3 Despair

 薄暗い部屋に一人。

 テーブルランプが椅子に腰掛ける俺を照らす。

 紗良はどんな気持ちで怒ったのだろうか。

 実際、あの場面でどのような答えが正解と言えるのだろう。

 俺にはわからない。

 残りあと一ヶ月も残っていない俺の人生、これから先一緒にいられるわけがない。

 だけど、自分でも不可解な死神の余命宣告という経験を誰が信じてくれるだろうか。

 誰も俺の混乱した思考など理解してくれないし、理解もできないだろう。

 今まで俺は全力を尽くしてきたはずだ。

 部活でもずっとスタメン、学業でも進学校で成績トップだ。

 努力で必要なものをひたすら勝ち取ってきた。

 だが、俺の本当に欲するものは手に入らなかった。

 いいスペックなんていらない。

 孤高の人間になどなりたくない。

 部活では責任を全て俺に押し付けられる。

 家では仕事に追われながら無理な笑顔をする母親と、自分の二人。

 貧乏だってなんでもいい。

 ただ、毎日素直に笑っていられる日常が欲しいだけなのだ。

 俺は苦しい、苦しんでいる。

 世界には確かに貧困に悩んで苦しい人々がたくさんいる。

 そして、社会は比較対象にその人々を利用し、お前は不幸じゃない、恵まれている、感謝して生きろと言う。

 どうだろう、それはどっかの有名な独裁のやり方と本質が変わらないのではないだろうか。

 言っていることは間違っていない。

 彼らに対して無力なりに同情する部分がある。

 ただ、だからといって悩み苦しむ人々全員を比べて、お前は幸せだという言葉のおかしさは明瞭ではないのか?

 人間一人一人は無力で、一人じゃ生きていけない。

 そのために社会は繋がり発展してきたのだ。

 俺は、自分に余裕があれば募金なり寄付なりをして彼らの力になれればいいなと思う。

 人間は、他者に対して純粋で美しい同情を持つべきなのだと思う。


 素直に認めて欲しい、認めて誰かに寄り添ってもらいたい。

 俺は心の中でずっとそう唱え続けていた。

 日常に心が病み、疲れたのを周りが「頑張れ」と背中を強打する。

 無責任な言葉だと俺は思う。

 社会で繋がっているのだから、少しくらい助けてくれていいものではないのか。

 ただ、みんなが思うところは一つだろう。

「お前は部活で活躍して成績も良いんだから、少しも不自由ないだろう」と言われることは目に見えている。


 そして、俺は助け合いなど本質的に無理だと理解した。

 余命を告げられてから、意識が変わった気がする。

 俺は一言で言えば人間に失望した。

 私欲に侵された傲慢な生き物め。

 俺は孤独になろうと決めた。



 ふと、寒気がした。

 振り向くとそこには死神が立っていた。


「おう、少年。余命を知ってからの日常はどうかね?」


 死神は、漆黒の本を片手で弄んでいる。

 死神が俺を見つめる顔はひどく無感情だ。


「んー、絶望したかな。ただ、俺が余命を知ったことで絶望したのは、人間があまりにも醜いってことにだけだね」


 死神は口角だけを上げてケタケタ笑い始めた。


「なかなかに面白いことを言う少年だ。普通は自分の人生の不幸に絶望するものだろう?」


「あー、自分の人生があんまり良い方向に進まないのはもう気づいてたことだよ」


 再び死神はケタケタ笑い始めた。

 不釣り合いな顔がひどく不気味だ。

 この世に実在しないものを直面して、背筋が凍る思いだ。


「ところで、俺の死因とかってわかるの?」


「ん? あぁ、わかっているとも。交通事故だ」


「あら、あっけないのね。なぁ、不思議に思うんだけど、それって俺に言って大丈夫なの?未来変わったりしない?」


 死神は漆黒の本の表紙をめくり、眺めた。


「なんのために我がいると思う? つじつま合わせのためさ」


「なるほどね。あと、死ぬ人は全員死神が見えるのか?」


「いや、そんなことはない。いわばこれは品定めと言ったところか。死神というのはどうやら人間がなるものらしくてな。人間に憎しみを持った人間を、いわば死神の王が選出しているのだ。それを我々が実際に査定しているようなものだ」


 死神は一ページもめくらずに漆黒の本に目を落としたまま、微動だにしないで答えた。

 どうやら、俺は今死神の候補ということになっているらしい。


「ふーん。じゃあ、お前も人間だったってことだな」


「あぁ、そういうことになるだろう。少年、この本は何だと思う?」


 死神が漆黒の本を顔の前で揺らしながら問う。

 皆目見当もつかなくて何も答えることができない。


「これの一ページ目には少年の死因や状況が事細かに書かれている。二ページ目以降は禁止事項らしい。我は見ることができぬ。死神の王しか見ることが許されぬ。ならば何故、禁忌を含む本を我は持っているのか。何故だと思う?」


「さぁ、何故なんだ?」


「我には絶望しかないからだ。我は我に希望を持たぬし、それ故に欲するところがない。少しでもそれがあるとすれば、その時点で死神失格なのだ。人間に同情する恐れがあるとみなされる。だから、もし対象に未来を変えてと言われても、人間に対する同情などないから安心して役目を果たせるということさ」


「なるほどね、じゃあ、今の俺めっちゃ有力候補なんじゃない?」


 俺は嘲笑まじりに口にする。

 死神は表情一つ変えずに答える。


「さぁ、どうだろうな。まだ監視し始めて日は短い。どうなるかわからないだろう?」


「俺がもう希望を持つなんてことないと思うけどね」


 死神は口角を上げた。


「なんとも怖いもの知らずな人間だな。我はこれからも少年の監視を続けるが、もう少年の前に現れるつもりはない。せいぜい余生を楽しめ」


 死神はそう口にすると、だんだんと風景に溶け込み、見えなくなった。

 楽しめって言われてもな。

 俺は有力絶望候補だ、楽しめるものか。


 俺はその日、何も考えることなく眠った。

 いつもは眠りにつく前は思考が働き、何かを考えるようなものなのだが、心情の変化なのか一切何も考えることはなかった。

 自然と意識は闇へと落ちていった。


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