5 Rain
「拓人! なにしてるの?! やめて!」
遠くから紗良の叫び声が聞こえる。
あれ、今日は雨だったっけ。いつから降っていたんだろう。
近づいて来る足の音はばしゃばしゃと音を立て、焦りをあらわにしている。
足が地に着くたびに飛び散る泥が、遊具にべちゃっと付き、紗良の白い靴を汚す。
俺は紗良を目で確認し素直な気持ちで言った。
「おう、紗良。応援ありがとな」
紗良の顔は形容し難い形に歪んでいた。
いったいこの綺麗な顔は、表情は、なにを表したいのだろうか。
あぁ、綺麗だ。なんて綺麗なんだろう。どんな表情でも綺麗だ。
ただ、それ以上何かを求める心は俺にはない。
「拓人……なんで、トスあげなかったの? それに足……もう自力で立ってられてないじゃない! 本当になにやってるのよ!」
喉から絞り出すようなか細い声は、どんどんと荒く大きくなり、俺の鼓膜を揺らした。
だけど、やはり俺の心に響くものはない。
必死な顔をしている。
だが、人間の言葉に、行動に、態度に……人間の行動なんかにまっすぐな気持ちなんてあるのだろうか。
人間は自分さえ良ければそれで良い生き物だ。
自己満足のためにしか動かない生き物ではないのか?
だったら、紗良の言うことすべて、紗良の胸の中にある俺の理想像を自分の意のままにしていないと落ち着かないだけではないのだろうか。
幼馴染でも、理解できないこともたくさんあるんだな。
いや、人間は互いに本当に理解することなんてできないのに、勝手な解釈をぶつけ合う滑稽な生き物なんだろうな。
「紗良、俺の心配なんていい。俺は自分を持っている。お前らと同じようにな。だから、これからは俺は自身が一番自由な道を選んで進む。周りにされたように、周りを蹴落としてでも余生を俺の好きなように生きてやる」
これが、たった十七年と少し、俺が生きてきて今に至り得た結論だ。
紗良は声を上げて泣いていた。
怒ってるのか、いつもの俺と違う感じが悲しいのか、理想とズレて満足いかないのか。
紗良の涙をは雨と混じり、落ちていく。
ただ、その粒は雨に混じっても彼女の涙とわかるような存在感があった。
地面には吸収しきれなかった雫が水溜りを作っている。
泣き声は小さくなり、震えた美しい唇から声が溢れるように出た。
「拓人……そんな人だっけ……。私はひたむきに頑張ってる拓人が好きだった……。でも、拓人がそう思うなら仕方ないよね……」
「あぁ、仕方ないさ。俺はお前の理想になるつもりはない。俺も人間だ。お前らと同じで嫌なことも、辛いことも、苦しいことも、投げ出したいことだって山ほどあるんだよ」
「……拓人は、バレー好きじゃなかったの?」
「……あんなクソスポーツ二度とやんねぇよ」
「そっか……。拓人にとっては、楽しいことも、嬉しいことも、幸せなこともなかったんだね……」
「あー、そうかもな。俺は今絶望しかないからそんなこと考えられんないわ」
「……拓人、ずっと好きだった。この前のこと、ごめんなさい。……さようなら」
「理想を押し付けられるのは俺もごめんだ。じゃあな」
去りゆく幼馴染女の子の後ろ姿は、どこか儚く、悲しさに満ちていたような気がした。
その後ろ姿が視界から消えるまで、俺は眺め続けた。
胸がチクチクする。
間違ったことなど何一つないはずなのに、俺は何故こんな気持ちになるのだろう。
表せないような感情。
でも、優しさはもういらない。
俺の優しさは、甘い。
それは周りの自己中心的な思考、行動にはうまく利用され、踏みにじられてきた。
俺は二度とそんな経験はしない。
残り一ヶ月しかないんだ。
周りのやつもやってきたんだ、何やったって許されるだろう。
他人のせいで俺は足を怪我した。
下手なレシーブに自分勝手なスパイカー。
俺の優しさはそれを包み込もうとした。
俺に備わった才能はそれを可能にしてしまった。
結果、オーバーワーク。
さらに、自分が上手くなったと勘違いした選手からの悪口、陰口、横暴。
関節炎、後天的な扁平足、靭帯の弛緩、骨のひび。
今まで本当によく頑張ってくれたよな俺の足。
痛ぇ。
紗良と話してたら痛みが戻ってきてしまった。
大体予想はついてる。
この痛みだと余生は松葉杖必須の生活だろうな。
ただ、たださ。
やっぱり、今までに比べたらこんな痛みくそくらえだよ。
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