9.ポスターを作ろう
世の中には、どうしたって繁盛のしようがない病院というものがある。
たとえば医療技術は未知数、だけど免許を持っているかどうかがあやしいブラック・ジャック的医者とか。そんな医者が小ぢんまりしたクリニック構えていたりして、来院したらコワモテの黒い医者が「よく来たな……」とか出迎えたり、医療費がとんでもなかったり。
もちろんそんなことしていなくても、閑古鳥が大量発生するような病院も世の中にあるわけだ。
たとえば、今僕がアルバイトで働いているこの病院とか。
依内メンタルクリニックに勤めるようになって早いもので半年が過ぎようとしている。常勤の従業員にお茶を配ったり花壇のお世話をしたり、ほとんどの勤務時間を暇つぶしで過ごしていたり、とにかく仕事のないバイトだ。それでいて時給は千円オーバー、休日と夜間には立派に手当てまでつく。条件だけ眺めればこれ以上にないほどの仕事だ。
しかしこの世の中、カステラの表面部分ほど甘くはないのだ。
「ねえ山崎君。ちょっとお願いがあるんだけど」
にこにこといかにも人が好さそうな笑顔を咲かせて、そろそろと僕のデスクへ近づいてきたのは、このクリニックの院長だった。数日前新調したばかりだというフレームレスメガネが微妙に似合わない、額にでかい角腺みたいなツノを二本はやした(生物分類学上)鬼の院長だ。もちろん人柄が鬼というわけではない。むしろ院長はぞっとするほど優しいのだ。
さて院長がほんわかした顔で持ってきたのは、ふたまわりほど旧世代のノートパソコンだった。電源がすでに入っているようで、受け取るとほんのり温かかった。
お菓子やらお茶やら文庫本やらでやたら汚い机に強引にパソコンをセットしぱかっと開くと、そこにはすっきりしたデスクトップがあった。見たところOSはウィンドウズ7。それもずいぶん初期のやつらしい。
院長は額の角をかりかりと掻きながら、こんなことを言ってきた。
「山崎君って、パソコンでポスターとか作れる?」
――それから滔々と院長が話したことを要約すると、こうだ。
このクリニックがあまりに過疎しているのは、そもそも院長がこのクリニックを宣伝していないせいなのではないか。そう半月ほど前に知り合いのぬらりひょん(ぬらりひょんなんてマンガの中にしかいないと思っていたのだが、まさか実在しようとは……)に言われ、それもそうだと院長も思ったらしい。早速手書きでポスターやらチラシやらを作ってみたが、どうやら院長のデザインセンスは壊滅的だったようだ。何よりこの鬼、ポスターもチラシもコピー機なしで作ろうとしたらしく、思いがけない大変な重労働となった。そういうわけで、今度はほかの従業員に手伝ってもらおうと考えた。
さて、ここで重要となるポイントがある。このクリニックの院長は、知り合いにぬらりひょんがいる、正真正銘の鬼だ。当然ほかの従業員も普通では済まない。たとえば僕の正面のデスクでうつらうつらしている黒髪の美青年こと桜井さんは吸血鬼だし(薄く開かれた口から立派な牙がのぞいているのが何よりの証拠)、ちょっと離れたデスクで暇そうに「創世のアクエリオン」を口ずさんでいる加藤さんには犬耳と犬しっぽが生えている。つまり二人とも立派な妖怪。僕以外の従業員は全員妖怪なのだ。うーん、繁盛しない原因はそこにあるんじゃないかな。
機械に疎い妖怪三人集まっても、作業効率はそうよくならなかったようだ。何より三人が三人とも、壊滅的なセンスの持ち主だったらしく、印刷媒体で宣伝大作戦は、ここで一時座礁に乗り上げたのだ。
「――でね、そこで桜井くんが教えてくれたんだ。大学生の山崎君なら、きっとパソコンが使えるって」
こうして僕にお鉢が回ってきたというわけだ。
もちろん僕は情報社会まっただ中に成人を迎えようとしている身であるから、パソコンくらい常人並みには扱える。ワードとエクセル、あとパワーポイント、イラストレーターくらいは難なく使いこなせる自信がある。フォトショップとインデザインがちょっと怪しいけど、それもまあ出来ないわけではない。
そう院長に説明すると、院長はいかにも理解していないような顔をした。
「うーん、よく分からないや。でも出来るんだね、パソコン」
「ええ、まあ」
「じゃあ、パソコンでポスターも作れるね?」
院長のくどくど長かった話は、見事始まりと同じ場所に帰結した。
「作れないこともない、ってレベルですが、それでもいいですか?」
「やったー! じゃあお願いね!」
……一体どこの民俗学者が、鬼が「やったー!」なんて言いながら諸手を挙げる時代の到来を予期していただろうか。
院長の仰せのままにアプリケーションを立ち上げ「新規作成」のタブをクリックし、僕は院長の指示を待った。ちなみにソフトはワードにした。
「で、どんなの作ればいいんですか?」
「うーんと……そうだな。ばーんと色んな人の目を引くポスターがいいよね。あとチラシもそんな感じで」
どんな感じだ。
「あ、そうだ! じゃあこんな感じでどうかな!」
院長はうきうきした足取りで自分のデスクまで戻ると、何やら机をごそごそとあさり出した。卓上に山積みになっていた出版社もそれぞれの新聞がばさばさと落ちる。そのうちちらりと見出しが見えた――「冷凍新聞」。そんな新聞あったんだ。
やがて院長は目当てのものを彫り出したようで、きらきらと子どもみたいな目で戻ってきた。
「じゃあ山崎君、こんなのお願いできる?」
そのお言葉とともに突き出されたのは、一枚のチラシだった。黒い背景色に真っ赤でおどろおどろしい文字、暗闇からじっとこちらを見つめる目玉のイラスト――
お化け屋敷のチラシだった。
○依内メンタルクリニック……デザインセンスが壊滅的な院長とその助手と看護師が勤務するクリニック。院長についてはデザインセンスの問題ですらないようだ。(山崎のメモより)
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