11.完成……?

 次世代妖怪雪子さんの尽力もあり、ポスターはとうとう完成の兆しを見せていた。

思い返せばそれは苦難の連続だった。お茶を淹れて来たとか言いながらやってきた院長に、危うくファイルを削除されそうになったこともあった。辛抱切らした加藤さんがロビーに転がり込んできて「あそんでー」とじゃれついてきたこともあった(もちろん丁重にデスクまでお帰りいただいた)。様子を見に来た桜井さんは何かを誤解したようで、「ほだされるのはいいが責任はとれよ」などと意味不明な言葉を残していたりもした。

 そんなこんなで、なんとか見られる完成度のポスターが出来上がったわけだ。やっぱり雪子さんの力は大きかった。僕は雪子さんの指示に従ってクリップボードや文字を配置していくだけで良かった。今度何かお礼した方がいいのかな。チョコでも買ってやればいいのだろうか。

 完成したデータをSDファイルに保存して、完成した旨を院長に報告すると、院長は椅子から転げ落ちるくらいに喜んだ。断っておくが、これは比喩でもなんでもない。本当にこの鬼は転んだのだ。鬼のくせに。

「ほ、ほ、本当に完成したのかい!? 嘘じゃない?」

「嘘ついてどうするんですか! 今からプリントアウトしてきますから、ちょっと出かけてきますね」

「うん! もちろん! ボーナス弾ませとくね!」

 よっしゃ。このボーナスで憧れだったジューサーが買える。念願のスムージーが家でも飲める。

 ところで、プリントアウトするのになぜわざわざ出かけなければいけないのか。それはこのクリニックの設備の乏しさにある。パソコンはこのノートパソコン一台、あとヒビの入ったタブレットが一台。このクリニックはカルテも顧客情報もだいたいアナログで済ませてしまうという恐ろしく時代錯誤なところなのだ。タブレットだって院長が僕の真似をして買ったものだ(まあ僕のは桜井さんに真っ二つにされたのだけど)。

 そういうわけで、こんな風にプリントアウトする必要性が出てくると、いちいち写真屋に行ってお金払わなければいけないのだ。タブレット買うならプリンターを買えと声を大にして言いたい。

 それはコピーも一緒で、我がクリニックにはコピー機などという洒落たものは置いていない。ポスターのためだけにコンビニ行って一枚五十円で刷ってこなければいけないとは、現代人の僕としては信じられないほどのめんどくささ。学校に忍び込んでコピー機くらい借りたいものだが、使うのにいちいち申請しなければいけないのも面倒だ。

 そういうことで、僕は写真屋の後にコンビニに向かうこととなった。「たくさん刷ってもらわなきゃいけないし、お手伝いを一人つけておくね!」という院長のありがたい言葉のもと、僕に同行してきたのは桜井さんだった。院長は薬の手配などで手が離れられないようだし、加藤さんをコンビニに連れて行くなど言語道断、お金がいくらあっても足りやしない。

 そんないきさつもあり、コピー機から排出されていく紙を興味津々に眺めるヴァンパイアという図式が完成したのである。

「これはまた……便利な世の中になったものだな」

「病院にもコピー機があればよかったんですけどね」

「馬鹿いえ。うちにこんなものを置いたらどうなるか分からんお前じゃないだろ」

 ごもっとも。特にあなたとか。

 とはもちろん口に出して言えるはずもなく、僕は適当に「そうですね」とか言っておいた。百枚刷ったのでコピー代はしめて五千円。長時間コピー機を占領するのは心苦しいが、僕も仕事なのでそれは仕方ない。おじさんがしきりにこちらを見てきているのは無視しておく。

 最後の一枚が排出されたところで、僕はまだほかほかに温かい紙束をまとめて持ち上げた。百枚の紙束というのは多いようで意外と少ない。紙をこぼさないように抱えなおしていると、ぴ、ぴ、と隣で電子音が聞こえた。コピー機を操作している音だ。

「……桜井さん、何してるんですか」

「ほう、ファックスも送れるのか……」

「ほう、じゃないですよ! 何してるんですかっ! 遊んでないで早く撤収しますよ!」

「待て、まだこいつの機能を見尽くしていない!」

「子どもみたいなことしないでください!」

 口惜しそうな桜井さんの腕を無理やり引っ張りコンビニから撤収。なによりこの妖怪がコピー機壊して弁償沙汰になるのが一番怖い。桜井さんならやりかねない。

 病院への道中、ふと桜井さんが立ちどまった。彼が見つめる先には手頃な電柱がそびえ立つ。桜井さんはそれを指さして僕を呼びとめた。

 嫌な予感と共に振りかえると、桜井さんは不遜に顎を突き出しこう言った。

「この辺りがいいだろう。山崎、それを貸せ」

「……念のため聞きますけど、何する気ですか?」

「ポスターというものは貼られるために存在するんだろう? そんなことも分からないのか」

「分かってますけど。僕が聞きたいのは、どこに貼る気なんだってことです」

「馬鹿か。人目のつくとこに貼らんと意味がないだろ」

 ――もしやこの人、街中に貼る気ではなかろうか。

 思えば百枚も刷らせておいて、院長は僕に何も言ってはくれなかった。よもや桜井さんだけでなく院長まで、ポスターをこのまま街中に貼る気満々だったのではなかろうか。世間知らずもここまで極まれば洒落にもならない。念のため、僕は桜井さんに確認をとった。

「……桜井さん、公共の場にポスターを貼る際、役所の許可が必要だって知ってましたか?」

「許可……? 役所の、だと……!?」

 僕の言葉で事の重大さに気づいた桜井さんの顔から、不遜さがすとんと抜け落ちた。動揺を隠しきれない様子で目を泳がすこと数秒、その瞬間桜井さんはダッシュした。文字通り目にも止まらぬ速さだ。僕は目も開けられなかった。

 どうやら桜井さんは役所にあまりいい思い出がないらしい。妖怪だから当然か。できるだけ関わりあいたくない存在だろう。


 それは院長も同じだったようで、僕がクリニックに到着するやいなや、院長からポスター貼り中止のお達しが届いた。

 そういうことで、百枚のポスターは見事お蔵入りとなったわけである。なむさん。



○役所……街中などにポスターを貼る時には、役所の許可を得てハンコを押してもらわねければならない。違反すると問答無用ではがされるため注意(山崎のメモより)

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