ギリシャ神話を知っていますか

 わたしはあんまり知りません。


 ギリシャ神話とかローマ神話とか、最近になってようやくサトクリフ関連からすこしずつ知識を得ているようなそうでないような、というくらいであとはこどものころに読んだ世界少年少女名作全集(両親のこどものころに発行されたとても古いやつ)でかじったことがあるくらいだわ…って感じだったのですが、先日とある女優さんの読書エッセイを読んでいたらなんだかちょっとセンサーにひっかかるものが出てきたので手にとってみました。

 センサーが何の方向に向いているのかは言わずもがな。

 ということで今回のお題。

 マデリン・ミラー『アキレウスの歌』。

 日本語版は川副智子訳・早川書房より刊行。

 作者はマサチューセッツ州ケンブリッジ在住、ラテン語・ギリシャ語・シェイクスピア等が専門の高校教師。

 デビュー作の本書は、2011年、その年刊行された女性作家の長編小説のうちもっともすぐれたものに贈られるイギリスの文学賞オレンジ賞を受賞。

 かのJ・K・ローリングが賞賛し、世界23カ国で翻訳される。

 という華々しい評価を得た全世界的ベストセラーだそうです。


 なんですけども。


では以下あらすじ。

 物語の語り手は「王家の血筋を引く王」メノイティオスの子パトロクロス。

 富家に育った母は、赤ん坊のパトロクロスをその寝所から連れ去り枕とすりかえても気づかないほど「頭の悪い女」だった。

 母の出自や、またおないどしの子らにくらべて発育もよくなかったパトロクロスは父に疎まれ、みなから侮られ、孤独な日々を送る。

 そしてある日、パトロクロスはつまらない諍いから有力貴族の息子を殺してしまう。

 追放の身となったパトロクロスは小国プティアの王宮に身を寄せ、そこでペレウス王の息子アキレウスと出会う。

 女神テティスを母にもつ半神アキレウスは金髪緑眼の比類なき美少年、武術に優れ、光を一身に受けて育ったような性質は王宮のだれもから愛されていた。

 おなじ年頃でありながら自分とはまったく違う相手に反発と劣等感をもつパトロクロス。しかしアキレウスは数多い取り巻きの少年たちのなかからパトロクロスを従士に選ぶのだった。


 というのがふたりの出会いです。


 厳密に言うとパトロクロスはこどものころにアキレウスを見かけていますがそれはまあ置いといて。

 王道だな…とおもったのわたしだけじゃないとおもうのですがどうでしょうか。

 周囲からふしぎがられるアンバランスな組み合わせながら、仲むつまじく日々を過ごすふたり。

 そして十三歳のある日、パトロクロスは自分のなかにアキレウスへの友情を越えた思いがあることに気づきます。

 しょうじきに言うとわたし、ひとさまのエッセイでセンサーにはひっかかったものの、火のないところにちょっとした煙を感じとってみようかなくらいのきもちで読んでたんでこのくだりにかかったときびっくりした。

 ものすごいびっくりした。

 そんで半信半疑で何度も文章を読み返したんですけどやっぱりなにかめばえてた。パトロクロスすごい本気だった。


 といってもやっぱりわたしの頭には、先に書いたような華々しい受賞歴やら世界的ベストセラーやらローリング絶賛やら読書好きで知られる女優さんのエッセイに出てくるやらの前評判のイメージがこびりつきすぎていて、無邪気なアキレウスがパトロクロスの鼻に自分の鼻をこすりつけようと唇と唇を髪の毛一本へだててひっつけようと(読み終わったいまあらためて考えてみるとこのときこの所業に耐えたパトロクロスめっちゃえらいとおもう)いや、でもそこまで決定的じゃないよな思春期の一過性のなんとかっていう保健体育の教科書によく出てくるようなあれっていうオチなんでしょ期待するとあとでがっかりしちゃうわよおちついてと


 おもっていたのが間違いだったと読み終わったいま痛切に感じている。


 油断してた。

 全世界ベストセラーが、すてきな女優さんが「感動しました!」って書いてらっしゃる歴史的ロマンが、こんなに濃厚な一線越えかましてくるなんておもってもみなかった。

 全世界ベストセラーか…そりゃもう全世界のシスターたちがお読みになったんだろな…何のシスターとは言わないけど強いな…世界23カ国か…めっちゃ強いな…と遠い目になることしばしでした。


 ほんとすごかった。


 ということでその後の流れなんですが。

 テティスの導きにより、アキレウスはケンタウロスのケイロンに教えを請うべく山に入る。三年後、遠きスパルタの地で美女ヘレネが宮殿から連れ去られた。それをきっかけにギリシアとトロイアの間に戦端が開かれ、参戦を請う声にしたがってアキレウスはトロイアへと向かうこととなる。

 アキレウスのそばには常にパトロクロスがいた。ときにテティスに引き離され、ときに周囲の女たちの声にからめとられながらも、ふたりは互いへの思いを貫く。

 しかし神々から「無名のまま長生きするか、若くして栄誉に死ぬか」の選択を迫られた果てに栄誉を選んだアキレウスの命はいつ絶えるとも知れない。

 戦争は長期にわたり、総大将アガムメノンの暴虐とアキレウスに対する嫉妬も深まっていく。

 やがてアガムメノンとアキレウスの間の亀裂を決定的にする出来事が起こり、アキレウスの命と名誉を案ずるパトロクロスは一計に出る…。


 という、ストーリーの合間合間にはさまれるふたりの仲むつまじさ。

 むつまじさっていうか。

 ギリシャの少年愛がどうのこうのという知識は頭のどこかにあったはずですけども、なんでいまの観点からあれこれ考えるのはちょっと違うのかもしれないけども、このひとたち少年期どころかだいたいおないどしでアラサーになるまでおんなじベッドでいちゃいちゃしてるからね…いやほんとにね…まわりの武将たちもわりとふつうにひいてるからね…


 ギリシャ神話随一の「駿足」で槍をもったら一騎当千、無邪気にして高潔な気性、神にも見まがう美貌の少年がただひとり愛したのが、文武ともにぱっとせずケイロンの指導あって医術には長けているものの容貌は「宮中の女たちが笑っている」というタイプのおさななじみという…

 戦場に出ればほとんど役にたたないパトロクロスを守るように敵を蹴散らしていくアキレウス、夜ともなれば「猫のような小ずるいまなざしで」パトロクロスを誘うアキレウス、アガムメノンの奴隷にされるところを救った美女ブリセイスに慕われながらもアキレウスを裏切れず拒むパトロクロス…


 こういうの見たことある、わたしがまだ小学生だったころ図書館にあってよくわからないまま読んだかどかわルビー文庫とか長じて読んだJUNEとかあと自分たちよりちょっとだけ上の世代のかたがたが書かれた二次創作のうちシリアスで壮大なタイプのあれこれによく出てくるやつや


 とおもってたら作者のマデリン・ミラーさんは1978年うまれでいらした。


 やっぱりな。


 遠く国を隔てているとはいえきっと女子といういきもののなかに流れるソウルはおなじなんだろうなとおもいました。

 洋画のこともドラマのこともよく知らないけどいま海外シスターたちのスラッシュサイトがすごいって噂で聞いたことがあるし絶対こういう流れは万国共通なんだな…ってギリシャの狭い規模のなかでの国同士の戦争を描いた小説を読みながらでさえ納得してしまうのだからなんだかこう、こういうの世界平和の一助にならないかしら。どうかしら。

 最後の最後まで、ほんとうにこってこてでした。

 ひさしぶりにここまで濃ゆいの読んだ。

 ふだん火のついてない七輪をあおいでは昔むかしに焼いためざしの煙の残り香を嗅ぎそのうまさに思いを馳せているひとがいきなり高脂肪高カロリーのデコレーションケーキをワンホール食べたらいまのわたしのようなきもちになるとおもいます。

 そんな感じです。


 アキレウスとパトロクロスの関係にのみ重点を置いて語ってきましたが、そこを抜きにしてもさすが構想10年の大作にしてオレンジ賞受賞作、日本語版にして485ページという大冊ながら息をつかせぬ展開でぐいぐい読ませます。

 とくに後半にかかってくるとページを繰る手が止まらない迫力。

 まあわりと多くのひとがそうかもしれないんですけど、あらすじに書いているだけでもたぶん察していただけるかとおもいますけど、人物のなまえがときどきよくわからなくなるのばかりはご愛嬌。

 アガムメノンとかアキレウスとかオデュッセイウスとかなんかどっかで聞いたことあるひとびとならともかく、ろくに知識のない身では語りでのパトロクロスさえときどきだれだっけみたいなきもちになりました。

 片仮名むつかしい。

 ギリシャ神話はとっつきわるいわとおもってらっしゃるかたもそうでないかたも、よろしければどうぞひとつ。

 いろいろな角度から楽しめる一冊です。

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