>Ⅴ

 結局コンビニで食料を確保したあたしは、まだ理性が残っているんだろう。

 こんなにダメージを受けているのに、現金なやつ。

 どさり。

 リビングのテーブルにそのビニール袋をおいた。こんな風に柊哉への想いも降ろせたら、こんな思いはしなくて済むんだろうな。シンとした自分の部屋が、まるであたしを脅すみたいに静寂を突きつけてくる。結局のところお前は独りなのだ。自覚しろ。我儘なんて通ると思ったか。今のお前は罪人でしかない。断罪してやるから首を差し出せ。そうすれば楽にしてやる。そんな声が静寂から頭の中に響くような心地。悪いのはあたし。

 悪いのはあたし?共犯でしょう?なのに。

 脚から不意に力が抜けてしまって、ソファに座り込む。一旦は座った姿勢を保とうとするけれど、やっぱりそのまま倒れ込んでしまった。

 上着も脱いでいない。スキニーの締め付けがまだ休むなって訴えてくる。

 けれど全部無視して髪をかきあげて、気づいた。

 柊哉からもらった、ブレスレット、つけってたんだ。

 外してしまえこんなもの、という気持ちと、今はせめてこれだけにでも縋っていたいと思ってしまう。

 弱い弱いあたしは、もう体温を共有したはずの合皮貼りのソファのこめかみにあたるところが少し冷えた気がして、泣いていることに気づく。

 だめだ。涙を自覚したら、今のあたしは壊れてしまう。

 それまでの気だるさが嘘みたいに上着からブラウスもキャミソールもスキニーも下着まで全部脱いでバスルームに駆け込んで頭から暖かくなる前のシャワーに突っ込んだ。

 雨でも降ってくれていればよかったのに。

 そしたら、一人の部屋で、泣くことなんて。

 隠される涙の跡。痕。これはいけない。完全に負けを認めてる。勝てる自信なんてない。けど、負けを認めたら、あたしはもう柊哉に会えない。

 今夜が勝負か、と思う。あなたは何も知らないだろうけど。

 暖かくなってきたシャワーに、少しホッとする。

 まだ、何かが暖かいと感じられて、それに安心できるくらいは冷静なのだと。まあ、食事を買ってきた時点でそうなのだけけれど。あたしの体を伝って排水口に流れ込んでいく水流を見ていると、昨日の夜が想起された。昨日は、その光景をこんなに意識しなかった。触れられた、触れてくれたことに酔い切っていた。あんなに幸福な時間は、そうそうあるものじゃない。けれど、その後すぐにあなたはこの部屋を出て行った。その後だ。ワイングラスを割ってしまった。あれからの不運なのかな。今日の二人を見なければ。あと少し早く会社を出ていれば、まだメッセージのダメージだけだった。もう少し遅く出ていれば、あたしはあのメッセージに返信をしながら電車に乗る前にお腹を満たして、声が聞けないことによる落胆を、食事によって少しでもフォローできていたのかもしれなかった。

 けれどそれは残酷に、あたしの目の前にはっきりと見せつけられてしまった。

 短い付き合いではないけれど、それほど長いわけでもない時間の中で、初めての光景。その事実を知ってはいたけど。目の当たりにするのがこんなにきついなんて。柊哉がまあそこそこ好きなのがあたしで、愛しているのが彼女であることなんてわかりきっていたこと、という思いが意地になって、自分を納得させるためだけの言い訳でしか無くなっていたのかもしれない。その地位を奪い取ることすら考えたことがなかった。 

 祐巳の、優先順位という言葉が頭の中にぼんやりと浮かび上がった。

 それは、きっとその時点で相手に対して考え切ったと断言できるからこそ出せるある種の結論だろう。そこから付き合い、コミュニケーションを重ねていって変化があるとしても、変化があるのは結局として、相手がその判断材料をくれるからだ。しかし、あたしは、少し違う。相手の深淵を見つめられる情報なんて、ほんの一握りしか出してこない、そこに彼女の存在というあなたの中の壁がある。そんな立場のあたしが優先順位の精査をできないのは当たり前だけれど、そんなところに甘んじているわけではないとしても、それができるくらいに立場を更新することができるのだろうか、と疑問に思う。改めて、自分の立場がここまで圧倒的に負けているなんて、見逃してきただけなのか、見ないふりをしてきたのか。

 今のあたしの心境で決めるなら後者だけど、その決定を否決したいあたしが今は圧倒的に強い。

 涙が止まらない感覚はある。シャワーに紛れて、視界に明らかに涙だという水滴は捉えられないけれども、それに救われている気もする。お前の悩みなんて、せいぜいこんなものだぞ、という何かからの圧力が、ただでさえうなだれた肩を床に押し付けて背中がもっと猫背になっていく。

 気付けば、シャワーが頭から外れていて背中ばかりに当たっている。もっと向こう側は無駄に流れているだけになっていた。

 寒くて、胸を抱く。この胸だって、あなたは触れてくれたのに。それなのに。あたしは、あなたに触れて欲しかったのに。それなのに、まるで今想像するそのあなたの指先は、想像だけでも怖いくらいに、凍りついている感じすらしてしまう。

 結局、やはりあたしは。

 あなたの一番には、なれないんだと思うよ、柊哉。

 そんなこと、ねだったことはないけど。

 だからあたしは、結局格安で使い捨ての衣装で終わるのだろう。

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