恋とはひとだけのものか

 わたくし、世間一般に流布しているビーエルなるものよりもむしろそういう考え方がぜんぜんなかったようなころに執筆されたおはなしを読んで火のないところに煙を幻視するのがすきです。

 というよりもそもそも十代のころたいへん自意識過剰のいきものだったので、本屋さんのビーエルコーナーにたたずむのがとても気恥ずかしかったので、そいでもやっぱりふじょしとかいう単語の範疇にひっからまるいきものでもあったので、殿方同士のなんとやらにはたいそう興味があった、ので、こうね、国語便覧にあらすじ載ってるやつとかで「これはくさい!」とおもうものをサーチして読んではときめくというのをくりかえしていたのでした。

 おかげでいまではたいへん文学の素養があります。うそです。ごめん。てきとうなこと云った。おぼえているのは、たとえば犬坂毛野がだれのために簪を染めたかとかそういうことばっかりだ。だけど結局いまでもビーエルはあんまり知らないままいまにいたります。われ泣きぬれてかにとたわむるふがいなさよ。

 それはさておき、そういう便覧に載ってるおはなしというのは、作中人物の関係性ももとよりだけどももちろん世間がみとめるだけあってすごくおもしろい。のだけども、便覧に載ってたって絶版だとか読めないとかは山のようにあるので、そういう意味でも、たとえどんな方向からでも名作復刻の一助になればいいなあとおもって日夜ひとさまに、これいいよあれいいよと云っている、のもやっぱりうそで、単純におともだちがほしいんである…ほも読みの…。なんかさーだってさー むかしの小説って主人公が神レベルでなんでもできるうえに美人じゃない…そしてだいたいニヒルな兄貴分的存在があらわれて「義によって助太刀いたす」ってなるじゃない…つまりそういうことです。

 という話をしたくてしかたがないので、お話をしにきてみました。

 よろしければお慰みにごらんください。


 今回の議題は巌谷小波「こがね丸」。

 便覧に、児童文学のはじめとかなんとか書かれているおはなしです。

 岩波文庫とか青空文庫とかで読めます。

 ところでわたしはこの話、実際読むまで、少年たちがこがね丸って船で南海の孤島に冒険しにいくはなしだとおもっていたよ……犬だ、こがね丸。犬のなまえだ。

 のっけは、こがね丸誕生以前、かれ(犬)(そして雄)の父母の代の因縁が語られます。


 以下、冒頭。


「むかし或る深山の奥に、一匹の虎住みけり。幾星霜をや経たりけん、躯尋常の犢よりも大く、眼は百錬の鏡を欺き、鬚は一束の針に似て、一度吼ゆれば声山谷を轟かして、梢の鳥も落ちなんばかり。」


 虎て


 いったいいつの時代のおらとこの裏山に虎が出たのかどうかはさておき、この虎金眸が空腹でごろごろしているときに、腰ぎんちゃくの狐が、大王(と呼ばれている)おなかすいてるなら近所にいい獲物がいるよ、といって庄屋の家に飼われている犬夫婦・月丸と花瀬の存在を告げることからはじまります。

 この狐、じつは庄屋のところでいたずらをしたとき、この犬にしっぽをとられているので復讐したくてたまらない。しかしながら自分の力では太刀打ちできないので、大王におでましを願ったわけです。

 よっしゃ、と立ちあがった大王にあわれ月丸は食い殺され、悲嘆に暮れた花瀬は児を産みおとしたのちはかなくなります。いまわのきわ、花瀬は昵懇にしていた雌牛牡丹に(うし…)息子をたのみ、牛乳を呑んで育った児はすくすくどころか通常の犬の何倍もの成長を遂げます。明治時代に牛乳の栄養価を正確に把握されていた巌谷せんせいはすごいとおもう。

 それはさておき。牡丹の薫育を受け、そのうえ牡丹の夫・文角(牛)(しつこいようだが牛)から武術のてほどきを受けたこがね丸は、ある日両親にあらたまって呼びだされます。そのときの様子がこちら。


或時黄金丸を膝近くまねき、さて其方は実の児にあらず、斯様々々云々なりと、一伍一什を語り聞かせば。黄金丸聞きもあへず、初めて知るわが身の素性に、一度は驚き一度は悲しみ、また一度は金眸が非道を、切歯して怒り罵り


 気づいてへんかったんかい

 とたぶん読者は全員つっこんだにちがいないほど素でおのれの境遇に衝撃をうける黄金丸、天然疑惑が発生。「かかる義理ある中なりとは、今日まで露知ず、真の父君母君と思ひて、我儘気儘に過したる、無礼の罪は幾重にも、許したまへ」とか、いっそきみかわいいな…。

 ということで実の父母のあだ討ちにでる黄金丸。みずから野良犬の群れへと身を投じるのでした。金眸んちは自分ちからすぐそこなんですがそのまえにね、武者修行をね、という。

 けれどもずっと飼い犬だった黄金丸、処世の術もうまくなく、道中いろいろあるうちに食料もつき、おなかをすかせて山道をふらふらとしていたところ目にうつったのが一団の鬼火。けっこうこういう唐突な超常現象がするっと出てくるところもちょっとじつはツボです。わたしのツボなどどうでもいいですか。そうですか。


 ともあれこれは父母のお導きかとついていくとそこにはおおきなお寺がありました。

 その石畳に一羽の雉がたおれているのをみつけ、これぞ天の救いと飛びつこうとしたところ、突如あらわれた一頭の白犬。かれは黄金丸をぬすっとと断じ、うちかかってきます。丁々発止、たたかううちにやがて白犬が黄金丸にこうべを垂れることに。白犬の名は鷲郎、近辺の猟師に飼われる猟犬でしたが、そして雉はその主がしとめたものだったのですが、「縦令ひ主命とはいひながら、罪なき禽獣を徒らに傷めんは、快き事にあらず」といって主人のもとから去り、黄金丸とともにあることを誓うのでした。

 二匹はこの古寺を住まいとさだめ、義兄弟の契りをむすび、日々むつまじく暮らします。もともと飼い犬でわりと生活能力のひくい黄金丸にかわって「自分、慣れてるので…」と結局むかしとったきねづか、山野で獲物を狩ってはとってくる鷲郎。

 黄金丸の帰りがおそいとずっと門のまえで「なにかあったのか…」とそわそわ待ち続ける鷲郎。

 おそらくすでに予想はされているでしょうがまあつまりしょうじきな話、ここからは鷲郎のみごとなまでの尽くしっぷりに圧倒されて言葉もでません。しかもやっぱりむかしの少年小説のセオリーなのか、いまいち愛されてることにぴんときてない黄金丸。そりゃ親と自分の種族がちがうことにもぴんときてなかったくらいの天然ものだものね…しかたないか…。ところで天然美人と世話焼き苦労性男前はわたしの最大のツボです。それがおたがい想い通じあってなかったり双方向片思いだったりすると俄然もえます。どうでもいいですか。ごめん。

  ともあれ頼りになる相棒を得て、黄金丸の冒険はなおもつづきます。そして回をおうごとにお話もぶっとぶ一方です。巌谷せんせい、いくらなんでも、鼠に懸想してその夫をころして「あいつがいなくなったから俺と!」と迫る猫とかパンチききすぎてはいないか。これ、おさないひとのためのものがたりって云ってなかったか。

 世にあだ討ちものは数あれど、そのなかでもとびぬけてハッピーエンドな結末であるとおもいます。犬だしね…。ハッピーなのはもちろんいろんな意味でです。おもに鷲郎方面で。

 というところでお開き。

 お読みくださりありがとうございました!

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