てづくりドラゴン2
実は完治したというのは嘘。
照彦は現在進行形で病気を患っている。
そうして、浅場照彦が罹っている病気は『正体不明』だった。
こうやって生きていることを医者に、運に、浅場は心から感謝すべき奇跡に違いない。今から約二年前。なんのきっかけか一生目が覚めないと思われた浅場照彦は、ひょっこり意識を取り戻したのだ。
いつ覚醒するかわからない、どう治療を行うべきかわからない、それが照彦が患っていた病魔、はたして病気なのか、それすら断言できないもので。なのに、照彦は起き上がった。長い長い夢から覚めて、やっと現実で立ち上がるまで来れた。
「君はね、十六年もの間、ずっと家に帰れなかったんだよ」
臨時担当医の近藤という医者は、何処と無く冗談っぽく言った。
十六年。そう言葉にされても、当時、浅場は年月の重さをいまいちうまく捉えられなかった。いや、いまだってまるでわかってないかもしれない。
医者の近藤は、照彦の身体は未だ楽観視してはいけない状態だと言う。
「つまり、驚くほど冷静に受け止めてる君だからこそ言っちゃうけれど、ぶっちゃけ何時、その身体に急激な付加が罹るかわからない。どう君に事実というものを伝えたらいいのか。……役に立たない医者で、ごめんね」
謝らなくてもいいのに、と照彦は素直に思ったものだった。
病気に対し頼るべき知識と技術が一切通用しない、照彦が現在進行形で罹っている病魔はそういったもの。
ならば新たな病気をせず照彦の身体を安全に保管してくれてた貴方に感謝したい、と正直告げたところ、
「君、凄いね。その身体もそうだけど、なんていうか達観してる」
困ったように眉をハの字にした医者に、照彦は苦笑いを浮かべるしかない。
彼が言わんとすることは浅場も理解できるからだ。
まず浅場照彦は歳を取らなかった。十六年もの寝たきりであったとしても、姿、形、年老いていくべき時間を過ぎたにもかかわらず。見た目はほぼ昏睡状態に陥った当時のままだ。時点で、浅場は医療機関に対し激震を起こさんばかりの存在であることは違いない。
「いや、ただ現状についていけないだけですよ」
きっとこのビョーキを患う以前の自分は、十六年前の自分は、もっと戸惑って、もっと理解を放棄して、あられもなく悲鳴をあげていただろう。
病気が正体不明なら回復した事自体もまた不明瞭なんて、何が何でも怖すぎる。我が身にいつ何時、理解の常識を超えたぶっ飛んだ現象が巻き起こるのか分からない。
今すぐにだってぽっくり亡くなる可能性だって秘めているというのに、そんなこと安易に飲み込めるはずがない。
でも。浅場は違うんだろうなと、漠然と思っていた。
手のひらを開けば、シワの彫りが薄いつやつやで若々しいハリ。こめかみ辺りのぼりぼりと掻いてみても、皮膚と筋肉と骨に守られた脳みそに届くわけがない。違和感はここだけ。脳みそだ。要するに、浅場照彦の身体は、多分、ごく普通の高校生でしかない。それなのに頭の中──つまり精神のみが異常なほど冷静だった。己の境遇もすぐさま理解し、率先して社会復帰、もとい、復学へとリハビリに勤しむほど。
ずっと、病院のベッドで寝たきりだった事実はすぐに受け止め、かつ、更に復学するための勉強すら始めた。
なぜなら、その不可解な精神も含めて、照彦にはすぐに目的を見つけたからだ。
元実家へ、帰ること。
このビョーキが発症した地で、もう一度最初から学校へ通うことだった。
照彦の両親は、この都市部で一緒に生きていこうと望んでいた。医者も、リハビリ施設で出会った子供や大人たちも、それに元地元に住む人達も。
そこには行かないほうが良い、リハビリ施設に居たほうが良い、と総じて意見を向けてきた。
「俺は帰ります」
何故? と皆は口を酸っぱくして頑固な照彦を説得するが、意見は変わらなかった。目的があったのだ。ただ、人には言いづらい個人的なモノが。だが皆が納得するわけがない。ろくな説明もないまま黙ってる照彦を認めてくれる人なんて居るわけがない。
しかし一人だけ、担当医の近藤は照彦の無茶な考えに、賛同してくれた。
「君がこれからどう生きるかは、君が決めていい。医者である私は、両親や親族の意見より君の意見を尊重するよ。見た目が子供でも君は、もう大人なのだと私は思うから」
でも、と続けて、愛娘に貰ったという黒縁メガネを押し上げて、
「私を十分に納得できる武器を示してくれ。大人は、言い分だけじゃ納得しないからね。君があの地元へ帰る為に何を差し出すのか、この私に教えて欲しい」
言われ、照彦は考えた。すぐに答えは出た。
「記憶が無いんです」
「は?」
「俺、生まれてこの方の記憶が無いんです。だから思い出しに、きっかけを得ようと帰ろうと思うんです」
「いや、君、本気でそんな感じで行くの?」
「いきます」
呆れた顔が向けられるが、頑固として照彦の意思は揺るがない。
記憶が無いのは全くの嘘。思い切り全部、完璧に覚えてる。
でも、あまりにあまりな境遇であった照彦の言い分は、記憶ぐらいすっぽり抜け落ちてもおかしくない、とろくに説明もいらず周囲は納得してしまった。
勿論、幾つかの代償もあった。精神科のリハビリコースも付け加えられ、両親も過剰な頻度で見舞いが増えてしまった。申し訳ないと思うが、それでも、照彦は何としてでも帰るつもりだった。
「思い切ったことするもんだよ」
どうしてそこまで思い切れたんだ、と唯一事実を知る近藤は問うてきた。
「君にとっては、ううん、その病気にとって、あそこは最悪の故郷だろうに。どうして自分を偽ってまで帰りたがるんだい?」
「ちょっと声が大きいですって。誰かに聞かれたら」
「誰も居ないよ。私以外はみーんな定時であがったからね。私だけ残業、夜勤、ふふふ」
何を今更そんなことを、と照彦が訝しがっていると。自然を装っているようで、白衣のポケットに忍ばせたレコーダーの膨らみが丸見えだった。どうやら逃げ帰ってくるだろうと予想して、いまのうちに言質を取る腹づもりらしい。
相変わらずだな、と密かに笑いを噛み殺して照彦は答えた。思うに、長らく夢の中で過ごした際に、若い心情を放置してきたのだ、と。
そう茶化して言えば、見たこともない不安そうな表情をされ、焦った照彦だったが、「もっかい精神科リハビリコースいっとく?」と本気なのか分からない「ご飯おかわりいっとく?」なノリで返答され、慌てて結構です! 大丈夫です! と慌てふためく照彦だった。結局、ドクタージョークかと思えば、リハビリ生活が延期することとなり、5月まで復学が伸びてしまったのは照彦の失言だった。
そうして無事リハビリ期間を踏破し、元故郷へ旅立つことが出来たのだった。
それが、浅場照彦はココロへ打ち込んだヒミツ、誰にも言ってはいけないナイショ事。敢えていうが、その『嘘』がきっと両親への罪の呵責に爪を立てている。だからこそ、あの無様な別れ方だったのだと、思う。
しかし、この世で生きるため、騙し続けなければならない生きる意地。
なぜならば、浅場照彦が『脅威の病魔発祥地(仮)の元地元』へ立ち向かえる、唯一無二の武器なのだから。
「おにいちゃん、つぎね」
子供は正直で便利だ、と照彦は思う。いいことも悪いこともオブラートに包まず直接告げることが出来る。
「えー、じゃあ今から森進一のものまねをしまーす…」
「だれ?」
「……うん。だよね」
かれこれ数十分以上もの間、少年(お婆ちゃんからの呼名ではゆうくん)から鬼のような遊んで遊んでコールを照彦は受けていた。ゆうくんは幼気な少年でありながら大人顔負けのセンスを用いて照彦の持ちネタを品評していくので、余裕だろうと高をくくっていた照彦も焦りを見せ始める。そろそろネタも尽きかけていた。
「じゃあ次はたまごっちが死んじゃう時の音楽を……」
「しらなーい」
「うーーーーーーん……っ」
正直、つらい。なにが辛いかってこのモノマネ地獄そのものも、ゆうくんの白けていく表情もそうなのだが。照彦の見た目年齢層から思わぬ引き出しがあることに、密かにわくわくさせてるお婆ちゃんの期待の眼差しが一番つらい。
ゆうくんに合わせたネタからお婆ちゃんが喜びそうなネタまでを辛うじて算出する脳みそはオーバーヒート寸前だったが、それでも、照彦は特にこの遊びをやめるつもりもなかった。期待されいてることを裏切ることが、出来ないわけでもない。今では人懐っこく照彦の膝の上に座るゆうくんに対して、全く別の遊びを提案すれば良い話だ。
唯一の持ち物であるボストンバックの中には、絵本だってある。リハビリ生活中で仲良くなった子から譲り受けた、その中の一冊を、一緒に読んであげるだけで簡単に話題は逸らすことが出来るだろう。
「じゃ、じゃあ次はねぇ」
「ユーチューバーみたいなことして」
「え? なにそれ?」
「知らないの? 友達みんな知ってるよ、ユーチューバー」
「ゆーちゅーばー……?」
なんだそのチュパカブラみたいな名前は。最近の子はユーマ系が流行りなのか、もしや絵本などという童話は既に時代遅れで、宇宙や未確認飛行物体に幼心の情熱を捧げるミステリックな時代と変貌してしまったのか。
子供たちは屋外でボールを蹴って遊ばずに、真っ暗な室内に集まって円形状で手を繋ぎ、アルミホイルで作ったとんがり帽子を被ってどの召喚呪文が上位体の興味を引いたか語り合う──怖い、怖すぎる。
「なにか勘違いしているようだけど、違うのよ」
照彦が妄想に暴走を続けていると、クスクスと笑うお婆ちゃんからのネタばらし。無事物騒な妄想を打ち砕いてくれた。なるほど、と納得している照彦に「わかるわ、私も最初は藤岡弘を思い浮かべてたから」「ナトゥーですね」「そう、ナトュー」と静かにニヤリ、と分かち合う。
実際のところ照彦の生まれからかなり外れたネタなのだが、とある幼馴染が番組の大ファンで、よく見せられていたの思い出しただけだ。水曜日ペシャル、今もあるのだろうか。
「ごめんなさいね、お相手してもらっちゃって。疲れたでしょう? 飲み物はいかがかしら」
トートバッグから新品のちっこいお茶を差し出してくれる。気軽に取り出された衝撃的なサイズに呆気にとられつつ、照彦は「ありがとうございます」受け取り、キャップをひねって口をつけると、モノマネで酷使した喉に潤いが舞い戻ってくる。
お茶ってやっぱ美味いんだな、と改めてクセの無い渋みを味わっていれば、
「………」
ふと、母親の姿を思い出した。大量に抱えていた照彦のための荷物と、最後に寂しそうに笑った両親の顔。他人の物は受け取れるのに、血の繋がった両親の物は素直に受け取れないのか。そう気づいてしまった時、ああそうか、と静かに察した。
家族より知り合って間もない、赤の他人のほうが自然体になれるんだな、と。
それが今から浅場照彦が続けようとしている、生きる希望なんだな、と。
「どうしたの?」
唐突の空白に二人は心配そうに顔色を伺ってくる。口に合わなかったかしらとお婆ちゃんが狼狽し、純粋な疑問でゆうくんが顔を見上げたのを、照彦はただ笑って見過ごして、己の違和感へそっと蓋をかぶせる。
「なんでもないよ。ちょっと……昔のことを思い出しただけ」
膝の上に座るゆうくんへ微笑んだ。にへら、と敵意のないふざけ顔を披露して、ゆうくんも純粋に笑う。おばあちゃんも気遣いながら笑う。照彦は努力して笑う。
でも、これが現実だ。
浅場照彦が一人取り残された世界のあり方だ。
「がおーっ!」
突然の可愛らしい獣声に、照彦は瞼を瞬かせる。何だ一体、と目線を下ろすとそこには、
「知ってる? これ、がおー! ドラゴン!」
ゆうくんが指先だけを器用に絡ませて、なんだろうか、よく見ると確かにドラゴン、の顔に見えなくもない造形が出来上がっていた。びっくりするほどちいさくて細い指で、幼いドラゴンを作り上げたゆうくんは、満面な笑みを此方に向ける。
「んふふー」
「ふがっ」
ぱくりと鼻を啄まれる。ドラゴンのあぎとで照彦は食べられてしまった。咬まれてしまった、のだが、
「……どうやってやったの?」
渇いていた照彦の笑顔が、すぽっと鳴りを潜めた。
「こうやるんだよ。おばあちゃんが得意なんだ」
「すごく得意よ」
自慢気に語るゆうくんのセリフに食い気味に言うお婆ちゃん。
物凄く、今の空気改善に狙いを絞ってるようだ。当たり前だ、あと少しで目的地で、旅先で出会ったばかりの若者と変な感じで別れたら後味が悪すぎる。孫、ナイスファインプレー、心のなかでサムズアップするのが目に浮かんだ。照彦も、そっと親指を立ててみる。
ゆうくんはきっと、単に暇つぶし、新しい次の楽しいことを始めただけかもしれない。
「すみません。教えてくれませんか、ドラゴンの作り方」
でも楽しいコト探しが苦手な照彦にとって、彼の生き方は本当に羨ましくて、微笑ましくて、多分、心から捨てなければならない欲望だろう。
大人になれ、ていうかお前はもう大人だろ。と踏ん切ってみせるのだ。
そして、二人が降りる駅までの残り数分で『ドラゴンの作り方』のご教授させてもらうこととなった。
子供ドラゴンに若者ドラゴン。そして迫力たっぷりのお婆ちゃんドラゴン(一番クオリティーが高かった)が出来上がり、ゆうくんには「へたくそ」などと辛辣なアドバイスを貰い受け、改善した空気に安堵するお婆ちゃんからは「内側じゃなくても作れるのよ。ほら、外向きも」と電車のドアが閉まる寸前で凄技アピールに心底驚いて、電車の鉄製ドアがゆっくりと閉まる。
「またねー」
ゆうくんがドア越しに元気いっぱいに手を降っている。お婆ちゃんも照彦に向かって手を降ってくれた。照彦は頷きながら彼女らに応じてみせる。
けれどまたね、とは言えなかった。さよなら、もう会うことはないように、と。
さようなら、そしてありがとう。優しい赤の他人。
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