。公園の駐車場に車を停め、俺たちは歩いている状態である。車は九条のものだ。社用車らしかった。

 九条は試したいことがあると言い、俺をここに連れてきたのである。

 九条は俺に仕事に協力しろと言った。さも当たり前のように、逃れえぬ運命かなにかのように。どうも、この街で起きている事件と俺の右腕はなにか関係があるらしかった。なにかの手助けが出来るのかもしれない。

 しかし、俺が出した答えはNOだった。

 お断りだった。



「良く分かりません。ちょっと協力しかねます。そんなことよりこの右腕を直してください」

 俺は言った。

「なるほど」

 対する九条は柔らかく微笑んだ。



 そして、それから「とりあえず付いてきてください」、と九条は言い、そして車に乗せられたのである。

 はっきり言って意味不明だった。なぜあの流れで俺はここに連れてこられているのか。俺は何度も断ったし、絶対に要求をのまないつもりだった。

 しかし、なにか九条という男は妙だった。これといって了承も肯定もしないのに気づけば俺は車に乗せられたのだ。恐ろしい体験だった。この男は拒絶と否定に満ちていた俺を妙な言い回しと間のとり方だけで自分の意のままに操ったのだ。どういう経緯だったかはさっぱりだった。あんまり頭に残っていない。とにかく間違いないのは俺はあれよというまにここに来たのである。完全にこの男は詐欺師だった。

 というわけでここでサクサク地面を踏みしめているわけだ。なにもかも不服だったがここに居るわけである。

「ご心配なく。あなたは立っているだけで良いですから。そして、一連の検証が終われば解放いたします」

 九条は俺に言う。

「本当ですね。本当の本当なんですね」

「ええ。無理を言って付いてきていただいているわけですから、お礼もいたしますし」

「う、うーん。そうですか」

 お礼だのなんだのと言われると若干敵意も薄れてしまうのだった。しかし、騙されてはいけない。この男は詐欺師だ。

 だが、とりあえず付いていってしまう。恐らくこれもこの男の術中だった。

「で、九条。一体この人連れてどうしようっていうの」

 と、ここでようやく後ろを歩いていた女が口を開いた。

「彼の右腕に入ったデブリは特殊な個体です」

「知ってるわよ。昨日それを二人で話してたんでしょ。重要なデブリの一体を討伐出来た、って」

「ええ、ですが討伐は結局出来ていませんでした。彼の右腕にこうして宿っている。眠った状態で彼の右腕でまだ活きている」

「やっぱりその右腕のデブリを利用しようってわけか」

「ええ」

 二人の会話は要領を得ず俺にはさっぱりなのだった。

「なにが始まるんですかね」

「そうね。まぁ、あんまりろくなことじゃないわよ。あなたはこれが終わったらさっさと右腕治療して元の生活に戻るべきね」

「梓さん。根も葉もないこと言わないでください」

「本当のことじゃない」

 どうも若干の意見の食い違いが起きているらしい。そういえばプレハブ小屋の時点で二人の意見は割れていたのだった。

 やはり、この九条は全然信用出来ないようだ。これから起こるのはろくでもないことらしい。俺は顔を青くした。いよいよ、どうしてここに来たのか分からなくなってきた。帰りたい。

「ご心配なく。法に触れることはありません。あなたの体に害があるわけでもありません。不愉快なら本当にこの後デブリの除去処置もします。なので、今回だけ協力していただきたい。どうかお願いします」

 九条は真摯に言ってきた。ここまでされたらまぁ、一回くらいは仕方ないのかもしれない。とりあえず来てしまったのだから今日だけは付き合うしかないか、と半ば諦めた。この後必ず手を切るが。なにかあったら速攻で警察と弁護士事務所に電話するが。

「ていうか、さっきから会話の流れが良く分かって無いんですけど。この右手がなんなんですか。ただ、デブリが入ってるだけじゃ無いんですか?」

「まぁ、入ったデブリが問題なのよ。特殊な個体だったの」

「これが、この街の事件を解決するっていうのは?」

「そのデブリの能力が関係してるのよね」

「三好さん。デブリや《裏側》について、そしてこの街で起きていることについては知っていますか?」

「まぁ、《裏側》とかの話は学校で習いますし、事件は毎日テレビでやってますから」

 とりあえず情報を整理しようと思う。この世界の構造と、この街で起きていることの整理だ。かいつまんだ概要だけでも押さえておこう。

 この世界は《裏側》と呼ばれる異世界が隣合わせで存在している。いわゆる異世界というやつらしい。ずっと昔からあって、たまに影響を及ぼしたりしていたらしいのだが稀な話だった。だから、人間の歴史にそんなものは全然関わってこなかったのだ。しかし、150年前に状況は一変した。空に突然、《青い月》が現れたその日から。その日を境に世界中でデブリが現れるようになり、そのデブリは異界から流れてくる《跳流》と呼ばれるエネルギーの結晶だった。詳しい仕組みがちゃんと分かったのはここ30年くらいの話だが、とにかくそういう風に世界は変わった。人間の歴史の流れをまるっきり変えてしまうような変化では無かったがじんわりとだが確実に、それが無かったであろう世界とは違うものになってしまった。実際に《裏側》に行った人間は居ないという話だが、あると分かったということは誰かが行ったのだというのがもっぱらの噂だった。そこはあの世だとか、神が居るとか様々な噂が流れ、絶えず人々の興味の対象になっている。神に関しては《不確定存在》とかいう自我の無いなんらかの存在は居るらしいという仮説はあるが俺は良く知らない。

 それで、《裏側》からの影響でもっとも分かりやすくもっとも顕著なのがデブリだ。まさしく昨日俺たちが戦い、今街を騒がせている元凶である。

 先に言った通り、デブリは《裏側》から出てくるエネルギー《跳流》の塊だ。生物と物質の中間くらいの存在らしい。意思があるようで無いとか、これも詳しくはない。《跳流》は基本ただのエネルギーだが、なんらかのきっかけで形を取りデブリになる。固まりやすい状況が整ったり、かなり難しいらしいが人為的に作ることも出来るらしい。そして、形を取るときは必ず現世に居る生物や物質を元にしたものになる。その方がこの世界で形を保ちやすいかららしいのだが俺は良く知らない。それと150年前の出現当初は《神様》扱いされたらしく、その名残で日本のデブリ関連用語はそういった神様関連が多い。とにかくデブリはそういうものだ。

 そして、デブリはたびたび人やその文明に害を成し、それを倒すのを生業にしているのがこのデブリ駆除業者だった。

 そして、その駆除業者が今街には大量に来て仕事をしている。この二人が所属するのもその会社のひとつだ。

 何故ならデブリが大量発生しているからである。この街は今、150年前からの世界の歴史でも稀に見るデブリの異常頻出現象が発生しているのだ。

 デブリというのは通常、一般的な地域で数年に一回出るか出ないかというものだ。そして小さなものは地元の猟友会で駆除出来る。駆除業者が出張る大型のものとなれば10年や20年に一回といったものらしいのだ。出れば全国ニュースである。

 しかし、そのサイズのデブリが今街では毎日のように出現しているのだ。下手すれば一日に何体も出現するのである。完全に異常なのだ。はっきりした原因は不明だし、いつ終わるのかも不明。《跳流》がとにかく濃いらしく、それでデブリが発生しやすいらしいが何故濃いのかは不明。とにかく謎だらけの現象が今この街を襲っている。メディアもわんさか来ているし、専門家もわんさか来て調査している。この田舎の小都市は今全世界の注目の的なのである。

「といった感じが俺の知ってることです」

 俺は自分の知識をまとめながら知っていることを話終えた。

「ふむ、まぁ大体概要は把握しておられるようですね」

「全部教師とかテレビの受け売りですけどね」

 まぁ、所詮一般人の知識である。

「あとは《青い月》は実在してなくて、空に映った影みたいなものだとか」

「ええ、ロケットが飛んでっても大気圏を越えたところで消失したらしいですからね。あれは成層圏に映った異界の月の幻影だそうです。ふむ、なるほど。それだけ知っているなら私の説明もある程度は飲み込んでもらえそうですね」

 九条は俺の知識を聞いて何事か納得したらしい。

「はぁ? 話すの九条」

「概要だけです。突っ込んだところまでは話しません」

「そりゃそうよ。全部話しちゃったらこの人もう抜けられないもん。そこまでやったら私があんたを上に報告するわ」

「頼もしい限りです梓さん。あなたというタガがあれば私も安心だ」

 この二人の会話は不穏だ。非常に不穏だ。聞かなかったことにしたくなる。そんなやばい感じになっているのか。

 しかし、そうは言っても正直なところなにをさせられてなにが起きるのかは気になるところだった。自分がここに来た理由だ。知るのも不穏だが、知らないのも不安だった。だから、俺は黙って聞く。

「今から話すのは本当に概要だけなのですが」

 九条は前置きを付けて、

「あなたの右腕に入ったデブリはおそらく今回の事件の元凶に非常に近いところに居たものなのです」

「元凶? やっぱり元凶があるんですか」

「詳しくは話せないけどね。色々な機関とかとの兼ね合いもあるから」

「ええ、ですがあります、元凶は。そして、私が今からあなたに協力してもらいたいのはその確認なのです。あなたの右腕の、昨日我々が駆除したデブリがそういったものであるという確認です」

「なるほど」

 つまり、九条は自分達の考えの裏付けが欲しいということか。多分警察とかとの絡みがあるのだろう。一応事件であるし、表に出す情報も選んでいるのかもしれない。だから詳しく話せないのだと思う。だが、間違いなくなんらかの仮説をこいつらは立てていて、それを立証したいということであるらしい。

「それで済むなら良いけどねー」

「済ましますよ」

 女の言葉に九条は答え、そしてそれきりだった。俺は不安になるのだった。

 サクサクと俺たちは歩く。九条を先頭に公園の中に入った。杉林の中に入っていく。ここは防砂林の役目も兼ねているようでこの向こうは海だ。港のコンテナ集積所が木々の隙間から見え隠れしていた。

 九条の目的地はここだった。こんな辺鄙な林の中で何が起きるのか。足元には雪が残っていて実に歩きづらい。人が普段入るところでは無いのだろう。なにをするにしてもあまりに辺鄙だ。

「さて、では始めましょうか。私は少し準備をします。少しお待ちください」

 そう言って九条は手元からなにかの棒の束を取り出した。鉛筆を少し太くしたようなものだ。先端は尖っていて頭はスプレーで赤くなっていた。白色だが材質は良く分からない。九条はそれを順番に地面に突き刺し始めた。俺は黙って見ているしかない。

「なにしてるんだこれ」

「まぁ、これからやることの準備。《跳流》に作用するための図形を描いているってとこかしらね」

「魔方陣みたいなもんか」

「そんなオカルトなもんじゃないわよ。《跳流》は謎だらけだけでほぼオカルトだけど一応物理法則が存在してるから科学の領分なのよね。だから、あれはあくまで《跳流》流れに干渉するための図形」

「なんか良く分からんな」

 女の説明は要領を得なかった。結局オカルチックなものなのか科学的なものなのか俺にはなんとも言えなかった。ちなみに女にはタメ口な俺だった。同年代か年下に見えるからだ。

 九条の手元の棒の束はそこそこの量があるので準備完了まではしばらくかかりそうだった。それまで暇なのでこの女と話すことにする。

「あんたらいつもこんなことやってんのか」

「いつもじゃないわよ。デブリの駆除は本来仕事の半分、あとは害虫駆除とか害獣駆除とか、山の管理の委託業務とか大学の調査に協力したりとか。四六時中デブリが出るわけじゃないし、稼ぎになるようなデブリばっかり出るわけでも無いし」

「朝州支店ってなってたからでかい会社なんじゃないのか。それでもダメなのか」

「実のところあれはここで仕事するから急遽作った臨時の支店なのよ。これが終わったら解散なのよね。本来私たちは拠点を持たずに日本中回ってるから。従業員は10人ちょっと。私たちは東および北日本担当。まぁ、基本このあたりを中心にはしてるけど」

「なんか普通の会社と全然違うシステムなんだなぁ」

「まぁ特殊な業界だから。一般的な会社から見たら大分変わってるでしょうね」

「じゃあ、こんなにデブリが出ることなんてめったなことじゃないんだな」

「ええ、だからここが稼ぎ時なのよ」

 日本中回ってデブリだのなんだのの駆除をして回るってなんかかっこいい仕事なように思われた。まぁ、命の危険は伴うのだろうが。

 女は今日も刀を下げていた。駆除業者はこういった刀剣を普通に使うと聞いたことがある。多分認可制かなんかなのだろう。女は昨日驚異的な動きをしていたし、普通じゃない現象も沢山起こしていた。確か駆除業者は《跳流術》とかいう魔術みたいなものを使って不思議現象を起こすのだとかなんだとかいう話だった気がする。俺からすれば女は立派な魔法使いである。テレビでたまに取り上げられることはあるが駆除業者のことは良く分からない。とにかく昨日からの感じでは普通の仕事とは色々違うのだという感じがした。

 俺はこの世界の構造とそれに関わる女たちとその仕事ぶりを思ってなんかすごいことに関わったなと思った。俺の灰色の日常とはえらい違いだ。

「あんたはここに住んで長いの?」

 そんなことを思っていると唐突に女が聞いてきた。

「高校卒業してから来たからそんなに長くはない。故郷は隣の県。そういうあんたは全然こっちの人間じゃないな。明らかに都会ものって感じだ」

「ああ、分かるのねやっぱり。関東の方の出身だから。この辺で仕事するようになって結構経つけど冬になる度に寒くって仕方ないのよねぇ」

「まぁ、とにかく寒いからな」

「仕事は? なにやってんの」

「段ボール製造工場だな」

「ああ、手堅いやつね。この先そうそう無くならない仕事だわ」

「それはそうだな」

 なんでもない質問ばっかりだった。完全な世間話だ。場合によっては余計なお世話だが、今こうやってなにがなにやら分からない状況では心が落ち着いた。普通の会話が心に効く。女はなんとなくおろおろしている俺を和ませようとしたのか。いや、この感じだと単に世間話が好きなだけなのかもしれない。やはり、さっぱりしたやつだと思った。

 そんなどうでも言い話をいくつか交わした。俺は肩の張りが取れたのを感じた。

 そうこうしている内に九条の方も準備が完了したらしい。手持ちの棒がとうとう無くなった。

「では、始めましょうか。三好さん、こちらに来てください」

「分かりました」

 俺は九条に言われるがままに場所を変える。女は動かなかった。刀の柄に手を当てて立っているだけだ。

「ええと、あんたはそこに立ってるのか」

「まぁ、出てからが私の仕事だからね」

 良く分からない発言であり、そして不安になる発言だった。

 女は続けた。

「それから、私の名前は古津鹿梓よ。よろしくね、三好さん」

 自己紹介だった。

「ああ、よろしく」

 俺は答えて九条が指示した場所に立った。

 なにをするのかは知らないがとっとと終わらせてしまうとしよう。

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