>Ⅱ

「そうかなぁ。あたしはそうは思わないけど」

唯花ユイカは恋愛に夢見すぎなんだよ。恋に恋する乙女って歳じゃぁ、もうないじゃん?」

 翌日は金曜日で、あたしは普通に出社していた。

 一応高校デザインのクリエイティブ部門で制作のアシスタントをしている。上司に何かを気に入られて、丸2年で正式なデザイナーポジションにつかせてもらっている。あたしの何がそんなにいいのかはわからないけれど。

 キーボードを叩くと少しだけ痛んだ左手の人差し指は、気のせいかもしれないけど熱を持っているのかもしれなかった。もしかして黴菌さいきんでも入ってしまったのだろうか。

 昼休みにあたしは一つ上の同期である祐巳ユミと会社近くのカフェでランチをしている。

「それはそうだけどさ」

 あたしは今年で25になるし、祐巳は先日26になった。確かに祐巳のいうような恋に恋する乙女ではない。処女でなくなったのはもうずっと前だし、それなりに恋愛は経験してきているつもりだった。それが、どれほど甘くて、苦くて、時には不味いものかも知っているつもりだ。けれど、祐巳に言わせればそれでもあたしは夢見がちなんだそうだ。

「幸せな恋愛に、って、だって求めるのはおかしくないじゃん」

「そりゃあもちろんよ。でもそれって、与えられるものじゃなくて、自分で優先順位をつけてそれを順番に叶えてくれるように、相手を見るのよ」

「優先順位?」

 言い終えた祐巳はオニオンスープに一口つけてから、あ、思ったより熱い、と独り言の後に

「そう。優先順位。一位が例えば優しさなら、そういう相手。他は一旦目を瞑ってみる。頻繁に会える、とか、経済力、とかは。で、それきっかけで始めていって、いろんな面が見えてくるじゃない?その結果優先順位5位くらいまでを総合的に成績表つけて、評価したときに、合格点に達してるかどうか」

「えー。なんか査定みたい」

「そうよ。だって、恋愛の向こうに待ってる地獄考えたら、仮想地獄を作って耐えられるのか?それでいいのか?を恋愛のうちに完璧でなくても見据えておかなきゃ」

「向こうに待ってる地獄って、結婚ってこと?」

 あたしは祐巳のご高説を賜りながら、少し残った残りのローストビーフを口に入れる。赤ワインベースらしいソースがほんのりと香って、おそらくそんなにない牛肉の臭みすら確実に消してくれている。ほどよく熱の通ったそれは柔らかく、少しドライ気味でありながらそれでも十分にジューシーだ。ランチのビーフコースとしては適しているよな、と思う。

「そうでしょ」

「でも祐巳、まだ結婚したことないじゃん」

「周り見てれば分かるわよ。なんか知らないけどさ、三年くらい前に結婚ラッシュあったの。大学の時に仲の良かった子達がなんとなく就職して職場恋愛とか合コンとかして結婚するわけ。子供ができるかどうかの順番はバラバラだったけど。全部で4組も同じ年に結婚したのに、もう半分も生き残ってないわ」

「……そういうもん?」

「かもしれないなぁって。まあ、別れた浸りは子供作る前だったのがまだ助かったかもだけど。まだ続いてる子は、もう子供2人もいる子もいる」

「へぇ。一個上でそんな世界が」

「そんなもんよ。それ見てたら、好き好きで結婚なんて絶対にできないじゃない?」

「それは、そうかも」

 あたしはプレートに残った最後のサニーレタスを口に運ぶ。バルサミコ酢。いい感じ。

「でしょ?でも好きもどこかにはないと、一緒にいたってつまんないし。仕事じゃないのもわかってるしさ。それなら間とって、さっきの優先順位よ。気持ちを維持するためにも、って」

「ふーん。まあ、わからなくはないかなぁ」

 嘘だった。全然わからないとは言わない。システムとしては。けれど、それ実行する気にはならなかった。

「まあ、これはあくまで私の考え方だけどね。ただ、今のその、柊哉とうやくんだっけ?彼にとって、唯花は都合がいい、っていうのが、付き合ってる理由としては大きいんじゃないかな。それだけ、とは言えないけど」

「むう」

「さっさと別れて他の探しなとは言わないけどさ。そこだけに視界を支配されちゃうと、唯花の方が危ないかもよ」

「……そう、なのかなぁ」

「あ、ごめん。私ちょっと昼休み早かったから一瞬先に戻ってるね」

「あ、うん。ここは大丈夫。話、聞いてくれてありがと」

「ううん。むしろ私の方が喋っちゃってごめんね。じゃ、また後で」

「うん。お疲れ」

「お疲れ」

 祐巳が店を出るまで視線で見送って、あたしはスープに口をつけた。

 穏やかな玉ねぎの甘みと、ブイヨンかな。程よい味付けのバランスのグラデーションが舌の上に広がって、喉に降り、体を中から温めてくれる。

 物理的な温度は、そういうことで得られるけど、心はそうはいかない。

 精神にサプリは存在しない。そんな毛布が、今のあたしにあるのかな。

 目の前の食べきったランチプレート。厨房ではまだ続くランチタイムに対応するように慌ただしくシェフたちが忙しくしている様子が少し覗ける。

 このプレートみたいに。レストランみたいに。恋もオーダーできたらいいのに。

 帰り道にコーヒーを買うことを決めて、あたしは伝票をスタンドから引き抜いて席を立った。

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