2.雪女の雪子さん

 桜井さんに噛まれた腕にオキシドールをかけているところで、なんと来院者を告げる玄関のベルがカラコロと鳴った。

「はーいいらっしゃい」

 ぱたぱたとロビーの方へ向かっていった加藤さんを、僕も包帯を巻いて追いかけた。桜井さんの噛みはいつも容赦がない。血がだばだばに出ないのとあまり痛くないのは幸いだけど、傷はざっくりと深い。というか、これ、治るのか?

 今回の患者さんは女の人だった。白い髪と白い肌と白い服――とにかく全身が白い女の人だ。きっと写真とか撮ったら光を反射してきれいに写らないに違いない。

「あの、営業中でしたか?」

「ねんじゅうむきゅうです」

「嘘つかないで下さい。月曜日は定休日でしょ」

 とりあえずおざなりな突っ込みをひとつ投下して、雪子さんというらしい女性を診察室に案内した。そこにはもう院長と桜井さんが何食わぬ顔でスタンバイ。よほど暇だったのか、院長の顔がいつもより二割増しで人当たりがいい。

「お久しぶりですね雪子さん。今日はどうされました?」

「暑くてどうしようもないんです」

 唐突にそう言ってきた。

 そうは言うけど今は五月で、それなりに涼しい季節なはずだ。僕もまだ夏服を出してないし、布団もまだ冬用を使っている。言うほど暑い気はしないのだが。

 雪子さんは常連の患者さんだったのか、院長は雪子さんのそれだけの言葉で事情がわかってしまったようだ。僕から手渡されたカルテを見て、院長は、ああ、と納得したようにうなずいた。

「そうですね。今年も例年より二度ほど最高気温も高いみたいですし、これからますます雪女にはつらい季節になっていきますね」

 え? 雪女?

 真っ白なビジュアルと雪子なんて安易な名前から、まさかとは思っていたが、しかし本当に雪女だなんて思わなかった。まあこの病院のスタッフが僕以外みんな人外だから、ありえない話ではないんだけれど。

「でもこの季節からクーラーを使うと電気代がばかにならないんです。ほら、今は節電の時代ですし」

「確かに雪女が節電なんてしてたら夏は乗り切れないだろうな」

 なるほど、現代の日本というものはかくも妖怪にとって過ごしにくかったのか。

「でもクーラーは手放せないんです。だけど贅沢はできないし……何かいい方法はないでしょうか」

 まるで家電量販店かどこかでするような質問だ。すくなくとも心療内科でする質問ではないような気がするが――まあ、妖怪が素直にこんなことを聞けるのも、妖怪が運営する病院くらいなんだろう。この病院、人間のお客さんはめっきりみたいだし。

「そうですね……山崎君、人間の立場から何かいい案はないかな?」

 なんかハードル上げて話を振られた。

「きゅうりとかトマトとか食べればいいんじゃないですか? いい感じに体冷えますよ」

「人間すぎる案だな、却下」

 なぜか桜井さんに一蹴された。つかこの人の主食はその人間の生き血のくせに。

「……じゃあ保冷材とかアイス枕とか使えばいいんじゃないですか?」

「やだ。あれくさい」

 今度は加藤さんに却下された。確かに保冷材独特の鼻にくる臭いは、四割がた犬の加藤さんにはつらいものがあるのだろう。

 ちなみに肝心の雪子さんは僕の話に真摯に耳を傾けて、メモまでしてくれている。その生真面目さがうちのスタッフにもあればな、と思うんだけど口にしたらきっと殺される。

「………うちわで頑張って扇ぐとか?」

「それです! まさにそれです!」

「さすが山崎君。いい案出しますね」

「……ふん」

「きゃーやまざきくんすてきー」

 ええー。

 今までの回答の中で一番適当な答えだったけど、まさかの大反響だ。それでいいのか妖怪。

「うちわを使うことでエネルギーを使うから体の温度が上昇する、そしてそれを冷やそうと汗をかく。うちわによって生まれる風力との相乗効果が期待できますね。ただ風に当たるだけより涼しくなるのは確実ですよ、雪子さん」

 なんでうちわ一枚でそんな風に解説できるのかは疑問だが、とにかく院長からも太鼓判はもらえてしまった。というか雪女も汗をかくんだ。知らなかった。

 雪子さんも目をキラキラさせて院長の話を熱心に聞いていた。先ほどとは比にならないほどの熱心さだ。そんな雪子さんを見ていると妙に悲しくなってくる。僕の精一杯の考えより適当に言った案の方が優秀だったなんて嘘だ。

「そこにクーラー入れたら一石三鳥ですね! ありがとうございます」

 使うんだ、クーラー。

 いくつか突っ込みたいところはあったけれど、僕が何か言っても無視されそうな雰囲気だったのでやめた。所詮人間なんて無力だ。僕は窓の外を見た。もう日が沈んでいる。山すそから見え隠れしているのは金星だろうか。今日は何時に帰れるのだろうか。

 ……帰っていいかな。



○依内メンタルクリニック……妖怪のお悩み相談室も兼ねている、ほぼ妖怪用の心療内科クリニックである(山崎のメモより)

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