10.助っ人を呼ぼう

 突然だが、僕は絵が描けない。

 図工や美術は言わずもがな、グラフを書くことが多い数学もボロクソな成績なのだ。一番嫌いだった夏休みの宿題は読書感想画とポスター。母さんや兄さんに泣きついて代筆してもらったことも少なくない。

 ようするに僕だって、院長たちのことをとやかく言えないのだ。

 滅多に患者がこないことをいいことに、僕はロビーのソファをかれこれ二時間は占拠していた。事務室でパソコンなどという精密機械を扱おうものなら、加藤さんの無邪気な破壊活動の餌食になりかねない。桜井さんだって要注意人物だ。あの人は加減を知らないから。桜井さんにタブレットを破壊された時は三日くらい立ち直れなかった。

 そんなこんなで、僕はここまで退避を余儀なくされたのだった。

「うーん……」

 いくら唸ったところで、ディスプレイに映る真っ白な画面が色とりどりのポスターに変わるわけがない。なにせワードなど、レポート以外で使うのは高校ぶりのこと。それにマウスがないので使いにくい。

 そしてそういう時に限って、滅多にないことが起こるものだ。ありていに言えば、お客がやって来たのだ。

 カラコロと安っぽいベルが来客を告げた時、僕は飛び上がるほど驚いた。思わずノートパソコンを抱きしめたほどだ。

 やって来たのは、頭の先からつま先まで全身真っ白の女の人だった。ただでさえ色白なのに真っ白なワンピースまで着込む徹底ぶり。このクリニックにたまに顔を見せるその人は、雪女の雪子さんだ。

 僕の驚きように雪子さんもびっくりしていたが、すぐに気を取り直して、ぺこりと頭を下げた。

「お久しぶりですね。……ところで、何をなさっているんですか?」

「あ、これですか?」

 ノートパソコンを持ち上げて見せると、雪子さんは大きく何度も首を縦に振った。その姿はまさに興味津々といった様子。雪子さんなら分別も力加減もしっかりしてそうだが、ところがどっこい油断は禁物。パソコンは精密機械なのだ。何かあってはいけないので、正直あまり雪子さんにも触ってほしくないのが僕の本音。

 しかし、もし雪子さんがただ遊びに来ただけじゃなく本当の患者さんだったなら、僕はパソコンを犠牲に現状を耐え忍ばなくてはいけない。ここは妖怪だらけとはいえメンタルクリニック。人間にだって忍耐と根性が求められる過酷な戦場なのだ。

 そういう事情で僕は雪子さんを邪険にできず、へらへらとはぐらかすことしかできない。もしかしたら顔が強張っていたかもしれないけど、そこは勘弁いただきたい。

「いやあ、ちょっと。ポスターとかつくろうって話になったんですよ」

「まあ! 素敵ですね! 山崎さんは絵も描けるんですか?」

 これっぽっちも描けないから苦労している、などとはとても言えない。だって格好つかないじゃないか。僕だって人間だてら意地というものがある。

 結果、僕は誇張表現にてごまかすこととなった。

「まあ、多少は。これでも学校とかでちょっと勉強したんですよ」

 嘘ではない。小学校で図画工作を、中学高校と美術を一応履修してきた身だ。単位だってちゃんととれたし。ちょっと成績が悪かっただけで。

 そしてそんな誇張を、雪子さんはあっさりと信じてしまった。わーすごい! と手を叩いて感心していらっしゃる。そんな彼女を前に良心の呵責とかなかったわけではないが、ここで前言撤回などどうしてできようか。嘘じゃないし。

 僕の隣に腰かけ、雪子さんはディスプレイを覗き込んだ。そこで画面が真っ白なことに気づいたらしい。雪子さんは首をかしげた。

「あら、まだ完成してないんですね」

「ええ……コンセプトとか、まだ決まってなくて」

 言った後でなんだが、ところでコンセプトってなんだろうか。テーマみたいなもの?

 幸い雪子さんもよく分からなかったようで、ふむふむと感心したようにうなずいている。僕が言うのも可笑しな話だが、もう少しこの人(この妖怪?)は人を疑う癖をつけておいた方がいい。

 雪子さんは、ほっそりした指を顎に当てしばし考え込むと、やがてぱっと晴れやかな顔を上げた。

「やっぱりここは、爽やかさを全面に押し出してみてはいかがでしょうか。青や緑のトーン・オン・トーンで画面をまとめて、要所要所にアクセントとなる色を配置して。色をすべてブルーベースでまとめることで、爽やかさと同時に清潔さも表現してみてはどうでしょう。色相や明度でなく彩度で色の違いを出してみるのも面白いかもしれません」

「あ、あのっ、雪子さん!」

「後は高明度で中間色とか――……え、はい?」

 雪子さんは何でもないような顔で首を傾げてみせるが、僕には彼女の言葉は呪文のようにしか聞こえなかった。何を言っているんだ、この妖怪は。改めて雪子さんは妖怪なんだと認識せざるを得ない。それも、このクリニックに常駐している妖怪とはまたケタが違う。

 ドン引きする僕の手前、雪子さんは合点がいったようにぽんと手を叩いた。そしてバッグからあるものを取り出す。

「あ、実は私、最近資格を取ってみたんです。ちょうど暇もありましたし」

 ――カラーコーディネーター二級。

 ――色彩検定二級。

 くらりと眩暈がした。

 授業で絵を勉強したなどとほざいていた数分前の自分を殴り倒したい。授業など資格に太刀打ちできるはずもない。

 強力な助っ人が転がり込んできたのは喜ばしい限りだが――僕は穴があればそこに定住したいと思うほど、恥ずかしかった。



○雪子さん……カラーコーディネーターや色彩検定の資格を持つ色のスペシャリスト妖怪。そのセンスを自分自身の配色に活用してほしい。(山崎のメモより)

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