きみおもう東の国

 こどものころから、本に描かれた世界を自分の規範にしてきました。

 秘密の花園にあこがれ、八犬伝に胸おどらせ、彼らの正義やら倫理観やらに影響を受けてきました。

 たぶんどこにでもいるような、本がすきなこどもでした。

 そうして中学生になったとき、自分の足の骨がうまいことひっついていない、走ることのできない身だと知りました。

 それまでも走っているつもりだったけども、そんなつもりだったのは本人だけで、まわりはわたしの渾身の走りを徒歩だとおもっていたそうです。

 まじかよ

 って感じですがまあそれはそれとして、それからも本を読んで暮らしていて、そんであるときはたと気づいた。

 世のなかの本に出てくるひとたちって健常者ばっかりだね?

 それはそれでいいんだけども、こと自分の身体的特徴に関するかぎり規範にできるようなキャラクターや物語ってそういえばないなあとおもいました。

 たとえばわたしは小学校低学年から仁木悦子がすきで、仁木先生といえば脊椎カリエスで車椅子生活をなさってて、でも描かれるキャラクターたちはほとんど健常者だし。

 いろいろなおきもちがあるのだろうから読者からなにかを言うことはできないんだけども、障害のあるキャラクターががんばる作品読めたらわたし真似してめっちゃがんばるねんけどなと中二的なことをおもっておりました。

 それから十年近くが経って、たまたま手にしたのがサトクリフ『第九軍団のワシ』だったわけです。

 ゲド戦記やナルニアがすきなのにそういえばおんなじ岩波少年文庫に入っているサトクリフ読んだことないわーとおもって読んでみたところ、作品のなかに出てくる、足を悪くした主人公マーカスの言葉に衝撃を受けました。


「もし任務を果たすために駆けなくてはならないとなったら、わたしの足はたしかに重荷になるでしょう。それは認めます。だが、いずれにせよ、馴れない国では、あくせくしたってはじまらないではありませんか。」


 あ、これはわたしの物語だ、この言葉の重さはいわゆる「健常者」にはわからないだろう、と、そのときおもいました。

 物語に自分の重ねるのはけっこうだれもがやってることかもしれないけれども、このときははじめてこれはわたしのためのものがたりだとひとつの作品に対して思いました。

 ローズマリ・サトクリフが車椅子生活をされていたということを知ったのはだいぶあとのことでした。


 また、いま言ったような点はさておくとしても、たとえば上橋菜穂子さんや荻原規子さんといった日本児童文学に名だたるかたがたが愛してやまないとおっしゃるサトクリフ作品。

 ケルトやアイルランドやローマン・ブリテン四部作やアーサー王やといった歴史的題材を元に描かれる物語の数々は多くの読者を魅了しておりということでまあそこらへんは語るまでもないとおもうんですけど、ということでそろそろおもいだしますねこの文章のそもそもの意義。

 『第九軍団のワシ』もそうなんですけど、サトクリフ先生ったらすごく、すごく、…少年同士とかおっさんと少年とかそういう組み合わせがお上手なんですよね……デビュー作とされる『ロビン・フッド』からしてジョンとロビンの壮大なブロマンスですからね……

 またヒロインにしても、医術にめっちゃ長けてるがんばり屋さんとか暗くてちょっと卑屈でちっぽけで美少女でもなくてでもきらりと光るところがあるとか、そういう、とても、ともだちになりたいタイプの女子が多いです。だいたい輝けるブロマンスにヒロインとしての存在がかすんでしまうところもちょっと気の毒でいとしい。


 ということでサトクリフはほんとさまざまな意味でたまらないわね…とおもいながら読んでいるのですが、先日手にした作品がなかでもとりわけてどんぴしゃだったのでご紹介いたします。

 前ふりだいぶ長かった。

 ということで今回のお題はローズマリ・サトクリフ『ケルトとローマの息子』。


 ときは紀元2世紀。

 嵐の夜、ケルトの村の浜辺に打ち寄せられたローマの難破船からひとりの赤ん坊がみつかった。族長の弟であるクノリの妻はそのころこどもを亡くしたばかりだった。妻をなぐさめるため、クノリはドルイド神官の反対を押し切り赤ん坊を自分の養い子とする。

 赤ん坊はべリックと名づけられすくすくと成長した。しかしベリックが成人を迎えて間もなく、村は次々と災厄に見舞われる。災いの元だとされたベリックは村を追放され、旅の途中で知り合った男に騙され売り飛ばされ奴隷となり、脱走してガレー船の漕ぎ手となり、そこから逃亡してローマの百人隊長のもとにかくまわれることになるのですが、あまりにも波瀾万丈すぎて頁を繰る手がとまらないのとあとゆくさきざきで出会うひとびととベリックの関係性がなんていうかあれなんでみなさんおすきな組み合わせがあるんだろうな…とおもってしまったので以下に記します。

 わたしの考えすぎかしら。どうかしら。

 まずケルトの村で兄弟のように育った一歳上のカスラン。

 はじめは村でひとりだけ外見のちがう(ローマ人だからね)ベリックをばかにしたりからかったり、でもベリックが反抗して取っ組み合いのけんかをしたことでその後大の親友に。

 部族のあいだで過ごすうち無二の親友ができるってパターンも多いねサトクリフ…ちくま文庫版で「ケルトとローマの息子」と同時収録の「ケルトの白馬」もわりとそんな感じ。

 それから奴隷にいったさきの主人の息子グラウクス。

 美少年で傲慢で金持ちを嵩にきていて癇癪もち、ベリックを苛みいたぶりはては自分の奴隷にしてヒュアキントスとなまえまで変えさせる。

 なおグラウクスの妹のルキルラは容貌の点では兄にはかなわないけどとてもいい子でベリックを奴隷というよりともだちのように扱う。それがまたグラウクスには気に食わない。

 70年代JUNEパターンだな…っておもってごめんなさい。しかしヒュアキントスて。

 それからガレー船で漕ぎ手のペアを組んだイアソン。

 画家志望だったところがうっかり賭博にはまって奴隷となってしまった青年。

 苦境に負けないやさしさの持ち主。いろいろあってめちゃめちゃひねこびてしまったベリックの心を癒したいいやつ。

 物語のおもしろさもさることながら、いろいろな意味で盛りだくさんだわ…なんなのこの遍歴…とおもって読みすすめていたら、最後の最後でさらに上をいく存在があらわれたのでちょっとどうしたらいいのかわからなくなりました。

 以下にご紹介します。


 酸鼻を極める暴虐を受けた果てにガレー船から捨てられたベリック。

 たどりついた牧場の主は、かつてグラウクスの暴力からベリックを守ろうとしたローマの百人隊長ユスティニウスだった。

 寡黙で実直なユスティニウス、また牧場を切り盛りするセルヴィウスとコルダエラ夫妻にも優しく迎えられ、ベリックは次第に心をひらいていく。

 そしてある日、ベリックはユスティニウスの秘密を知ることに──


 という感じの流れなんですけどぜんぶ言っちゃうとつまらないのでよろしければこの先はどうぞみなさんの目でお確かめください。

 おっさんと少年好きの方には最高の物語だとおもいます。

 なんていうか壮大な…おっさんと少年の…ハーレクインロマンス的な…っておもっちゃってごめんなさい。

 しょうじき言って嗜好にどストライクでした。幻水で百人隊長と竜騎士すきだったひとはみんな読んでほしい。なんならユスティニウスのビジュアルイメージはハンフリーさんです。


 サトクリフ作品は緻密な歴史考証、圧倒的な物語の構成力、いきいきとした人物造型で高い評価を受けています。

 そこに個人の感想をひっつけるのも恐縮ですが、ビーエルに近い読みかたや、あと、障害をもってうまれてきたからこその身の処し方なんかも学べるという点も評価のうちにはいってればいいなとおもう次第です。

 今回ちょっと自分の話多かったんであれですけども、とにかくサトクリフはいいよ! っていう、お話でした。

 ついでにいま読んでるマデリン・ミラー『アキレウスの歌』もギリシャ神話の世界をを題材にしたガチビーエルなんですけどその紹介はまたいつか。

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