2 Crevice

「死神」と名乗る男に死を告げられたその日、普通は信じないような出来事を俺の潜在意識は信じたようだ。

 光陰矢の如し、なんというか、本当に死んでしまうとしたら、自分がちっぽけでどうしようもないものなんだなと思い知らされることになるだろう。

 ベットに横になり、覚醒した意識を眠らそうとするがうまくいかない。

 その夜は眠ることができなかった。

 喉の渇きや、尿意、飢え、何一つ感じることなくベッドの上で夜を明かした。


 寝ることをやめて時計を見ると、針は六を指していた。

 今日は土曜日。

 部活は朝の予定なのだが、やけにやる気が出ない。

 俺はマネージャーに連絡を入れて、今日は休むことにした。

 ぼーっとしていると階段から足音が聞こえて来た。

 その足元の正体はドアを開けて部屋を覗いて声をかけて来た。


「拓人? 今日部活は?」


「ごめん、なんかまだ少し具合悪くて」


 その言葉を出すとき、胸のどこががチクりとした気がした。


「そう……、拓人は足も怪我しながらやってるしね、休むのも大切だもんね。あ! そうそう今日は堀之内家に夜お邪魔するの聞いてる? そういうことだから早く良くしちゃいなさいな」


「あ、母さんも行くんだ。ほーい」


 俺の家と堀之内家は非常に仲がいい。

 昨日紗良に誘われた予定通りバーベキューをやるらしい。

 母親の部活休んでもバーベキューは行ってもいいという思考に少しあまさを感じるが、ありがたい。

 俺は一階に降りて食事を済ませた。

 赤い狸、緑の狐、黄金の龍……龍だけ格が違くない?

 俺は黄金の龍を選んで湯を注ぐ。

 休みの日の朝は絶対即席麺だ。

 食後、何もやることがない。

 ずっとバレーボールに時間を捧げているので、時間の使い方があまりよくわからない。

 なんとなく、朝読の本をちゃんと読んでみることにした。

 死の宣告……正直ずっと頭から離れないでいるが、混乱していてよくわからない。

 自分の中ではなぜか納得している、だけれど客観的に信じることは容易ではない。

 本のページをパラパラめくり、思考の文字列を読み続けた。

 途中からはあまり考えないようにして、大分前に愛用していた家庭用ゲームをプレイした。

 テンションが上がって来たところで母親から声がかかる。


「そろそろ時間だからお母さん先行ってるね。お肉とか買ってから向かうから。紗良ちゃんお迎え来てくれるって言うから、いつでも出れる準備しとくのよ!」


「あーい、了解」



 数十分後、インターホンは部屋に鳴り響いた。

 母に言われて準備は済ませていたので、鍵を持ってすぐに向かう。


「おっす」


「おは、じゃなくてこんにちは拓人! 行こー?」


「おう」


 そして、紗良の昨日面白かったテレビの話やユーチューブの話を聞いて歩いた。

 俺の家と紗良の家はご飯程度の距離だ。

 そんなこんなでちょっとした話をしてたらすぐに着く。

 既に辺りには炭の焼ける匂いが広がっていた。


「あら、いらっしゃい拓人くん。なんなら今日泊まってってもいいからじゃんじゃんくつろいでって! そのほうが紗良も喜ぶし?」


「ちょっと! 何言ってるのお母さん!」


 おばさんはノリが良くて冗談もよく言うザ・近所の奥さんみたいな感じだ。

 元気の良さに関して言えば、蛙の子は蛙。


「ありがとうございます。いつもお世話になってる分、出世したら恩返ししますね」


「期待してるわ、バレーの申し子さん。大会頑張ってね!」


「……はい、がんばります」


 なんだろうな、たくさん申し訳ない。

 お母さんにもおばさんにも後輩にもマネージャーにも……。

 憂鬱になりかけていたが、紗良が察したのか、明るく声をかけてくれたのが気分転換の契機になり楽しい食事ができた。


 食事後、紗良の部屋にお邪魔してくつろいでいた。

 ずっと一緒にいるからか、ほぼ抵抗がない。

 きちんと整頓された女の子らしい部屋は、何かボロを溢して気まずくなるような危険もないだろう。


「ねぇ、拓人はさ、将来のこととか考えてる?」


 紗良がスマホをいじりながら口を開いた。


「あー、将来なぁ、どうしようかなぁ」


 何も考えずに返事をする。


「拓人さ、好きな人とかいるの?」


 あまりこう言う話は持ちかけてこないので、驚いて紗良を見ると、顔を朱に染めていた。


「んー、いる、かなぁ」


「へ、へぇ……そうなんだ」


 しばらくの沈黙。


「拓人、私たちはいつまで一緒にいられると思う?」


 ふと、死神の言葉が浮かぶ。

 俺の人生は残り一ヶ月を切った。

 俺は笑いを混ぜながらに答えた。


「さぁ、案外俺すぐ死んじまったりして」


 すると、バンッと紗良が机を叩いて勢いよく立ち上がった。


「冗談でもそう言うこと言う人大嫌い! 拓人のばか!」


 そう言って部屋を出て行ってしまった。

 あぁ、なんだろうな、煮え切らないような余命宣告されたという事実に少しの煩悶があり、悲しいのかな、なんて思いながら天井を見つめる。



 紗良との関係だけは崩したくはなかった。

 ごめんな。


 死神の死の宣告はただ俺だけのものではないのだと、そのとき気づいてしまった。

 これは、俺の存在が周囲にも影響してしまうのだ。

 言っても信じてもらえないような宣告の事実。

 だから、誰かに言ったとしても正確な同情はなく、俺と他者の関係に生まれてしまうのはただの亀裂のみ。


 どうしようもない負の感情に囚われてしまった。


 人間万事塞翁が馬、ならば、俺の禍福はどこにあるのだろう。

 間違いなく理解したことが一つ。


 余命宣告を受けた曖昧な俺に幸せを掴むことはできないということだ。


 不幸を受けるのは自分だけでいい。

 どうせ死ぬ身だ。


 だったらいかに自分と関係のある人に不幸の影響を及ばさないか、ということだけを考えることにした。



 そう、もう俺は諦めることにした。




 俺の人生、始めから終わりまでずっと不幸でいい。

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