てづくりドラゴン 1
「352、353……あれ? もうそろそろ着く?」
十キロの握力増強グリップをガッチャガッチャして、手紙を一通一通読み返していたら、いつの間にやら、窓の外の景色が緑一色に変貌していた。
浅場照彦が、数年過ごした都市部から、地元ローカル線に乗り込んで三十分弱。
車内にはガタンゴトンと響く環境音と、それに勝らんとする我がグリップが奏でる金属音のみだった。そして時折、手紙をめくる乾いた音。
照彦は、何気なくブカブカなスニーカーからすぽっと両足を抜いて、誰も座ってない対向座席に無造作に乗っける。
行儀の悪い行動を咎める人間はいない。だだっぴろい車両内には、照彦以外の客は一人もいないし、車員だって数時間前から顔も見ていない。
豪華にも殺風景な車両で一人、照彦は新たな筋トレへとステップアップする。この向かい合わせの相席の微妙な空間へ、橋渡しをする要素で両足を伸ばし、腹筋でガチリと宙へ固定。
無論、少し浮かせてる。筋肉が上げる悲鳴を幻聴する。腹の上に乗せた古ぼけた手紙を目を通し、節操なしに握力グリップをワッシャワッシャと鳴らしまくる。
だが、すぐ限界が訪れて全身から力が抜け落ちた。
「ふぅ」
心地よく身体を揺らす振動に、今度は身を委ねてみせる。ぱちりと瞼を閉じて、理想の寝相を探りながら、未だつかない『新天地』へと思い馳せてみた。
新天地、とは些か正確ではないか。照彦は思い直すように少しまぶたを開く。
今から向かうローカル線の終点。高層ビルや観光スポットなど以ての外の田舎町。
そこは、浅場照彦が生まれて十五年間ほどは過ごした町だった、はず。
はず、なんて。はっきり断言できない理由は『とある事情』を照彦が抱えているからだった。
「……腹へった」
ふとこぼれ出たどうでもいい愚痴。今になっては元の木阿弥なのに。手紙の下、そのお腹の様子は結構空き気味なのは認めざるをえない。
脳内で過ったのは、電車に乗る前に見た両親の姿。顔。
照彦の母親はお節介というマモノが人の革を被った性格で、両親の元から離れ遠くの『元実家』へ旅立たんとする息子に、大量の食い物を所持させようとしていた。
弁当や飲み物、果物に、照彦が好物のいちご大福。ましてや米数キログラムまで。駅まで車の運転を任されていた父親も「それは流石に…ねえ…?」と呆れ顔だった。
照彦は、視線だけを隣に向ける。誰もいない座席には一個のボストンバックだけがまるまる太って鎮座していた。
結局、照彦は母親の贈り物を何一つ受け取らなかった。
飲み物のひとつさえ手に持つことなく、ただ「移動の邪魔になると思うので」なんて尤もらしい事を吐いてそそくさと車内へ逃げ込んだのだ。
彼らは目的地には電車一本だと知っていた。もちろん照彦も。だが互いに口は出さなかった。
降車するスーツをきっちり着込んだ社会人達の荒波に飲まれつつも、照彦が無事に席に着くまで両親の不安そうな視線は追ってくる。
その視線に焦った照彦はどうにか、なにか気の利いたセリフは無いか必死に考えて、
「……荷物は、美景さんの所へ送って下さい。きっと、ほら、娘さんも喜ぶだろうし、もちろん俺も! ……とにかく、お願いします」
窓をほんの少しだけ開けて、かろうじて絞り出した返答はそれだけ。惜しむように見送られる最後の最後まで、なにが正解なんてこれっぽっちもわからなかった。
ふと、伸ばした両つま先を包んだ真新しいソックスが目に入る。
それは、自分が用意したもの。照彦だけが自由に使えるお金なんて限られていて、必要最低限の生活必需品を買い揃えただけで使い切ってしまった。
このバックの中身もほとんどがお土産であったり、あとはパンツと財布。今、照彦が読んでいる色褪せた幾つかの手紙、とあるリハビリ施設で出会った娘からもらった数冊の絵本。そしてケータイと歯ブラシ程度ぐらい。
しかしこれだけ冷静に準備を整えられたのに、何故ゆえ、両親との会話は失敗するのか。
「寝よ」
湧いた罪悪感へフタをするように、今度こそ瞼をしっかり閉じる。
こらえ方の分からないひもじさが「くぅぅ」と音となって耳元に響いて、黙ってろ、と口にせず照彦は己を叱咤する。
自らあるべきものを捨てて、ここまで来たんだ。
お腹が空いてるのも、電車移動が長く感じるのも、両親へとたいしたセリフも吐けないもの、……こんなにも寂しいのも、全部全部、照彦の責任なのだから。
※※※
「ねえおにいちゃん」
突然の声に、照彦は驚きで飛び起きる。
まさか照彦以外に他に乗客が居たとは思わず、慌てて声のする方へと視線を向けると、一人の少年が年配の女性と一緒に手を繋いで立っていた。
丁度、照彦がのびのびと自堕落に二座席占領している真横である。
当惑する照彦をよそに少年は、
「そこ座ってもいい?」
「え……? あ、うん、別に、いいけど……」
指差されたのは照彦が足をのけった向かい座席。ほぼ条件反射で照彦は返答してしまって、やった、と大して喜んでもない表情で少年が飛び乗るように座席へ。
連れられて年配の女性も横に腰を下ろした。
車内はいまだガラガラなのに敢えてここを選んだのか、呆気にとられたままの照彦に、全体的に上品な雰囲気を醸し出している年配女性が「ありがとうございます」と軽い会釈。そして二人はじきにくる目的地まで思い思いに暇をつぶし始める。
これは、孫と祖母の関係なのか。
大方のところ都市部からの帰宅中なのだろうと照彦は予測。
楽しそうに足をバタバタさせ外の景色を眺める少年と、常に静かに朗らかな笑みを浮かべるお婆ちゃんの今日一日の出来事を思い馳せてみせる。
カチリ、と。我知れず思考が切り変わった。
「お婆ちゃんと遊んできたの?」
自然と照彦の口は緩んでしまう。小さい子供が楽しそうにしている姿はなんとも癒される。
それに、照彦にはつまらないとしか思わなかった緑一色の景色をアニメを見るかのように楽しむ彼が羨ましかったのかもしれない。
「うん」
「そっか。楽しかった?」
「楽しかった。ね? お婆ちゃん?」
少年の無垢な問いによりいっそう笑みを深くさせるお婆ちゃん。照彦も思わず影響されて和んでしまう。
「貴方はこれから何方に?」
意外にも(行儀の悪い照彦の姿を見たにも関わらず)気さくに話しかけてくれたので、照彦は慌てて口を開く。
「あ、えっと、引っ越しですね。こっちの高校に転校することになって」
「まあ。そうなの、それは大変ね」
ほんのすこし瞠目する彼女を照彦は見て、言わんとすることがわかった。
わざわざ都市部から田舎町の学校、ましてや高校へと転校するなど裏が伺える。しかも照彦一人だけ。親と同伴ならばまだ裏事情の勘ぐりは緩和できようものだが。
まあそのへんは照彦も事前に考えてもいた。とりわけ体の良い言い訳も。
「実は俺、長い間、結構重い病気で寝たきりだったんです。去年ぐらいにやっと完治できて、それで学校に復学が許された感じなんですよ。だからこんな変な時期に編入する形になってて」
「まあ……」
余所余所しいものから同情へと女性の視線の色が変わる。蛇足だったかと危惧したが、功を奏したらしい。
確かに嘘ではない。浅場照彦は重たい病気で長期間も都市部のでっかい総合病院で寝たきりだったのは事実。
約一年の辛く厳しいリハビリ生活を乗り越えて、5月の中旬、このゴールデンウィークの最終日を出発の日と相成ったのだった。
「お兄ちゃんビョーキだったの?」
「うん。けどもう大丈夫、身体はピンピンしてるから」
朗らかに笑って少年にマッスルポーズを演じてみせる。ふーん、とまるで興味なさげにふぃっと顔を背けられ軽くショックを受ける照彦。
空振った無理目のボディランゲージが外の景色に惨敗した事実にどう収まりつけようかと逡巡していると、
「復学は大変でしょうけれど、若いうちに治って良かったわね」
「そう、ですね」
目に入れても痛くない孫の頭頂部を軽くぺしっと叩いた彼女は、本当に本当に、それこそ照彦が家族の一人として闘病生活から復帰したかのように心から喜んでくれてるようだった。
けれど照彦は素直には言葉を受け取れなかった。受け取ることは、出来なかった。
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