3.バンパイアの桜井さん

「今日はみんなでご飯食べに行こうか」

 我らが院長がそんなことを言い出したのは、雪子さんが帰ってしばらくしてからのことだった。

 もちろん僕は即答で断った。

「僕は遠慮しておきます」

「なんで? わたしたちがきらいなの?」

「いや、今月は金欠なんで……」

 ちなみにこれは嘘だ。ここの時給は他のところよりうんといいので(多分危険手当込の値段なんだろうけど)、僕の口座は他の学生より少し潤っている。一人暮らしなんかしてもちょこっと貯金できるレベルで裕福だ。

「それなら今日は僕が奢るから大丈夫だよ。いいお店を見つけたんだ。『料亭桜の花』って言ってね、これがまた美味しい鯛料理が食べられるところなんだけど」

「なんで高級料理のお店チョイスなんですか」

 余計遠慮したいんだけど、きっと僕がどう反論したって完封されておしまいだろう。悲しいかなアルバイト。人間風情なんてこんなもんか。

「俺もいい」

 かと思ったけど、今回は意外にも桜井さんも難色を示した。

「どうせ俺が行ってもまともなものは食えん。お前らで行って来い」

「桜井さん、珍しいですね」

「血の気のない生肉なんか食えたもんじゃない」

 そういうことか。吸血鬼ってワイングラスで生き血を啜って豪華な晩餐をとる、ってイメージがあったけれど、どうやら吸血鬼の食生活はそこまで裕福なものではないようだ。そういえば前に「トマトジュースで血の代用がきくと考えた人間はクソだな」なんて言っていたっけ。

 けれど院長は桜井さんの反応なんて想定内だったのか、やんわりと笑った。僕を指さして。

 嫌な予感がする。

「だから山崎君も連れていくんだよ。個室を予約してあるから、店内で新鮮な生き血を堪能してね」

「僕!? 生き血って僕!?」

「山崎君には良質なたんぱく質と鉄分を摂取させるから、ある程度までならまっとうな食事もできるよ」

「あの院長、僕そもそも行くって言ってないんですが、」

「お金のことなら心配いらないよ。僕が奢るからね」

「金より命の心配があるんですが」

「それでいいかな、桜井君」

 無視だ。相変わらず僕の意見は無視だ。

 桜井さんの様子を見ると、桜井さんは、熱の入った――蠅を狙う猫みたいな目で、僕を見ていた。逃げて僕。このままでは被食対象になってしまう。

 桜井さんも丸め込まれてしまった。しかも命の危機もオプションでついてきた。

「わかった。俺も行く」

 即答だった。しかも満足げだった。

「手っ取り早く美味い飯が食えるならそれに越したことはないからな」

「……いつも思うんですが、そんなに美味しいんですか、僕の血って」

「人の食事で例えるなら神戸牛が妥当だな」

 相当美味いらしい。確かに神戸牛が無料で食べられるなら僕もほいほいついて行ってしまうだろう。だからと言って血をとられるのを是としたわけではないのだけど。

 窓の外を見ると月が輝いていた。今日の帰りも遅くなりそうだ。



○桜井さん……依内メンタルクリニックのスタッフで吸血鬼。主食は人の血で、たまに僕を狙ってくる(山崎のメモより)

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