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目を開けると、そこには、すっかり暗くなった夜の街とまぶしいほどの街明かり。ビルの店頭から流れてくる音楽、車のエンジン音、クラクション、そして人々のざわめき。見慣れた歓楽街のいつもの風景があった。ビルとビルの隙間に輝く小さな星が見える。
道行く人たちは歩道に座り込んでいるマサトをちらりと見るが、足を止めることなく通り過ぎていく。
ゆっくりと立ち上がり歩き出そうとすると、1台のタクシーとその横にいる人影が目に入った。
「お客様お待たせいたしました。ちょうどエンジンが直りましたので、お迎えに上がるところでした。顔色がよくないようですが大丈夫でしょうか」
マサトは気を取り直して時計を見るが、道に迷って車を降りてからまだ10分しか経っていなかった。夢でも見ていたのだろう。ひょっとしたら、ずっと車の中にいたのかもしれない、そんな気がしてきた。自分でドアを開け、シートに腰を下ろした。
「お客様、ご迷惑をお掛けしてしまい、たいへん申し訳ございませんでした」
振り返ってお辞儀をしたアンドロイドの瞳は黄色く光ったように見えた。タクシーはゆっくりと走り出し、夜の街をスピードを上げていく。
疲れているのだろう。マサトは目をつぶり心を落ち着かせようとした。その時。
「マサトくん、久しぶりに会えて楽しかったわ。元気そうでよかった」
「ん? おい、今なんて言った? 誰なんだ!」
マサトはルームミラーに映ったアンドロイドの顔を覗き込むように見るが、写った顔は相変わらず無表情で、何も答えず、何事もなかったように前を向いている。
「おい、頼む答えてくれ!」
思わず身を乗り出し、その肩をつかんだ。
「お客様、危ないのでシートにお座りください」
「お願いだから答えてくれ!!」
取り乱しているマサトは、なおも肩をつかんで揺らそうとするが、機械の体はびくともしない。アンドロイドはマサトを落ち着かせようと後ろを振り返ったとき、誤って車の緊急停止ボタンに触れてしまった。その途端、タクシーは道をはずれ道路脇の街路樹をめがけて突っ込んでいく。マサトはフロントガラスに迫りつつある木を見たと思うやいなや、激しい衝撃とともに外に放り出されてしまった。一瞬の出来事だった。
マサトは人の気配で目を開けると、そばにはアンドロイドが座り込み、上から覗き込んでいる。
「お客様大丈夫ですか? 今、救急車を呼びました。これから応急処置を施します」
その顔は表情のないアンドロイド以外の何ものでもなかったが、澄んだブルーの目は明滅をはじめ、だんだんと色をなくしたかと思うと、今度は琥珀色に弱く光りはじめた。
「マサト、くん」アンドロイドの口が開いた。
『この声は…』
「先輩?」
「やっぱりマサトくんで間違いない」
今度ははっきりと聞こえた。アンドロイドは無表情なまま、マサトを見つめている。
「大丈夫だから、しっかりするのよ」
『そうだ、先輩じゃなかった』
「…ユズハさん?」
「そう。やっと名前で呼んでくれた」
白く整った顔は心なしか笑っているようにも見えた。
そして、マサトはやっと大事なことを思い出した。悔やんでも悔やみきれない思い出。自分をかばって死んでしまった先輩。どうして忘れてしまっていたのか。
「あの雨の夜、おれのせいで、先輩は、あんなことに…」
「わたしのことはいいのよ。もう喋らなくていいから」
アンドロイドはしばらく怪我の箇所を調べていたが、やがてその手を止めた。そして白く細い手を差し出し、やさしく体を抱き起こした。その腕はやわらかく、ほんのりとあたたかい。マサトは痛みも何も感じないが、体はピクリとも動かせない。服はあちこち裂け、何よりひどいのは腹から太腿にかけて斜めにざっくりと大きく深く裂けた傷で、血があふれ出してきている。
「でも、どうして…」
「わたしはあの時死んだわ。そう、肉体としての体はね。だけど、わたしが人工知能の開発に協力してたのは憶えてるでしょ? 今はアンドロイドの人工知能の中で、さまざまな人の記憶と一緒に生きているみたいなの。うまく言えないけど、いろんな記憶の断片があるのよ。でも、わたしにとってあの頃の記憶はとりわけ強く残ってるみたい」
琥珀色の瞳からしずくがこぼれ落ち、マサトの頬を濡らした。
「涙? ア、アンドロイドも泣くんだな…」
「そうみたいね。ロボットなのにね。また新しい研究課題ができたわね」
「今度のは、たいへんそうだ…」
「マサトくん…聞いてほしいんだけど…。今度は助けられそうにないわ。可能性はごくわずかだと、この体の人工知能がそう言ってる。ごめんね」
「はっきり言うなぁ。先輩は、いつも、そうだったよな…。じぶんの、ときで、さえ………」
「…それから、今日はまだ月は出ないわよ」
マサトは霞んでいく視界の中に、涙をこぼしながら寂しく微笑む、懐かしい人の面影を見た。
ふたりの周りには人垣ができていたが、アンドロイドは血で汚れたマサトをしっかりと抱きしめ、琥珀色をした瞳が色を失うまで、誰も近づけようとしなかった。
〈おわり〉
記憶の断片から 蓮見庸 @hasumiyoh
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