第3話 偶像を見にいく

ここ1か月ほど、推しが出ているミュージカルを追いかけていた。仕事で行けなかったり行けないと思ってた日に仕事の休みが発生したりして、まあ今回も順調に情緒を狂わせたりありもしない幻覚を見たりしていた。記憶が褪せることへの不安もあって後半はもうだいぶ日常生活に支障が出ていた気がするがこの作品にハマってなければ気圧で精神がやられていたので主観が多幸感にあふれていたぶんプラスだったと思っている。ハイコンテクストな作品はよいですね。対岸から見る地獄は蜜のようにあまく、飲みすぎると窒息する。私は希死念慮の回避先に観劇している節があるのでそのほうがありがたい。

閑話休題。

そんなこんなで情緒をぐちゃぐちゃにしてくれたその演目も大千秋楽を迎え、消えゆく記憶におびえながらばちゃばちゃ遊んでいたところその推しのメルマガがイベントのお知らせを持ってきた。情緒を殴られすぎてうっかり忘れていたがそういえば何か月か前に申し込んだ気がする。内容はよくわからず不穏な(あくまで私にとってでありごくごくまっとうな、むしろサービスに分類される内容である)単語もあったがまあこの方だしきっといけると思って申し込んだんだった。うっかりしているうちにあと数日に迫っていた。メール(放置しすぎて結構たまっていた)の内容を確かめていく。会場・注意事項・座席表、申し込み時には明かされていなかったファンサービスもちらほら。うん。大丈夫な気がしない。認識されない程度に遠くから推しを鑑賞していたい(誤字ではない。推しは人間だが私は推しの表現を見にいきたいのでありそれは作品だと認識している。)一瞬でも推しに認識されるのがこわいというのは前にも書いた気がするが、それに加えて時期が良くなかった。なんせ出演作品が千秋楽を迎えた直後だ。その作品の裏話をするにはある意味ベストなタイミングで、私はそれを絶対に聞きたくなかった。いや、聞きたくないわけではない。聞きたくないわけではないのだが今聞きたくはなかった。まだ消化が終わっていない。自分が見た(と感じた)作品の姿とその作品主役張ってた推しの認識だったらもう間違いなく後者が"正しい"。そのことに異論はなく、公式から解釈が提示されたなら今持っている認識は葬るのが私にとっての正解だ。(もちろんそうでないこともあっていいと思う。私がそうしてしまうというだけの話だ。)そんな感じで期待半分恐怖半分のまま、でも取ったしな…と思いながら足を運んだ。

予想していたけどすごい喋るとか会場レイアウトを見てプレゼンするのかと笑ってたらほんとにプレゼンだったとかひょいとお出しいただいたものにえぐいほど情報が詰め込まれていたとかまあいろいろあったし楽しかった。おびえていた推しとの接触もとにかく素早く逃げることに注力して乗り切った。間違えているのは分かっているがこわいものはこわいのだほっといてほしい。楽しかったなーと振り返り、そういえばあの方の登場人物評を聞いていないことに気が付いた。登場人物のエピソードや公演期間中にあったことはたくさん話していたが、推しがその登場人物をどう思っているかとか、あの演出にどういう意図があったかとか、そういう話は一つも聞いていない。公演のHPに書いてあるあらすじや人物紹介より踏み込んだ話はしていないのだ。

そうすることに決めたのが推しか事務所かはわからないが彼らは本当にわかっていると思った。推しは舞台俳優だ。"推しが演じた役"の人物像は観た人の数だけ存在する。毎日少しずつ(時には大きく)違うのが生の舞台というもので、そもそも同じ状況・同じ表情でも人によってどう見えるかは異なるからだ。我々お客が見ているのは推しそのものではなく己の価値観というフィルターを通してみた幻想だ。そして、その幻想は「正解」を提示された瞬間に存在できなくなる。作品が何を考えて作られたかなんて作者の言うことが一番正しいに決まっている。どう見えたかは受け手のものでどうしたかったかは送り手のものだが、その意図がないと分かりつつ幻想を抱き続けられる人間はそう多くないだろう。というか私は無理だ。二次創作ならいざ知らず、いや二次でも表現者ご本人の作品解釈に食い違う幻想を持ちつづける根性なんかない。

そう思いながら振り返ると、ご自身の解釈もどこかで聞いた誰かの感想も丁寧に取り除けられていたなあ、と思うのだ。推し本人ではなく推しの形をした偶像を見られていることを本当に理解してくれている、そしてそれと推し本人をじょうずに切り離してくれている。推しと推しの事務所がそれをしているから、我々は推しがどんなに予想外なことをしても可愛らしいと笑って観賞することができる。文字通り偶像を商品にしている部門があるからだろうか、あの事務所はそのあたりが本当に上手い。大好きだ。でも所属してる役者さんの数だけカレンダーと手帳を出すのはやめてほしい。一人だしたらみんな出さなきゃいけないのはわかるが2020年は1回しか来ないのだ。グッズを作ってくれるのは嬉しいのでもちろん感謝と応援で買うのだが、まだ年も明けてないのに既に持て余している。祭壇でも作ればいいのだろうか。

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舞台をみるねずみ。 ねずみ @petegene

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