ほかにおどりを知らない
2回めを書いてからかなりの日が経っていますがみなさまお元気でしょうか。
わたしは元気です。
あいかわらず世間一般に流通している本のなかにある意味での火の気を感じとってはムハーとなっています。
います、ので、そんでもってねえなんで世のなかにはこんなトラップがたくさん日常いたるところに落ちとるん…という気持ちになる昨今です。
小説やまんがやそのほかもろもろでも、映画でもドラマでもそのほかもろもろでも、かわいいもかっこいいもみんななんか、なんか、…なんか。あるよね。ところでわたし最近サッカーが超すきなんですがまあなんていうかそういうところできっと汲み取ってくださるかたもきっと。きっといずれかに。すいません。
それはさておきとりあえず、そうした、いわゆる「女子の名作」的な世界はこの世に多々あるとおみうけする次第ですけれども、なかでもわたしの好みはかっこいいでもかわいいでもなく「残念」です。
もういちど云う、残念です。
というのはまえの二回でもすでにばれているかもしれない、ジェットコースターロマンスノンストップ残念、だいすきです。
ということで前ふりも長く参りました。
今回ご紹介いたします名作は、山田耕筰『自伝若き日の狂詩曲』です。
もういちど云う、もういちど云う……山田耕筰。
日本音楽界に多大なる功績をきずかれた、音楽の教科書ではおなじみ、あの、山田せんせいの出生から幼年時代、東京音楽学校そしてベルリン王立音楽院に留学し日本にもどるまでを描いた半生記。
青年山田耕筰の成長を通じ、各界著名人の若き日もあらわれる、すなわち明治期日本文化の黎明を知るにふさわしい資料ともいえましょう。
また山田氏はおさなきときより勤労に励み、敬虔なキリスト教徒の子でもあったことから、明治期の職工事情、信仰についてもうかがえます。
そんな日本近代史に燦然と輝く名著『若き日の狂詩曲』。
…さ、もういいか。
というようなとーてもためになるご本ではあるのですが、それにもましてこの本、ぶっちゃけ山田せんせいもてもて半生記。
それはもうちいさなころから山田さんちのぼうやは恋をする恋をされるおもうおもわれる慕う慕われるそれも老若男女問わず!
これもう昨今の草食男子とかいうのの必携の書にしたらええんちゃうかな。
ありえへんくらいもててはるんやけどこっちどないしたらええかな。いやどないもせんでええんやけどな。
と、読みながら遠い目になることしばし。
弟の幼稚園の先生にきゅんとし十になるやならずでともだちの家のおねえさんにてほどきを受け下宿の娘さんに慕われ長じては彼のため命をなげうつ女もありともう挙げてはきりがないくらいのレディキラーヤマダ・コウサク氏、その勇名は女性間のみにとどまらず中学生時分は近隣の男子学生たちから身を守るため義兄から銃の携行を命じられていたということでなんというかなんという、もて王…。
実際のもてもて伝説についてはどうぞみなさまご本を参照なさってください。
こちらのページでは、女子の名作にぜひともカウントしなければという一場面をご紹介するにとどめます。
わたしはこれを職場でたまたま手にとって検品のためにぱらぱらめくってそのくだりを目にしてそのまましょうじき硬直しましたよ。
ほんとにびっくりしました(真顔)。
という前置きは以上にして、とにもかくにもとりあえず、ロマンスはオペラ座からはじまります。
親しい友人らと観劇におもむいた青年山田は、ふとしたきっかけでドイツ系アメリカ人の紳商と知り合います。
年のころ四十五、六、人品卑しからず、明朗闊達、話術も巧み、しかしながらどこかふしぎな雰囲気のある男。仕事柄諸国を旅し、日本のこともよく知るという男と日本の留学生たちとの話ははずむばかり。そうして宴もたけなわとなったころあい、紳士は彼らにある提案をもちかけます。いわく、自分は明朝ラインへの小旅行に出るのだが、ひとりきりではさびしい、ひいてはどなたか同道者になってはくれないか。
どなたかと云いつつ紳士の狙いが山田にあるのは明らか、最後には名指しで懇願され、友人たちの後押しも手伝って青年山田はほとんど見ず知らずの相手との旅行に諾と答えてしまいます。
そうしてつぎの日、フリイトリッヒ駅で山田を迎えたのは紳士と貸切の一等車。
王侯貴族でもないのにこんな贅沢をと驚きを隠せない山田に、紳士は「あなたがそう率直なのに、私が遠慮するのは騎士道にはずれる…」と、おもむろに一冊の本をとりだします。
ここまできたらおわかりだろう…いやおわかりじゃないかもしれないけどまあなんとなくふんわり予想はおつきでしょう…たぶん。つまり要するにあれです。あれ。本文中のことばを借りるなら「旧約聖書にある、ソドム・ゴモラの悪習そのままを描いてある」ご本をさしだされ、しかも一等車まるまる貸切すなわち近隣に人影ゼロという状況、青年山田(女子方面にたいへんお盛ん)絶体絶命の大ピンチ。
大ピンチ、なのですが、しかしながら芸術の道を志そうという男はやはりひと味ちがう。
人間研究にまたとない機会、とことんまでつきあってみようじゃないかと決意をかためた青年山田、紳士に向かってこう云いはなちます。
「あなたのような人には、今はじめてお会いするので、私はいま何も申上げ得ない。(略)私という男性を、一つあなたの愛で女性にして見てご覧なさい。もっとも、女性になったが最後、あなたは捨ててしまわれるでしょうが…」
かっこいい! こうさくかっこいい!!
惚れてまうやろ!
ということでこの後、ふたりのヨーロッパ旅行がはじまるのですがまたこれがすごい。
旅の宿はフランクフルト郊外の療養院。といっても豪奢なことサヴォイにもひけをとらぬ如しの、なかでも特等の一室に、山田は日本の富豪の息子、紳士はその秘書というふれこみで逗留することに。もちろん山田はなにも知らされず、すべては紳士のお膳立て。
しかしながらうまれながらの人徳というべきか、異国にありながらも傑出した音楽の才は人心をつかむに足るのか、療養所のセレブたちは老いも若きもこぞって山田に陥落、そのため紳士は嫉妬に燃え(自分がお膳立てしたのに…)、山田が婦人と散歩に出ようものなら十分もたたぬうちに追いかけてきてとりもどす。
「若御主人、健康に御留意願います。お父さまへの責任上御注意申しあげます。─では奥さま御無礼を!」
ちなみに青年山田のお父上はこの当時すでに泉下のひとです。いいけど。
その後ふたりきりになると「恋知らぬ乙女に言い寄る青年」のように哀訴懇願に暮れる紳士…
けして強引なことはしないと誓いながらもやはり心身御しかねるときもあるのか山田青年にあやしげな薬をすすめてはむげに断られる紳士…
ときおりそうした激情に駆られるほかは、芸術、学問、経済、政治すべてに通暁し、贅のかぎりを尽すだけの財と技量をもち、風貌も立派な紳士…
知ってる。
わたしこういうのなんか知ってる。
ビーとかエルとか頭につくやつの、しかももっとも華々しい系の作品、なんかこんな感じだって、わたし知ってる…。
脳内にあかとんぼのあの字もおもいだせなくなりながら紳士と若き芸術家のめくるめく恋の鞘当を鑑賞することしばし。
キョルン、ボン、ローレライと続く旅のさなか、やがて青年山田はある思いがおのれの胸にきざしかけていることに気づきます。
そしてそのため、山田はこの奇妙な旅を終わらせることを決意する。
「あなたはとうとう僕を女にして終いましたね、あなたの嫌いなきらいな女に…」
そう紳士に云いのこし、ひとり帰途に着く山田。
ベルリンには美しき娘が彼との婚約を待っている…(て突然の設定だけどほんと最後の最後でいきなりだされてびっくりしたのでそのままお伝えしてみたよ…)
ていう、ビーエルでした。
ここには詳しく書きませんでしたが山田くんと紳士の旅行中のいちゃいちゃとか結構ほんとうに90年代ビーエルかっていうくらいすごいのでよろしければどうぞご覧になってみてください。
あと紳士とはべつに、中学生時代のあれこれとか音楽学校時代のあれこれとかもけっこうすごいです。
昔っていまよりなんかすごいなあって、…すごいなあっておもいます。
おどろくほど語彙のすくない表現になってしまいましたが、いや、なんか、すごいよ。ほんとすごいよ。
読後、音楽の教科書を正視しにくくなるかよけいにまじまじとみつめてしまうかおそらくどちらかと推察される作品。もうこの歳になったら音楽の教科書なんぞ身近にないとかそういうことは置いといて。
めくるめく山田ラプソディ、どうぞみなさまご一見を。
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